巾着寿司とエクレア 1
歴史の余波と湿気に濡れる町へ流れ着き、耳のない壁を浸食する魂に黙する魔女の老婆。かつての迫害を知る彼女はいよいよ力が尽きる前、誰にも語らなかった当時の「何か」を最後の魔法で清算しようとする。人差し指から僅かな煙が一瞬立ち昇り、そして何の匂いも残さずに消えた・・・・・・ときどき私の胸の内にはそのようなイメージが喚起される。ものすごく微量な漏電が、誰かの言葉かあるいは突き刺さる歌などと繋がる心の真ん中辺りで発生するのだと思う。そして私はその微電に名もない一抹の切なさをはっきり感じる。忘れても全く構わないはずの記憶がそこには関与していることを知っているのだ。自我の防衛作用として、午前二時の夢との境目に沈殿した輪郭だけの記憶ではないし、性行為を覚える以前に朽ちたいくつかのトラウマの残骸でも決してない。我ながら出所の分からぬ「それ」が忘れても全く構わないはずの記憶ではないとしたら、後はもう何の責任も持てない前世に於ける魂の壮大な物語の余韻でしかないだろう。
ケチで卑屈な性格のままにやや内側へ折れ曲がった老婆の人差指には変色した硬く長い爪が伸びていて、干からびたトカゲと変わらない乾いた皺がある。そのおかげで反って骨よりも細く感じてしまう指先に現れた煙が消えると、毎度のこと私は私の記憶探しを試みるのだが、もちろん真剣に注意深く、明日以降の幸運を賭けてもいい、という意気込みで発見しようとはしない。そもそも身元不明で行方知らずの記憶にも拘わらず、がむしゃらに掘り返してみろ、等と訴えてくる盲目的な勘が身の内で騒ぐのであれば、きっと忘れてはいない。砂利のひと粒を踏んだ素足と変わらぬほどに「・・・・・・・あっ」と思うだけで、これまでを過ごしてきた。ところでそのスイッチは茶巾寿司で入る傾向にある。目にするたびってわけではないのだが、とにかくちらしや助六ではなくて、好物とも言えずむしろ食べた記憶すら殆どない茶巾寿司なのだ。
・・・・・・ということは実は昔に食べたことがあり、表層的には忘れているだけで何かしらの爪痕が残ったのだろうか・・・・・・と今夜の私は、駅前のビル地下にあるイトーヨーカドーの総菜売り場で最終値引きシールの貼りだされた時刻にレジの順番を待っているとき、胸の中の指先から現れた久しぶりの煙を見たのだった。