こっちのババァの湯とあっちのババァの湯~小さなギャンブラー 2~
番台はまだ脱衣所にあった。床から子供の背丈よりも高い場所に座る番頭は例のババァたちだけでもなく、ジジィたちだったり、息子のような男だろうと、娘のような女であろうと誰であっても内側を向いていて、目の前には小型テレビが置いてあったりするのだが、脱衣所に関して言えば男湯と女湯のどちらも監視できた。完全な「丸見え」だ。また今では信じられないことだが、脱衣所は番台の手前にある、スイング扉で行き来が可能だった。
主に小さな子供が裸のパパとママとを、素っ裸で行き来するのに使うのだが、扉が開かれるチャンスを狙っていない男客がいるとしたのならばまず間違いなくゲイだ。そしてゲイは確かにいた。私は何度も膨張している大人を見たことがある。あからさまに堂々とせり上げていたのだ・・・・・・そいつは四十絡みの坊主頭で、湯舟の中で芯まで真っ赤になった怒張を上向かせたまま湯から上がり、隅の方で何度も桶一杯の冷水を身体にぶっかけて洗い場から出て行った。すると洗い場に漂っていた緊張感が解かれるのを文字通り肌に感じた。水滴の貯まる高い天井にカラン、カラン響く黄色い湯桶の甲高い反響音や裸体を弾くシャワーの細かな音が、一際響かなくなり、これまで様子を見ていた浴客は順次湯に浸かり始めた。縁から溢れる湯の音もまた安堵の響きを持った。
もちろんマサカリ担ぐ金太郎を背負った「そのもの」もいた。二十代後半のように私には思えた和柄は常に寡黙で、冷水野郎とは違う緊張感をもたらしていたが、いつも洗い場のもっとも下手で身体を洗っていた。
和柄がいるときは、子供の私が湯舟の湯をザブザブ水で埋めても、誰からも咎められたり、時には怒られたりすることはなかった。寡黙な「鉄砲玉(顔を見ただけで私を叱る五十絡みの白髪はそう呼んだ)」はザブザブ埋めるタイプだったのだ。
鉄砲玉がいるとき、そして何度も私を叱るあの白髪の五十絡みがちょうどいるとき、私は湯舟の縁でわざと大股を開いて小さな私をなるべく白髪に見せつけてやり、あのぶっとい蛇口からガンガンに水を放出してやった。私のそうした細やかな反抗的な態度は、洗い場の一番下手にいるマサカリの若者の存在に静まる浴場内の静けさをより一層高めたものだ。私はざまぁみろ、と裸の大人たちに思っていた・・・・・・。
男湯と女湯を隔てる壁越しに石鹸やらシャンプーもやり取りされ、高い天井に反響してやや聞き取りにくい男女の会話は普通になされた。
たまに妹がーそれは何かしらの理由で私に腹を立てている日か、忘れていたことを思い出したような日だったー「赤い大砲か指なしはもう上がった?」とギャンブルを仕掛けてくることがあった。彼女なりに雰囲気の変わった直後の男湯を正しく感じ取っていたのだろうが、一つ間違えれば私は気絶しなければならなかったし、他の裸の大人たちも全員死んだふりをするところだった。でも私に復讐する妹のギャンブルは常に勝ち続けた。危険過ぎるからこそ笑える、スリルな笑いが男湯には生じたものだ・・・・・・。