第十三話
今日は土曜日。委員会はない、清掃当番にもあたっていない。ホームルームが終われば、帰宅部の衣はさっさと帰路につく。
これといった予定もない。信之助の代わりに店主じみた店番をしながら、ぼやーっと古道具に囲まれて過ごすだけだ。だがその時間の使い方を、衣は気に入っている。
同じく予定らしい予定のない鈴梨を誘って帰ろうと、声を掛けようとした時。
「土佐。あたし、今日は部活なくてさ。なんか甘いもの食べたいなーって感じなんだけどさ。アンタ、甘いものって好き?」
衣を遮るようにして鈴梨の前に立った鳥山が、そんなことを言う。またかよ。衣は眉をひくつかせた。
和解の朝から数日、彼女はなんやかやと鈴梨に話しかける。ぶっきらぼうで、落ち着かない様子で。
そして、
「好きだよ。鳥山さんは、今日はどんな甘いものを食べたいんだ?」
鈴梨が肯定的に応答し、さらには質問返しをしようものなら、見る間に鳥山の表情は輝くのだ。今この時も例にもれず、パァーッと喜色に満ちた笑顔が咲く。
「ケーキ! 駅前のドットゥール、期間限定でイチゴのミルクレープ販売中なんだって。い、一緒に行かない?」
「いいな。行こう。あ、衣もどうだ?」
鈴梨がそんなことを言うものだから。「あん?」と振り向いた鳥山の顔は正直、不細工だった。まるで、一昔前のヤンキーが下から威圧するように見上げてくるような。リーゼントが似合いそうだな、おまえ。
「おれはいいです。土佐のおじいさんにおやつ作ってもらうもん。女同士、二人で楽しんできなよ」
しかしもう慣れた。鳥山は、思ったよりもいやなやつではないからだ。
『本当はずっと土佐と友達になりたかった。でも相手にしてもらえないと思い込んでた』と告白して、不器用ながらこうやって鈴梨に懸命に話しかけるのを見ているうちに、以前のような悪感情がだんだん霧散していったのだ。
この女はただのツンデレだ。そしてかなりバカだ。バカだからこじらせちまったんだ。もうしょうがないや、バカだもん。その見解に辿り着いた時、衣はある種の悟りを開いたような気さえした。
「藤原……」
鳥山が睨視をやめ、驚いたように衣を見つめる。凄んだりしなければ意外と整った面立ちをしている少女のまなざしに、どことなく居心地の悪さを感じていると。
「おじいさんのおやつって何よ! また幼なじみアピールしてぇ、ひとが欲しくても手に入らないものをドヤ顔で自慢するなんて最低っ」
「おまえどんだけひがむの!? いいよもーおれはおまえとは口きかない! ハイ閉店! 藤原帰りますからね」
「帰れ! 帰るがいいわ! 気をつけてな!」
「おお! おまえらもな! また明後日な!」
「ばいばい!」
「ばいばい!」
口、滅法きいてるじゃないか。
鈴梨は内心ツッコミつつ「衣、気をつけて帰るんだぞ」とだけ声を掛ける。衣は鼻息荒く後ろ手を振って、廊下に消えた。
「衣と鳥山さん、いつかものすごく仲良くなると思う」
「やめてよ~、冗談じゃないわよ」
誰があんなやつ、とブツブツ呟く鳥山の表情は年相応に幼い。最近ようやく知り始めた顔だ。
心穏やかに彼女を見れば、照れくさそうに鳥山は笑った。
「そもそもさぁ」
アンティーク土佐の中にて、衣はそばにいる小さな付喪に話しかける。
「なんじゃ?」
ふよふよと飛び遊ぶコウトクは、主の祖父の出待ち中だ。信之助は買い物に行く前に用を足してくると言って、今はトイレにこもっているのだ。
「荒御魂の付喪に命を狙われているのって、ぼくなんだよね? でも、あんたらが守るのは、すーちゃんなんだよね?」
「うむ」
「あんたらが土佐家にお世話になった付喪だということを差し引いても、それって回りくどすぎない? いや、『だったらぼくを守ってよ』とか甘ったれたことぬかす気はさらさらないよ。ただ、どうにも不可解でさ」
「言うたじゃろ、姫様はおぬしを守るためなら無茶も辞されぬであろうから、それを儂らがお助けするのじゃと」
「だから。そこ」
人差し指を突きつけると、コウトクは小首を傾げた。指紋の形を確かめるかのようにじっくりと指先を見てくる。そのわざとらしい動作に、衣はわずかに鼻白んで手を下ろした。
「ドコ?って態度やめてよ。ぼくの言いたいこと、察してるんだろ」
それにコウトクは一瞥をくれ、くぅるりと宙返りをし、衣の隣に軽やかに座った。
「……一介の女子高生が、一人の人間を守ろうったって限度がある。ましてや、四六時中ぼくらは一緒にいるわけじゃないんだ。今だってそうだろ。僕を守りきれるかもわからないすーちゃんが、どうして荒御魂の脅威になり得るんだ?」
傲慢な言葉を吐いている自覚はある。けれど事実だから仕方ない。
自分を守る鈴梨が狙われる理由は、彼女に多大な攻撃力や鉄壁の防御力があればこそ成り立つものだ。それならば、主を死なせまいとコウトク達が鈴梨を守るのも理解できる。
しかし鈴梨は、武道の経験もなければ、天才的な頭脳を持ち合わせているわけでもない。美しいが平凡な少女だ。ちょっと変わった女の子、程度だ。
だから腑に落ちないのだ。彼女が荒御魂の殺害対象となっていることが。勝手に彼女を自分の護衛扱いとしないでほしいという憤りもある。
「ま、いずれおぬしに訊かれるじゃろうなーとは思っとったわい」
猫目の付喪は動揺することもなく、天井を見上げた。
「姫様はの。とある“チカラ”をお持ちなのよ」
「チカラ? なに、どんな」
「おぬしは知っとるはずじゃがの」
「へ? や、わかんないんですけど」
「その“チカラ”はとてもとーっても強くてあたたかくての。目には見えねど、今とておぬしの身柄を覆ってくださっておるよ。その辺の荒御魂など容易に近づけもせぬ」
固有名称で教える気はないらしい。そのチカラの正体を。
身柄を覆うとは何だろうか。結界、のようなものだろうか。幼なじみは超能力者だったのか。十数年も共にありながら、初めて知った。いや、知っているはずとのことだったが、思い当たる節もない。
「すーちゃんは、そのチカラで自分を守ることはできないの」
「残念ながら、対外にしか効かぬ。あのご気性では」
「ゴキショウ……?」
意味の分からない発言はまだ気になるものの、それよりもきちんと告げたいことがある。
衣はコウトクに向き直った。
「あらためまして、すーちゃんのこと、どうかよろしく。ぼくは彼女を家族みたいに思ってる。彼女がぼくを守りたいと言ってくれるように、ぼくも彼女を守りたい。そのためなら、何だって協力させてもらいます」
協力とな。なんだそりゃ、ぼくに何ができると言うんだ! 自問自答した衣は、すぐに肌がむず痒くなった。
ぐぬぬ、と自虐に頬を染めている衣に、コウトクは大きな瞳を向ける。
「己の保安のためにか」
「んなわけないだろ!」
「ひゃひゃ。許せ。うっかりからかいたくなってしもうたのよ。おぬしが存外、まっすぐな善き心をしておるものじゃから」
そして眠り猫のように目を細める。
「案ずるな、衣。姫様や殿はもちろん、おぬしを荒御魂の餌食などにはさせぬ」
うん、と頷いて少年は気がついた。
名前を呼ばれた。坊、ではなくて。
「……あざーす」
照れくさくてなぜか舞い上がり、あさっての方角を見ながらふざけるように呟けたのはそれだけだった。
だがすべて承知とでも言うように、隣の付喪はキャキャと笑った。