第七印~それは水底に深く沈んだ箱の如く その2(N)
静かな時間がたっぷりと流れ再度アルンが皆に対して口を開いたのは、メイド見習いが紅茶を淹れ直したポットをカートに載せて再び運んでくる程度の時間が経った頃であった。
場が動いたのきっかけは自分で呟いた一つの単語だった。
「ん?…うーん…流れている川…光る珠…ん?光る珠?」
「何か思い出したか?」
腕を組み黙って様子を見ていたマリオネッドが、自分で言って自分で驚いた表情を浮かべているアルンに先を促す。
ウトウトとアルンの肩に頭を預けていたウェローネも目を開けてその顔を覗き込む。
「そう…そうだ。光る珠が流れてきて、岩場にひっかかったんだ。で、俺はそれを何とかして拾いあげた…。そして…そして…っ…!」
そこから思い出そうとすればするほど、記憶の霞が酷くなる。
ジクジクとこめかみの両方に鈍い痛みを感じ始めた。
その光る珠に手を伸ばしたことまではしっかりと記憶の映像としては思い浮かんだが…それ以上は何故か途切れてしまう。
「後少し…なんだけど…」
思い出そうとすればする程、強い痛みが走り視界が歪む。
手が届くはずなのに届かない。
アルンは息苦しさに思考を切り上げ、大きく息を吐いて背もたれに背中を預けた。
「はぁぁ…。駄目だ、そこから先が思い出せない…ごめん」
真っ青な顔色で、脂汗を額に浮かべてアルンは眉を八の字した。
「大丈夫ですっ…。今はそこまででもっ…!」
そんなアルンの姿にウェローネはたまらず目に涙を浮かべて強く抱きついて、取り出したハンカチでアルンの額を拭い始めた。
アルンは思い出せない事の罪悪感があるせいか、その身体を無理に離そうとせずされるがままであった
「精霊を珠に封印…。はて、どこかで聞いた話ではあるが、似たような事例がありすぎて記憶が混ざるな」
マリアネッドは不機嫌そうに腕を組みつつ、前髪を触り始める。
「そうですね。私達が過ごした時間の中でそういった話や事件は何度も何度もありましたもの…。ですが、時期的に一番心当たりに近いものはありますね」
ヘリアラが苦笑を浮かべつつ、新しい紅茶をカップに注ぐ。
「今は出会いのきっかけを思い出していただいただけでもウェローネは…っ…」
「…。君は何か知っているのか?」
「それはっ…」
アルンの言葉にウェローネは一度口を開こうとして言い淀む。
その様子にそれぞれのカップに紅茶を淹れ終えたヘリアラが静かに口を開いた。
「アルンさん、おそらくウェローネ様は制約を受けているのでしょう。違いますか?」
「っ!?」
ヘリアラの指摘に、ウェローネは驚いた表情のまま固まった。
「今まで彼女はアルンさんとの出会いについては時期や場所こそ答えてくれましたが、その内容については彼女の口から触れてきませんでした。アルンさんがあまり覚えていない以上、やろうと思えばいくらでも捏造ができたにも関わらず、です」
「つまりアルン自身に正しい記憶を思い出せるように促している、と?」
「ええ。精霊に関する伝承や物語は数多くありますが、その一つにこんな話があります」
マリアネッドは静かに、アルンは首を傾げて、ウェローネは緊張した表情を浮かべて、それぞれヘリアラを見ている。
「ある人間に魅了された精霊が最後の試練として精霊の王にこう言い渡されるモノがあります。『出会いの記憶を男性自信が思い出すこと』。これは制約となり、決められた期限の間に果たされれば精霊は男性の下へ行くことができますが…」
「果たされなかった場合は?」
「精霊は連れ戻され精霊界より一歩も出ることができなくなってしまうとも、人に染まった精霊として一度浄化されて綺麗さっぱりと新たな精霊として強制的に生まれ変わりをさせられてしまうとも、話によっては色々です」
「ふむ。ちなみにその話のオチはどうなっとるんだ?」
「大元の話では、結局男性は精霊との出会いを思い出すことが出来ず、精霊が精霊界へ連れ戻された後で思い出すという悲恋で終わっています。物語自体は単純なモノですが、そこをいかに上手く語るのが吟遊詩人の腕の見せ所だとも言われています。吟遊詩人によっては、その男性が精霊界に迎えに行き精霊を連れ帰ったり、連れ帰るのを失敗したりと様々なバリエーションがありますけどね」
「だ、そうだぞ?」
「へ、変なプレッシャーかけるなよ!?だけど…なぁ?」
不安になりウェローネの方を見ると、彼女はすでに抱きつくというよりもしがみつくと言う表現の方が正しいぐらい身体を押し付けて身体を震わせていた。
それだけで十分に先程の話の答えになっているとアルンは考える。
「どうしたもんか…」
宥める様に頭を撫でてあげるが、一向に治まる気配はない。
そんな中で紅茶で唇を湿らせたマリアネッドが口を開いた。
「今の状態で質問をしていいものか、迷う所だが。…ウェローネ、君に対しての質問だ」
「な、なんでしょうっ…?」
「話は戻るのだが、君は何故自分が封印されていたのか覚えているか?」
先程から引っかかっていたが機会を逃していた質問を投げかける。
マリアネッドが何かを警戒する時の目をしているのをアルンは気づいた。
「お、おいおい、そんな恐い顔しなくても…」
「お前は少し黙っておれ」
静かに、だが威圧を込めてそう言われて、アルンは肩を竦めて黙るしかなかった。
「えとっ…ウェローネはその時初めてこちらの世界に喚ばれましたっ」
「間違いなく、召喚の儀式によって喚びだされたんだな?」
「…はいっ」
精霊界の精霊がこちらの世界に現れる方法として三種類ある。
一つは高レベルの精霊使いがの執り行う儀式によって喚びだされる方法である。
腕の立つ精霊使いが厳しい試験を乗り越えて精霊達と契約する目的の儀式で行われる。
こうやって呼び出された精霊はこの世界で個体として存在することになる。
もう一つは精霊自身が出てくることだ。
精霊界にも厳しい試練があり、その試練を突破したものだけが個体として人間界へ自由へ出ることができるのである。
なお自然発生した精霊は個体として存在しているとは言い難いが、その辺りは今回は割愛させてもらおう。
最後の一つは、召喚士が直接呼びかけを行い、それに応える形で一時的に喚び出される方法だ。
一番目の方法とは違い高位の存在、まだまだ精霊界では修行中の未熟な存在を喚び出す事になるので、その力を永続的にこの世界で振るうことは出来ないのである。
そして、稀に討伐隊が組まれことがある『暴走した精霊』と言うのは、契約者が送還しないままこちらに放置された精霊がそうなる。
もしかしたら試験を受けずに無理矢理こちらにきた精霊もそうなってしまうのかもしれない。
「今の君は精霊の試練を受けて現れたという事で間違いないのであろうな?」
「はい勿論ですっ。一級程の力とは言えないかもしれませんが、こう見えても旦那様のお力になれるぐらいはありますよっ!」
「大した自信ではないか」
「ですけどっ、昔は人間界も初めてだったせいで油断してしまいましてっ…」
マリアネッドは『ふむっ』とそこで再び考え込む動作を見せ…少し考えを纏めたのか、再度口を開く。
「それで、だ。君を初めて召喚した人物について聞かせて欲しいのだが、覚えているか?」
その問い掛けにウェローネはアルンに意見を求めるように目を向けてきたので、彼は頷いて促した。
「ええっとっ…詳しいことはほとんど覚えてはっ…」
「その時、召喚士以外誰かいたか?」
その質問に対しては首を横に振る。
質問の一つ一つに思い出すように答えるウェローネの様子をアルンはじっと見つめ、時折頭を撫でてあげていた。
基本的には蚊帳の外気味な内容ではあったが、アルンに対してヘリアラが簡単な補足の説明もいれてくれる。
話によるとその昔、マリアネッドとヘリアラが『精霊神殿』から受けた依頼で『連続精霊誘拐事件』というものがあったそうだ。
主だった精霊を救出する事には成功したが残念ながら発見に至らない精霊も多く、また主犯の男の死亡により目的や残りの精霊の居場所も不明のままという解決とは言えないまま終了を迎えたという。
「その頃の精霊界にも召喚されたままで、戻って来ないという事件があるのは解っていたみたいですっ。おそらくウェローネを喚び出したのはその犯人だったのかもしれませんっ。他にも封印された精霊達がいたような気がしますしっ」
「して、その犯人は?」
「ある日出掛けたまま帰って来ませんでしたっ。…その後はどうなったのか解りませんっ」
そこまで聞いて、マリアネッドは背もたれに深く背を預けて険しい表情のまま瞑目する。
ヘリアラが浮かべている微笑みもどこか苦笑気味に感じた。
「だろうな。ヤツは何もかも明かさずあっさり死におったし」
嘆息交じりに言葉を吐きつつ目を開ける。
「そうなると、アルンが見つけた光る珠…おそらくはウェローネが封印されていた宝玉はどこからアルンのもとへと辿り着いたのかという話になるのだが…」
「可能性としては、その封印されたウェローネ様がいた場所を例の雪解け水の洪水が浚っていったという事もあり得ますね」
「うむ。一応の解決を見た事件であったが、ここまで来ると再度気になり始めてくるものだ」
マリアネッドの言葉に、ヘリアラも深く頷く。
「私としては他の精霊の事が気になります。ウェローネ様だけがピンポイントで流されているという事も考えにくいですし、もしかしたらまだそこに残された精霊がいるかもしれませんから。可能ならば解放して差し上げたい所です」
「ああ、私もそう思う。あの事件の真の解決は見られていないわけだからな」
「あの…師匠」
「なんだ?」
おずおずと片手を挙げたアルンに三人の視線が向く。
視線を宙に彷徨わせつつ頬を掻いていたが、意を決したように口を開いた。
「俺も、その、なんだ。出来るなら、この子の事を思い出してあげたい。もし俺が思い出せないままで、さっきのヘリアラさんの話みたいにいきなりこの子が消えたら寝覚めが悪いなんてもんじゃないし」
「旦那様っ…!」
アルンの言葉に感極まって抱きつくウェローネ。
「い、いや、別に何か解ったからって結婚するとか、そういう話じゃないから、勘違いするなよ?!」
「良いんですっ!そう言っていただけるだけでもっ、ウェローネはっ…!」
「いやほんと勘違いするなよ?!結婚したいからとかそういうのじゃないからな?!」
その二人のやりとりにやれやれとマリアネッドは肩を竦めたものの、彼女としても放っておけない内容であることも確かだ。
「やはり、一度お前を連れてムリエに行く必要があるようだな」
マリアネッドはそう呟いて、憮然とした表情で自分の弟子を静かに見やった。
「そもそも今日君を呼び出した用事というのは、何も検診と採血だけではない。ムリエ方面へ依頼と調査で出向くことを伝えるためでもあったのだ。偶然とはいえ、丁度良いではないか」
マリアネッドはニタリと不敵に笑うとアルンとウェローネの二人を見やり、見られた二人は不安げに顔を見合わせる。
その傍らでヘリアラは優しく微笑むのであった。
2019/03/23
私生活にて色々ありましたが、更新することができました。ありがとうございます。