こっちのババァの湯とあっちのババァの湯~冷水器の水~
当時の入浴料が幾らだったのかは覚えていないが、父は間違いなく倹約するために風呂屋へ行くことをしなかった。いつも職場にあるシャワーで用を済ませていた。湯舟が嫌いだ、という言葉を私はすっかり大人になるまで信じていた。だから私は大概一人で入浴していたわけだ。一方千賀に会ってしまうとき、たとえば「こっちのババァ」の場合はいつも父親と二人で来ていた。「あっちのババァ」で会うときは、一人だったり父親とだったりでまちまちだった。
彼が父親と一緒のとき、こちらはいつも以上に気まずく、彼はいつも以上に話しかけてきた。父親は私に挨拶をすると、いつも仲良くしてくれてありがとうね、と言った。私は「はい」と笑顔で返事をし、千賀とそこそこ親しい振りをした。そして壁の向こうに身内の小さなギャンブラーがいるときは、上がるよ、とか、髪は洗った? 等と呼びかけられても返事をしなかった。彼の父親がいると妹へ返事をするのがどうしてか恥ずかしかったのだ。するとあろうことか千賀が代わりに返事をしたりするからもっと嫌いになった。
千賀が一人の時は、取りあえず無視した。湯舟の中から手を振られても、脱衣所でパンツを脱いでいるときも履いているときも、私は彼の呼びかけを無視し、反って壁の向こうにいる妹へ用事のない言葉を掛けたりした。もちろん千賀は屈しなかったのだが、とにかく一番気を使うのは彼の父親が私と妹の分までドリンクかアイスを買ってあげる、と言い出すときだった。四人がちょうど上がるタイミングが重なり、着替えも済ませると、本当に稀のことだったのだが声を掛けられた。普段の彼らは脱衣所にある冷水器から水をゴクゴク飲んでいるのを知っていたし、私は一度も入浴後のドリンクなりアイスを千賀に分けてやったことはなかったのだ。むしろ妹が、お友達と分けるんだよ、等と生意気なことを呼びかけても、分かってるよ、と返事をして無視していたのだ。千賀はたとえばゴムの伸びたブリーフを履きながら、さすがに恥ずかしそうにニコニコしているだけだった。番台に座る、どっちの「ババァ」だったにしろ、口返事しただけの私の行為を見てみない振りをしながら、非難がましい横顔を見せつけているのも非常に厄介だったことをよく覚えている。
彼の父親が私たちにご馳走してあげる、と言い出したとき私は大慌てで逃げ出し、結局妹が二人分の何かしらを番台経由で促され、礼を言う声を下駄箱で聞くか、アイスを二つ手に持った妹が後ろから追いかけてくるかした。余分にもらっていたお金は親に内緒にして二人で分けた。彼女もなかなかしっかりしたところがあったのだ・・・・・・。