第三話
その頃、鈴梨の祖父――信之助は開店準備をしていた。
下町の商店街に構えた彼らの住居は、店舗を兼ねている。がらがらと手動で押し上げたシャッターの上には、大きな看板が掲げてある。それは、白地に焦げ茶色の明朝体で『アンティークショップ 土佐』とだけ書かれたシンプルなものだ。信之助は骨董商なのである。
もともと、土佐家は代々続く骨董品店の老舗なのだ。置いてあるものは、百年前後のアンティーク家具が一番多い。次いで絵画、壺などがある。
日曜雑貨という類いではないゆえに、近隣の人々がここへ客として訪れることは、ほぼない。したがって店の営業だけでは食べていけないので、近年はネット販売にも手を広げている。性に合うのか、信之助は電子機器にも明るいのだ。
勉強好きの孫娘を大学まで行かせてやりたくて、信之助は六十半ばを過ぎた今も精力的に働いている。おかげで、金策に走るような逼迫した事態にはいまだ遭ったことがない。
「う~む。今日は良い天気だなぁ」
だんだんと太陽は高くなり、ゆるゆると足下が暖かくなっていく。
こりゃ午睡にぴったりの日だな。と、営業中の店主が考えるべきではないことを考えた己に、信之助は一人微笑む。
そう言えば今日は始業式だ。鈴梨と衣は揃って帰宅部であるからして、昼過ぎには帰ってくるだろう。徒歩圏内の近さにある高校なので。
二人に昼食を出したあと、自分が休憩をする間だけ店番を頼もう。きっと快く引き受けてくれるだろう。
特に衣は幼い頃から、鈴梨以上にこの店に入り浸っているくらいだ。少しかび臭いようなにおいに、なぜか郷愁を感じるらしい。何にせよ、店番などお手の物に違いない。
「衣君にも、何かつくってあげようかの。まぁさすがに髪留めは駄目だわな」
ふと、信之助は孫娘にやった自作の髪留めのことを思い出す。
先日、和ダンスの整理をしていて見つけた着物の端切れ。束の間見つめ、それが、今は亡き娘が仕入れた材料の一点であることに思い至った。
娘、つまり鈴梨の母は和裁の職に就いていた。信之助も手先が器用な方だが、娘のそれは品物になるだけあって、次元が違った。よく着物の生地で見目の良い洋服を拵えていたが、この端切れはその名残だろう。
偶然見つけた娘の形見に、慕情と寂しさを抱くこと暫し。信之助は不意に、これを使って、鈴梨に何か作ってやれないかと考えた。そこで思いついたのが、あのボタンと併せた髪留めだった。
「……鈴梨に、嘘をついてしまったなぁ」
あのボタンは、やはり十年前に他界した娘婿――鈴梨の父のもの。そして悲しい、残酷な記憶の詰まったもの。鈴梨にとって父の死に際は、母の逝去時よりも惨たらしい“事件”だったからだ。
父母の形見を継がせてやりたい一心で作ったけれど、いろいろと思い悩んだ末、拾い物の再利用だということにして昨夜渡した。そんな味気ない口実のプレゼントを、それでも鈴梨は大喜びで受け取ってくれた。「毎日つける」とも言ってくれた。
心底からの愛しさと同時に、罪悪感はどんどん膨れ上がる。
「正直に言えばよかったか……」
あの髪留めで親子が一つになれるという幸福を味わってもらいたい。けれど、 鈴梨が抱える凄惨な記憶を呼び覚ましたくない。
気負わせたくなくて、後者を選んで、そして結局は孫娘を欺いてしまった気がする。
「すまんな……悦子、光則さん。わしが作ったのは、余計なものだったのかもしれん」
『いやいや。実に善きものを生み出されましたぞ』
――今のは何だ。
信之助は立ち上がり、周りを見渡した。
誰かの声がした、だが誰もいない。がらんとした店内には自分一人。
空耳だろうか? いやにはっきり聞こえたが。子どものような声で。言葉は壮年男性のもののようだったけれど。
「……誰だか知らんが、ありがとう」
何が何だかわからないまま、励ましてくれた声に礼を言う。不思議と恐怖はなかった。
よきもの、か。鈴梨が喜んでくれた、そうだ。それだけでよいと思えばいいのかもしれない。今はそういうことにしておこう。
信之助は椅子に座り直し、パソコンの電源を入れた。ああ、本当に、ゆるく暖かでいい天気だ。




