第十話
「サ、サカキめ。今それを言うか」
「ではいつ申せばよかったですか」
「言わんでもええじゃないか……」
「隠蔽せよとおっしゃるのですか」
あれっ。
もしかしてサカキさん、キレてる? 目しか出てないから顔色わかんないけど。
恨めしげだが縮こまるコウトク、そんなコウトクを見下ろすサカキの眼差しに、衣はそれぞれの心情を推察した。
「付喪も眠るのか」
へーという声とともに鈴梨が言った。
「体力仕事だものな。わたしだって疲れたら眠たくなる。気にするな」
慰められてしまったコウトクは、ますます背中を丸める。
「付喪は疲れません。故に眠る必要はありませんが、眠ろうとすれば眠れることは眠れます。まさか姫の御身のすぐそばに侍りながら、眠ってしまうとは思いませんでしたが」
「しょ、しょうがなかろう。朝からずっと見張っておったのじゃよ、儂」
「それは私とてそうでしたよ。私は眠りたいとは微塵も思いませんでしたが」
あ、やっぱりむちゃくちゃキレてるわ、忍者。眠るの活用形が超しつこい。
「……でも、別にコウトクさんを庇うわけじゃないけどさ、そういう状況ならサカキさんが鴉と戦えばよかったんじゃない?」
「戦いたくとも戦えなかったからコウトク殿の目覚めを待つより他になかったのです、私は」
衣としてはもっともな疑問を口にしただけだったが、サカキの語気の強さに思わず首を竦めた。
「木の付喪は木の付喪を攻撃できませんから」
「え。どういうこと?」
「同属の付喪は、力を打ち消し合うてしまうのじゃ」
「ははぁ……なるほど。こんにゃくでこんにゃくを殴っても、こんにゃく同士は無傷ってことね」
「なんじゃ、その例え。妙にわかりやすいのがなんか腹立つ」
「一方で木性の付喪は、金性の付喪に弱いのです。 このような関係を相尅といいます。コウトク殿は金性、故にあの鴉に討ち克てる相手でしたから、私は援護に徹したのです。しかし……」
サカキは目の前の鈴梨に向き直り、そしていきなり土下座した。
「姫。私が無力なばかりに姫をお守りしきれず、誠に面目次第もございません」
今までのやり取りを、鈴梨はスプーンをくわえたままボーッと見ていた。意外に感情的だったサカキに対して吃驚していただけなのだが、反応の鈍さに居たたまれなくなったか、コウトクも慌てて土下座した。
鈴梨は楚々とスプーンを置いた。
「助けてくれたヒトが、なんで謝るんだ? あなた達がいなければ、わたしはこのクリームシチューを食べることもできなかったんだ。心から感謝しているよ。糾弾なんてするわけない」
はじかれたようにサカキが面を上げた。コウトクなどは涙目になっている。付喪って泣くんだな、と衣は横目でそれを眺めながら思った。
「ケガぐらいどうってことない。こんなのは日にち薬で治る。こうやって無事に帰ってこられたのも、あなた達のおかげだ。あなた達がいてくれて、本当によかった」
鈴梨の声音は淡々としているのに、情がこもっていてやわらかく、丸く、あたたかい。
信之助が優しい顔で頷いている。衣までなんだか幸せな気持ちになってくるから、不思議なものだ。
二体の付喪もどうやら感激しているらしい。サカキは固まったように鈴梨を見つめている。コウトクはとうとう本格的に泣き出した。
「ひ、姫様~! 儂は、儂はもう生涯眠りませぬ! 命の限り姫様をお守りしますぞぉぉお!」
「鈴梨や、よかったなぁ。心強いボディーガードができたじゃないか」
「それがいまだに謎なんだけれど。なんでわたしは守られなきゃ“ならない”んだ?」
コウトクが動きを止めた。
「サカキさん、わたしを『守らねば』と言っただろう。あなた達には何の義務があるんだ?」
「それは……」
「何の要人なんだ? わたしは」
「姫様」
泣くのをやめたコウトクは居ずまいを正した。真剣な表情だった。
「付喪には、いろんな性質の付喪がおりまする。分け方もいろいろあるゆえ一概には言えませぬが、人への関わり方でいえば、和御魂と荒御魂という二つの類いに分けられまする。和御魂は人間を守護する付喪、荒御魂は人間に仇なす付喪でござりまする」
「鴉のこと、荒御魂って呼んでいたな。じゃ、あなた達は和御魂か」
「左様。そこで先程の問いの答えなのじゃが、姫様は、すこぶる荒御魂にお命を狙われやすい人間なのでござりまする」
えっ。と鈴梨は呟いたきり口を閉じた。信之助も、唖然としたようにコウトクを凝視している。
硬直したような二人に代わり、衣が「なんで?」と尋ねた。
「おぬしのせいじゃ」
「はっ!?」
今度は衣が愕然とした。
「な、なんで!?」
「おぬしが、藤原の者だからじゃ」
「はぁ!?」
意味がわからない。確かに自分の姓は藤原だが、鈴梨が荒御魂の付喪に狙われることと何の関係があるのか。
「荒御魂は、藤原氏族に並々ならぬ憎しみを抱いておってな」
「へあぁ~!?」
「さすがに殺傷の対象になる程ではないが。その中で、おぬしは唯一、殺意の的となっておるのじゃ」
「なぁぁんでだぁよぉぉぉ~!?」
あまりにも理不尽だ。衣は目を白黒させた。なぜ自分がそのような対象になるのか。
ウチは一般的なサラリーマン家庭だよ、財閥の御曹司とかそういうんじゃないんだよ、陰陽師とか霊能者とかでもないんだよ、藤原っていう名字が付喪と一体何の関係があるの? 藤原さんて全国に何十万人いると思ってるの? なんでぼくよ?
ぐるぐると思考を回転させようと試みるが、答えなど見つかるはずもない。
「憎悪の根本は、藤原氏の祖、藤原鎌足」
「え。いきなり歴史上の人物出てきたよ」
「おぬしはなぜか、鎌足と瓜二つの顔なのだそうじゃ。さらには血、骨、肉、すべてが鎌足のそれとぴったり符合しておるのだとか」
「え。それってDNAが一致してるとかそういう奇跡的なまさかの現象?」
「ぢーえぬえーが何だかは知らんが、時代を隔てた双子のようなもの……と考えてよかろう」
「惑星間レベルの隔たりがありますけど!? 祖先だと思ったこともないような人の身代わりで、ぼくは殺されそうなの!? 何やったの、鎌足は!」
「なるほど」
鈴梨が口を開いた。
「荒御魂達は、衣を殺す際に障壁となるわたしを先に殺すという狙いなのか」
「なんですーちゃんが障壁になるんだよ」
「わたし、衣が大事だから。死なせまいと、衣を守るから。――そういうことじゃないか?」
なに馬鹿なことを言ってるんだ。衣は真っ赤な顔でそう叫びたかった。
でも馬鹿じゃない。鈴梨は馬鹿なことを言うけれど、馬鹿じゃない。
泣けてくる。本気の瞳でそんなことを言う幼なじみに。
「姫様、さすがお察しが良いですのう。左様、あなた様は全力でこの坊を守ろうとなさるじゃろう。ご自分のお体を張って、ご自分のお命も顧みずに。そんなあなた様を守るために、我らは付喪として蘇ったのでござりまする」
「私も、コウトク殿も、時代は違えど土佐家の方々には丁重に扱われてきた道具です。ですから、ご恩返しをしたいのです。姫が衣殿を守られるならば、私達が姫を守ります」
鈴梨が立ち上がった。ぴんと背筋を伸ばし、彼らを見る。
「ありがとう。じゃあ遠慮なく、これからお世話になります」
その言葉を受け、コウトクとサカキは、自然な動作で跪いてこうべを垂れた。
ローテーブルの上にはシチュー皿と麦茶のグラスが乗ったまま。生活要素をありありとたたえた空間なのに、そこで起こる儀式めいた挨拶は、どこか神聖だった。
いま、彼らは主従の誓いというものをしているのかもしれない。厳かさに、衣は目をこすった。
「で、お祖父ちゃんのことも守ってくれるのか?」
と、ちょうど茶を啜っていた信之助がそれを噴き出した。うっかり蚊帳の外にいる気分だったらしい。
「もちろん殿のこともお守り申し上げまする。ただ殿は、こちらにおられる限りは姫様より断然安全でござりまするよ。このお屋敷には、ご加護がござりまするからの」
「加護?」
「このお屋敷には、土佐家代々の善き心が残っておりまする。人の善き心は、荒御魂を寄せ付けませぬ」
「守護霊……とか、そういうものか?」
「人の言葉を借りるならば、左様でござりまする。それも、非常に力の強い」
わたしの父と母も、守護霊になってくれているのだろうか。鈴梨は亡き両親に思いを馳せた。
ああ、きっと、なってくれているに違いない。とても優しい人たちだったのだから。今もこの家にいて、わたし達を見つめて、「そうそう、いるよ」と頷いているかもしれない。わたしの頭を撫でてくれているかもしれない。今も。ひょっとしたら。
想像するだけでも幸福だった。まぶたがほんのりと熱くなった。
少し俯いて唇の端を持ち上げた鈴梨を、サカキはじっと見ていた。
「じゃあワシ、あまり家から出んようにするよ。だから鈴梨を頼みますよ」
「ええーおじいさんダメだよ。引きこもったりしたら運動不足になるよ。出かける時は、番犬よろしくどっちかに守ってもらったらいいじゃん」
「どの立場で言うとんのじゃい、このクソッタレ坊は」
「容赦ないわぁ!」
やいのやいのと、二人と一匹(?)が騒ぎ始める。緊張感がない。でもこういうところがいいところでもある、と鈴梨は思った。
「あ、そうだ」
かたわらで静かに佇むサカキに、鈴梨は向き直った。先ほどよりずいぶん穏やかな目をした忍びは、何でしょうか? と首を傾げる。
「ヒャッキって何のことだ? サカキさん」
ちら、とサカキはコウトクを見た。しかしコウトクの人間より大きな耳は、鈴梨の質問を拾わなかったらしい。衣と互いに両頬を引っ張り合い、この坊め! このジジイ付喪が! と口論の真っ最中だ。信之助は「コウトク君の性別もわからないのにジジイとかイカンよ」と見当はずれな仲裁をしている。
「……付喪が超えてはならぬ存在です」
「それだけではわからない。あの鴉は、わたしを殺してヒャッキになると言ったんだ。それは一体なに」
「とても、おそろしいものです。そうとしか。ところで、姫」
「はい」
「重ねて申し上げますが、私のことはどうか呼び捨ててください。従僕に敬称は要りません」
意図的に話を変えられた。特に勘が良い方でもない鈴梨でも、それには気がついた。
「……知り合ったばかりのヒトを呼び捨てにするのは気が引ける」
けれど鈴梨はもう追及しなかった。
なぜ言えないのかはわからない。が、言えないことを無理に言わせるのは嫌だった。必要であれば教えてくれるだろうから、その時まで待とうと頭を切り替えたのだ。
サカキも主の配慮を感じ取り、ひそかに安堵の息を吐く。
「私はヒトではないのですから、お気遣いいただかなくてよいのですよ」
「あ、そうか。サカキさんはいいヒトだな」
「……」
「間違えた。サカキはいい付喪だな」
うーん呼び捨てって慣れないなぁ。とのたまう主はあくまでも真面目な顔。
これは素なのか? それともからかわれているのか? と、主に負けず劣らず真面目な従僕は、しばらく思案に暮れるのだった。