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アルバに向かって  作者: 雨足怜
第一章 帝国新米回復兵
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6 悪化する戦線

 アウローラとレインが仲違いしたからといって、戦線が大きく変わることも、アウローラの日常が劇的に変化することもなかった。

 ただ、回復兵の自殺を契機に、上層部はピリピリとし始めた。それは戦線の状況が悪化しているからか、あるいは回復兵をこれ以上無用に死なせるものかという決意の表れか。

 ともかく、神経質になった上級幹部たちがアウローラの視界に止まることが増えた気がした。

 その、程度。

 後はせいぜい、ホルトが死んで手数が減ったために一人当たりの仕事が微量に増えただけだった。

 これまで以上に忙しくなったアウローラは、ただ淡々と仕事をこなし続けた。目の前の人を癒し、助からない者は見捨て、助かる見込みのある者たちに最善を尽くす。重傷を負った者は延命処置を施して戦線後方へと送る。

 静かに、けれど少しずつ、砦は重い空気に飲まれていて。

 それに、アウローラが気づくことはなかった。





「アウローラ!」


 なじみのある悲鳴が、アウローラの耳をつんざいた。レインが、呼んでいた。

 目の前の患者の処置を手早く済ませる。幸い、体に突き刺さっていた金属片の摘出は無事に終わり、太い血管や臓器が傷ついていることもなかった。

 患部を縫い終えた後、シーツや包帯、薬、その他いろいろなものを抱えて、アウローラはレインのもとへと歩み寄った。


「怪我人?」


「ッ、そうだ!早く見てくれ!」


 虫のいいことを言っている自覚のあったレインは苦虫をかみつぶすような顔でアウローラを見て、そして息を飲んだ。久しぶりに顔を見合わせた幼馴染の少女の顔からは、感情が削げ落ちていた。それから、長い黒髪が、肩のあたりでバッサリと切られていた。黒い髪が短くなったからか、白かったはずの制服が酷く汚れて見えた。

 まるで関心が無いような淡々とした声で、アウローラは負傷者の状態を読み上げる。

 人形のようだ、と思った。心無く人々を生かせるか死なせるか選別する、人の枠を外れた存在。

 そう思えば、レインの心にどす黒い感情が噴き出した。

 目の前で戦友を治療するアウローラを、レインはじっと見下ろし続ける。この女は戦友を殺す選択をするかもしれない――レインの手の中が汗でじっとりと湿った。


 ちらりとアウローラが顔を上げる。その目にあるわずかな躊躇いに、レインは気づかなかった。


「……最善は尽くすよ」


 小さく、残っていたわずかな感情を吐き出すようにか細く告げる。視界の先にあった、ゴミを見るようなレインの顔を、存在を、頭の中から振り払って、アウローラは男兵士の処置に当たった。

 胴体に負傷、手足の傷は軽度、頭部に出血あり、毒の気配なし――

 意識はなく、小さくうめくばかりの男の体はひどく冷え切っていた。肌からは血の気が引いていた。


 アウローラの意識から、周囲のあらゆる事象が抜け落ちる。ただ目の前の存在へと向けられたアウローラの意識が、高速でなすべきことを行わせる。

 機械のように、巧みな動きでアウローラが体を動かす。

 腹部の傷は、幸いひどいものではなく、縫って安静にしていれば大したことにはならなそうだった。

 ただ、麻酔用の薬などとうに消費しきっている状況で傷口を縫うのは、アウローラ一人ではできない作業だった。


「レイン、腕を抑えて!」


 振り返って叫んだアウローラの言葉に、数秒遅れてレインが反応を見せる。それから、ふらふらとした覚束ない足取りで、レインは男の腕を抑え込む。

 痛みに拘束から逃れようとする男の腹部の傷を、アウローラが手早く縫う。それから、新鮮なガーゼを当て、包帯を巻く。

 続いて、左足の骨折を固定し、擦り傷のいくつも見える手足を濡らしたタオルでぬぐう。


「…………」


 もう一度、アウローラは男を俯瞰し、そして、その姿に死の気配を見た。

 理由は、わからない。けれど、額に開いたわずかな傷に、アウローラの目がいった。


 念のため――そんな思いで、アウローラが目を閉じる。何をするかを悟ったレインが、小さく目を見開く。久しく使用していなかった回復魔法を、アウローラが使おうとしていた。

 祈りを、世界に存在する目に見えない精霊へと送る。魔力に乗せた祈りを、精霊が受け止めて、そして、癒しの現象を世界にもたらす。

 淡い、森のような緑の光がアウローラの手のひらの先に出現する。やっぱり、その大きさは豆粒ほどのサイズでしかなくて。

 ある程度魔法に精通した者なら誰だってわかる魔力効率の悪い回復魔法の光を、アウローラは男の額へと押し当てた。


 小さな傷口が、癒える。それは、確かなアウローラの成長を意味していた。

 けれど、それはほんの表面的な治療でしかない。その傷口を完全に癒したわけでもなく、そしてアウローラが危惧する脳の怪我があった場合、先ほどの回復魔法では癒すこともできていなくて。


 けれどこれが今の自分の限界だと、アウローラは魔力消費で疲弊した体を、膝に手を当てて持ち上げる。

 ふらついたアウローラを、支える手はなかった。

 以前であればアウローラを抱きしめたレインは、ただじっとアウローラを見つめていた。


 その視線から逃れるように、アウローラは治療道具一式を持って新たな負傷者のもとへと歩き出した。






 ドォン、ドォォン――夜の砦に大砲の音が響き渡る。おそらくは、皇国の攻撃。

 魔道砲と呼ばれるそれは、帝国が誇る骨董品である火砲という未知の爆発物によって鉄の弾を飛ばす攻撃を改良した、魔力によって球を飛ばす兵器だった。

 発展目覚ましい皇国は、そういった新たな兵器を持ちだすことで、やや数に勝る帝国軍に対抗していた。


 腹に響く重低音が、砦に響く。右往左往する兵士たちの中、アウローラはユリーカと共に負傷兵の治療に当たっていた。


 戦線が悪化してから、ひと月。

 中央砦は更なる激戦に見舞われており、その火花はとうとうこの砦にまで広がっていた。

 昼夜問わない襲撃に対抗するために、帝国は更なる人材をこの砦にも送り込み、無数の兵士が砦内部を駆けずり回っていた。

 戦いが悪化し、兵士の数が増えれば当然回復兵の仕事も増える。

 もはや以前いつ休んだのかも忘れるほど、アウローラは無心で治療に当たっていた。それは、アウローラが回復兵の中で最も継続して治療に当たることができるからだった。治療にほとんど回復魔法を使わないアウローラは、魔力量を気にすることなく治療に当たることができる。それは同時に、魔力が底をついた倦怠感に苛まれないということでもあり、回復部隊の中でもはやアウローラはいなくてはならない重要な存在になっていた。

 膨大な負傷者を支える最後の砦。そんな重荷がたかが十歳少々の少女に掛かっていることが、ユリーカには歯がゆかった。

 こうしている今も、貴族連中は眠り、あるいはパーティーに出席して終わらない夜を過ごしているのだろう――そう思えば、腹の底から怒りが湧いてきた。

 疲れた頭が生み出す怒りを、何とか追い払い、ユリーカは次の患者へと回復魔法を放ち――目の前が、真っ暗になった。


「ユリーカさん!」


 傾く体は、けれど途中で止まる。温かな腕が、ユリーカの体を抱きとめる。

 かすんだ目を開けば、心配そうにユリーカの顔を覗き込む金色の瞳と目が合った。


「もう魔力がないよ、ユリーカさん。少し休んでて」


「でも、アウローラは……」


 ユリーカを救護室の端まで運んで座らせたアウローラは、大丈夫だから、と腕に力こぶを作って見せる。その顔に張り付いた笑みの空虚さを理解しながら、けれど今はその作り笑いだけでも心が温まった。


「それじゃあ、悪いけれど少し休ませてもらうわね……」


 そう言って、目を閉じた次の瞬間には、ユリーカの意識は闇へと落ちていった。


「……ふぅ」


 小さく息を吐いて、アウローラは首を巡らす。相変わらず響き続ける敵の兵器の発砲音が腹を揺さぶる。その音も、けれど苦しみの声が渦巻くこの場所では、ほとんどかすれて聞こえなかった。

 目を閉じ、少しだけ休憩。

 それからアウローラは、負傷者の治療のために再び歩き出した。

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