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アルバに向かって  作者: 雨足怜
第四章 剣士
31/40

31 辺境の戦い

「いつもありがとうねぇ」


 深く頭を下げる老婆の動きを手で制して、いいえ、とアウローラは首を横に振る。


「仕事ですから」


「でも大変でしょう?ずっと村の外に立ち続けるなんて。あたしが阿呆どもに言ってやってもいいんだよ」


「いえ、魔物が出ないだけましですよ」


 苦笑を浮かべたアウローラに、そうかい、と老婆はつぶやき、それから相変わらずぶつぶつと村の者たちを批判する言葉を漏らしながら曲がった背を向けて村の奥へと引っ込んでいった。

 ギィィ、とさび付いた金具がきしむ音を響かせて村を取り囲む壁に取り付けられた門が閉まる。その先には、頭だけを見せる村の家屋と、立ち上る白煙が見えた。

 視線を、村の外へと向ける。そこに広がる美しい緑を見て、アウローラはふぅと息を吐いた。

 無意識のうちに、腰に提げた漆黒の長剣へと手を伸ばす。


「シッ!」


 降りぬいた剣が、斬撃を飛ばして。

 森から顔をのぞかせた、飢えた獣の首が刎ねられた。


 大瀑布に身を投げてから、およそ二月。

 川の先に漂着したアウローラは、近くにあった村に身を寄せていた。

 地方の閉鎖的な村では、アウローラという異物はなかなか受け入れられず。村の番人という立場で、アウローラは夜間以外に村に入ることを禁止されながら、忠実に職務に励んでいた。


 森の入口へと歩み寄り、そこに倒れていたイノシシ姿のゾンビの絶命を確認。魔力が凝り固まった石のような核を探り出して回収した後、アウローラはその死体を全力で森の奥へと投げ飛ばした。


 水で手を洗い、ゆっくりと門の前へと戻る。


 目を閉じて、意識を周囲へと広げる。

 近くに誰もおらず、さらには自分へと意識が向いていないことを確認してから、アウローラは剣を抜き、舞うようにそれを振るい始めた。

 夏草が剣圧で揺れる。

 額に汗をにじませながら、アウローラは無心で剣を振り続けた。

 近づいて来る、少しだけ弱い気配。

 子どものそれを感じても、アウローラは止まることなく剣を振る。


「やっぱりサボってんな⁉」



「……そういう君もサボりでしょう?今日のこの時間は計算の勉強だったと記憶していますが?」


 ひょこ、と低い木の壁から背伸びをして顔の上半分を出して少年が、目を吊り上げてアウローラを睨んだ。睨む、と言ってもその体勢がよほどきついのか、口を引き結んで震える顔にはうっすらと涙がにじんでいた。

 危険はないよ、とアウローラが告げるなり、少年は再び壁の向こうに姿を消し、勢いよく扉を開け放って村の外へと一歩を踏み出した。

 栗色のふわふわとした髪を揺らす少年が、悪ガキのような笑みを浮かべて両腕を組んでアウローラの前に立ちはだかる。

 アウローラは構うことなく剣を振って。


 威勢の良かった少年の顔が少しずつ不安に陰っていき、その顔がゆっくりとうつむいて――はっと顔を上げた少年は、我天啓を得たりと言った自信満々な顔をした。


「……門の見張りをサボってるのを親父に言いつけてやる!」


「どうぞ?その場合は君が勉強から抜け出してきていたことも一緒にバレることになりますけどね」


 卑怯だ、と涙目になった少年が愚痴る。それから、門の脇に置いてあった木の棒へといそいそと歩み寄り、勝手に握った棒を剣に見立ててアウローラへと向けた。もう一方の手には、手持無沙汰に握られた短い棒。


「今日こそお前をたおしてやる!」


 ぴたりと動きを止めたアウローラが剣を鞘に納める。ほら、と手を伸ばせば、少年がアウローラに向けていない短い棒を放り投げた。

 くるくると舞う木片を握り、アウローラは軽く振ってその感触を確かめる。やっぱり剣というよりはナイフのようで、互いの得物のリーチ差を見て小さくため息を吐いた。


「どこからでもどうぞ?」


 ここ最近の日課を前に、アウローラはいつものように研ぎ澄ました空気を纏い、短い木の棒を少年へと突き付けた。


 カァン――村の外に、二つの木の棒が奏でる音が響き渡る。







 ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返して地面に横たわった少年に一瞥をくれて、アウローラはその手に握る棒切れを少年のすぐわきへと放り、再び剣を手に素振りを始めた。足を止めることなく、舞うように。

 少しだけ呼吸を落ち着けた少年は、風を切るいつもの音を聞きながら、ぼんやりと空を見上げていた。


「……どうしたらそんなに強くなれるんだ?」


「強く、なりたいですか?」


 そりゃあもちろん、少年は太陽に手をかざしながら肯定した。


「強くなってこの村を守るんだよ。次の村長の俺には、村を守る使命があるんだ」


「……力だけが村を守る方法とは限りませんよ。例えば、悪い取引を企む相手を見抜く観察眼や、金銭を誤魔化されない計算能力が必要かもしれません。飢饉に備えて食料の備蓄を考えるような、未来を見る能力も大切だと思います。良好な対人関係を築いて村社会を良好な空気に保つことも、些細な森の変化に気づくことも、近くの村との緊急時の協力の取り決めを考えるなど、村を守る方法なんていくらでもありますよ」


「でも、もし盗賊が襲ってきたら?魔物がたくさんやってきたら?勝てない相手がいたら何も守れないじゃん」


 今みたいにさ――歯を食いしばる音が聞こえて、アウローラは剣を振るう動きを止めた。


「村長は何と?」


「お前が、ゾンビがここらに出てる原因に違いないって。それなのに親父もみんなも、お前が強いから村から出ていくのは怖いんだって。……強かったら、お前なんていなくても俺がみんなをまもってやるのに」


「……そうですか。でも、強敵を前にしてできることは確かにありますよ?」


 何が、と少年はようやくアウローラへと顔を向ける。アウローラの顔を見て、わずかに頬を赤らめた少年は、次こそ勝つ、と心の中で誓った。


「逃げることですよ」


「格好悪。第一、逃げたって何にもならないじゃん。村を守れもしないし。それに、逃げられない時だってあるかもしれないだろ。例えば、相手の方がずっと走るのが早かったりさ」


「それはそうでしょうね。でも、逃げれば助かるときに逃げずに立ち向かって死んでしまっては、生き残った村人は守れませんよ。生きてさえいれば、村を再興することだってできるはずです」


「さいこう?村がすごくなるって?」


「いえ、村を作り直すということですよ。……本当に強い敵を前にすると、無意識のうちに逃げられないと思い込むんですよ。心も体も恐怖に囚われて、逃げるという選択肢が思い浮かびすらしないものです。それでも、逃げるんですよ。逃げれば、未来に繋がりますから」


 細められたアウローラと目を合わせて。その瞳の奥にある過去への思いを見て、少年は必死に掛ける言葉を見つけた。けれど、見つからなかった。


 まあこんなところでいつまでも現実から逃げている私に言えたセリフじゃないと思いますけれどね――少し寂しそうに、辛そうに苦笑したアウローラは、そうして再び剣を振り始めた。


 もし自分が強かったら、お前のことだって守ってやれるのに――強く握った拳を胸に当てて少年は夢想した。






「……まただ。また出やがった」


 夜闇にしずむ村長邸宅。集まった村の有力者たちは絶望と嫌悪の表情を浮かべた顔を突き合わせ、村の行く末を決める重要な相談に臨んでいた。


「やっぱり減らないか。これでもう何体目だ?」


「数えている限りでは二十三だ。いくら何でも多すぎる」


 彼らの題目は、最近村の周囲で見るようになった魔物、ゾンビについて。死体に宿った魔力が核となり、死後再び動き出すアンデッドであるゾンビは、本来村の周囲でまず見られない魔物だった。それは、基本的にゾンビになれるような五体満足の体は、魔物や動物に食べられるから。そうして食われた死体は肉体に宿っていた魔力が核を作るには足りなくなり、大地の栄養へと変わっていく。

 そのゾンビの多さが意味するところは、死体を食らう獣の減少か、あるいは――


「やっぱり呪いだ。あの真っ黒な髪の女が来てからだろう⁉」


 ドン、とテーブルを強く叩きながら叫んだ村長の言葉に、一同は口を閉ざした。

 三週間ほど前、村に一人の女性がたどり着いてから、ゾンビが多くみられるようになった。関係がないとは、言いにくい状況で。誰もが、その女性アウローラと、ゾンビとの因果関係を考えずにはいられなかった。

 明らかにかみ合ったタイミングはもはやその関連を疑いようのないものに思わせ、だからと言ってアウローラを村から追い出そうと言い出す者もまたいなかった。

 アウローラの力を知り、その戦力が離れることを、臆病なただの村人たちが望むはずもなかった。もしアウローラがゾンビたちが襲ってくる原因ではなく、アウローラが去った後も慢性的にゾンビが村の周囲をさまよい、その果てに複数体で村を襲ったら――額ににじむ脂汗をぬぐう男たちの顔色は冴えない。


 そんな男衆を、先代村長の妻――すなわち現村長の母である老婆はじっとりとした視線で見つめていた。彼女の目には、アウローラとゾンビは明らかに無関係だった。ゾンビに狙われる人物など、彼女は眉唾だと笑い飛ばす。


 ろうそくの灯が、わずかに開けられた扉から吹き抜ける風によって揺れる。不吉な、湿り気を帯びた夜の風が男たちの肌を撫でて行って――


 ――うわああああああ⁉


 遠くから響いた悲鳴を聞いて、男たちは勢いよく立ち上がった。


「いいか、死肉どもに村を汚させるな!」


 おう、と威勢のいい声を上げる男たちだったが、その顔色はひどく悪かった。土気色になった顔をした一人の男が、村にたどり着いた黒髪の女性のことを思いだす。彼女がいればこの村は――戦いから逃げたいが一心で、男はアウローラがすべてを解決してくれることを願った。

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