少女、魔道人形
パソコン内で眠っていたので投稿。
――この世界は幸せに満ち溢れていると、本気で思っていた。
少し過保護だけど優しいお父様に、三年前に亡くなったけれど、たくさん愛してくれたお母様に、いつも私を気にかけてくれる使用人たち。
お母様が亡くなって寂しかったし、私は少し病弱だけど、愛されていると感じることができて。
だからこの幸せが、私の日常が。
――彼女に犠牲を強いた上に成り立っているだなんて、考えもしていなかった。
ベッドに柔らかな朝日が差し込み、目を覚ます。時計を見ると午前六時。いつも通りの起床時間だ。
同時に、部屋の扉がノックされ、返事をするとメイド服を着た一人の女性が入ってくる。
「おはようございます、フーリお嬢様」
「おはよう、アキ」
彼女はただの女性ではない。空気中に充満する魔力を糧とし、人々の為に働く魔道人形。それの女性型だ。
魔道人形は人間そっくりだが、食事や睡眠は必要ないし、血や汗だって流さない。人に見えるが、決して人間ではない。
アキに限らず、私の家の使用人は皆が魔道人形で、人間は私とお父様の二人――お母様がいたときは三人だったが――しかいない。
だから、家から出たことのない私は、お父様とお母様以外の人に会ったことがない。
「お嬢様、お体の具合はいかがですか?」
「もう完全に、調子がいいわ。……ねえ、今日はお天気もいいし、お庭で朝食をいただきたいわ」
「かしこまりました。すぐに用意してまいります」
アキがいったん退出していく。
一人になったので、着替えて朝食の用意が終わるのを待つ。
着替え終えて、窓から景色を眺めていると、アキが私を呼びに来た。
「お嬢様、朝食のご用意ができました」
「ありがとう」
アキとともに庭へと向かい、朝食をいただく。
周りにも人がいるのに、一人で食べる食事は少し寂しい。
そんなことを考えながら食事を食べ終え、紅茶をいただいていると、私の思いを悟ったのか、アキが口を開いた。
「お嬢様。今晩、旦那様がお戻りになられるそうです」
「本当⁉ 今晩は一緒に夕食をいただけるかしら」
「おそらくは大丈夫かと。旦那様も、お嬢様に会われるのを楽しみにしておられるとの連絡がございました」
うれしい知らせだ。
お父様はお仕事が忙しいらしく、あまり家には帰ってこられない。そのため、顏を会わせる機会は、アキよりも少ない。
「天気もいいし、体調もいいし、お父様は帰ってくるし、今日は最高の日になりそうね!」
「そうでございますね」
ああ、楽しみすぎて、お父様が帰ってくるまで待ちきれそうにもない。
朝食を終えた私は、アキとともに書庫へと向かう。
「ねえ、アキ。やっぱり私も半分持つわ」
「ありがとうございます、お嬢様。けれど、これは私の仕事です」
前回書庫から持ち出した本を戻すべく、アキが運ぶ。私も手伝いたいけれど、こういうことをアキは手伝わせてくれたことがない。
以前お父様に聞いたことだけれど、アキに限らず、魔道人形は自身の仕事を全うするようにプログラムされているから、仕事を奪ったりしてはいけないらしい。
そんなやり取りをしているうちに書庫へとたどり着く。
「ブラムさん、こんにちは」
「おお、フーリ様。こんにちは。お元気そうで何よりで」
入り口の掃除をしていた、魔道人形のブラムさんに挨拶をする。彼は書庫の管理を務める魔道人形のリーダーで、優しいおじいちゃんのような雰囲気をしている。
「『雪の積もる町』はどうでしたかな?」
「面白かったわ。今日はあれの続きを取りに来たの」
「そうでしょう、そうでしょう。気に入っていただけて、良かった」
ニコニコと笑うブラムさんと話す。いつも優しくも、表情が少し変わりにくいアキとは対照的に、彼の表情はよく変わる。
アキの冷静さの中に潜む優しさと、ブラムさんのあふれ出るような優しさ。私はどっちも大好きだ。
アキがブラムさんに本を渡し、二人で本棚の一角へと向かう。
目当ての本である、『雪の積もる町』の続刊をアキに持ってもらい、部屋に戻る。
ゆっくりしていきたいが、お父様のお出迎えができなかったら大変だ。ここは居心地が良すぎて、いつも長居してしまうのだから。
「ブラムさん、さようなら」
「さようなら、フーリ様。また時間のある時、ゆっくりしていってください」
「ええ。楽しみにしているわ」
ブラムさんと一言交わし、書庫を後にする。彼にお辞儀をしたアキが私の半歩後ろをついて来る。
アキと二人で部屋に向かっていると、見慣れない少女を見かけた。
この家のメイド服を着用し、見慣れない黒髪を持った、私と同じくらいの年齢の少女。
あんな目を引くような姿は、一度でも見たら忘れるはずもないのに――。
「アキ、あの子は誰? 新しい使用人かしら」
そう尋ねるとアキは少し言いよどむようにしながらも口を開く。
「……彼女は、別邸の管理をしている子です。なので、お嬢様が見かけたことはないのでしょう」
「そうなのね。別邸の管理なんて、危険な仕事じゃない。彼女は大丈夫なのかしら?」
別邸には、お父様が仕事で開発している魔道人形が多数、保管されているらしい。危ないかもしれないから、私は入ってはいけないと言われている。
「……そうですね。ですが、魔道人形の仕事ですので」
――やっぱり、この返事だ。アキのこの返事が、私は少し苦手だ。
夕方頃、お父様が帰ってこられた。玄関でお出迎えしながら、はしたないと思いつつも抱き着いてしまった。
「お父様、おかえりなさい!」
「ただいま、フーリ。体の調子はどうだい?」
私を抱き返しながら、お父様がそう尋ねる。
お父様はいつも、私の体調を気遣ってくれる。
「最近はとても調子がいいの。今日はお庭で朝食を頂いたわ」
「それはよかった。……また夕食の時、たくさん話を聞かせてくれ」
そう言いながら、お父様は私を離し、部屋へと向かう。私も部屋に戻り、夕食の時間を待つことにした。
久々に過ごす、お父様との時間は素晴らしいものだった。
一緒にお茶やお食事をしながら、近頃読んだ本についてなどのたわいのない話をする。
たまにしか味わえない、お父様とのこの何気ない時間が、何よりも幸せだ。それこそ、他のことなど何も頭に入ってこないくらい、夢中になってしまう。
――けれど。今日はなぜか、あの黒髪の少女の姿が頭から離れなかった。
「ねぇ。少し、お話しする時間はあるかしら」
私が後ろから声をかけると、彼女の肩が大きくはね、一つにまとめた綺麗な黒髪が大きく揺れる。
お父様がまた仕事で家を空けられ、いつも通りの少し寂しい日常が戻ってきた私はある場所へと向かった。
「あっ、……ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの。少しお話がしたくて……」
「いえ。こちらこそ過剰に驚いてしまい、申し訳ありません」
そう謝るのは、あの少女。
この前、お父様が帰ってこられた日に見かけた、別邸の管理をしているという魔道人形の子だ。
「……ところで、こんな場所にいらしてどうされたのですか? 別邸は危険なのであまり近づかれない方がよろしいかと」
「中には入っていないから大丈夫よ。……あなたとお話がしてみたくて。この前初めて見かけたから、お話したこともなかったし……。それに、なんだかお父様に似ている気がして」
「そうでございましたか」
そう言ったきり、彼女は黙り込んでしまう。
「そうだ。私はフーリっていうの。あなたのお名前は?」
何となく心地の悪いような沈黙に支配された場を打ち破るように、そう尋ねる。
答えてくれないような気がしたが、その考えに反し、彼女は教えてくれた。
「私は、マリーと申します」
「いい名前ね」
「……ありがとうございます」
そう言ってまた、黙り込んでしまう。
「マリー、またここにお話ししに来てもいいかしら?」
「……はい、大丈夫でございます」
その言葉とは裏腹に、彼女の言葉からは、かすかな嫌悪感と拒絶が感じられたような気がした。
「お嬢様はなぜ、私にかまわれるのですか?」
マリーと出会って一か月が過ぎたころ。
その日も別邸へと訪れた私は、マリーを誘い、書庫に向かってお話をしていたところ、彼女にそう尋ねられた。
「お嬢様の周りには、アキも、ブラムも、他の魔道人形も、……それに旦那様もおられます。わざわざ私にかまう必要など、ないのでは?」
私を気遣うような――実際には、どこか遠回しに拒絶する言葉を彼女から投げかけられる。
いや。事実、拒絶しているのだろう。
この一か月間うすうすは感じていたが、やはり――
「ごめんなさい。……やっぱり私のこと、嫌い、なのよね」
「……いえ、そんなこと――」
「正直に答えて」
強い口調の言葉が、私の口から出てくる。彼女を責めたいわけじゃないのに。傷つけたいわけじゃないのに。
「……はい。理由は話せませんが、私はお嬢様のことが好きにはなれません」
私が答えてと言ったから、マリーは正直に答えてくれた。
それなのに、予想していた言葉に耐えきれなくて、私は立ち上がって一言呟く。
「ごめんなさい。……もう、マリーには近づかないようにするわ」
そう言って駆け出すと、マリーの叫び声が聞こえた。
「お嬢様!」
どうして私を引き留めようとするのだろうか。そう思いながら、彼女から遠ざかるべく足を動かそうとする。
「危ない!」
え? そう考えるとともに、突き飛ばされて床を転がり、少し遅れて轟音が響く。
少し痛む体に鞭を撃って起き上がると、本棚の一つが倒れ、隣の本棚に立てかけるような形になっていて、中におさめられていた本はすべて床に落ちて山のようになっていた。
そしてその本の山の下には――
「マリー!」
彼女の名を呼びながら、駆け寄る。
何が起こったのか、……なぜ彼女が私を助けたのか、頭の中は混乱しているけれど今はそれどころではない。
やはり、さっき私を突き飛ばして助けてくれたのは、彼女だったのだろう。手を伸ばして、うつぶせになって倒れた彼女は、目を閉じたまま動かない。
腰から下は完全に本に埋もれているし、もし彼女が動けたとしても、脱出することは容易ではないだろう。
けれど、こちらに駆け寄ってくる使用人たちの足音が多数聞こえるし、彼女もすぐに救出されるだろう。そう思うと、少しだけ冷静になることができた。
――そして、気が付いてしまった。
彼女の額から流れる、人間のように真っ赤な、一筋の血に。
書庫での事故が起きて、一日ほどが過ぎた。
「フーリ! 大丈夫かい⁉」
お父様にもすぐに連絡が行ったのだろう、どうしても手が離せない仕事だけ片付けて、私のお見舞いに来てくださった。
「私は大丈夫。けがもないわ」
「本当によかった。……すまない、もっと早く戻ってきたかったのだが」
「帰ってきてくれただけでも嬉しいわ。ありがとう、お父様」
そういうとお父様は私の頭をなでてくれる。気恥ずかしいけれど、それに身をゆだねていると、お父様は真剣な表情になって私に語り掛けた。
「そうだ、フーリ。これからしばらくは書庫に行ってはいけないよ」
「危ないから?」
「うん。今、書庫の安全点検と修理をさせている。それが終わるまではいかないように。読みたい本があったらアキに頼んで持ってきてもらいなさい」
――お父様が帰ってくる前に、アキに今回の事故の顛末を聞いた。
書庫はかなり古い部屋であるうえに、長年改装などもされておらず、ところどころガタが来ていたらしい。
その結果、本棚が床を突き抜けてバランスを崩し、私たちの方へと倒れてきてしまったとのことだ。
「……ねえ、お父様。ブラムさんたちのこと、首にしたりしないわよね」
私の心配そうな問いかけに、お父様は少し微笑んで返事をする。
「大丈夫。フーリにけがはなかったし、ブラムも前から床や本棚の修繕は提案してきてくれていたんだ。それを後回しにして、君を危険な目に合わせたのは僕の責任だ。彼らに責任は問わないよ。書庫の魔道人形たちは、僕が生まれる前からこの家に仕えてくれているものも多い。そう簡単に解雇はしないさ」
ただし。と言ってお父様は言葉を続ける。
「それでも、君が危険な目にあったのは事実だ。彼らにはしばらく、たくさん働いてもらうけどね」
それは本当に良かった。書庫で事故が起きたのだ、彼らにどのような処分が下されてしまうか気が気でなかったが、重い罰ではなくて安心だ。
……書庫の人たちのことも心配だが、彼女のことも伝えておかなければ。
「お父様。この家にも、人間の使用人の子がいたのね」
「人……、間……?」
「そう。マリーっていう女の子。別邸の管理をしている、黒髪の女の子よ」
――彼女は大丈夫だろうか。
本に下半身を埋もれさせ、ピクリとも動かなかった彼女の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
――そうだ。彼女を別邸の管理から別の仕事に移してもらえないか、お父様に相談しよう。別邸には危険なものがたくさんあると言われている。そんなところを人間であるマリーに管理させるのは危ない。
魔道人形ならいいわけじゃないけれど、破損しにくく、治りやすい彼らに比べて、人間は脆弱すぎる。
――私は彼女に嫌われているし、もしかしたら余計なお世話に過ぎないかもしれないけれど、お父様に進言しておかなければ。
そう思って、お父様の方を向くと――
「お父様……?」
――今まで見たこともないような、恐ろしい顔をしていた。
「フーリ……、別邸に行ったのか?」
「お父様……、どうされたの? そんなに怖い顔をして……」
「いいから答えろ!」
「い、行ったわ……」
お父様の剣幕に押されて、答えてしまう。
「あの女……! この家に置いてやっている恩を忘れて、フーリに近づくとは……、汚らわしい女の娘が……!」
私のことなど見えていないかのように、お父様は怒りに飲み込まれている。
それよりも「あの女」とは、マリーのことだろうか。なぜお父様はマリーに怒りを向けているのだろう。悪いのは私だけなのに。別邸に近づいたのも、マリーを連れて書庫に行ったのも私がしたことなのに。
それどころか、彼女は私をかばってけがまで負ったのだ。
「お父様、マリーは何も――」
「黙りなさい!」
お父様の怒鳴り声が怖くて、身がすくみ、声が出せない。
「フーリ、しばらくこの部屋から出ないように。それと、あの女には金輪際、関わるな」
そう言い残してお父様は、私のことを見ることなく部屋から出ていった。
それからの数日間は異様だった。
部屋から出ることは許されず、マリーはおろか、アキにさえ会うことができなかった。
しかし、お父様がまた、仕事で家を空けられるようになって、アキが私付きのメイドとして戻ってきた。
「お嬢様、ただいま戻りました」
「おかえりなさい、アキ」
そう返事を返すと彼女は一礼して、部屋の隅に控える。
けれど、なんだか重い空気が私たちの間を漂う。何をすればいいかわからず、手元の本に目を落としても、内容がちっとも頭に入ってこない。
「……ねえ。紅茶、入れてくれる?」
「かしこまりました」
部屋にある、備え付けのティーセットで、アキが紅茶を入れる音だけが、部屋の中に響く。
悶々と、頭の中をめぐるモノに意識を向けているうちに、アキが紅茶を持ってきてくれた。
「お嬢様、お紅茶が入りました」
「ありがとう」
香りを楽しみ、紅茶に口をつける。飲みなれた、けれども何度飲んでも飽きない、アキが入れてくれた紅茶。
混乱していた心が落ち着き、すべきことがまとまってくる。
紅茶を飲み終え、アキがティーカップを下げる。それを見て、私は口を開いた。
「アキ、マリーの様態はどう?」
「回復魔術をかけたおかげで、動けるほどには回復しています。が、念のために休養させています。……それと、傷が残る可能性もあるかと」
「……そう」
一応無事ではあるようだ。
生きていることを喜ぶべきか。傷が残ってしまうのを悲しむべきか。おそらく、その両方だろう。
……マリーの様子も気になるが、私には他にも知るべきことがある。
「アキ。マリーについて教えて」
「……」
私から尋ねられることを予想していたのかもしれない。基本無表情なアキにしては珍しく、困ったような、覚悟していたかのような、複雑な表情をしていた。
「話したくないなら、強制はしないわ。全部を話せとも言わない。けれど、私はあの子のことが知りたい。どうして私を嫌うのに、助けてくれたのか、知りたい」
「それに」。と一息置いて続ける。
「私は、お父様のことが大好きだった。けれど、今は信用できない。わたしを助けてくれたマリーに対して、あれほどまで怒りを向けて。だから、知りたいの。お父様がどうして、あの子のことを憎むのか」
私の言葉を聞き、アキは葛藤しているようだった。
私は何も言わずに彼女を見つめる。永遠にも思えるような――実際には数分だろうが――時間が過ぎたころ、アキが口を開いた。
「わかり、ました。あの子についてお話いたします……」
「お嬢様もお気づきになられた通り、マリーは魔道人形ではなく、人間です。あの子は、旦那様と、正妻であるルナ様との間に生まれました」
……うすうす予想はしていた。けれど、マリーが本当にお父様の娘だなんて。
それに、正妻? じゃあ、お母様は? そんな考えがぐるぐると頭の中をめぐる。そんな私の顔色を窺うようにして、それでもアキは話し続けてくれた。
「しかし、旦那様とルナ様は政略結婚の上、その……、ルナ様の束縛が非常に厳しいものということもあり、お二人の関係は最悪に近いものでした
マリーを妊娠なさった頃に、ルナ様は体調を崩され、生まれた後も体調が戻ることはありませんでした。
けれど、そのころには旦那様はお嬢様のお母上たる、メアリ様と恋仲になっており、別館へと押し込んだルナ様にも、生まれたばかりのマリーにも会いに行かれることは、終ぞありませんでした」
衝撃的な話の連続で、頭が付いていかなさそうになる。けれど、アキが教えてくれているのだ。私も最後まで聞き届けなければ。
「そして、お嬢様がお生まれになり、十年と少しが過ぎたころです。三年前、見向きもされず、別館に押し込められ続けていたルナ様が凶行に走られました」
三年前。お母様が亡くなられたころだ。私は事故死だと聞いているが、まさか――。
「ルナ様がメアリ様を惨殺し、旦那様の前で自害なされました。旦那様は嘆き悲しみ、ルナ様のことを憎みました。けれど、憎しみをぶつけるべきルナ様は旦那様の目の前で、当てつけのようにして亡くなられました。そして、怒りの矛先を失った旦那様は――」
ここから先は、聞かなくともわかる。
「マリーに、怒りの矛先を向けた」
私の言葉に、アキが無言でうなずく。
「旦那様は、その場でマリーを殺したいとまで考えておられるようでした。けれど、マリーはこの家の正妻との間の一人娘。簡単に手を下すことは出来ないため、人間ではなく、魔道人形の使用人。いや、もはや奴隷として扱い、徹底的に心を折ろうとしているようです。
……これがこの家で起きたことと、マリーについての全てです」
アキの口から語られた現実から、目をそらしたくなる。この家の血塗られた経緯に、それが決して自分とは無関係でないことに。
マリーが私のことを憎むのも当然だ。愛人の娘が何も知らず、日々を過ごしているのだから。
そのうえ、お父様に似ている? 私は何と残酷なことを言ったのだろう。そんな言葉、彼女が最もかけられたくない言葉だろう。
「アキ、しばらく一人にしてくれるかしら……」
無言でうなずき、アキが退室していく。
一人になった私は、ただただ、罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。
たくさんのことを考えた。
けれど、過ぎてしまったことに私は何もできない。マリーに対しても何もできることはない。
そう思うと、どうすればいいのかわからなくなる。
けれど。
一つ、重要なことに気が付いた。
――私は、まだマリーにお礼を言っていない。彼女は身を挺して、私を助けてくれたのに。
打算的なものもあったのだろう。もし私が取り返しのつかないけがを負っていたら、お父様はマリーに何をしていたかわからない。だから、けがを負うことと引き換えに私を助けたのだろう。
だからと言って、それが彼女にお礼を言わない理由にはならない。……そんな、お父様と同じような卑怯者にはなりたくない。
たとえ彼女に拒絶されようとも。……ただの私の自己満足であったとしても。
私は彼女に一度、向き合わなければならない。
「アキ、マリーのところに連れて行って」
部屋から出てきた私の言葉を聞き、アキは戸惑っているようだった。
「……申し訳ありません
「お父様に禁じられている?」
「はい……」
やっぱり。お父様は本当に私をマリーに近づけたくないらしい。
「お願い。マリーに助けてくれたお礼だけでも伝えたいの」
「それは……」
アキも、マリーが私を助けた理由は察しているのだろう。戸惑う顔を見せる。
「マリーが私を助けた理由が、打算的なものだっていうことはわかってる。……けれど、私はお父様のような卑怯者にはなりたくない。たとえ自己満足だとしても、彼女にちゃんと、お礼は伝えたい。だから、お願い」
そう言って、頭を下げる。
「……わかりました。けれど、決して旦那様にはバレないよう、気を付けてください」
「ええ、もちろん」
アキに渡されたメイド服に着替え、二人で人目につかないようにしながら、マリーのもとへと向かう。
目的地は、別館。
マリーは生まれてから、別館以外の場所を訪れることをほとんど許可されていないらしい。
……だから、お父様は私に別館を訪れないよう、言っておられたのだろう。
別館へと入り、アキの後について二階へと向かう。二階の一番奥の部屋。そこが、マリーの部屋らしい。
二人で、部屋の前に立つ。すかさず、アキが扉をノックし、声をかける。
「マリー、私です。入りますよ」
どうぞ。という返事が聞こえ、二人で部屋の中に入る。
必要最低限。もしかしたら、それ以下の家具しかない殺風景な部屋の中。小さなベッドの中に、マリーはいた。
「体の調子はどうですか?」
「もう大丈夫です。ありがとうございます、アキ」
「それはよかった。……マリー、あなたにお客様を連れてきました」
それを聞き、こちらを見たマリーは、だれが見ても分かるようなひきつった表情をした。
それを見て、アキは悲し気な表情をしたものの、私が頼んでおいた通りに部屋から出て、二人きりにしてくれた。
「マリー。あの時、助けてくれてありがとう」
そう言って頭を下げる。
顔を上げると、何を言っているのかわからない。というような表情を彼女はしていた。
「あなたが助けてくれたから、私にはけがもなかったわ」
「いえ、それは……」
「私に何かあったら、マリーに怒りの矛先が向くから、でしょ」
躊躇しつつも、無言でうなずくマリー。
そんな彼女の様子が、今までお父様が、この家が、彼女にしてきた仕打ちを表していた。
「そうだとしても、あなたに助けられた事実にお礼を言わない理由にはならないわ。……本当に、ありがとう。そして――」
私が彼女に伝えないといけないことは、もう一つある。
「本当に、ごめんなさい」
「お嬢様……?」
「私、アキからマリーのこと聞いたの」
そういうと、堰を切ったように言葉があふれ出して止まらなくなる。
彼女に、アキから聞いたことすべてを伝えた。言葉にすると、あまりの残酷さに、話しながら涙が出てきた。私に泣く資格などないのに。泣きたいほど、苦しんできたのはマリーなのに。
すべて話し終えて、マリーのベッドの前で泣き崩れていると、マリーが立ち上がって、私の方へ向かってきた。
何をするのかと思っていると、彼女はしゃがんで、私の背をさすってくれた。
やさしさに、満ち溢れた手だった。
「私の方も、お嬢様に謝らなければならないことがあります」
私が少し落ち着いたのを見て、マリーが口を開く。
「あの日、お嬢様のことを好きになれないと、言ってしまい、……傷つけてしまい、申し訳ありませんでした」
「そんな、あなたが謝ることじゃ――」
彼女は何も悪くない。この家に虐げられてきた彼女が、私にも憎しみを抱くのは、当然のことだろう。
「いえ。……私は、この家が嫌いです。私を虐げ、人生をめちゃくちゃにした、生みの親たちが嫌いです。けれど――」
私と目を合わせて、言葉を続ける。
「お嬢様は、そんなことはしなかった。ただ、純粋に私と話をしてくださった。あなたがこの家の人間で、あの男の娘であっても、決して傷つけてよい理由になんてならない。それをしてしまえば、私はあの男と同じ存在にまで堕ちてしまう」
そう言うマリーは、いままでで一番、人間らしい表情をしていた。
「だから、私はお嬢様に謝罪をいたします。あなたの心を傷つけたことの、癒しになどならないかもしれませんが」
「……ありがとう、マリー。あなたの謝罪を受け入れるわ」
彼女の心が楽になるのなら、謝罪でも何でも受け入れよう。
彼女の謝罪を聞き、ふと思った。
「ねえ、マリー。私たち、そっくりね」
「そっくり、ですか?」
「ええ。口だけの謝罪になんて意味がないと分かってながら、自分の心の為に謝罪する。とっても悪いことしているわ」
そう言いながら、心はなんだか晴れやかになる。彼女と歪ながら、少し心が通じ合ったからだろうか。
「マリー。私とお友達に、……いいえ、家族になってくれる?」
マリーは少し驚いた顔をし、そして笑って言った。
「はい。お嬢様」
「敬語は禁止。それと、お嬢様もやめて」
「わかったわ、フーリ。……これでいい?」
「ええ」
そう言って、私たちは二人で笑いあった。
マリーのお見舞いに行ったあの日から、私の日常は少し変わった。
いつも通りの日常を過ごした後、夜遅い時間、魔道人形の使用人たちも休息に入ったころに、部屋を抜け出して別邸へと向かう。
そのまま、マリーの部屋でお茶をしたり、私の部屋に招いてお茶をしたり、ブラムさんにこっそり書庫を開けてもらって、読書をしたりした。
次の日に支障が出たらいけないから、一日一時間くらいしか会うことができなかったし、もちろんお父様が家に帰られている日も会うことができない。
けれど、マリーと過ごす、家族としての、……姉妹としての時間は、何事にも代えがたいほど大切なものだった。
そんな日々を一年近く過ごしたころ、私は彼女に一つの質問をした。
「ねえ。マリーは、この家から逃げ出したいと思うことはあった?」
「急にどうしたの?」
「昨日まで、お父様が家にいらっしゃったでしょ」
「……ええ」
「お父様は一年前のあの時から、私に異常に執着されるようになったわ。それで思ったの。私は確かに愛されている。けれど、この家は私を閉じ込めている檻のようなものではないかって」
私は、この檻の中での生活に満足していた。だから最近まで、この檻の中から出たいと思ったこともなかった。
けれど、マリーは? 檻の中で虐げられ、地獄を見てきた彼女は外の世界に憧れなかったのだろうか。
「逃げ出したいとは、何度も思った。――けれど、私はここから逃げ出す術も知らない。いくらこの家の外に憧れても、私には決して届かない世界だから」
――だからもう、憧れることもやめた。
彼女はそう言った。
「……ごめんなさい。失礼な質問だったわ」
「大丈夫。……それに、フーリだって私とそう、変わらないでしょ」
そうかもしれない。見える景色は違えど、同じ檻の中に閉じ込められる私とマリー。
……だから私は彼女に惹かれるのだろうか。ふと、そんな考えが頭の中をよぎった。
――そして、私たちがこの檻から脱出する日は、唐突に訪れる。
その日は、お父様が家におられる日だった。
マリーに会うことが出来ないため、寂しく感じ、気分転換に書庫へ訪れていた時のこと。
彼女にお勧めされた本を探し、アキと歩いていると、つんざくような爆発音が響いた。
家中に響き渡ったであろう、その爆発音の衝撃から抜け出せずに固まっていると、アキに手を惹かれる。
そのまま走り出し、お父様の部屋に着いた。
「フーリ! 無事かい⁉」
「え、ええ。大丈夫。……何が起きたの?」
その質問に答えたのは、アキだった。
「現在、武装集団がこの家を襲撃しています。……賊の練度は非常に高く、ここにまで到達される恐れがあります」
そういうとアキは、本棚を一つ倒す。何をするのかと驚いて見ると、大きな魔法陣が描かれていた。
「これは、緊急避難用の魔法陣です。行き先は隠れ家となっており、休止状態の魔道人形も二体配置しております。魔力の痕跡も残さないため、追跡される恐れもありません。……ここは魔道(我)人形(々)が引き受けます。お二人はどうか、お逃げください」
「感謝する、アキ。……行くよ、フーリ」
そう言って私の手をつかんだお父様は、魔法陣に手をかざす。
けれど。
「っ! フーリ!」
その手を反射的に振り払う。
「ごめんなさい、お父様。けれど――」
マリーを置いていけない。そして私は部屋から飛び出し、別邸へと向かった。
マリーのもとへ向かい走り出したが、半分も行かないうちに、アキに追いつかれた。
「お嬢様!」
「アキ! 離して!」
「いけません! 今ならまだ間に合います! 旦那様とお逃げください!」
賊もまだ到達していないのか、だれもいない廊下でアキと言い争う。
「ダメ! マリーも一緒に逃げるの! だから、早くつれて――」
「フーリ……?」
身が凍るかのような冷たい声が耳に届く。見ると、追いついてきたお父様が、感情の抜け落ちたかのような表情でたたずんでいた。
「あの女に関わるなって言ったよね? なのに、どうしてっ……!」
「マリーが、私の家族だから」
「家族? あの女が? 違うよね! 君の家族は僕だけだ――!」
「ふざけないで! あなたがマリーにした仕打ちは全部知ってる! あなたのような鬼畜と、親子だなんて、反吐が出るわ!」
そういうと、お父様は放心した表情になる。そして呟いた。
「どうして、そんなことを……。君は僕の理想の魔道人形なのに……」
――その瞬間、時が止まる。
耳に入ってきた言葉が信じられず、最初の爆発音を聞いた時以上に呆然とする。
しかし、刻一刻と動く状況は私のことなど気にも留めない。
足音が聞こえ、見慣れない、武装した男が二人、姿を現す。
「いたぞ! この家の当主と娘だ! 殺せ!」
そんな言葉が聞こえた瞬間、アキが私を抱え、廊下の曲がり角へ身を投げる。
その直後、爆発音が響き渡るが、爆発のやんだ瞬間アキは角から身を出し、魔法を放つ。どさりと、何かが倒れる音がした。
「……アキ。さっき、あの人が言ったことって……」
「それは……」
しかし、さっきよりも多くの足音がこっちに向かってくる音がした。
それを聞いたアキは悔しそうな顔をし、私に告げる。
「お嬢様、ここは私が食い止めます。マリーのもとへ向かってください」
「でもっ……」
「お願いします。そして……、何としても、あの子と二人で逃げてください。それと、先ほどの質問についてはマリーにお聞きください。あの子にも、伝えてありますので」
「だめ、アキも一緒に……!」
「二人で逃げるだけでは、すぐに追いつかれます。それに、さっきはあの子を見捨てようとした私に、そんな資格はありません」
そんなことはない。そう言おうとするも。
「お嬢様、あの子の支えになってあげてください。……それと、今まであなたにお仕えすることが出来、光栄でした」
そう言い残してアキは。
戦場へと舞い戻ってしまった。
別邸にはまだ賊が来ておらず、不気味なほどにすんなりと入ることが出来た。
二階のマリーの部屋へと向かう。
彼女はベッドに腰かけ、静かに本を読んでいた。
「マリー!」
「フーリ! どうしてここに……?」
「あなたを置いて、逃げるなんてできないわ」
マリーの顔を見て、少し冷静さを取り戻せた。
「マリー、どうしてここはまだ賊が来ていないの?」
「精神に干渉する魔法で、賊がこの別邸に、興味を持たないようにしたのよ。……最期に、ゆっくり本を読もうと思って。でももう、魔力も尽きるわ」
悲しげな表情のマリー。そして、私に告げる。
「フーリ。もう、ここから逃げるすべはないわよ」
「もう、いいのよ……」
「フーリ……?」
私の様子がおかしいと悟ったのか、顏をのぞき込んでくる。
「マリー。私って、人間じゃなくて魔道人形なんだって……。あなたも知っていたの?」
「ええ。……アキには、あなたにそのことについて尋ねられたら、包み隠さず答えるように言われている。……聞きたい?」
私を気遣うように、そう、訪ねてくるが。
「いいわ。……最期の時に、聞きたい話でもないしね」
「……そうね」
――私もマリーも黙ったまま、時が流れる。
別邸の周囲に人の気配がし始めたころ、マリーが口を開いた。
「フーリ、あのね。私は、あなたが魔道人形であっても、あなたのことは妹だと思ってる」
別邸の周りが、騒がしくなる。
「あなたに、家族になってって言われたあの時、嬉しかった。……あの瞬間、何物でもなかった私が、人間になれた。感謝してもしきれないわ」
それに。と、マリーはいたずらっぽく笑って告げる。
「人間のような魔道人形と、魔道人形のような人間。……それくらい歪な関係の方が、私たちにふさわしいわよ」
あの夜のことを思い返す。
「ふふっ、そうね」
私もつられて笑いがこぼれる。
――ついに、賊たちが別邸に入ってきた。
「ねえ、マリー。……私、死ぬならせめて、人間らしく死にたいわ」
「奇遇ね。私もよ」
はたから見れば異常さしかない会話。しかし気にせず、私たちは話し続ける。
「何かいい方法はないかしら」
「一つだけ、あるわ」
「どんな方法?」
マリーは私の胸に手をかざして告げる。
「魔道人形は、コアから全身に魔力が送れないように詰まらせたら、周囲一帯を巻き込んで爆発する。……その方法なら、苦しまずに逝くことが出来る」
「人間らしくはないんだけど」
私の軽口に、マリーは笑って答える。
「賊たちに捕まったら、辱められるだけよ。……自爆する方がまだ、人間らしいわ」
「そうね。……お願い」
「ええ」
短い返事をし、ベッドの下から取り出した魔力回復用のポーションを飲み、私の胸に手をかざすマリー。
「そんなもの、隠していたの?」
「おいしくないし、延命に使うつもりはなかったの。……でも、あなたと逝くためなら、いくらでも飲んでやるわ」
そう言って笑うマリーは、とても頼もしい。
――徐々に、体に違和感が生まれ、胸が熱くなる。
「……アキに、マリーをお願いって言われたのに、二人で逃げてって言われたのに、こんなことになっちゃったわ」
「……もしあの世があるのなら、二人で謝りに行きましょ」
死んでも、マリーに会えるだろうか。魔道人形の私は、人間の彼女と同じところに、いけるのだろうか。
そう思うとともに、胸の熱さが最高潮に達する。――最期の時が来た。
「マリー、愛してるわ」
「……私も愛してる、フーリ」
賊たちが部屋に乗り込んでくる。
――その瞬間、熱と光に飲み込まれ、私の意識は溶けていった。