第九話
「……。鈴梨や」
「うん?」
「後ろの人達は、新しいお友達かね?」
その夜、信之助はポカンとしてしまった。
衣の委員会があるので遅くなる、と連絡があったので、いつもより帰宅が遅いことは心配していなかった。が、「ただいま」「おかえり」をいつもどおり交わして孫に目をやれば、いろんなものが付随している。
背後の忍者と稚児。なんとも時代錯誤な二人。なんとも浮いている。稚児は実際に浮いている。
孫は、大道芸人か手品師か何かと懇意になったのだろうか?
「ううん。わたしと衣を助けてくれたヒト達だよ」
「……危ない目に遭ったのかい?」
「ちょっと。でも何ともないよ」
取り乱すことはしないまでも、信之助は眉間に皺を寄せた。鈴梨の首にある指の痣。何ともないはずがない証だ。
「首を絞められた痕があるな」
「……うん」
「腕もやられたな」
「……」
「どこのどいつだね? 何をされた?」
「同級生。ちょっと、おかしくなってたんだ。正気に戻った時、謝られた」
「おまえはそれで許したのか」
「うん」
しばらく無言の応酬が続いた。衣はハラハラと見守る。
「おまえが許したのなら、わしも許すほかないな」
そう言うと、信之助は好好爺の顔に戻った。鈴梨はホッとしたようだったが、衣は信之助の怒りを痛いほど感じ取っていた。
内心は学校や同級生――鳥山の家に怒鳴り込みたい気分だろう。しかし鈴梨はそれを望んでいない。結果、孫娘の意思を優先させた信之助は、激昂を抑え笑い流すことを選んだ。たいした胆力だと衣は思う。
「わたし、着替えてくる」
「ああ。晩御飯を用意しておくよ。おっと、お客人にはお茶も出さずにすみませんな」
「いやいや、お構い無く」
「そんなわけには……はて?」
信之助はコウトクを見た。
「聞き覚えのある声だ。たしか、数日前に店で……」
そう、鈴梨達の始業式があった朝のことだ。信之助が誰もいない店の中で独り言をこぼしていた時に、突然応えたあの声。この小さな子どもの声が、それにそっくりだ。
「はい、あれは儂でござりました。大殿様があまりに沈んでおられたので、ついお声を掛けさせてもろうたのです」
無邪気な眠り猫のような顔でコウトクは笑った。ただし口を大きく開いたので、鋭い牙が丸見えだったが。
「そうだったのかい。その節は――え、大殿? わしのこと?」
「このヒト達、すーちゃんのことは姫って呼ぶんだよ」
「ふおー。そんなこそばゆい呼ばれ方は初めてだなぁ。では衣くんはさしずめ、若君かね?」
「いや、この坊は坊と呼びまする」
「なんでだよ!」
「おぬしは儂らの主ではないからじゃ」
「うぅん、話がよく見えんなぁ。とりあえず、居間に上がっておくれ」
こんな得体の知れないやつらをよく家に入れられるよなぁ。
その気持ちが顔に出ていたのか、衣はコウトクに背中をぺちんと叩かれてしまった。
「まずはじめに、我らは人ではありませぬ」
居間の食卓にて。
浮くのをやめてきちんと座るコウトクが、そう言った。隣のサカキは黙ったままだった。
「うん」
温かいクリームシチューを頬張りながら、鈴梨が応えた。
「儂はコウトク。鋼に得と書きまする。この者はサカキ。字は……なんじゃったかの?」
「忘れました」
「だそうでござりまする。でもって我らの正体は、ツクモなのでござりまする」
「それは、付喪神のことかね? 古い道具に魂が生まれて妖怪の類いになるという……」
「左様。ちなみに儂は、縫い針の付喪でしてな」
「あーだからいっぱい針投げたんだ」
衣は鴉の身に刺さった針の山を思い出した。そしてふと、疑問が湧いた。
「あのさ、コウトクさん。ぼくらを襲った鴉って、本当に鴉だったの?」
「そうさな。見た目はの」
「てことは、あいつはやっぱり鴉じゃなかったんだね」
「そうさな。中身はの」
「何の話だ?」
何やら禅問答のような会話に、鈴梨が首を傾げた。
「ふつうイキモノが破裂したら、大体グロテスクなもんでしょ。でも……あ、食事中にごめん」
「ううん、平気」
「わしも平気」
「さすが。……話を戻すよ。あいつがはじけた時に飛び散ったのは、血やら何やらじゃなかった。木の破片だったんだ」
「え? あれ、木彫りの鴉だったか?」
鈴梨は再び首を傾げた。あの鴉は、羽の質感といい、あやしく光る目玉といい、どこをどうとっても実物に見えた。よほど精巧に作られていたのだろうか。
「近いのですが違います」
サカキはたまにボソリと喋る。
「あれは私と同じ、木の付喪だったのです」
「同じ? サカキさんは木なのか?」
「サカキとお呼びください。……正しくは、木製品の付喪です」
「姫様。サカキや儂は、この通り人間らしい姿をしておりますが、これは人間の形を真似とるだけなのです。あの鴉もそれと同じで、本物のカラスに化けておったのですよ」
「ああ……」
近いが違うという意味がわかった。付喪は、擬態ができるのだ。コウトクが針の化身というからには、今はヒトのようでも、実体は針そのものなのだろう。
ならば、あの鴉は何だったのか。
「あいつの正体は、ブローチだったんじゃない?」
鈴梨の心を読んだかのように衣が言った。
「ブローチ?」
「ほら、鳥山がスカーフに付けてたでしょ」
そういえば、と鈴梨は頷いた。
セーラー服にはもともとスカーフ留めが付随しているが、それの代わりに自在に結んでみたり、ブローチを付けたりするのが女子生徒の間で流行っている。
鳥山も例に漏れず、ちょっと変わったデザインのブローチをしていたような気がする。
「木細工のブローチなんて、ああいう
イケイケJKが付けるには古風すぎるなぁって、印象に残ってたんだよね」
「おぬしはなかなか頭が良いのう。ちと驚いたわ。そのとおり、あの鴉はぶろおちとかいう留め具の付喪であった」
「そうか、言われてみれば、たしかに。鳥山さんの胸元からあの鴉は現れたんだ」
「だからおかしくなって鈴梨を襲ったということかね?」
誰も何も言わなかった。ただ、誰もが頷いた。
襲われる以前から、鈴梨はずっと嫌がらせを受けてきたわけだが、当の本人が祖父には知らせなくていいと思っているのだ。それを察しないわけがなく、だったら余計な心労はかけたくないと、皆がそう判断したのだった。
「コウトク君、サカキ君」
信之助は彼らに向き直り、手をついて頭を下げた。
ぴゃっ、とコウトクが変な声をあげた。
「お礼を言うのが遅れてしまってすまない。鈴梨を、孫を救ってくれて本当にありがとう。感謝してもしきれんよ」
「おおおおやめくだされっ大殿! 儂らが姫様をお助けするのは当たり前なのじゃ、頭をお上げくだされっ」
「そうです、私達はむしろお叱りを受けねばなりません。コウトク殿が居眠りなどしていなければ、姫のお身体に厭わしい傷がつく事態も避け得たのですから」
「居眠り?」
ぴゃぴゃっ、とコウトクがまた鳴いた。