魔王がかつて私にそうしたように
私は走り、手を伸ばし、なんとか聖剣を、ルナさんの前に出し、タリナイの剣撃を受け止めた。
「キサラ、私があなたに聖剣をあげたのは、魔王の妻を守るためではありませんよ」
「知るかよ」
「いつからそんな汚い言葉遣いをするようになったのですか?」
タリナイの剣が重くなる。私はひざをつく。
「キサラさん。今、助けます」
「遅い」
ルナさんが魔法で援護しようとした瞬間、タリナイが片手を突き出し、重力魔法で重力の方向を横に変え、ルナさんやけが人を吹き飛ばした。そのとき、小さな何かが私のジャージの裾をつかみ、引っ張った。
タリナイは剣を押し込みながら、聖剣を凝視する。
「しかもこのガムテープは何ですか?」
「それは本当にすいません」
「一度折れた聖剣で私の前に立つなど笑止千万。勇者の恥さらし。ここで死になさい」
タリナイの剣が、ガムテープを切り裂き、聖剣は再び折れた。ルナさんは吹っ飛ばされたし、魔王は隕石を飲み込んでいる。四天王は天使軍の相手。もう誰も助けてくれない。迫る来る刃に言葉を失う。死ぬ。
「ダメーーーーーっ」
瞬間、雷光がきらめいた。タリナイが飛びのく。そうさせるほどの威力だった。
「そう言えば、憎らしい精霊は全部で四匹いましたね」
タリナイがにらむと、雷の精霊ライライはさっと私の首の後ろに隠れた。
「ありがとう、ライライ」
「えへへへ。あんな、ウチ、がんばればあの天使様に勝てると思うねん」
「よしよし。すごいな、ライライは」
「え? 信じてない? でも、ほんと勝てると思う。キサラとなら。キャハハハ」
恥ずかしさを隠すように顔の前で手を振るライライ。
「気持ちは嬉しいけど、聖剣も折れちゃったし、もう勝ち目は――」
「ライライ、いきまーすっ」
ラジオ本番では絶対に出さないような大声を発し、ライライは折れた聖剣に宿った。パチ、パチパチと微弱な雷が刀身をつたう。剣を握りなおす。ライライを信じてみよう。
タリナイが一気に距離を詰めてきた。剣が走る。私はしゃがみ、下から斜めに斬り上げる。タリナイが一歩後ろへ。それだけで私の剣はよけられてしまう。だって刀身が途中から無いから。あのくそ魔王が折りやがったせいで。
「くそ」
落胆する私を励ますように剣が再び雷鳴とともに光る。折れた刀身から流れ出た雷は、タリナイの全身を焼いた。いきなりの電気ショックに一瞬、動きが止まるタリナイ。私は叫びながら斬りこむ。胸を、手首を、脇腹を、太ももを、斬りつける。雷の刃はタリナイの体の内側に入り込み、細胞の一つ一つを真っ黒こげにやいていく。大天使の雪のように白い肌が焦土のように焦げていく。
これでとどめだ。
最後の一撃を入れる。が、首に刃が通らない。鋼鉄のような硬さ。
タリナイが目を見開く。急に体が重くなる。立っていられないほどに重力が増している。詠唱無しでこれだけの重力魔法を。
呼吸を整え、自らに回復魔法をかけるタリナイ。私は両膝をつき、地面に剣を刺し、重力にあらがう。
「無駄です。剣技でも魔法でもあなたは私に及ばない。死になさい」
タリナイの剣が空を斬る。ぱっと重力魔法が消える。何が起きたのかわからないまま、私は地面を転がり、攻撃をよける。
「キサラさん、魔法は私が打ち消します」
吹っ飛ばされたルナさんが走って戻ってきてくれた。
もう一度、畳みかける。タリナイと剣を交わす。その瞬間、三度雷が炸裂し、タリナイの体を硬直させる。けれど、やはり首は斬れない。硬い。どれだけバカ力を出しても斬れそうにない。何か、何かないか。何か。
極限状態の中で、ルナさんの後ろにいるミーティア、その肩に座っている黒いカメレオンのガーナが目に入った。刹那、ラジオでのトークがまざまざと蘇る。
――私が黒いのは、かつて愚者の実を食べたことがあるからだ。覚えておくといい。愚者の実の果汁に含まれる成分は、生物無生物を問わず、この世に存在しているものであれば何であれ、そのものの性能を一段階レベルアップさせる効能を持つ。
「ぐ、愚者の実。愚者の実持ってこい」
無我夢中で叫ぶ。
「そんなもん、誰が持ってんのよ。あれ、迷いの森でしか採れないわよ」
ミーティアのもっともな反論に、意外な方向から声があがる。
「持ってる可能性があるとすれば、魔王だ」
ゴブリン・カイザーがこんぼうで敵を薙ぎ払いながら言った。
そうだった。魔王は愚者の実を二個手に入れていた。一個は折れた聖剣を直そうとして使ったけど、もう一個は、まだ未使用のまま。
「聞いてくるわ」
ミーティアが飛び立つ。
タリナイが雷の硬直を解き、ミーティアに手のひらを向けた。が、魔法は不発。
「言ったはずです。魔法は打ち消すと」
ルナさんとタリナイの魔力がぶつかり合う。私も斬りかかる。が、剣から出る雷の勢いはどんどん弱くなっていく。
「ライライ、よくやった。もういい。離脱しろ」
「いやーーーっ」
雷がほとばしる。
「それはもう見切りました」
タリナイの剣が雷を刻む。さらに怒涛の剣戟が私の肉を斬りつけていく。
「いい加減死になさい」
しぶとい虫けらにとどめを刺すかのような一撃。が、タリナイの剣は私の顔の前でぴたりと止まった。刀身に巻き付いているのは、真っ黒な舌。ガーナの舌だ。その長い舌の先には、大陸最速の賞金女王がいた。
「あったわよ、キサラっ」
ミーティアが愚者の実を投げる。私はそれを聖剣で斬り、刀身に果汁をめいっぱい浴びせた。
聖剣が黒く染まっていく。試し切りをしなくてもわかる。もはやこの剣に斬れないものはない。
「これで、終わりです」
私がそう言うと、タリナイは負けを悟ってか、力なく目を閉じた。
剣をふるう。
「タリナイ様っ」
絶叫が後方から聞こえた。振り返ると、人間の娘がそこにいた。ポニーテールの、タリナイが剣技を教えていた、あの子が。タリナイを信奉していたかつての自分が重なる。
すんでのところで剣を止める。
「どうしたのです? こんな絶交の機会を逃すのですか? キサラ」
「私は――」
言いかけて、言葉を見つける。
「私は、あなたとは違います。殺すことで解決、なんていう方法はとらない。敵だろうと命までは取りません。生かします。魔王が、かつて私にそうしたように」
沈黙のあと、タリナイは乾いた唇を動かした。
「全軍、撤退しなさい」
その呟きは空に反響し、すべての天使に伝わった。天使の群れが波のように引いていくと、黎明のほのかに白み始めている夜空が見えた。