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おしかけにょーぼは精霊さん  作者: ヤヅカつよし
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第四印~師匠と弟子とエルフのメイド その1(N)

2018/11/8 やり直し版に差し替え

集会が終わりアルンがやってきたのはマリアネッドの講義であった。

師匠である彼女が行う講義内容は応用科目の『魔術転換』。

『魔術転換』とは、魔術を組み上げる過程においてそこに何らかの手を加え、新たなる結果を導き出そうとする技術だ。

アカデミーの存在もあって、現在はある程度の術式の基礎は学ぼうと思えば誰でも自由に学ぶことができる。

だがあくまでもそれらは基礎であって、新たに自分で生み出すような内容ではない。

この講義は基礎から新たな発展を目指す…特に錬金術師を志す者であれば必修科目とも言えよう。

永い寿命の中で錬金術にも精通していたマリアネッドだからこそ受け持つ講義だった。


応用課目は選択性な上、その中でも『魔術転換』は特に専門性の強い課目なので講義を受けに来る生徒は決して多くはない。

熱意ある生徒達に混ざって、アルンもまたマリアネッドの弟子としてほぼ出席していた。

他の生徒よりも錬金術師を目指しているわけでもないので熱意を持っているわけでもないが、構築理論や編み出す際の術式の話が面白く、興味を持って講義を受けていた。


あと、マリアネッドを見てにやにやする勢も。


自分自身の魔術の才能というものについて今一つアルンは理解していなかったが、マリアネッドから『体内の魔力貯蔵量が多い故に人よりも沢山の思考、努力ができる。悲観するようなことは何もない』と言い渡され、率先して新たな術式を組み上げを試みていた。

彼の特異な体質については後述になるが、アルンは特に自分の特異な体質を利用して身体強化の術式に関してはマリアネッドより太鼓判をもらえるほどになったのである。


「それでは諸君、講義を開始しよう」


生徒数が多くは無いことに不貞腐れた顔一つせずに、いつもの不遜な表情でマリアネッドは教壇に立つ。

見た目は幼いが知識の量は半端ではない。

黒板の高い位置に文字を書く為に踏み台用の果物を入れる木箱を用意し、時折アルンがアシスタントとして木箱を動かしたり、肩車をすることもあるが知識の量は本当に半端ないのだ。



マリアネッド=イーリス。

先程、アルンとターシャとの会話でも出ていたが彼女は人間に対して友好的な『魔族』である。

見た目に対して年齢は定かでなく、以前アルンが尋ねた時は既に二百の年を越えていると言っていたはずである。

寿命に関して聞いてみても『知らんな。魔族自体が人間に比べると長寿傾向があるが、それもピンキリだ。エルフとどっこいではないだろうか?まぁ、流石に神話時代から生きとるような連中はいないな』と返された覚えがあった。


彼女の種族はヴァンパイア種ではあるのだが、その中でも亜種とされる『マナ・ヴァンパイア』だ。

この世界のありとあらゆる所で目には見えず、だがそこに漂う魔力の源の『マナ』。

生き物から血液を摂取する時に通常の種よりもより多くマナを吸収する為、『マナ・ヴァンパイア』と呼ばれるようになったという。

通常のヴァンパイア種は毛髪は満月に照らされた雪のような銀色で瞳も火の属性が宿った者の瞳よりも鮮血に近い赤色なのだが、マナ・ヴァンパイアたるマリアネッドの場合は朝陽に照らされた雪のような金色で瞳も闇の魔力が宿った者の瞳よりも夕闇に近い紫色をしていた。

ちなみに、身長は別にそういった種族的な物ではないらしい。


特徴は通常のヴァンパイア種と変わらないはずだが、そこはマリアネッドも伊達に長い年月を生きていないわけで人間と同じような生活を営む事が可能である。

陽の光で灰になったり弱体化するわけではないし(曰く、『人より暑がりなだけ』)、宗教的なものを見ても特になんとも思わないし(曰く、『敵対してるわけじゃないからな。魔族の中でも人間の神を信仰している者もいる』、にんにくも平気である(曰く、『肉の臭み取りには必須だろうよ。あ、ペペロンチーノ好きだぞ』)。

ついでに寝るときは彼女の屋敷のメイドが用意してくれたふかふかのベッドがお気に入りだ(曰く、『棺桶で寝るわけないだろ。馬鹿か』)。


種族間の交流が始まってかなりの年月が過ぎているもので、自分の種族に関して隠す必要もない。

気ままに生活をしている魔族も多いのが、我々の世界とは違うこの『テレンラルド』の特徴でもある。



さて、場面は戻ってマリアネッドの講義ではあるが、既に時間を経過させているので本日のまとめの時間となっていた。

講義の内容を楽しみにしていた諸兄には申し訳ない。

アルンは自分の録っていたノートを見直しつつ、今後の予定についても考え始める。

講義の終了後はおそらくマリアネッドの屋敷に出向く事になるのだが、問題は『どの辺りまで話をするべきか』である。


(隠すような事は何も無いし…)


あのウェローネに対して、意外にも自分は悪い感情は持っていない事はハッキリした。


ふと目を落としたノートの内容は途中に考え事や妄想をしたせいか乱雑な部分もあるが、要点は抑えていたようで自分でも少し安心した。

万が一わからない部分があれば、後で自分の師匠に直接聞けばいいものだから気楽なものだ。

小言の一つを言うだろうが、やはり自分の弟子が頼ってくるのは嬉しいらしい。


講義終了の鐘が鳴り、背筋を伸ばしている間に他の生徒は次の講義のためにいそいそと荷物をまとめて出ていく。

幾人かがマリアネッドの質問に向かうといくつか問答を行っていたようだが、すぐにその回答に合点がいったようにメモを取りながら立ち去っていく。

そんな様子を眺めながらアルンもゆっくりと鞄に荷物をまとめると、そこにいる小さな人影の前に移動した。

言わずもがな彼の師匠たる人物、マリアネッド=イーリスその人だ。

しかしアルンが近寄るとその眉間に皺を寄らせて、いつにも増して不機嫌そうな気配がしないでもない。


「や、おっしょさん」


アルンは片手を挙げて、限りなくフレンドリーに挨拶してみた。


「その呼ばれ方をされると、君と後二人程亜人を連れて遥か西方まで旅に出なくてはならん気がするな」


「その時は二人組のバードだかハンターだかが、西方の河をイメージしたテーマ曲でも歌ってくれるんじゃないか?で、何か不機嫌そうだな?」


「別に不機嫌というわけではないのだがな。…君の授業態度が気になっていただけだ」


幼い見た目のせいで、頬を膨らませる仕草も割りと愛らしい。


「いやいや、真面目に受けてるぞ。ノートだってちゃんと録っているしな」


アルンは苦笑しながら黒板消しを手に取り、次に教室を使うものの為に綺麗に消し始める。

その辺は弟子として当たり前の作業であり、誰に言われなくても身に付いた流れであった。


「その割にはガラにもなく難しい顔して、まったく別の事を考えていた様だが?」


「あっはっはっ。師匠(せんせい)もよく見てるなぁ…考え事はしていたのは本当だけどさ」


「当然だ。私は何年君の面倒を見ていると思っているのだ。それで、今朝言っていた君の相談とやらかね?」


「そうだよ。かなりの重要かつ慎重な問題なんだ」


アルンの返事に『ふむ』と小さく頷き、彼女のピッグテールに結い上げている片方の房の毛先を触って何か考えているようだった。

考え事をする時にそこを触るのは彼女の癖だ。


「それだけの悩みであるなら仕方ない。最も、話を聞いてみてくだらない内容であるなら私も容赦はせんが」


アルンが黒板を綺麗に消し終わったことを確認すると、教壇から本日使用した教材一式を彼に持たせる。

アルンも弟子としてそれも当然の役目とばかりに不満もなくそれを受け取った。


「とりあえず、向こうに歩きながらでも話を聞こう。行くぞ」


「へいへい」


荷物を手に教室の外に出ると、次の時間に行われる別の講義の生徒達が入れ替わりで教室に入ってきた。

白いローブを着用した女の子達が手に持っていた教材を見るに、いわゆる支援魔法基礎の講義が行われるようだ。

前衛で直接戦う者とは違い、見た目は清楚で華奢な子が多い事に合点がいく。

空気もとても初々しい。


そして何より、年頃の近い少女達の甘い果実のかぐわしい香りがアルンの鼻腔をくすぐ…


 ぎゅむ!


「あの、師匠?」


 ギリギリギリギリ…


「何かな?」


「足、痛いんスけど…」


「そうか…それは難儀だな。大事にしたまえ」


 ギリギリギリギリ…


「いでででででで!師匠(せんせぇ)!?」


思った以上の鈍い痛みに文句を言おうと隣を睨みつけると…


「何だね?」


それ以上の威圧をかけられた。


「ご、ごめんなさい」


「うむっ」


彼はなんだか解らないままひとまず謝ることで、ようやっと踏まれていた片脚が解放されたのであった。



◇◇◇◇◇



先の授業に関して軽く問答を行いつつ、二人はマリアネッドの屋敷へと足を向かわせていた。

マリアネッドは初夏の日差しを鬱陶しそうに見上げた後、フードを深く被り直す。

対してアルンは空腹が少し気になりながら、屋敷に行ったら何か食わせてもらおうとかそんな呑気な事を考えていた。


「しかしだな、君の指に嵌っているその指輪がどうにも気になって仕方がない」


「ああ、これかー」


ツリ目気味のマリアネットの視線がアルンの左手の薬指に向けられる。

その視線を受けて、朝に自室から出る際にウェローネから渡された青い小さな宝石が埋まった銀の指輪を目の前に翳しながら軽く不安そうに眉をひそめる。


(そういえばこの指輪に念じろって言われてたんだっけ…どの程度でこっちに来るんだか)


言われたとおりに念じてみたが、見た目に変化があったわけではないので効果があったのかは不明だった。


「うむ。朝はなんとなくモヤっと感じていた程度だが、講義中に気づいてからずっとだ。呪いの類ではないようだが、君の身体は大丈夫なのか?今も何かしたようだが」


その手を取って興味深げに指輪を眺めつつも、気遣うようにひんやりした小さな手で摩りながらアルンを見上げる。

言われてみれば一瞬自分の身体から魔力が抜けたような気がする…という程度だった。


「問題ない、と思うんだけどなぁ」


「ふぅむ…そうか…。しかし、その指輪を嵌める場所よ」


「?嵌める場所?」


「なんだ、気づいておらんのか。ほれ、左手の薬指といったら、その、なんだ」


「………」


言われてしばらくまじまじとその指輪を眺める。

そして不意に真顔になる。


「あ」


「よもや気づいていないとは思わなんだ」


愛弟子のあんまりな反応に額に手をあてて深々とため息をついたマリアネッドに対して、アルンは口元を引き攣らせながらマリアネッドに視線を向けていた。


「ま、そのことに関してという事はよくわかった。きっとロクでもないことだろう」


マリアネッドは肩を竦めて苦笑した後、目的の場所に到着した。

二人の目の前にあるのは、白く塗られた鉄柵の門。

別にこの門をくぐるにあたって一切の希望を捨てる必要はないので、軽く手をかけて押し開ける。

訪れる者の目を楽しませるために色とりどりの花が植えられ手入れされた庭を通り過ぎると、辿り着いた先にあるのはマリアネッドの屋敷であった。

全体的にアンティークな色調のその屋敷がアカデミーが敷地としている範囲内(と言ってもかなり隅の方だが)に建っているのは、この建物がその昔アカデミーの校舎であったからだ。


なんでもこの建築家のセンスがマリアネッドの趣味にドンピシャだったらしく、今の白亜の校舎が建築された際に旧校舎としてこの建物をどうするか議論が行われている会議に乗り込んで直談判を行い、(半ば強引に)手に入れたという話をアルンは聞かされた覚えがあった。

そしてそれが、マリアネッドがアカデミーで教鞭を振るっている理由だとも聞いていた。

なお、改装にあたって冒険者として集めた貴重なアイテムを売りさばき、かなりの大枚をはたいたそうな。


二人が屋敷の扉の前に立つと、ギギギギ…と軋む音を立てて木製の両開きの扉がゆっくりと開いた。

そうすると控えめな調度品の数々が出迎えるホールをまず目にする事になる。

埃っぽいという事は一切無く、むしろ外面からは想像できない程内部は美しく掃除されており、調度品も輝いてさえ見えるのだ。

そして、その両脇には扉を開けてくれたメイドを含めた七人ほどが立ち並び、一糸乱れぬ姿勢で頭を下げていた。

彼女達の内、一人を除いてアカデミーのメイド科の実地研修生である事を示す腕章を身に着けていたが、動きはとても洗練されているようにアルンは見えた。


「「「おかえりなさいませ、マリアネッド様」」」


メイド達のその姿に『うむ』と小さく頷くと、ローブの裾をはためかせて堂々とその真ん中を歩いていく。

そりゃあこの屋敷の主なので当たり前である。見た目は幼くても。


「おかえりなさいませ、マリアネッド様」


その中でも研修生の腕章を身に着けていない耳の尖ったメイドが一人、頭を深々と下げて二人を出迎えた。


「よ。今日は俺も一緒だぞ」


「はい、アルンさんもいらっしゃいませ」


マリアネッドのローブを脱がせて折りたたみながら、片手を挙げて挨拶をしたアルンにもにこりと笑みを返してくる。

白いヘッドドレスを載せたチョコブラウンの腰まであるロングヘアーが緩やかに揺れる。


彼女の名前はヘリアラ=ドングウェル。

マリアネッドに仕えているエルフのメイドだ。

エルフという長寿種ではあるが詳しい年齢はマリアネッドと同様に不明で、少なくともマリアネッドよりも年下という話を以前耳にした記憶がアルンにはあった。

細身で見た目はとても華奢、性格もとても穏やかで優しいが、仕事に対しては実に真面目で真摯に取り組んでいる。

その為、私生活では多少ずぼらな面があるマリアネッドと程よくバランスが取れていると言えるかもしれない。

まぁ、デコボココンビなんて言おうものならマリアネッドから足を踏まれる事が確定なのだが、ヘリアラはマリアネッドの世話も好んで行っているようだった。

彼女はエルフという種族柄、精霊術の扱いに長けているのだが、彼女の種族にしては珍しく弓よりも剣などを使った近接戦闘を得意としていた。

そのおかげで、アルンの近接戦闘の師匠ともいうべき存在でもあるのだ。


「ヘリアラ、今日は例の話もあるがこやつの検診と採血を行う。いつもの用意を」


「承知いたしました。すぐにご用意を致しますね」


ヘリアラは再度一礼して二人から離れると、その場に居たメイド研修生達に指示を飛ばす。

彼女の指示を聞いて、静かにだが慌ただしくメイド研修生達は動き始めた。


「あー…そういえば、そろそろそれもあったか」


検診と採血と聞いて、高い天井を見上げながら呟いた。


「まさかと思うが、君は自分の身体の事を忘れているのではあるまいな?」


「わ、忘れているわけないだろう!?」


マリアネッドに懐疑的なジト目を向けられて慌てて頭を横に振るアルン。

階段をあがり見慣れた部屋の前へと足を運ぶ。


「まったく君という奴は…」


その言葉を背中に受けつつ、アルンが先立ってその部屋の扉…マリアネッドの私室の扉を開ける。

部屋の中には簡素なベッドと銀の燭台の置かれたテーブルセット、ある程度の書物が納められた本棚と実験器具が収められた戸棚が設置してあった。

実にシンプルで色気がない部屋とも言えるが、見た目が幼くても実年齢がウン百歳ともなればこんな部屋に落ち着いてしまうのかもしれない。

あ、止めてください、こっち睨まないでください。

………ごほん。

それは兎も角、空気の入れ替えの為か窓が開いており、外からは陽の光が柔らかに差し込んでいた。

とてもではないが、我々の知識にある(亜種とは言え)ヴァンパイア種の部屋とは思えない穏やかな部屋であった。

部屋の真ん中に棺桶もないし。


「さて、まずはいつもの奴を終わらせてしまおうか。最近、身体の調子はどうだね。何か変化はあったか?」


ヘリアラかメイド研修生達の仕事なのだろうか、皺も無くシーツが張られていたベッドの上にマリアネッドは身に着けていた銀のレイピアを剣帯ごと放り投げた。

そのままひらりとテーブルセットに備え付けられている椅子に座ると、片肘をついてアルンを見据える。

それだけの事だが、どこかしら優雅さを感じる所作だ。


「体調は悪くない。むしろ良い方なんだけど、この間魔物討伐のクエスト受けた時に魔力を使ったんだよなぁ」


「となると、使ったのはいつもの強化術と防御結界か」


「ああ。戦闘時間自体は短かく済ませたし怪我はなかったんだけど、軽く防御結界を割られた」


「ふむ。何枚だ?」


「二枚かな。やっぱガブル・ベアーは相手し辛いよ」


「アレか。動物系の魔物はパワータイプが多いとあれだけ教えただろう。受ければ当然、そうなるだろうな」


アルンも荷物を部屋の片隅に…気分的に何故か定位置となっている場所に置くと、上半身に着ていた物を脱いでまとめておく。

痩せ型ではあるがしっかりと筋肉のついた身体。

その筋肉も硬さを主張せずしなやかさが見え、見せるための筋肉ではなく、ちゃんと実動の為に鍛えてある事が伺える。

そうしてアルンがマリアネッドの前に椅子を持ってきて向かい合うように座る頃、控えめなノックが聞こえた。


「マリアネッド様、お持ち致しました」


「ああ、入れ」


「失礼いたします」


湯を張った桶と数枚の手拭いをカートに載せたヘリアラが静かに入ってくる。

桶の湯には消毒効果のある薬草が混ぜられているせいか、澄んだ香りが漂ってくる。

背後にメイド研修生もいたようだが、彼女は部屋には入ってこず一礼してその場を立ち去っていった。


アルンの故郷の村で初めて出会った時、後に自分の師となるマリアネッドもそうだったがロングスカートタイプのメイド服の上から胸当てなどの軽量防具を身をつけた彼女は特に目を引いた。

ただでさえ美麗なその姿に村中の男連中も事あるごとに用事を作って彼女に声をかけに来ていたのをアルンは覚えている。

今でこそ笑って言えるがエルフという種族独特の雰囲気と優しい性格もあいまって、アルンも実は少しだけ憧れていた部分もある。


今もアルンの見ている目の前で手拭いを湯につけると固く絞ると、それを手に背もたれに無いアルンの背後に周り込む。


「さ、体を拭いて差し上げますね」


「い、いいよ!自分でやる!!」


ヘリアラの手からひったくるように手拭いを手に取ると、首筋のあたりを拭き始めた。


「でも、お背中は無理でしょう?」


その反応を解っていたかのように、くすっと優しい笑みを浮かべるともう一枚の手拭いを使い背中を優しく拭き始めた。

その感触にいつも女性に対して、割と冷静な態度を見せるアルンも顔が若干赤く染まる。

憧れていた女性にそういった事をやらせるのは、流石に思春期の男の子としては恥ずかしいらしい。


「う、うう…そりゃそうだけどなぁ…」


「ふふっ。アルンさんの背中は、本当に大きくなりましたね。でも、ガブル・ベアー程度の相手に遅れを取るなんて…」


(聞かれてたぁ…っ!!)


優しい言葉の裏に段々とヘリアラの言葉に冷たさを感じてくるのは、おそらく気のせいではない。

アルンは察した。

『これは特訓コースが待ってる』と。

暖かい手拭いに優しく背中を拭われているというのに、寒気が止まらないのだった。


「お前もまだまだという奴だ。それにヘリアラもあまり虐めてやるな」


「う、うるさいな!放っておいてくれ!」


「くすくすっ。失礼致しました。さ、終わりましたよ」


やれやれと肩を竦めてその様子をマリアネッドは眺めていたが、ヘリアラが拭き終わるとアルンの背後に回ると彼の背中に指を滑らせ始めた。

その滑らせる指先は魔力を宿しているのかほんのり温かい。

動きには何かしらの規則性があるのは、アルンに流れる魔力を可視化するための術だと聞かされている。



アルンが検診と採血をマリアネッドから受ける理由。

彼は生まれつき『マナ・バレル症』と思われる症状を患っているからだ。

軽いやり取りをしているようだが、実はアルンの命に係わる事だった。


先述の通りこの世界では空気中に魔力の源であるマナが漂っており、生きとし生けるもの全てが大なり小なり常にそれを吸収して体内で循環、そして不要な分は排出をしている。

呼吸と同じで、無意識にだ。

『マナ・バレル症』を患ってしまった人間は、マナの吸収をするが排出する事が困難な体質になってしまう。

マナを吸収し続け、排出率に比べて吸収率が大幅に上回ってしまった場合、樽に溜め込まれた様に排出されない体内の大量のマナが暴走し最終的にマナの暴発という形で死に至るのである。

アルンに至っては吸収率に比べて排出率が極端に悪く、症状としてはかなり重い方とされていた。

この世界でもいまだ完全な治療方法が確立していない症状の一つであった。


幼いころのアルンは家族の献身的な看護があっても日に日に体の不調が治らず、ついに満足に外に出る事も出来なくなってしまっていた。

そんなアルンはある日、家族に迷惑をかけている自分が悲しくて、悔しくて、少しでも体が動く夜に重たい体を引き摺って家を飛び出し、たった一人で深い森の中へ足を踏み入れたのであった。


──自分はどこかで死んでしまえば良い、と絶望的な思いを抱えて。


数日後、故郷の村近辺の森のとある調査に来ていたマリアネッドとヘリアラがアルンを発見することになるのだが、行方不明になる前よりも体の具合が良い方向に向かっており、『マナ・バレル症』も緩和と言えるレベルに落ち着いていた。

様々な条件からマリアネッドは『妖精の国でも連れて行かれていたのではないか』と推測はしていたものの、当のアルン本人が何も覚えていないのでそれ以上の追及のしようがなかった。

今でもその時の話はアルン自身覚えておらず、行方不明の間の数日間の記憶もすっぱりと抜け落ちているようだった。

ただただ暗い表情を浮かべて日々を送っていた頃に比べてると、随分穏やかな表情を浮かべるようになったとアルンの両親も言っていた。


ちなみに、そういった時期に父の友人として訪れた人物にターシャが連れられて会っていたりもする。


「ふむ…多少の乱れはあるようだが、これが先程の防御結界が割られた影響か。その分以上の魔力が多めに溜まっておるようだ」


「これぐらいなら何ともないんだけどな。さっきも言ったけど、なんか不調が出てるわけでもないしさ」


「そういう問題ではないのだよ、馬鹿者」


マリアネッドは嘆息しつつ、消毒効果のあるルリアハーブを染みこませた布を手に取りアルンの首筋に当てがった。

ひんやりとした感触に小さく声をあげて、アルンは背中を反らせてしまう。


「だが、おかげで私は純度の高い良質なマナを吸収することができる。お互い、持ちつ持たれつというヤツだ」


そして何よりも重要なのは、マナ・ヴァンパイアであるマリアネッドとの出会いだった。

マナを吸収し続け溜め込むアルンと、マナを他者から取り込むマリアネッド。

これほどまでに相性の良い組み合わせはないだろう。


「毎度の事ながら、その、お手柔らかに頼むぞ…っ」


「任せたまえ。…では、いただくぞ」


背後から小さな体に抱きすくめられると同時に、首筋に針を刺す痛みが走る。


「んっ…んちゅっ…んっ…」


マリアネッドが喉を鳴らすたびに、血液と一緒に『何か』が体から吸い出される。

おそらくそれがマナなのだろうと、もう何度も経験している内に理解はできている。


「くっ…いっ…」


鈍く続く痛みに歯を食いしばっていると、その手に温かいものが触れる。

ヘリアラの手だった。

こういう時、いつも彼女はこうやって手を握ってくれるのである。

その手を自然と握り返しながら、長いような短い時間が経ち──肩口よりマリアネッドが離れる。

すかさずヘリアラがルリアハーブを染みこませた布を再び押し当てると、赤い血液が布に滲んでいく。


「ふぅ…相変わらず、君の血液と魔力は美味だな…」


口元についたアルンの血液を手拭いで拭き取りつつ、マリアネッドは満足そうな表情を浮かべてベッドに胡座を掻いて座りお腹をさすった。


「…けふっ。マナ自体には異常も見られないし、不純物も感じない。うむ、健康そのもので素晴らしい。思わずいつもより多めに摂取してしまったぞ」


「思わずで済ますなよ!?噛まれる時、結構痛いんだぞ!!」


「針の一刺し程度の痛みで何を騒ぐことがあろうか。それともなんだ?魅了でもしてやった方がよかったか?私は一向に構わんが」


非難の声をあげるアルンを横目に、マリアネッドはニヤニヤと笑いながら手に取ったボードにさらさらとアルンの体調などを書き込んでいく。

定期の検診の結果をアルンの両親にも送るためでもある。


「まぁまぁ。今回も異常がないようで何よりですね、アルンさん」


「流石にアカデミー卒業も近いのに、今更体調をおかしくするわけにもいかないしな。ありがとうヘリアラ姐さん」


脱ぎ置いたシャツや上着などを笑顔で渡してくるヘリアラに礼を返しつつ、袖を通し始める。

血液採取(きゅうけつ)による検診を改善方法を聞いて、故郷の母と妹は最後までアルンの弟子入りに関しては反対していた。

父だけはマリアネッドの話をしっかりと聞いて、笑顔で送り出してくれた事をアルンは思い出した。


「それでは私はお茶をお持ちしますね、マリアネッド様」


「ああ、頼む」


出番の終わったカートを押して部屋から静かに出て行く姿を見送り、マリアネッドはボードを傍らに置いてアルンに向き直った。


「それで、君の方からも話があるのではなかったのか?」


「ああ、そうだそうだ。話っていうのはだな…」


彼は昨日からのウェローネとの出会いをマリアネッドに話をした。


マリアネッドは茶化すことなく話を聞き、時折何か考え込むようにピッグテールの片方を触っていたが話を進める程に彼女は腕を組んで唸り、最終的には頭を抱えてしまっていた。


「ううむ。弟子の君が精霊に見初められるのは、師としては嬉しい限りだが…困った事になったものだな」


「だろう?俺もどうしたら良いかさっぱりでさ、だから師匠に話を聞いて欲しかったんだよ」


いつもなら何があろうと自信有り気ににやりと不敵に笑うその顔も、後頭部をぼりぼり掻いて苦い笑いを浮かべるだけだった。


「実際の所だけど、その娘とけっ…契約した場合、俺ってどうなるんだ?」


漠然としか思いつかなかった疑問を口にする。


「ただの精霊使いであればそこらの冒険者とは扱いはさほど変わらん。精霊案件があれば優先的に仕事が回ってくる程度だろうな。そしてヘリアラぐらいの腕があれば上級者と言えるが…あれは契約しているわけではないからな」


精霊使いとして契約するということは、一つの『属性』に対して特化するという事になる。

『一つの属性しか使えなくなる』という言葉からしてネガティブなイメージがあるかもしれないが、精霊から認められるという事は、属性一つに縛られてしまうこと以上の恩恵があることを知っていて欲しい。

なんせ自然の強力な力を行使することができるのだ。


「本契約のあかつきには、流石に各所に黙っているわけにもいかんだろうな。然るべき場所に報告などせねばならなくなるだろうし、精霊神殿(エレメンタルテンプル)も黙ってはいないだろう」


明らかに面倒くさそうな、不機嫌そうな表情を浮かべて肩を竦める。


「だが、さっきの話ぶりからして、まだ契約はしていないのだろう?」


「そ、そのハズだ!ウェローネの言う契約って結婚の事だろうしな。俺だって冒険者としてやりたい事色々あるし、その、命の恩人の師匠達にまだ何も返してないのに結婚とか、そういうのはだな…」


面と向かってそれを言われたマリアネッドは柔らかな笑みを浮かべると、自分の発言に気づいて顔を赤くしてそっぽを向いた己の弟子の額を小突く。


「生意気な事を言いおる」


「うるせー!」


その時、コンコン、と再度控えめなノックの音が部屋に響いた。


「何だ?」


「あの、マリアネッド様。アルンさんを訪ねて来られたお客様が…」


ヘリアラの声に、二人は目を合わせる。

そしてアルンは自分の左手の薬指に着けているあの指輪を見て、頬を引き攣らせた。


「本当に来ちゃったよ、おい」


「ヘリアラ、その者の名前は?」


「ウェローネ様と名乗る小さなお嬢様なのですが…」


「だ、そうだが?」


「ハ、ハハッ…」


アルンの顔に浮かんだ引き攣った笑顔を見て、マリアネッドはやれやれと肩を竦めるのであった。

メインヒロイン、またも不在

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