千賀家の親子相撲と我が家の親子相撲~水入り~
どこかで(たぶん)同じ春に高校を卒業した千賀はどう考えても自分が負けるとは思えなかった。アルバイトをして家計を助けていた千賀の身体はいよいよ大きくなり、細やかであったのだろうが、これまで口にしてこなかった類の言葉を投げ返す立派な反抗期も経験したことで、格段に心も逞しくなっていることを実感していた。一方でこの三年、親父の身体は細くなってしまい筋肉の張は明らかに緩んでいる。
今年も桜が開花する前に二人は向き合い、毎回つま先立ちが若干グラグラするそんきょを繰り返す段で、千賀は仲のいいバイト先の先輩にも相談できず、ここ最近ずっと悩んでいたことにけりをつけた。やはりわざと負けてやることにしたのだ。
二週間禁酒した父親は節目節目に息子と相撲を取る行事こそが何物にも代えがたい人生の楽しみだった。だからこそ息子と同じようにここ最近ずっと一人孤独に気持ちを患っていた。いや、もっと言えば願っていたのかもしれない。あいつ八百長して負けてくれねぇかな?
新たな三年越しに立ち合い四つになると、千賀は早くも後退したデコの生え際前線が一気に下がりそうなほど驚いた。こんなにも親父の身体は軽かったのか?
父親はまるで土壁のような息子の立派な身体を必死に押した。頭の中の血管が切れても自分の力の衰えを受け入れることはできなかったので、むきになった。白髪すらすっかり減った、イルカのような頭部を真っ赤にして歯を食いしばったのだ。千賀は自身半分の力でじりじり押し込まれてやると、しかしすぐに元へ戻した。残念だったが不意に足を掛けられても倒れる気はしない。そして実際父親は足を掛けるどころか四つに組んでいた両手を抜くと息子の左足の膝を掬おうとして身体ごと足に抱きついた。
親父が本気で勝とうとしている姿に息子の鼻の奥はツンと沁みた。
千賀は腰を一突きして、父親の身体を左膝からとっ払うと四つに組み直した。いや組み直させたのだ。
かの大戦に親父が出征する前、庭先で取った最初で最後の取り組みのときも俺は親父の膝に抱きついたっけな。国の歴史と共にある「一番」を思い出した父親は、息の上がるまま最後の力を込めた。すると国と国の殺し合い以外は穏やかな海面に、巨大な黒煙が立ち昇る重油の匂いを嗅いだ気になった。
おりゃっ!!とイルカの頭部は一声気合を入れた。
千賀は、よしよし、と頷きながら再びズルズル後退してやったが、わけもなく土俵というかそこら辺の地面の中央へ戻した。二週間の禁酒でオクタン価を上げたはずのガソリンが切れた父親は息子の身体にしがみ付いているだけだ。
「・・・・・・もう、水入りだろ?」父親は訴えた。しかし千賀は頷かない。むしろ父親の身体を脇の下から支えてやり倒れないようにしてやっているのだった。
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