茶巾寿司とエクレア 3
どうして今日、たまたまそんな日が訪れたのだろうか? と考える余地はない。息子の卒業式だったからだ。彼は小学校を卒業した。そして今、一人で私の帰宅を待っている。いや待ってはいないかもしれない。家に一人いるだけで、そこへ私が帰ってくる。
彼の気持ちの中に「帰りを待っている」という心情があるのかどうか、私には自信がない。というか賭けをするのならば「待ってはいない」に全てを賭けていい。もし仮に私が私自身の息子であったのならば、自分の生活環境がどうなろうと、父にはとりあえず蒸発してもらいたいと願う。少なくともこの一年半くらいは毎日そう願っているはずだ。
もう戻った?
今駅前
今夜くらい真っ直ぐ帰ってあげて
分かってる
こっちは少し遅くなるけど
どうぞ
これまでずっと半透明だった魔女の指先の煙に千賀親子がはっきり現われていた私は、彼らのことを懐かしく思い出していた。どうやら私は茶巾寿司を食べて何かが記憶されていたわけではなかったようだ。
あのとき同級生の千賀が誇らしげに持っていた茶巾寿司に対して少し驚いていたのだった・・・・・・ならば、と思い立ち、一度店の外へ出た私は息子に「エクレア(この安価な洋菓子は千賀の茶巾寿司と、ある意味ペアなのだから)」の一つでも買って帰ろうと、もう一度イトーヨーカドーへ入るための下りエスカレーターに乗った。しかし、下まで降り切るとここで買うことに抵抗を感じ、もちろんそれは小銭の逃走劇中に目撃した私自身の心の動きであり、レジ係りの「千賀さん」の胸の中に、あるいは目の中に読み取れた、なるべくなら失くすべきではない「モノ」に対する弱者の卑屈によった。私は再び上りエスカレーターへ移った。それでも今度は、だからこそここで買うべきで再び千賀さんのいるレジに並ぶべきなのではなかろうか? 私は私を励ました・・・・・・いや煽られたに過ぎない、と断定したのはやはり下りきってからだった。
私はそのまま上りエスカレーターに乗った。もし万が一、三度下るような事態になれば、防犯カメラに映っているだろう私は立派な不審人物となるはず。私は細やかな決心をして僅かな距離だったが駅前のコージーコーナーまで戻ろうと信号を待っているときに妻からLINEが来た、というわけだ。
憂鬱な相手とスマホでやりとりしながら信号を渡り、閉店時間の近い賑わいをしているコージーコーナーまでくる途中できっと誰かは私を避けていたはずだ。それこそ舌を鳴らされたって仕方のない歩き方をしていたのだから。
LINEを終え、列の隙間から色とりどりのケーキを見ていると、せっかくの慶事なのだからという理由で息子に買って帰るエクレアは、少しでも(身勝手に感じる)哀切感をもっているほうが良いのかもしれない、と帰りの道すがらある100円ローソンで買うことにした。もちろん彼がそんなことを理解するとは到底思えなかったが、外国人の店員以外見たことのない家から一番近い100円ローソンへ寄ることにした。