第一話
どこまでも突き抜けるような空の青だった。
霞み静かにたなびき、桜がさらさらとこぼれ降る卯月の朝。蛇口から出て肌を濡らす水はまだひんやりと冷たくも、細胞をひとつひとつ刺すような痛さはない。
いま、春がいっそう深まろうとしているのだ。少女は顔から石鹸がすべて流れ落ちたことを確認し、水の栓を締めた。
「鈴梨」
呼ばれて少女は振り向いた。
声の主、つまり彼女の祖父が、少し開いたドアの隙間からひょっこりと顔を出した。
「おはようさん」
「おはよう。お祖父ちゃん」
タオルで水気を拭き取りながら鈴梨はヘアバンドを外す。癖知らずの柔らかそうな前髪が、つるりとした額にかぶさった。
「衣君が迎えに来とるよ」
「もう? 今朝はやたら早いな……」
「居間に通しているから、準備できたらおいで」
ほわほわと優しく笑って、祖父は洗面所から去っていく。
準備といっても、歯は磨いたし顔も洗った。あとは制服のスカーフを結ぶくらいだ。
鏡に映る、二年生に進級した自分を見つめる。なんら代わり映えしないのに年だけは変わるものなんだな、と鈴梨は淡々と思った。
「おはよう、衣」
「おはよ。さ、早く出よ、すーちゃん」
居間に入れば、ソファーに浅く腰掛けていた少年が素早く立ち上がる。鈴梨の鞄を突き出して。
「一息つく暇もないな。新学期だからってそんな張り切らなくてもいいじゃないか」
「クラス替えがあるから早めに行こうねって前に言ったじゃんか。ごちゃごちゃした人ごみの中で掲示板を確認したいの? ぼくはやだ」
眼鏡の弦を軽く持ち上げ、衣は呆れたように言う。
「じゃあ一人で行けばいいだろうに。本当に律儀なやつだ、衣は」
「誉めないでよ、むず痒くなる……そうだ、おじいさん。母さんから差し入れですコレ、スコーンとジャムのアフタヌーンティーセット~」
そう言うと衣は、ローテーブルの傍に置き忘れていたらしい紙袋を祖父に手渡した。
「おお、こりゃ嬉しい! いつもありがとうよ」
「こっちこそお礼を言わなきゃだよ。こないだおじいさんから貰ったおはぎ、すっごくうまかったよ。藤原家の食卓で争奪戦が起こったんだから」
「なんだよ、あまり誉めるなよ~。ジジイ調子にのっちゃうぞ。このこの~」
「のってよのってよのっちゃって~。こっのっこっの~」
「置いてくぞ、衣。お祖父ちゃん、行ってきます」
この幼馴染みが自分の祖父と仲が良いのは知っているし、見ていてほのぼのとする気持ちもある。
けれどこちらを神経質そうに急かしておいて、あちらとは肘と肘を呑気につつき合っているとは、さすがにイラッと来た。
「あっ待ってよ、すーちゃん。それじゃおじいさん、行ってきまーす」
鈴梨の素っ気なさを察したらしい衣が、慌ててあとを追いかける。
祖父は相変わらずほんわかと笑いながら二人に手を振っていた。