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アルバに向かって  作者: 雨足怜
第三章 新米剣士
24/40

24 月夜

 アウローラがイエルに剣を習い始めてからはや一か月。見違えるような剣技を披露するアウローラを眺めながら、イエルは自家製の酒に口をつける。

 木剣の舞いが真ん丸な月明かりに照らされて美しく影を動かす。もしその手にある剣が銀の光を放っていたらきっともっと幻想的な光景になっただろうとイエルは思った。

 アウローラの動きに合わせて紅葉が舞い散り、渦を描く。風になびく黒髪が、月夜に照らされて天使の輪を作り出す。


 目の奥にわずかな痛みを覚えて、イエルは酒杯を置いて手で目を覆った。懐かしい顔を見た気がした。追い求めた、恋人の顔。

 その顔はもう、目の前にはなくて。けれどそこには、あるいは恋人よりも強い輝きを放つ少女の姿があった。


 やっぱり似ている――イエルはそんな既視感を抱きながら、真剣に剣を振るアウローラの顔を見る。恋人の顔は、そこにはもう重なっていなくて。酒でわずかに緩んだ脳は、必死に答えを探る。

 月がゆっくりと雲に隠れて世界に影が落ちる。

 光の消えたモノクロの世界、前へと踏み込むアウローラの姿が、かつて見た影に重なった。

 死地の記憶がよみがえる。右腕を失った、過去の記憶。

 帝国の砦にて味方の姦計にはまった際に見た、美しい仲間の絆。大切な者を助けるために走る少女の姿が、アウローラに重なっていた。


 そんなはずが、ないのに。

 あの少女はそのすぐ後に、天井の崩落に巻き込まれて死んだはずだ。百歩譲って死ななかったとしても、その後に襲い掛かった皇国の大規模魔法を受けて無事でいるはずがなかった。

 その思いは、幻想のはずで。あの少女たちが生きていればと、そんな美しい月夜が生み出した感傷だと言い聞かせて。

 それでも、一度浮かんだ疑念が晴れることはなかった。


 もし、その少女が本当にアウローラだったとしたら――イエルは考える。

 当時すでに恐るべき回復能力を、ドラゴンのブレスに直撃しても生き残るほどの自己回復魔法の腕を持っていたとしたら、アウローラは――


 そこまで考えて、イエルはかぶりを振った。アウローラの過去を詮索するつもりはなかった。自分が、アウローラに話せないことはたくさんあったから。

 それでも、アウローラのつらい過去を勝手に予想してしまったことを恥じて、イエルは自分の昔話をアウローラにすることにした。


「……アウローラ、英雄イエーリの伝説を知ってるか?」


「……イエーリ?イエルの、名前の由来、ですか?」


 短い呼吸を繰り返しながら、その合間にアウローラは尋ねる。酒でどこかぼんやりした頭で、そうだ、とイエルはうなずいた。


「これは皇国で広く知られる伝説的な人物の話だ。凶悪な魔物たちに追い詰められていたある村で生まれ育ったイエーリが、やがて多くの人を救う物語……まぁ、民間伝承の形で各地で伝わる英雄伝説だ」


 懐かしむように、空を見上げる。雲の切れ間から顔をのぞかせた月が、美しく光り輝いていた。

 イエルが風を斬る鋭い音が響く。


「……英雄イエーリは、幼いころ食糧不足に陥って死を予感したんだ。果ての見えない荒野をさまよい、魔物の襲撃に何度もあって、死にそうな思いをしたらしい」


 魔物の襲撃――そう聞いてドラゴンの姿を思い出したアウローラ。その思考が手に取るようにわかって、イエルは苦笑を浮かべた。


「まあドラゴンなんて大物だったかは知らないが……寒い夜が、イエーリの体を凍えさせ、エネルギー不足で手足には力が入らなくて、魔力だって尽きていて……」


 そういいながら、イエルは月へとその手を伸ばす。雲から飛び出した真ん丸な月をつかむように、その大きな手を掲げる。


「もうだめだと、あきらめた時。そこに、まばゆい黄金の光をイエーリは見たそうだ。それをつかもうと手を伸ばして、こぶしを握って、イエーリは立ち上がって再び歩き始めたらしい」


 ぎゅっと、イエルはその手を握る。月は、イエルの手になんて収まることなく空に浮かんでいて。けれどイエルは、何かあたたかな力がその手に握れた気がした。


「……それが、イエーリの、イエルの、心の芯?」


「いいや、俺の心には、もうそんな光は灯ってないな。……まあ、そういう偉大な英雄の名をもらって、俺たちはイリェンスって名前で冒険者をしていたんだよ。そういう意味では、かの英雄は、俺たちの旅の芯だったのかもな」


 イリェンス……に、イエーリ――アウローラが小さくつぶやく。気づけばその手は止まっていて、イエルと同じ方向を、空に光輝く月を見上げた。

 夜の旅人を導く、大きな月。天空をめぐるその偉大な星は、イエーリの心の導きになったのだろうか――そう、思って。


「……アルバ」


 ふと、懐かしい単語がアウローラの口から零れ落ちた。


「アルバ?」


「私の名前の由来だよ。アウローラ、暁っていう意味。太陽が昇る少し前の、まだ薄暗い夜明けのこと。訪れた今日に向かって歩いて行けるように……そんな意味なんだって」


 イエルの名前の由来を聞いて、優し気な祖母の顔を思い出した。あたたかなぬくもりが、自然と涙をこぼさせる。

 おばあちゃんは無事だろうか――ただ空に浮かぶ月は、答えてはくれなかった。


「それで、アルバっていうのはなんだ?」


「同じだよ。昔使われていた、夜明けって意味の言葉なんだって。それでね、思ったの――」


 先ほどのイエルと同じように、アウローラは視線の先に手を伸ばす。だが、その手は空高くに伸びる月へは向いていなかった。

 風が吹き抜ける。赤や黄色に染まった枯れ葉が強い風に吹かれて飛び散った。まるで、アウローラのその手の先へと、導くように。

 月の光を受けた紅葉はまるで一つの道のように、アウローラの手の先へと続いていく。東へ。

 その先には、帝国が、アウローラの故郷が、そして、太陽が昇る土地がある。


「夜明け……昇ってくるあたたかな黄金の光。イエーリっていう昔の人は、世界をあたたかく包み込む太陽に、希望を見出したんじゃないかな?」


 風に揺れる黒髪の先で、アウローラは微笑む。月の光を受けて輝く金色の瞳が、まっすぐイエルを見つめていた。


「……夜明け、か」


 小さくイエルはつぶやいて。そして、昇ってくるはずの太陽をじっと待った。当然、まだ夜になってさほど経っていない今、東から太陽が昇ることはない。

 けれどイエルは、その先から世界を照らす、あたたかな黄金の光を見た気がした。


「……そういえば、イエルの戦う理由って、芯って何だったの?」


 少し聞きづらそうに、アウローラがそんなことを尋ねてきて。

 答える代わりに、イエルはわしわしとアウローラの髪をかきまぜた。

 ふわりと、アウローラがつぼみのように微笑んだ。


 その笑みに高鳴る心を静めながら、そろそろ寝るぞ、とイエルはアウローラに背を向けて歩き出した。


「うん!」


 高い声が、夜の森に響いて消えていく。

 魔物はびこる危険なその世界には、けれどあたたかな日常があって。


 もう少しだけこんな日々が続いてほしい――そう願いながら、アウローラは目を閉じた。

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