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茶巾寿司とエクレア 8


あの日は優しくて温かな三月の末だったはず。私は彼と町中で出会った。

東と西にある繁華街を結ぶバス通りで、そこは緩いカーブになっている場所だ。年末になると軒先で大量に乾かしている細長い木材に来年の干支を大描きするのが、地元では有名な材木屋の木の匂いが辺りには漂い、毎日管轄内における交通事故の死亡者数と負傷者数を表示するパネルが子供には不気味だった派出所があり、通りの上にはらせん階段の歩道橋が掛かっていた。町名をそのまま使ったバス停の直ぐ前にはおもちゃ屋があった。私たちの大体はそこでプラモデルやトミカ等々を手に入れ、私が中学の入学祝いで買ってもらった初めての腕時計は、おもちゃ屋の隣の時計屋だ。

綺麗に磨かれたショーウインドーの隅の隅に飾ってあった安物のカシオ。お前のガキにはもっといいもの買ってやれ、と父は言った・・・・・・だから私はこの一年半ほど口を聞いていない息子だったがGショックを買うことにしたのだった。人生のどこかでカシオをなくしてしまっている私はたぶん父の為に息子へ買ったような気がする。

失くしものの才能に恵まれる息子なので、そのうちすぐに失くすだろう。そのときカシオに対する私の後悔が少しでも薄れてくれたらありがたい。私は失くしたことに気が付いても全く探すことをしなかったのだ。気に入ったものではなかったからだ。

そんな町角のちょっと先には持ち帰り専門のチェーン店の寿司屋があり、彼はそこの袋を下げて歩いていた。何の用事で出歩いていたのかは思い出せないのだが、私は自転車に乗っていた。

夕刻を迎えた町内で春を待っていた全ての自然界を凝縮した後光すら見える、明らかに幸せに浮かれた彼を見つけると相撲のことを聞こうと立ち止った。

 穴の開いたいつもの靴を履いたまま、地上スレスレで浮かぶ雲の上の彼は、しかし私の問いかけに、なんともなく微笑み「負けた」といい「でも今日はぼくの誕生日だから茶巾寿司を食べるんだ」と言った。私は相撲に負けた話を簡単に片づけられたことと、茶巾寿司に喜びを隠せない顔とに言葉が出なかった。しかも誕生日らしい。

「あっ、そうなんだ」こっちが気まずい感じになり、相手は私の存在そのものをスルーしていた。風呂屋で散々無視してやっていたことが遥か昔のことのような気がした。あるいは逆に私が無視され続けていて、今日はたまたま彼の機嫌がよかったので、簡単にではあれ受け応えしてくれたような錯覚を覚えた。

「だから、あとエクレアも買って帰るんだ」

「誕生日だから?」私は町内の全ての春へ聞き直した。

「まぁね。じゃぁ、バイバイ」千賀は先日の卒業式よりも、もっと誇らしげに歩いて行ってしまった。このままずっとその背後を見守っていれば、何気に浮かび上がり春の夕焼けの中へすぅ~と消え入る瞬間を目撃しかねない風だった。


  まだ片付けてはいない炬燵の上で茶巾寿司をおかずに白米を食べ、それからエクレアにロウソクを立てて電気を消し、ハッピーバースデーを合唱する千賀親子の姿を想像した。一年で一番幸せな、そして誰よりも幸せな千賀がロウソクの火を吹き消した・・・・・・。




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