神殿まで登山
足が痛い。
「勇者様、ペース落ちてます。今日中に四合目までは登っておかないと、明日がきつくなるのでがんばってください」
「くそ。なんで収録スタジオが山頂なんかにあるんだよ」
山道を彩る大自然に向かって毒づく。
ミーティアと別れ、汽車で王都まで戻った私たちは、すぐに次の目的地、四精霊のハッピーラジオの収録スタジオに向かって歩き始めた。平面的な二次元の地図上では、そのスタジオは王都のすぐそばにある。しかし、実際は、標高三千七百メートルを超える山の頂にあるのだった。かくして私とウソコは絶賛登山中なわけだが、もう日没が近い。
「勇者さん、あと少しです」
「お前、ずっとそればっか言ってるじゃねーか」
というか、勇者の私でもこんなにきついのに、なんでアラクネ族のウソコは息一つ切らしてねーんだよ。
「体力あるな、お前」
「魔王城の首席使用人ですので」
テキトーにしゃべりながら、だらだらと歩き続ける。
太陽が地平線の彼方に消え、大陸が夜の支配下に入ったそのとき、視界の先に山小屋の明かりが見えた。あそこが今晩の宿、四合目の山小屋だ。
残っているなけなしの体力を使って歩く、歩く、歩く。そうしてようやくたどり着いた山小屋は無人だった。中に誰もいない。食事を取るための部屋と寝るための部屋の二つあるだけ。
「風呂もシャワーもねえのか。しゃべえな」
「山小屋なんてそんなものですよ」
ああ、牢屋が恋しい。
ウソコが火焔魔法でやかんにお湯をわかし、そのお湯を乾燥麺が入った容器へ注ぐ。見たことのない料理だ。物珍しそうに見ていると、ウソコが言った。
「カップ麺です。お湯を注いで三分で出来上がりです」
「三分で? すげえな。やっぱこっちの大陸は違うな、何もかも。技術も科学もめちゃくちゃ発達してるし、娯楽も盛りだくさん」
「今はそうですが、かつては違いました」
「そうなのか?」
「はい。先代の魔王の治世はそれはもうひどかったらしいですから。飢えて死ぬか、強奪して生き残るか。高い税金を払えるのは一部の貴族のみ。税金の滞納が続けば、採掘場や菜園へ送られ、強制労働。奴隷がいて、種族差別があり、男女の扱いは不平等。あの時代に生まれていたらと思うと、ぞっとします」
ウソコはそう言って、鞄から小型のラジオ受信機を取り出し、つまみをいじった。ノイズの入り混じった声が、調整によってだんだんクリアになっていく。
「――もういいよ。それではここで一曲、お送りいたしましょう。いま大陸で最も人気のバンド、エレメンタルズで『ドシラソミレド』」
ポップなミュージックがラジオから流れ、山小屋のムードががらりと変わる。間奏のエレキギターのソロは雷のように鋭く、曲が終わるころにはカップ麺ができあがっていた。伸びた麺をすする。うまい。今、この大陸に飢えて苦しんでいる人はいないとウソコは言う。あの忌々しい魔王ジールドが支持されている理由がようやくわかりかけてきた。
翌朝、日の出とともに山小屋を発ち、ただひたすらに歩いて、なんとか山頂にたどり着くことができた。
時刻は十七時半過ぎ。「四精霊のハッピーラジオ」の放送まで一時間を切っている。
山頂からの景色は壮観で、魔都とその先にある魔王城を一望できる。けだるそうな夕闇に飲み込まれていく魔王城では、今日も魔王がバカなことをしでかしているのだろう。
「勇者さん、スタジオはこっちです」
ウソコが指さした先には神殿の入り口があった。山頂に埋もれ、山頂と一体となっているその神殿こそ「四精霊のハッピーラジオ」の収録スタジオなのだ。
「さあ、行きましょう」
「先に行っててくれ。ちょっと休憩してから行くわ」
その場に腰を下ろし、景色を眺めてぼーっとする。体が疲れていて、何もしゃべる気にならねえ。こんな状態でラジオで話せるかな。
「何してるん?」
舌ったたらずな声がした。見ると小さな人型の精霊が透明な羽を高速で動かし、宙に浮かんでいた。体にはところどころ虎の毛皮のようなものが生えている。
「いや、別に何もしてないけど」
「えへへ。そうなんや」
精霊はそう言うと、私の肩に座り、ささやいた。
「もしかして勇者さん?」
うなずくと、精霊は顔を手で隠し、なぜか照れた様子でこちらをちらちらと見て話す。
「ここまで来るの、大変やったやろ?」
「こんなでけー山はじめて登ったよ」
「えへへへ、へへ」
ヘラヘラしてるけど、とにかくかわいい。
「他の精霊たちは?」
「みんなは、神殿の中でスタッフさんと打ち合わせ中でーす」
「お前はいいのか? 打ち合わせ」
「ウチ、あんまラジオ得意やないねん」
「そうなのか?」
「何しゃべったらいいかわからへん。緊張もするし。でも、みんなの話聞くだけでも楽しいからええかなって」
「まあ確かに、聞くだけでもいいよな」
別に自分がしゃべらなくても、面白いラジオは聞いてるだけでも面白い。いや、やっぱパーソナリティはしゃべらねーとダメか。
なんとなくだけど自分のすべきことが見えてきて、私は立ちあがった。
「今日はよろしく。えーっと、名前、まだ聞いてなかったな、そう言えば」
「へへ」
「いや、名前教えてくれる?」
「雷の精霊ライライです」