第五印~師匠と弟子とエルフのメイド その2(N)
2018/11/14 やり直し版に差し替え
元から長いお話でしたが、やり直し版差し替えに当たって後半部分は後日六話として新しく挿入します。
マリアネッドの屋敷は昔のアカデミーの校舎を買い取ったというのは先述の通りであり、そこを改装の後、屋敷として使っている。
アカデミー発足当時の建物というだけあって老朽化が進んでいる部分もあったが、アカデミーを卒業後に職人の道に進んだ者達の手でちょくちょく補修(という名の実習教材に)され、この建物は個人所有の第二の人生(?)を歩み始めたのだ。
買い取ったというのも結構昔の話らしいが、この屋敷の主と付き従っている使用人の一人は当時と姿は全く変わらない。
そんな屋敷の中をアルンは早足で歩き一足先にウェローネを迎えに行くと、彼女は研修生メイドの一人に付き添われて入り口付近に飾られている調度品を眺めていた。
調度品がどういうものかわかっているのかいないのか、終始にこにことご機嫌な様子だ。
服装は今朝出かける前に見かけた、白いワンピースの上から水色のカーディガンを羽織った恰好であった。
パッと見、良い所のお嬢さんと言われても何の遜色もない可愛らしさがある。
とはいえ、纏う雰囲気は全く逆ベクトルなのだが。
「えっと、ウェローネ?」
「旦那様っ!」
そんな彼女に声をかけると、それはもう嬉しそうな表情を浮かべてトテトテと近づくとぎゅっと抱きついてきた。
「おっと…」
「えへへっ!旦那様ぁ♪」
その愛らしい姿にアルンも研修生メイドも揃ってホッコリした。
「通信系の指輪てのは聞いてたけど、思ったより早く到着したな」
一緒に居てくれた研修生メイドにお礼を言った後、ウェローネを引き連れて屋敷内の応接間へと足を運び始める。
自分から繋いできたウェローネの小さな手をごく自然に握り返すと、ウェローネは嬉しそうにアルンの手の甲に頬ずりした。
その瞬間に研修生メイドが笑顔で舌打ちしたような気がするが、きっと気のせいだろう。
「丁度お散歩をしていましたのでっ!やはり旦那様のお住まいの地域ですし、ご近所様とのお付き合いも大事だと思いましてっ」
「いやー…なんでこう、積極的なんだこの子…」
顔を引きつらせながら応接間の扉を開けて中に入る。
ノックもせずに入るとは何事か!!と眉をしかめる諸兄の方々もいるかもしれないが、先に部屋に入って待っていろと事前には話は通っているので安心してほしい。
アルンは自分の顔が引きつったままになるんじゃないだろうかと胸の内で若干不安になったので、顔をマッサージしながら部屋に置かれているソファーにウェローネを手を引いていく。
この部屋は校舎が現役であった時代にも応接間として使われていたようで、部屋の作りからもその名残を感じることができた。
置かれている重厚感のある木製のテーブルも丁寧に手入れを続けられてきたおかげか、まるでその部屋の主のように存在感を漂わせている。
そして部屋全体を明るく彩る壁紙とテーブルを飾る鮮やかな花…洗練された雰囲気はおそらくヘリアラのセンスだ。
たまにヘリアラが「マリアネッド様ももう少しそういった所に目を向けてくれたら…」とボヤいているのをアルンも耳にすることがあった。
「師匠も話を聞いてくれるってことになったんだ。すぐに来ると思うぞ」
「旦那様のお師匠様なのですよねっ…粗相のないようにしなければっ」
アルンの隣にぴったりと寄り添うように膝を揃えて座ると、ウェローネは軽く深呼吸をしたり落ち着かな気にきょろきょろと室内を見渡したりしていた。
無碍に振り解くのも可哀想に思えたのでひとまずそのままにしておいたが、その間も彼女はアルンと握った手を離そうとしない。
ちらりとそちらを見ると、視線に気づいたウェローネが微笑み返してきた。
なんとなく照れくさくて慌てて視線をそらして空いた手で頬を掻いてると、入り口の扉をヘリアラと研修生メイドが静かに押し開く姿が目に入った。
「この屋敷の主、マリアネッド様が入られます」
いつもの優しい口調ではなく事務的な口調でヘリアラがそう告げると、宵闇色のローブを翻しながらこの屋敷の主が姿を現す。
座っていたウェローネはアルンから手を離すとソファーからぴょんと立ち上がり、雰囲気でなんとなくアルンも立ち上がる。
内心では(そんな大げさなもんかね?)と思ってはいたが、口には出さない。顔には出ていたかもしれないが。
「お待たせしたな」
銀のレイピアも腰に差しているようで、ある意味マリアネッドは万全の装備で部屋に入ってきたようだった。
その後ろからはティーセットを載せたカートを別の研修生メイドから受け取ったヘリアラも続く。
そして扉は二人の研修生メイドによって静かに閉ざされ、部屋の中には四人だけとなった。
「お初にお目にかかる、アルンの魔術の師であるマリアネッド=イーリスだ。これは私の従者のヘリアラだ」
「ヘリアラ=ドングウェルです。アルンさんには主に戦い方を教えています。以後お見知りおきを」
マリアネッドは(見た目の割には)威厳のある挨拶を、ヘリアラは優雅な挨拶を、それぞれが行うと今度はウェローネが一歩前に出てワンピースのスカートの端を摘まむ。
「ウェローネですっ。ウェローネは水の精霊ですが、この度はだん…アルン様と結ばれるために会いにこの街に来ましたっ。そしてだん…アルン様の魔術のお師匠様と言う方なれば、挨拶は必要だろうと本日はお伺いいたしましたっ!突然の来訪ではありましたが機会を作っていただき、ありがとうございますっ」
「ほう…」
元々不機嫌そうな表情のツリ目がちなマリアネッドの瞳が細められる。
ヘリアラは無言で三名分のカップに紅茶を入れているが、その張り付いたように薄く浮かべた笑みが不気味で仕方がない。
そんなヘリアラの表情は一度だけアルンは見た事ある。
彼女のお気に入りのティーセットを粉砕して、それをどうにかごまかそうとした時だ。
…つまり本気で怒らせた時である。
「アルンっす。マリアネッド師匠の弟子でヘリアラさんの弟子でもあるっす」
その空気に耐えかねて、アルンも思わず一歩前にでて挨拶をしてみた。
「お前は黙っとれ!」
「アルンさん、空気を読んでくださいね」
「アッ、ハイ」
合えなく撃沈である。
大丈夫、ウェローネは優しい笑みを浮かべている。
「ゴホン。では、改めて座って楽にしてくれたまえ」
「はいっ!ではお言葉に甘えてっ!」
ソファーに腰を下ろすウェローネだが、アルンはどうしようかと迷う。
小首を傾げながら顔をあげるウェローネを見た後、マリアネッドの方に目を向けた。
彼女はすでに腰を下ろしていたが、『お前も座っておけ』と目で示されたので自分も腰を落ち着けた。
「どうぞ」
「わぁっ!ありがとうございますっ!」
それぞれの前にヘリアラが紅茶の入ったティーカップと茶菓子のブルーベリーのジャムが表面に塗られたクッキーを置いていった。
そのクッキーがよほど気になるのかちらちらとアルンの顔とクッキーを見比べていたが、それに気づいたアルンが自分のクッキーを一枚摘まんでウェローネの手の平に乗せてあげると彼女はとても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「さて、君に一つ確認したいのだが…」
マリアネッドは顎に手を添えたまま、クッキーを齧って幸せそうな表情を浮かべているウェローネをしばらく見やり、次にウェローネの口元に付いた食べカスを拭いてあげようと手拭いを取り出そうとしてそれでターシャの涎を拭いた事を思い出し妙な姿勢のまま固まったアルンに目を向ける。
「先程話に聞いた水の精霊…で間違いない、か?」
「ああ」
返事と共に頷くアルン(ちなみに、手拭を取り出すことは諦めた)にこめかみを抑えてため息を吐くマリアネッド。
その横からヘリアラが近づき耳打ちすると、更に口をへの字に曲げて腕を組みつつ背もたれに深く寄りかかる。
「聞いてないのだが?」
「何かまだ話をしていないことがあったっけ?」
アルンは別にすっとぼけたわけでもなく、本気で何か話をしていないことがなかったか記憶を掘り起こす。
その様子にコツコツと指先で机を叩きつつ睨みつけるような視線をマリアネッドは向けた。
「あのな、君はいつから幼女趣味に走ったのかね。君の親御様より託されて以来、犯罪行為だけはないようにと常々目を光らせていたのだがな。いや女性の趣味や性癖については私は口を挟むべきではないとは思っているし、ご家族からはそこまでやれとは言われておらぬよ?恋愛は自由だ。私もそう思う。が、それにしたってあまりにもあんまりではないかね」
「せ、師匠?」
「マリアネッド様」
「精霊だからと言って、幼女に手を出して良いかと言われて、それが許されるわけでもなかろうよ。やはり体裁というものがある。あの幼馴染だったか?今朝も会った、あの娘だ。あの娘もかなりの低身長童顔だとは思うがどうなのだ。君は禁断の果実を、幼女が許容範囲と言うのなら、君は私をそういう目で見て…」
「マリアネッド様」
ヘリアラの二度の呼びかけに、『むっ』と小さく呻いて我に帰る。
「失礼。私としたことが随分冷静さを欠いていたようだ」
「冷静どころか。くっそ早口だったじゃないですか」
「君は黙っていたまえ」
「アッ、ハイ」
紅茶を一口啜る間に、アルンはアルンで初めて見る師の様子に変に動揺してしまった。
むしろ何か必死な物を感じてドン引いていたのも間違いない。
(怒っとる…あれは絶対怒っとる…)
「少し混乱されているマリアネッド様に代わって質問させていただきます。ウェローネ様は水の精霊で、アルンさんと、その、結ばれる…つまり、結婚をしたい。そう仰っているのだとか?」
どうやらマリアネッドから既に話は聞いていたらしいヘリアラの冷静な質問に、マリアネッド側の空気が一度クールダウンする。
先程早口で喋ったせいかマリアネッドもティーカップに口をつけて紅茶で口の中を湿らせていた。
「ええっ!その通りですっ!」
先程のマリアネッドの様子も張り付いたような笑顔のヘリアラの様子もどこ吹く風か、花が咲くような満面の笑みを浮かべてウェローネは元気よく返事をした。
「古きあの日より結んだ契約もありますけれども、それ以上に、ウェローネはアルン様の事をお慕いしていますからっ!」
「ぶふぉっ?!」
「うおっ!?汚ねぇ!?」
その言葉にマリアネッドは口に含んでいた紅茶を噴き出し、ヘリアラの片方の眉とエルフ特有の笹型が耳がピクリと動いた。
明らかに空気にヒビが入った。
アルンはそのヒビから寒気が入り込んでくるような気がしてならなかった。
ヒビの向こうは間違いなく猛吹雪だ。
「けほっ!けほっ!…ぅおい…馬鹿弟子」
「な、なんでしょうか、先生…」
睨まれて思わず背筋がまっすぐ伸びる。
「今、この娘が言った言葉をちゃんと聞いていたか?」
「え、ええっと、どの部分、で、せうか」
果てしなく重くなりつつある空気にアルンの逃げ出したい衝動が跳ね上がったが、その片腕にはしっかりとウェローネが抱きついていた。
一方、向かい側の席は一度クールどころか緊張で冷えっ冷えだ。
ヒビなんかとっくに砕けて猛吹雪が目に見えて吹き込んできている。
ついでにいうならオリエンタル=ハンニャがヒビから覗き込んできている幻影まで見えてきた気がした。
「『結んだ契約』つったぞ…」
睨みつけるような視線のマリアネッド。
コツコツと机を叩いていた指先も今や完全に握り拳だ。
「…ええ、私も聞きました」
いつもはにこやかな笑顔を浮かべたままエルフ特有の尖った耳を震わせているヘリアラ。
アルンは知っている。
あれも怒り時のサインだ。
いつもであればマリアネッドが紅茶を噴き出した時点でテーブルを拭いたり、マリアネッドの口元を拭ってあげたりという何かしらのアクションがあるはずだったが…それもない。
「はいっ!ウェローネの言っていることに間違いはないですっ!アルン様とウェローネは契約していますっ!」
悪気のないが確実なアシストでトドメを刺しに来る、満面な笑顔のウェローネ。
「あ、あれれー?おっかしいぞぅ?」
思っていた話の流れとはまったく違うものになり、目が点になっているアルン。
本能的に腰を浮かせて逃げ出そうとするが、やっぱり悪気のないウェローネが離れてくれない。
もういっそ彼女を抱えて逃げ出そうかとも考えて始めていた。
『………』
マリアネッドがティーカップをソーサーの上に静かに置く間の一瞬、だがたっぷりの沈黙を挟んだ後、何かがプツッと切れる音がした。
それも一本ではない。
二本だ。
「悩むもなにも無いではないか!この馬鹿弟子がぁぁっ!!」
身を乗り出してアルンの上着の襟首をひっつかみ、頭突きせんばかり自身の額とくっつけてマリアネッドは喚き立てた。
「どうしてですか!?なんでこんな重要な事を誰にも話してなかったんですか!?精霊絡みならお姉ちゃんに相談してくれてもいいでしょう!?」
続いてヘリアラもまたアルンの上着の襟首をひっつかみ、頭突きせんばかり自身の額とくっつけて喚き立てた。
「わーーーー!?待て!?待って!?俺も何も知らないんだって!?知らなかったからこそ相談に来てたんだよ!?てか、ヘリアラ姐さん、口調がなんか懐かしい物になってる!?」
「そんな事はどうだっていいんです!精霊との契約はどんなに大変で大事な事か、わかっているでしょう!?…ううっ…」
ヘリアラはアルンから手を離すとがくりと床に膝をついて顔を覆って泣き始める。
「…ぐすっ…。私という精霊に精通している者がついていながら…こんな事にも気づけないなんて…なんてことなの…。お姉ちゃん…失格です…」
「わー!?泣くな!?泣かないでくれよ?!」
「泣きたいのは私も一緒だ!今まで君に対してどんな想いで、親御さんに任されて私達が育てて来たと思っているんだ!それをこうも…ああ…くそっ!!」
マリアネッドも乱暴にどっかりとソファーに座って胡坐を掻くと、苛立たし気に前髪をくしゃりと掴む。
大混乱な修羅場ともいえる現場で、一人ウェローネだけは紅茶を啜っていた。
お茶菓子のブルーベリージャムのついたクッキーも大満足のようで、口にしては頬に手を当てて笑みを浮かべている。
余裕がありすぎる。
「旦那様のお師匠様と言うのでどんな方かと思っていましたが、なかなか個性的で愉快な方のようですねっ。安心しましたっ♪」
「安心しましたっ♪じゃぁねぇよ!?なんだ、その、これどういう事なんだよ!?」
ソファーの上で胡坐を掻いたまま虚空にブツブツとつぶやき続けてるマリアネッドと体操座りで顔を伏せて泣き崩れているヘリアラの事を気にしながら、アルンは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべてウェローネを問い詰める。
「契約済みっていうのはマジなのか!?」
「はいっ!ウェローネと旦那様は深くふかーく結ばれています!」
「ま、マジかよ…」
「はいっ!旦那様はやはり気づかれていなかった事は残念ですけれどもっ…」
ウェローネは眉を落として首を振っていたが、アルンはどうにも解せない。
彼女と『契約した』という事実が思い浮かばないからだ。
そんな記憶がまったくないのだ。
「あっ、契約をしていなくてもウェローネはアルン様と結婚したいってずっと思っていますから安心してくださいねっ!」
「何を安心しろと!?」
「ううっ…そこまで仰るのでしたら、アルンさんと契約している契約の証があるはずですよね…?」
ソファーに手をついてよろよろと立ち上がったヘリアラは弱弱しい声で問いかけた。
どんな激しい戦闘でも膝をつく所を見た事がなかったアルンにとって、ある意味新鮮な光景である。
「そう!それだ!朝もターシャと話をしているときに証拠はあると言っていたな?それはどうなんだ?」
虚空に呟き続けていたマリアネッドもアルンのその言葉に我に返り、ウェローネの方へ向き直る。
「精霊と契約した相手には相手がどんな種族であれ、その身の一部を宿した宝玉が贈られるはずです。失礼ながら、アルンさんにはそういった宝玉を使った装飾品を持っていた記憶がありません。いえ、むしろ持っていないからこそ、今までウェローネ様の存在に気づくことができなかったわけですし」
「確かに。そう言った物があれば私やヘリアラが気づかないはずがないからな。よもや、今朝に渡したとかいうあの指輪が契約宝玉というのではあるまい?」
マリアネッドの問いかけに、アルンは首を縦に振りつつ全身を見せるかのように両手を広げる。
その指輪はいまだに左手の薬指に嵌められていた。
「てか、口ぶりからするに大分前からみたいだし、この指輪は関係ないだろ。二人とも知っていると思うけど、俺はアクセサリーの類は昔っから好きじゃないし、今もそれは変わらないぞ。なんか気分が悪くなるんだよな」
どういうわけか昔から彼はそういうものを装着することを嫌う傾向があった。
ちなみに彼の武器である棒状の武器に仕込まれている宝玉は魔術の触媒であって装飾ではない、それに関しては何の感情もない。
「アクセサリーの類を避ける理由は、きっとウェローネのせいかもしれませんっ」
「と、言うと?」
「はいっ!旦那様は自分のお身体が、マナを溜め込んでしまう体質であることはご自覚されているかと思いますっ」
「『マナ・バレル症』の事を知っていたか」
ひとつ前のシーンでアルン達はウェローネ覗いて、『マナ・バレル症』について話をしていた。
だから一同は当たり前のようにその話の流れを受け入れようとしていたが…アルンは気づいてしまった。
「いや待て。俺はその話は…この子にはしていないぞ!?」
「何だと…?」
「ウェローネは今よりもずっと前に旦那様を救う為に契約しまして、その時に旦那様の体内にウェローネの一部をその身に送り込んだのですっ!」
クッキーの欠片を口元につけたまま『ふふん!』とドヤ顔なウェローネ。
いつの間にかアルンのことをデフォルトで『旦那様』と呼ぶようになっているが、それをツッコむものはいなかった。
「…妖精の国の話…マリアネッド様…まさか!?」
ヘリアラはマリアネッドの立てていた仮説があながち間違っていない事に気づき声をあげた。
マリアネッドもそれに頷きながら、改めてアルンの全身を眺め見た。
「それで体内のマナが急激に安定方向に向かっていたのか…」
「ウェローネは妖精じゃなくて、精霊ですっ!ともかくその為に、余計な効果のあるアクセサリーを遠ざけてしまうのだと思いますっ」
すっかり冷めてしまった紅茶のカップを空にしてウェローネは変わらず微笑んでいたが、不意にその微笑みに影が差す。
「それでも、旦那様を完全に癒すことが叶わないのは心苦しい限りですっ…」
「い、いや、そんな事はない。そうかー…そういう事だったのか」
いまだ思い出せないとは言え、そこまでしてくれたと言う相手に嫌な顔をするわけにはいかない。
「感謝しか言えないよなぁ…それ。ありがとう、ウェローネ」
アルンは少しだけ気持ちを入れ替えて、精一杯の礼の気持をこめて頭を下げた。
同時に、そうまでしてくれた彼女の事をいまだに思い出せない心苦しさが同時に生まれたのである。
その気持ちを察してはわからないが、ウェローネは再びアルンの手をその小さな両手で包んで柔らかく微笑んで見せていた。
アルンもまたその小さな手に包み返すと握り返すと、心苦しさが紛らわせるように照れくさそうに笑い返すのであった。
久々のメインヒロイン登場にはしゃいでしまった感ある。