茶巾寿司とエクレア 4
駅周辺に密集する派手なネオンの一帯から北へ離れると、ガス灯を模したLED街灯が両側に続く、旧バス通りと地元民が呼ぶ落ち着いた感のある商店街に軒が連なる。どこも特別わんさか繁盛していることはないのだが、個人経営のこ洒落た飲み屋が点々と暖簾を垂らす。禿げ頭に蝶ネクタイを締めた無口なマスターのいるレトロなショット・バーが気遣い不要の紫煙と共に生き残っていて、陸ガメを専門に扱う名の知れた店もある。爬虫類全般が最も苦手な妻は、よくこの店の前でホシガメを欲しがる小さな息子と泣き叫び寝転がる喧嘩を繰り返した。また木のぬくもりを感じさせるサーフショップのような店構えの、深夜過ぎまで開く古本屋には近隣のゲイが集まる噂を聞く等々・・・・・・。
朝も夜も、私はいつもスマホをいじくり旧バス通りを歩くのだが、今夜は通りの途中で画面から目を離した。千賀のことを思い出し、忙しなく指を動かしてみても一切の情報は頭に入らず、むしろ邪魔だった。もともと私が生きていくうえで何一つ必要としない情報なのだから、実際はいつだって頭に入ってはいないのだ。炎上する誰かに投げつけた極めてユニークな悪口や、陶酔して傾く社会へ抗議する末端の義憤とか、単純で明快な差別などは、そもそも人の頭になど入らず、それらの文字はたとえば人種に関わらず虹彩で燃え尽きているのかもしれない。一方たまに起こる悲惨な事故や、被害者は全くの他人でも加害者が自分であった可能性はゼロとは決して言い切れないような、許されざる不幸な事件が記事になっていると、話題として瞬間的には熱中して読むのだが、瞬く間に潮目がやってきて興味を失う。人並みの憤りを持ったわりには、やはり人並みに素早く冷え込み、結局は無責任に食いつく為の刺激がそのハードルを上げるだけだ。考えると、なんだか自分で思っている以上のつまらない大人になっていた。全くの素面で思ってしまえるほどに(・・・・・・背の高い、クソみたいなグラスで飲む酒に酔ったまま自慰行為の延長でしかない前戯を省いた性行為後、そこらへ脱ぎ捨てられた女の大袈裟な下着を見つめながら内省したわけではない)!!
つまり自分なりに子供の世界で生きていた私には必然的だった感のある、蔑む気持ちをあからさまな態度にして接した同級生のことを素面の状態で(肯定的に)懐かしく思い出していたのだ。そんなわけで私はさすがにしょげた。