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ゴールドマンの魔導書

作者: 沖月シエル




――これはなに?


渡された一冊の辞典のように分厚い本。ずっしり重い。金色の金具や青く光る宝石のような石で装丁されている。高価そうだ。


――イザベラ、よくお聞き。これはお前がこれから錬金術師として生きていくために必要になるものだよ。


――れんきんじゅつ?


――今から使い方を教えてあげるね。さあ、開いてごらん――



「――イザベラ、いるか?」


…ううん…


「…なんだ、寝てたのか?」


…!!


目が覚める。


「徹夜でもしたのか? 店番中に居眠りなんて」


「サイモン!」


サイモンは店内に入って来て、私のいるカウンターの近くまで来ると、持って来た頑丈そうな小さな木箱を私の目の前に置く。


「頼んでおいたやつ、持ってきてくれたの?」


「苦労したぜ」


「いつもじゃない」


「今回は特にな」


サイモンが木箱の蓋を開ける。中にキラキラ光る鉱石のたぐいがいくつか。サイモンはその中の一つを手に取る。


「…琥珀はこれしかなかったが、悪くない」


私はサイモンから琥珀を受け取る。そうこれこれ。サイモンは手に入れるのが難しい品も、ちゃんと用意してくれる。


手にした琥珀を窓の光にかざす。少し深めの、澄んだ黄褐色。


…きれい。


私はサイモンに振り向く。


「…安くしてくれるよね?」


「おいおい勘弁してくれよ。お前んとこに優先的に持って来てやってんだからさ」


「他のも一緒に買うから。他には何があるの?」


「これなんかいいやつだ」


サイモンは木箱の中から薄緑色の石を取り出す。


「…これは…カンラン石?」


「もうちょっと透明度が高ければ磨いて宝石にできる品質だ」


私はカンラン石を受け取る。やわらかなオリーブ色。


…欲しい。


「…うーん、カンラン石はそんなに使う機会無いしねー…安ければ買うけど…」


チラ。サイモンの表情をうかがう。


お願い値下げして!


「まあ、お前がいらないんなら他所に持っていくまでだな」


「ま、待って! じゃ、じゃあほら…残ってるローンのさ、期間をちょっと延長してくれない?」


「それじゃあ金利がつくぜ」


「そんなこと言わないでよ。前はタダでやってくれたじゃない」


「あのなあ…お前何回借金延長すんだよ、この貧乏錬金術師め」


――ガタン!


店の玄関の扉が勢いよく開かれる。


「…錬金術師イザベラ・ドーキンスの店はここか?」


なんか威圧的なオッサンと、他数人の男達がぞろぞろと店の中に入って来る。上等な服を着ている。


「…ずいぶんと貧乏くさい店だな。少し薄暗いぞ、もっと明るくならんのか?」


いきなりなんなの? 失礼ね!


「あの、どなたですか?」


「イザベラはどこだ?」


「イザベラは私ですが」


オッサンは名乗った私の顔をじろじろと眺める。


「…そうか、お前がイザベラか。いいかよく聞け。ここの領地一帯の領主様でいらっしゃるウィル伯爵閣下がお前との結婚をご希望でいらっしゃる!」




◆   ◆   ◆




「…ほう、お前が錬金術師のイザベラか! どんな女かと思えば、ずいぶんと貧乏そうな女じゃないか! 何だそのみすぼらしい服は? もっとマシなのは無いのか?」


言われるがまま。威圧的なオッサンに連れられて伯爵邸に来てみてはみたものの。なんなのこの状況は。


「…あの、ウィル伯爵様でいらっしゃいますよね?」


派手な容姿の、歳は私と同じくらいの青年。これがウィル伯爵か。


「…私との結婚をご希望だとおうかがいしたのですが、間違いですよね?」


「いや? 間違いではないぞ」


本当らしい。



嘘でしょ。


「…で、その隣の女性方は?」


ウィルの隣には、ウィルと同じく派手な感じの女の人が2人、ウィルの両隣に座っている。


「あら、申し遅れましたわね。私はウィルの第一夫人のエマ、そしてそちらが第七夫人のジェインです」


!!


はあ!?


「ちょ、ちょっと待ってください! 伯爵閣下にはたくさんのご夫人がいらっしゃるので!?」


「そうだ。なんだ、知らなかったのか?」


全然聞いてないし!


「お前を第十四夫人にしてやる! どうだ、光栄に思え! フハハハ!」



ぜぇぇぇっっったいムリ!!!




◆   ◆   ◆




私の店。とりあえず戻る。傍にはいつものサイモン。私は机の上にぐったりうなだれる。


「…ねえーサイモーン…私どうしよー…」


もはやなんのやる気もわかない。私はこれからどうしたらよいのやら。


「よかったじゃないか。伯爵夫人になれるんだろ? 俺はお前の借金が完済してもらえそうだからむしろ歓迎だけど」


「なんでそんな冷たいこと言うのよ!」


「え、なんで?」


サイモンが不思議そうな顔をする。


「…あ、いやいや、とにかく無理なヤツなの」


「そうか? 俺も会って来たけど、まあまあイケメンじゃないか」


「顔じゃないの! 中身が超無理なの! あいつ何人も女囲い込んでハーレムしてんのよ!? お前を第十三夫人にしてやる、ですって!? 人のことなんだと思ってのよ!? 傲慢にもほどがあるでしょ!」


「第十四夫人じゃなかったっけ?」


「どうでもいいわ! あんなのに比べたらたとえ地味でも貧乏でも誠実な人の方がいいわ!」


「俺みたいな?」


「そうそうあんたみたいな…」


…ん?


「…って違う違う! なんであんたが出てくんの!」


「冗談だよ」


私は再び机に顔を突っ伏す。はあ…怒ったらなんか疲れた…疲労がいつもの倍に感じる…


…それにしても、ウィル伯爵はなんで私を妻、というか事実上の愛人にしようと思ったんだろう? こんなしがない貧乏錬金術師の私を…




◆   ◆   ◆




伯爵邸。メイドに案内されて部屋に通される。それにしても広い屋敷だ。


「…こちらがイザベラ様にお使いになっていただくお部屋になります」


「…」


まあ、生活するのに一応困らないスペースはある。簡易なベッドが一つ。簡易な机と椅子が一つずつ。窓が一つ。ちなみにめちゃくちゃ日当たりが悪い。他に大きな物を置けそうなスペースは無い。


…他にスペースは無い。


「…あの、ここ物置ですよね?」


「ついこの間まで。イザベラ様がいらっしゃるということで、急遽ベッドと机を運び込みました」


いろいろ言いたいことがあるんだわ。どこから話していいのか分からない。


「…それでは、伯爵様にお伝えしてきます」


メイドは一言言い残し部屋を出て行った。


物置に一人残される私。



ま、まあ、正式な結婚はまだだし? そういうことだよね?



――ガタン!


ビクッ!


少しして、部屋にウィルが入って来た。ノックもせずに。


「どうだイザベラ? 十四番目の妻にもちゃんと一人部屋を用意してやったぞ? 感謝しろ」


いじめか?


「…どうも。ところで、私に用というのは?」


「ふむ」


ウィルが急に真顔になる。無言でゆっくりと、私に一歩一歩近づく。



ウィルが急に私の手首を掴む。


「ヒィィッ!」


…とっ、鳥肌がぁっ…!


い、いやいやちょっと待って! 結局そういうこと!? まだ私達正式に結婚する前なのに!? なんちゅう破廉恥な男…!! くそ、この状況どうすれば…!!


「…イザベラ、お前が持っているゴールドマンの魔導書、俺に渡してもらおうか」


「…はい?」


突然予想外のことを言われて一瞬思考が止まる。


「…きゅ、急に何をおっしゃるので?」


「お前が先祖から代々受け継いでいるという、錬金術の方法が書かれた魔導書だ。おっと、しらばっくれても無駄だからな? 全て調べが済んでいるんだ。例の貧乏ったらしい店のどこかに隠してあるのだろう」


手首を掴んでいるウィルの手に力が入る。イテテ。


「…私は確かにゴールドマンの魔導書を持っていますけど、それをどうして?」


「聞けば、錬金術は土や石ころ、はては空気や水からでも貴重な金を生成することができるそうではないか。本当にそうなら、その錬金術を使って、俺は莫大な利益を得ることができる! もちろんお前には、錬金術師としてせいぜい俺のために尽くして働いてもらうつもりだ。さあイザベラ、ゴールドマンの魔導書の在りかを吐け!」


「…」


…こいつ、金目当てだった…!!!


…もう許さない…!!!


「…さあ、どうした? 言えないのか?」


一旦落ち着こう。今どうしたらいいか考えるんだ。


「…一応忠告しておくぞ。断ったらどうなるか、分かっているよな?」


冷静になれ。挑発にのるな。


「…もし、どうしても言えない、ということになれば、あの店を徹底的に調べさせてもらうからな? 商品や家具はもちろん、壁や柱も解体させてもらうぞ。もう元通りにはできないと思え」


考えろ。考えるんだ。


「…そうだ、お前と仲のいい、あの卸屋の男、あいつなら知っているかもしれんな、捕まえて締め上げれば、魔導書の在りかを吐くかもしれん」


!!…サイモン!!





「…伯爵様」


「ん? なんだ、人質を取られて、言う気にでもなったか?」


「…伯爵様のご希望通り、お伝えします。ゴールドマンの魔導書なら、私の店の地下室にあります。錬金術の実験室です。部屋の中央の広い作業机に、鍵の掛かった引き出しが1つだけあります。ゴールドマンの魔導書は、その中に」



「…フフ」


ウィルは気持ち悪くにんまりと笑う。


「…フハハハ! これで俺は大儲けだ!! やりたい放題だ!! フハハハハハ!!!」





◆   ◆   ◆




数日後。最初にウィルと会った謁見の間に呼びつけられる。ちなみに今回はサイモンにも一緒にいてもらうことができた。仲間が必要だったのだ。


「…サイモン、ありがとう」


「いや、お前のためだ、構わないよ。それにしても、聞けば聞くほどひでえやつだな、伯爵殿は。それにしても…うまくいくかどうか、ちょっと不安だよ」


「大丈夫。きっとうまくいくよ。私達ならね」


部屋に着く。サイモンと2人で部屋に入る。


部屋の中にはウィルが立って待っていた。向こうの壁側には見たことのない女性が2人。彼女達も何番目かの夫人なのだろう。


「遅いぞ!!!」


ウィルが私の顔を見るなり大声で怒鳴りつけてくる。


伯爵とは名ばかり。紳士とは程遠い。


「…どうされました? ウィル伯爵様」


「気安く俺の名を呼ぶな! この女狐め!」


随分な言われよう。閣下はご立腹なご様子。私は普段と変わらない調子で話しかける。


「…私、何かいたしましたか?」


「とぼけるな!!!」


ウィルは一冊の古めかしい本を掲げ、私に見せつける。


「…私のゴールドマンの魔導書ですね。いえ、今は伯爵様のものですが。私の言った通りの場所にありましたでしょう?」


「何だこれは!!!」


ウィルは本を開く。紙面を見せつけるようにしてバラバラと捲っていく。


どこも真っ白。


「…何も書いてないじゃないか!」


「あら? そんなはずはありませんけど」


「貴様…謀ったな!!」


――バシン!


ウィルは本を床に叩きつける。あらま、ひどいことするわ。


「…なあ、イザベラ、もういいんじゃないか?」


サイモンが口を開く。


「そうね」


「どういうことだ?」


「俺から説明しますよ、伯爵殿。実は伯爵殿のイザベラとの結婚の話があってから、俺達話し合いましてね。なぜ伯爵殿がイザベラと結婚、というか十四番目? でしたっけ、その愛人にしたがっているのだろうと。それで、ピンときたんです。伯爵殿はおそらく、イザベラの錬金術が目当てなんじゃないかってね。それで良からぬ金儲けでも企んでいるんじゃないかと。それじゃあ利用されるだけのイザベラは到底納得できないし、錬金術をそんな目的のために使うわけにもいかない。それで、イザベラがこの屋敷に閉じ込められている間に、俺がこっそりと、偽物の魔導書を作っておいて、イザベラに指定された場所に置いておいたと、そういうわけです」


「こんなできそこないの、すぐにそれと分かる偽物をか!?」


「あなたの手下が来るのが予想外に早くてね、ちょっと中身までは間に合いませんでした。でも目的は果たせましたよ、なぜならイザベラの店は、あなた方に破壊されることなく、無事ですからね」


「小賢しい!」


ウィルは顔を真っ赤にして叫ぶ。


「それで本物の魔導書はどこなんだ! さあ今すぐ言え! 言わないとどうなるか貴様ら分かっているだろうな!」


私はサイモンと顔を見合わせる。2人で頷く。


…よし。


私はウィルに話を続ける。


「…本物の魔導書は、もうありません」


「何だと…?」


「もう、無いんです」


「どういう意味だ!」


「その通りの意味ですよ、伯爵殿。イザベラに頼まれて、俺が燃やしておきましたからね。ゴールドマンの魔導書は、灰になりましたよ」


「…」


ウィルが一瞬絶句する。


「…フ、フフ、そんなわけがあるか! お前ら錬金術師が貴重なゴールドマンの魔導書を自ら燃やすはずが無い!」


「あなたに渡すよりはましですから。それに魔導書が無くなっても、実際、私達錬金術師は困ることはありません」


「何? 錬金術が使えなくなるのではないのか?」


「いいえ。なぜなら、私はゴールドマンの魔導書の中身を、全て暗記していますから」


「な…何だと…? だが魔導書の中身は膨大だと聞くぞ? それを全て暗記、暗記だと…!?」


ウィルは信じられないといった様子だ。


「錬金術師の家系に生まれた者の嗜みです。子供の時はそれは苦労しましたわ…」


「…だ、だが待て、そうならば、お前が俺のために働けば、魔導書が無くともどっちみち俺の野望は達成されるではないか!」


ウィルが、一筋の光を見つけたとでもいうように、気持ち悪い笑みを浮かべる。ホント救いの無いやつ…


「…そう、そうだ! イザベラ、今日から俺のために身を粉にして働け! 朝も、昼も、夜もだ! 俺にこんな馬鹿げた真似をしたのだからな、奴隷よりもこき使ってやる! 覚悟しろ!」


「…そうそう、もう1つ伯爵様にお教えしておかねばなりません。先程からお聞きしておりますと、伯爵様は錬金術について何か勘違いをされているようです」


「何だと?」


「私が使う錬金術というものは、何も無い所から貴重な金属のたぐいを生み出したりするような、そのようなものではありません。自然の法則に反するような、そのようなことはそもそもできないのです。でも少し考えればお分かりになるようなことですよね? 例えば金を作るなら、それと同等の価値の他の材料を用意しないといけないのです。鉄から金を作るなら、作りたい金の量と同じ価値の量の鉄を用意しなければならない。他の材質でも同じこと。つまり何も儲けていないんですよ。それどころか、作成にかかる他の費用を差し引けばむしろ赤字。ですからあなたがおっしゃるようなお金儲けはそもそも私達の錬金術ではできないのですよ」


「…う、嘘だ…そんなわけが…」


「伯爵様、あなたはお金儲けに目がくらんで、私達の錬金術を、自分の都合のいいように誤解してしまったのですよ」


ウィルの顔がだんだんと青くなってくる。


「…そんな…そんなわけが…くそ! だからお前はあんなに貧乏だったのか!」


「あら? お金が無くても、私はそれなりに幸せですけど? あなたとは違って」


「黙れ!!!」


ウィルが言葉にならない声で叫ぶ。


「では私は帰らせていただきますね。伯爵様、ごきげんよう」


「イザベラ! 貴様ただで済むと思うなよ!」


「じゃあ俺も、このへんで」


「…この卸屋風情め。貴様も随分と食わせ者だな」


「卸屋? 俺は薬術師ですよ。王室お抱えの」


「王室!?」


ウィルが驚いた声を上げる。


「…そうだ…各地の貴重な素材や物質に詳しい、王室専属の薬術師…聞いたことがある…その風貌…まさかお前、あの天才薬術師のサイモン・ラザフォード…!?」


「俺のことをそういうふうに言う人もいますね。今回のことは、王室に報告するかどうするか…」


「ま、待て! 待ってくれ!」


「まあ俺も面倒なことは好きじゃないんで、そうですね、伯爵殿の無茶苦茶な愛人事情でも報告しておくだけにしておきましょうか」


ウィルは絶望のあまり声も出ないようだ。


「…さて、こいつはもういらないですかね」


サイモンがウィルの投げつけた本を拾う。


「これは俺がもらっておきましょう。あと、イザベラも。今後一切、彼女には近づかないように。よろしいかな?」




◆   ◆   ◆




私とサイモンは、私の古めかしい店に戻る。やっぱりここに戻って来ると安心する。そんなに長くいなかったわけでもないのに、なんだか懐かしい。



「…ぬあぁーっ! 疲れたぁーっ!」


私は一言叫んで長椅子に寝転がる。


「…やれやれ、なんとかのりきった、のか?」


サイモンも少し疲れている様子だ。


「…サイモン、魔導書見せて」


サイモンは、伯爵邸から拾って来た中身が真っ白の古い本を私に手渡す。


「…そうこれこれ! あのやろー、床に思いっきり投げつけやがって。私の大切なゴールドマンの魔導書!」


私は家族から代々受け継いできたゴールドマンの魔道書を胸に抱き締める。


戻って来てよかった。


「…どこか傷付いてないかしら…?」


「それにしてもお前、よくあんな作戦考え付くよな。俺もうホント、ひやひやしたぜ」


「うまくいったでしょ? よくやってくれたわ、サイモン。あんたがいなかったらできなかった」



「…魔道書も戻ったことだし、とりあえず、久しぶりに、やってみましょうか」


私はサイモンに振り向く。


「…来る?」


サイモンは少し驚いたような表情をする。


「…え? 見せてくれるのか?」


「何よ、やらしい言い方ね」


「い、いや、そんなんじゃなくて」


「なんてね。冗談冗談。だって、見てみたいでしょ?」


「ああ…まあ、そりゃあな。でもなんでだ? 錬金術を使うところを錬金術師以外の人間に見せたらだめなんじゃないのか?」


「一応ね。でもそんなに厳しい規則じゃないから。今回はあんたにもいろいろ助けられたし、特別よ」




◆   ◆   ◆




私はサイモンを連れて、店の地下室へ。いつも錬金術をするのに使っている場所で、彼をここに招くのは今が初めてだ。


「…これは…!…結構趣きがあるじゃないか…」


サイモンは実験室の雰囲気に少しとまどっている。まあ確かに、普通見かけないような奇妙ながらくたで溢れかえっているように見えるだろう。どれも錬金術に使うものだ。


「…お前、魔女なのか?」


背後で皮肉を言うサイモンはとりあえず無視。中央の広い作業机、その上に、ゴールドマンの魔導書を見開きの状態で固定する台がある。私はそこにゴールドマンの魔導書を置いて、本を広げる。


…真っ白な紙面。


私は紙面の上に手をかざす。


目を閉じる。


集中する。



ふわりと風が吹き抜ける。


目を開く。紙面の一部に、ゆらゆらと蝋燭の炎のような細かな光が、ゆっくりと浮かび上がる。


光の文字だ。


普通の文字ではない。錬金術師の家系にだけ伝えられる、古い文字。当然錬金術師にしか読めない。


「…なんだ!?」


サイモンは初めて見る錬金術に驚いている様子。


私は文字を読む。



「…ふーん、今回はカンラン石を使うのがよさそうね。ちょうどよかった」


この間までは琥珀が一番効率がよかったのだが、今回のゴタゴタでその時期は過ぎてしまったようだ。まあ琥珀は錬金術でよく使う素材だから、また使う機会もあるだろう。


私はこの間サイモンから琥珀と一緒に買ったカンラン石を持って来る。


…ローンだ。


「…後は…そうね…カラスの羽と…ヒカリゴケ…」


まあこんなもんだろう。


私は残りの素材も用意して、カンラン石と一緒に机の上に並べる。


続いて錬金術に使う専用の時計をいくつか準備。これらはどれもゴールドマンの魔道書と同じく美しい細緻な金属の装飾が施されている。


砂時計。これ結構重い。


ゼンマイ式時計。4つもある。用意した素材を囲むように、それぞれの文字盤が向かい合うように東西南北の方向に配置する。


懐中時計。かわいくてお気に入り。


これらはどれも素材の時間の経過を操作するものらしい。ちなみに万が一壊したり紛失した場合、王都の錬金術師ギルド本部に行って改めて調達しなければならない。かなりお金がかかる。ローンがさらに増えることになる。


「…何を始めるんだ…?」


サイモンは興味津々、かな? 私はフラスコを1つ持って来て、再びゴールドマンの魔導書に手をかざす。


集中する。



風が、ふわりと吹く。


それぞれの時計の針が回り始める。速くくるくると回るものもあればゆっくりと動くものもある。逆向きに回るものもある。


用意した素材が、錬金術の力でその組成を変えられていく。パキパキ、カチカチと、小さな心地よい音が鳴る。冬の凍った池の表面に、薄く張った氷の割れるような音でもあり、暖炉の暖かく優しい炎の爆ぜる音のようでもあり、大切な人に想いを綴るタイプライターを打つ音のようでもある。


素材は一旦バラバラにされ、七色の幾何学模様の光となって、私の手にしているフラスコの周囲を回り始める。


「…嘘だろ!?…」


風が少しずつ収まる。


全ての時計の針の動きがゆっくりと止まる。


さっきまで空だったフラスコの中には、ごく僅かながら、金色に輝く、砂状の物体。


「…まさか…イザベラ、それ、金か? 金なのか?」


「砂金よ」


私はサイモンに振り向く。


「…どういう仕組みなんだ!? 魔術じゃないか!!」


「そう」


サイモンには少し説明してあげなくちゃならない。


「…私達が使う錬金術は、あなたが使うような科学じゃないの。魔法なのよ」


「…信じられない…本当にこんなことが存在するなんて。でもそれなら、お前はこの錬金術を使って大儲けできるはずじゃないか」


「いい質問ね。錬金術に必要な素材は、その時々で変化するの。それはこのゴールドマンの魔導書で確認する。生成する金の量の金額に対して、必要となる素材の総量の金額が、低く抑えられる時もあれば、高くつく場合ある。赤字じゃ意味ないでしょ? だからいつでも利益を得られるわけじゃない。大儲けできそうな瞬間があっても、必要な素材がその時手元に無ければ金を作ることはできない。その瞬間に立ち会える運のよさも必要。だから簡単じゃないのよ」


「…そういうものなのか。確かに科学じゃないな」


「でもね、錬金術の達人になってくると、その辺のことがうまくなってくるらしいのよ。あるいは大きな資本を使えば、この都合の悪い部分を補って安定的に利益を上げることもできる。要はやり方はいろいろあるわけ」


私は作業机の方にもう一度振り向く。カンラン石が3分の2ほど余っている。これはまた使える。


私はフラスコを持っている手と反対の手を顔の前で握り締める。


「今はまだ半人前だけど、私はいずれ錬金術の達人になってやるのよ!」


「いい心掛けだな」


「錬金術の腕が上がれば借金も返せる!」


「それは頼むぞ。下手なままでも頼むぞ」


「そんでもって大金持ちに!」


「…あ?」


「…世界中の錬金術師が私に教えを乞いに来るわ! 授業料を徴収すればさらにビジネスが拡大!」


「どうした、イザベラ」


「会社を作ってもいいわね! そんでもって世界中の金の流通を掌握! 手数料を取ってほぼ不労所得!」


「そろそろ自重しろ、イザベラ。顔が悪いぞ」


「そしてやがては世界征服! 全てが私のものに!」



…あ。つい熱が入ってしまった。


サイモンの方を振り返る。遠くの方を見る目をしている。


「…い、いやいや、冗談よ、冗談! 錬金術って、使うとつい調子に乗っちゃうのよね~」


「…やれやれ。ま、いいんじゃないか」


サイモンが私に歩み寄る。


「…見てみる?」


私はたった今生成したばかりの砂金の入ったフラスコをサイモンに手渡す。サイモンはフラスコを受け取って、砂金を珍しそうに眺める。


「…奇跡だ」



そう。


奇跡は存在する。


奇跡は存在しなければならない。


「…見直した?」


「まあな…惚れ直した、と言った方が正確かな?」


「…え? どういう意味?」


サイモンが微笑む。


「…そうだな、ゴールドマンの魔導書に聞いてみてくれ」


「もう!」




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