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九十九と一の守り姫  作者: 夏八木こより
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第七話

教室の後ろの黒板。今の声はそのあたりから聞こえた気がした。

と思ったら、黒板横の壁に刺さったままの画鋲がいきなり光った。薄い視界の中でも明らかな、鮮烈な光だ。

驚いて固まってしまったのだろう、鳥山の手から力が抜ける。首をもたげ、殺意の指先から抜け出した鈴梨は何度も大きく息を吸った。ふらつく思考に芯を通すような心持ちで目をしっかりと開き、あらためてその光を見る。

いつの間にか光は、画鋲から抜け出したかのように人の形に変化していた。


「なっ、なんだ、おまえは!」


鳥山が、正確には鳥山を乗っ取った何者かが叫ぶ。

人の形をしたそれは徐々に光を落とし、代わりに輪郭がはっきりとしてくる。そして光が完全に消えた時、全体が露わになった。


「やかましい。貴様のような輩に告げてやる名など持ち合わせておらぬわ」


格式ばった口調。先ほど聞いた子どもの声だ。いや、見た目も子どものようだった。

金の髪を頭の天辺で結っており、爛々と輝く銀の瞳は猫のそれに似ている。幼児おさなごと見紛う小柄な身体が着けているのは、赤銅色のちゃんちゃんこ。そして、団栗色の袴。地味な七五三みたいだな、と場違いなことを鈴梨は思った。

けれど、人みたいな扮装であっても、この子は人ではないということは確かだった。耳が尖っている、牙があるという外見だけでなく、現れてからずっと宙に浮いているからだ。ふわふわと。


「さっさとそこを退け、この荒御霊あらみたま。わしは気が短いのじゃ、早うせねば粉々に滅するぞ」


馬乗りになったままの鳥山をねめつけ、金髪の幼児が低く警告する。しかしアラミタマと呼ばれた“それ”は鼻で笑い、再び鈴梨の首に指をかけた。


「やってみろ。その前にこの娘をくびり殺してやるわ」


鈴梨の喉はまたも圧迫される。鳥山の――ではなく、アラミタマの目は相変わらず振り子のように揺れている。


「阿呆が」


幼児が不敵にほくそ笑んだ。

その瞬間だった。


「ぎゃ!」


アラミタマが悲鳴を上げた。苦しさに目を閉じていた鈴梨は、何事かと重いまぶたをこじ開ける。

最初に視界に飛び込んできたのは、鳥山の身体を羽交い締めにする深緑色の長い腕だった。次いで、深緑色の広い肩。そして鳥山の背後から現れたのは。


「……にんじゃ……?」


深緑色の覆面――つまり全身深緑色の着物をまとった、まるで時代劇に出てくる忍者みたいな男だった。


「サカキ! そのまま抑えておれ。わしがそやつを穿つ!」


幼児が何かを投げるような構えをとった。サカキと呼ばれた男は無言で頷き、鳥山の身体を軽いもののように持ち上げて立つ。

おかげでようやく自由を取り戻した鈴梨だったが、幼児の言葉を聞き逃せず、またサカキの乱暴な仕草を見咎めずにいられなかった。


「ちょっと…待って。うがつって何だ。鳥山さんに何をする気なんだ」


咳き込みながら、がくがくと震える腕で上体を支えながら、鈴梨は幼児を凛々しく見つめる。


「姫様、その娘はもう人の心を失いかけておりまする。多少の荒事はやむを得ませぬよって……」

「姫様? なぜわたしをそう呼ぶ? いや今はそんなことより、鳥山さんを傷つけるようなことはしないでほしい。どうか」


そして鈴梨は頭を下げた。サカキが息を飲み、幼児が見るからに慌て始める。


「ひっ、おっ面を上げてくだされ!」

「助けてくれたあなた方にこんなことを頼むのは筋違いだと思うが、鳥山さんを助けてやれないだろうか?」

「……」

「鳥山さんは今、アラミタマとやらに取り憑かれているんだろう? なんとか元に戻してやれないかな」


その時。


「と、さ」


喚くだけだった鳥山の口が、絞り出すように鈴梨を呼んだ。

驚いて鳥山に視線を返すと、鳥山は、目の玉をちらちらと揺らしながら鈴梨をまっすぐに見つめようとしている。

まるで、アラミタマの操作に必死であらがうように。


「鳥山さん!」


鈴梨は鳥山の胸元を掴んだ。


「姫様! 近づいてはなりませぬ」

「鳥山さん! 負けるな、何者かもわからないような奴に負けてはだめた!」


鳥山は苦悶に顔を歪め、歯ぎしりの隙間からは荒々しい息を噴き出す。時折両腕をばたつかせるが、サカキにがっちりと封じられているのでただ振り回すだけに終わる。

それでも、この腕が鈴梨にぶつからない保証はない。鈴梨の袖に滲む血の跡に、サカキは眉をひそめた。これ以上負傷させるわけにはいかない。


「姫。離れてください」


不意に喋ったサカキに鈴梨は目を丸くしたが、すぐに首を横に振った。


「断る」

「私達はあなたをお守りせねばならないのです」

「ありがたいがそれも断る。鳥山さんと話をさせてくれ」


サカキは幼児と視線を交わした。


「……ではこのままで。ですがあなたが危ういと判断した時は、私もコウトク殿も容赦しません」


あの幼児はコウトクというらしい。

コウトクは構えを崩さないまま、こくりと頷いた。


「わかった」


鈴梨はあらためて鳥山に向き直った。鳥山の目と唇は真っ赤だったが、顔色はひどく青かった。


「鳥山さん。わたしはあなたを元に戻したい。信じてもらえないかもしれないが、わたしはあなたをきらいじゃないから」


鳥山の肩がビクリと波打つ。


「あなたはわたしに嫌がらせをしてきたけれど、誰かを巻き込むようなことはしなかった。本当にわたしを傷つけるようなこともしなかった。それは、あなたが本来、心の正しい人だからだと思うんだ。だから、きらいになれないんだ」

「……」

「でもあなたがわたしをきらう理由を、わたしは察してあげられない。うまく接することもできなくて、何をされても流して済ませてきた。……わたしは、あなたともっと対話するべきだったと思う。すまなかった、鳥山さん。すまなかった」

「……うして」

「えっ」

「どうして……アンタはそう……」


サカキは切れ長の目を見開いた。これは荒御魂ではない。“鳥山”だ。鳥山が、必死で己の言葉を発現させている。驚かずにいられなかった。

顔の青白さは変わらないけれど、瞳はもう揺れていない。しっかりと鈴梨をとらえている。


「鳥山さん!」

「土佐。ごめん……」


そして鳥山が項垂れると。

その胸元が、突然どす黒いもやのようなもので覆われた。

サカキは咄嗟に鳥山の身体を投げ飛ばした。倒れこんだ鳥山の胸元の靄は、粘土のようにうねうねと固まっていく。

やがて形成されたのは、一羽の鳥――闇色にまみれた鴉だった。

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