反抗期と尿瓶の限界
私は息子の3DSを破壊してから一年半近く、妻とも息子ともまともに口を聞いていない。必要な会話は全てLINEだ。家の中でも私たちはスマホを介する。世のなかにある代表的な冗談のような話だが我が家では実践されていて、妻は皮肉交じりに「指話」と呼ぶ。息子とは繋がってすらいない。
もっとも私だってある時期に於いては父と長らく口を聞かなかった。反抗期というやつだ。どうだろう? 中学の途中から高校を卒業する手前までの三年か四年ほどだろうか?
なんとなく父は私を叱れなくなってしまい、すっかり背丈を追い抜いていた私は父をずいぶんと見下していた。何一つとして私は父の本当の苦労を知らなかったのだ。あの人は間違いなく今の私よりも立派な父親だった。核心を黙したまま家族を守り抜いた男だった。私の心が根底から震えるとき、それは偶発的なちょっとした何かが記憶と時間の蓋を迷うことなく勝手に開いてしまい、父に対していた私の態度や当時の気持ちを思い出してしまうとき以外にはない。もちろん息子の3DSに関することもなかなか重厚な蓋を要するモノだろうが、それでも来世へ持ち越さなければならない心の事案ではない。現世で片をつけられる可能性がまだまだ残っている。私も息子もまだ生きているのだから・・・・・・。
「お前には立派な反抗期があってくれたから親として安心していた」
痩せこけながら、わざと尿瓶の限界まで小便を溜めては自慢して周囲を困らせる、全く迷惑な方法で死に対し強がっていた父。一度だけ病室で二人きりになったとき鼻から伸びたチューブ越しに天井を見たままそう言った。
男なら絶対に蓋を閉めるなよ、と挑発され、私は迷わず父の童心を受け入れた。手が震えるほど恐ろしい尿瓶をトイレヘ空けに行く文句と笑いは止まらず、一時期のことを父へ謝れる絶好の機会を逸した。私はわざと逸したのだった・・・・・・。