牢屋と蜘蛛女
魔王に敗北した私は、次の日の朝を牢屋で迎えた。
今日は月曜日。
私の処刑は土曜の深夜に行うと魔王は言っていたが、私としては今すぐにでも首をはねてほしいぐらいだ。
硬い寝台に横になったまま、深い溜息をついていると、気配と視線を感じた。鉄格子の向こう、通路の奥の暗闇に得体の知れない何かがいる。
「誰だ?」
「勇者さん、おはようございます」
薄闇の中から現れたのは、八本の足。蜘蛛か。違う。こいつは――。
下半身は蜘蛛、上半身は人間、それも胸のふくらみから察するに女だ。間違いない、こいつはかつて神に勝負を挑んだ傲慢な女の子孫。
「私は蜘蛛女族のウソコと申します。勇者さんの身の回りの世話をするよう魔王様から言われました。何かしたいこと、欲しいもの、食べたいものがあれば、何なりとお申しつけください」
言ってる内容と服装はまるでメイドだが、普通に考えるなら、こいつは看守だろう。
私はしっしと手で追い払う仕草をして見せた。
「失礼します」
ゆっくりと深くお辞儀をして、ウソコは通路の奥の闇に引っ込んだ。かと思うと、すぐにまた現れた。
「朝ご飯をお持ちしました」
手に提げたバスケットにはこんがりと焼け目がついたパンがたくさん。ジャムの小瓶と牛乳瓶も見える。
「要らない」
「朝ご飯は食べておかないと、元気が出ませんよ」
食べても出ねーよ。
「二度寝でもするわ」
眠たくもないのに目を閉じる。早く土曜日になればいいのに。
しかし時間はそう簡単に流れなかった。
牢屋の中には何も娯楽がない。私は耐えかねてウソコを呼び寄せた。
「御用でしょうか?」
「何かヒマつぶせるもの、持ってないか?」
「新聞などいかがでしょうか?」
鉄格子の隙間に差し込んできた新聞を素直に受け取る。今日の朝刊だ。一面の大見出しはもちろん、私のことだった。
勇者完敗、魔王様大勝利
昨夜未明、魔王城に忍び込んだ女勇者キサラは、魔王様を前にして戦意喪失。なすすべもなく牢屋へぶちこまれた。勇者キサラの公開処刑は、今週土曜の夜、ラジオにて執り行われる。
気を取り直してページをめくる。
社会面も政治面も経済面も魔王を絶賛する記事ばかり。読んでいて面白くない。
「なんでだよ」
誰にともなくつぶやく。するとウソコが反応してくれた。
「何か言いましたか?」
「なんであの魔王、こんなに人気があるんだよ?」
世論調査の結果によると、魔王ジールドの支持率は98%だという。
「魔族だけじゃなく、人間や竜族、人魚族から巨人族まで、この大陸に暮らす奴らはみんな、あの筋トレ魔王を支持してる。そんなの、おかしいじゃねえか」
「おかしくありませんよ、何も」
「おかしいんだよっ」
魔王は悪、天使は善。天使の使いである勇者は魔王を打ち滅ぼし、人々を救う。ハッピーエンド。そうなるはずだったのに。
「いらいらしていますね。空腹のせいでしょう。やはり朝食を摂られた方がよろしいかと」
「ほっとけ」
そう言っていられたのも次の日の夜までだった。流石に腹が減りすぎてお腹と背中がくっつきそうだ。ぐうぅとお腹が鳴ったその瞬間、ウソコが牢屋の中に入ってきた。
「限界みたいですね。私が腕によりをかけて作ったビーフシチューです。食べてください」
ビーフシチューがなみなみと入ったスープ皿を、さあ召し上がれと言わんばかりに差し出してくる。
私はそっぽを向いて、ズボンのポケットの中をまさぐり、小袋を取り出した。紐をといて中から赤い木の実を一粒取り出す。
「何ですか、それは」
「キポの実。大陸の万能食だ。これ一粒で一日分の栄養が取れる」
「おいしいのですか?」
「別に。味はしない」
「ビーフシチューは味しますよ」
「要らん」
「そう、ですか」
ウソコは目を伏せ、八本の足をしずしずと動かして牢屋をあとにした。その後ろ姿に思うところがないわけじゃない。でも、馴れ合うのはごめんだ。
寝て、起きて、新聞を読んでやさぐれて、空腹が我慢できなくなったらキポの実を食べる。その繰り返し。でも、時々、蜘蛛女のウソコが話しかけてくる。
「勇者さんは肌が褐色できれいですね。お日様の光で焼いたのですか?」
「生まれつきだ」
「向こうの大陸では、好きなだけ飲み食いしたりできないというのは本当なのですか?」
「それが普通だろ」
「明日の朝ごはん、何かリクエストはありますか?」
「ない。っていうか作らなくていいって言ってるだろ」
キポの実を食べれば、それで充分なんだ。私は勇者。効率よく栄養を摂取し、日常生活のすべてを魔王を倒すための鍛錬に充ててきた。でも、敵わなかった。私のしてきた努力はすべて無駄だった。勇者になんてなるんじゃなかった。なんて、今さら言ってもしゃーないけど、ほんと、くだらない。