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ランクルとFJ 2


 友達申請が舞い込んできていたFacebookで再会した高校の同級生と関係を持っていた当時の私は、隔週ごとに休日を返上して働いていることになっていた。妻は口にも態度にも怪しんでいる素振りは見せず反って不気味だったのだが、こちらも平然を装った。そっちこそ密かに怪しいことをしているんじゃないのか? と私は都合のいい邪推をし、負い目すら持てなかった自分を正当化しようと努めた。正当化する、って一体何が正当なのか? 今になってみると全く恐ろしい。


 二年前に離婚したという同級生は息子より一学年上の娘を一人で育てていた。彼女の娘は幼少の頃より本格的な水泳を習っていて日曜日は朝から練習だった。だから私たちは毎週会うことも可能だったのだが、彼女の方は望まなかった。当初その理由はよく分からなくて、むしろ妻に尋ねてみたいくらいの謎だった。しかし後に理由が判明した。彼女にはもう片方の週を共にする恋人がいたのだ。

 最初に寝てから二カ月くらいが過ぎた辺りのことで、その日は初めて彼女の娘とも対面したのだった。相手が言うには、最近タイムの伸びない娘をちょっと励ましたいから今週は会えない、との連絡を受けていた私は愚かにも「三人で会えばいい」と提案した。そんな提案を彼女が受け入れるとは思ってもいなかったし、娘が了解するとは露とも思っていなかったのだ。私はただ「君と会いたい。君の一人娘を私も一緒になって励ましたい」そんな浅はかなアピールをしただけだった・・・・・・娘の我儘と礼のなさは想像だにしないほどだったが、年頃の始まる時期に、片親の母親と親しいという見ず知らずの男と一日を過ごすのだから、たとえ自ら了解していても、拭い難い抵抗感というかそういう複雑な心理状況を鑑みれば、責められてしかるべきとは言い難いものなのかもしれない。一方母親の態度もこれまでと一変した。ようするに今日の私は完全にパシらされる、心優しいパパを求められた。そんなわけで私という大人は心優しいパパには不慣れで不器用だったにしろ(新しい恋人に熱を上げていた最中だったので)役に徹したつもりだった。しかしその策略的卑屈さは後々、彼女たちとの思い出における自らの足かせをずっと重くしたし、記憶の中で背負う礫は釘の数を増やした。


「でもさ、あいつだったら先週の方がまだマシじゃねェ?」

「やっぱり?」

「天秤に掛けるなら、違うのを探しなよ。なんて言うかわたし的には」


 今日一日、彼女たちが唯一緊張感を持って微笑んだのは、帰りの土産を二人で物色しているときトイレに行っていたはずの私が不意に背後から現れたからだった。トイレへ行く途中でキティちゃんの配っていた赤い風船をゲットしたので娘へ持ってきてやったのだ。

 密かに交わされていた会話の意味を確かめるまでもなく、私にとってありがたかったのは、ベッドの上で私の腋の下を好んで嗅ぐ母親と、靴の裏で踏んだガムを私に取らせた娘が帰りの車中、終始寝た振りを続けてくれていたことだった・・・・・・。


 それから何日もしない間に、彼女はLINEの中で完全に開き直り、私は「そちん」呼ばわりされ、奥さんへ全てぶちまけてやるそんな最低の価値すらないすばらしい大人の恋愛だった、と告白された。ここでやり返しでもしたら、酷くマズイことになるのは明らかだったので、私は相手をブロックするに留めた。そんな折に妻がいよいよ態度に表したのだった。

 妻が近所のママ友とコストコへ買い出しに行くとき我が家のプリウスを使った。後部座席の隙間に挟まっていた(おそらくは意図的に残していったに違いない)ピューロランドの小人の半券を同乗者が発見したらしい。

 子連れでデートしていたことの発覚は、これまで目を閉じ超然としていた妻のキャパシティーを超えた。



 ・・・・・・妻の作る晩飯を、今夜も遅い時間に食べているとき、こちらへ背を向け明日の仕込みをしていた細い身体からは怒れるスパークの放電があきらかに見て取れていた。息子はキッチンテーブル越しの目の前に座りポータブルゲーム機に集中している。夜、息子が自分の部屋へ早く戻るようになっていたので、団らんと呼べるような時間はめっきり減ってはいたのだがその日は二人で私の帰りを待っていた。というか二人して迎撃体勢を取っていたわけだ。

 私は箸をおくと事態を動かす為に口を開いた。たとえばこんな可能性が全くない、とは言い切れないはずだったからだ。私は恐ろしくだらしない息子の生活態度に、僅かな希望を託してみた。

「なぁ、お前のお母さん不機嫌そうだけど、また何かやらかしちまったのか?」俯いて顔が見えなくとも、彼の表情がキョトン、としたのが分かった。

 笑いを堪えるように身体を震わせ、チラっと私を一瞥した。放電している妻の背中の青白い火花も、信じられない言葉に笑いを堪えなければならなくなり、その勢いは弱まった。


 ・・・・・・なるほど、もともとはっきりしていたこの雰囲気の原因は、やはりこれ以上の明瞭さなどあり得ない。あの女がやはり密告したのだろう。当人から告げられ、それでキレてるんだ・・・・・・。 


 いずれにしろ、各自どこかささくれ立つ呼吸の度毎に、キッチンで張りつめていた緊張感は増した。

タッパーを冷蔵庫にしまい、まな板と包丁を洗ってから水回りを掃除して生ゴミを、生ゴミ用のゴミ箱へ捨てると、妻はねぇ、と息子に声をかけた。

 さっきはとんちんかんな発言だったにしろ、促したことで事態はちゃんと動いたのだ。液体せっけんで手を洗った妻はこちらに向き直り、ちょうど足の長さに合う流しの縁へ

寄りかかった。

「あなたもピューロランドに行きたくない?」

「ケロケロケロッピーがいるところでしょ?」

「・・・・・・」お前らがどんなに俺を煽ろうとも、お前の夫は、お前のお父さんは、高校の女子トイレで最も名前を落書きされていた同級生から「そちん」と呼ばれてしまったんだぞ・・・・・・屈辱とすまなさと開き直りの三つ巴に襲われ、目の奥にもあるはずの感情の底蓋がパカパカ音を立て始めた。

「普段お仕事で骨身を削っているお父さんが、それでも毎週末アルバイトしてくれているところよ。誰の着ぐるみに入ってくれているのかしらね?」

「毎週じゃないよ、隔週だったよ確か。着ぐるみの中ってやっぱり暑いのかな?」息子はゲーム機から目を離さずに、ピコピコ煩い合間あいまに舌を鳴らしながら母親に応えた。


 ・・・・・・私はテーブルの下で拳を握りしめ、高校二年の時の修学旅行先で移動するバスのなか、女子高生だったあの女に対する揶揄や誹謗に憤り、クラス中の女子と独りで闘った三泊四日を思い出した。彼女は修学旅行に参加していなかった・・・・・・。



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