第三印~冒険者アカデミーへ行こう!その2(N)
2018/11/2 やり直し版に差し替え
「朝っぱらから元気な事は結構なことなのだが…よりにもよって、集会の日に遅刻しよってからに」
目の前をひょこひょこと歩くマリアネッドの表情はわからないが、その声色は心底呆れていたように聞こえていた。
「朝から色々あったんスよぉ。ってか、この馬鹿が邪魔しなけりゃ遅刻なんかしてなかったんだって!」
「ば、馬鹿!?」
アルンのその言葉にマリアネッドは立ち止まると、身体を振り向かせて『にたぁ…』とした笑みを浮かべる。
その後ろでターシャがアルンの発言に抗議を唱えていた。
「年頃の二人が揃って色々。…お盛んなことだな、ククク」
「ち、違っ?!そんなんじゃない!です!もぉぉぉぉ!!」
「いでっ!?俺の肩を叩くな!」
ターシャが顔を真っ赤にして喚いた所でどこ吹く風か、肩を揺すってマリアネッドは笑い続ける。
アルンは自分の師匠の意地の悪い笑い顔にがっくりと肩を落とした。
「ったく、師匠も相変わらず顔に似合わない笑い声だよ。そんなどーでもいい事より、ちと師匠に相談したいことがあるんだ」
「ど、どーでもいい事!?今どーでもいい事って言った?!」
ターシャが何やら不満そうな表情でポカポカと背中を叩くが、今は知った事かとアルンはマリアネッドに並んで歩く。
アルンの姿をマリアネッドはその紫色の瞳で横目で見上げるが、普段から彼女はツリ目がちなのでまるで睨みつけているかのように見える。
小さい頃のアルンにはその視線から本当に睨みつけられているようで怯えていた時期もあったものだが、それはもう遠い昔の話だ。
「ふむ…私も君に用事があるのだよ。今日、君が受ける講義は?」
「一時限の集会だろ?後は二時限の先生の講義だけだな。他は出なくても単位は取れてるし問題ない」
指折り数える彼の言葉にマリアネッドは大きく頷くと、ブロンドのピッグテールの髪を静かに揺れる。
「そうか。それならば講義が終わり次第、私の屋敷へ向かおう」
「あいよ。そんじゃ、また後で」
「んむ」
本校舎の長い廊下を曲がる事なくまっすぐに抜けた先の集会所があるのだが、そこへ向かう為の渡り廊下前でマリアネッドと別れた。
マリアネッドは教師陣は専用の出入り口が向かい、一般生徒のアルンとターシャの二人はそのまま渡り廊下を進んで生徒用の出入口へと足を向ける。
ターシャはマリアネッドがいなくなったアルンの横に小走りに近寄って並ぶと、彼の表情を覗いながらおずおずと口を開く。
「ね、ねぇ?相談ってやっぱり?」
「まぁな。あの件に関しては、本気でどうしていいかわからないからさ」
肩をすくめて首を横に振るアルンに対して、ターシャはどこか気持ちがはっきりせず頬を膨らませた。
「…むぅ…」
「どーしたもんかなぁっと」
「むぅ!むぅぅ!」
更に唇を尖らせて不満の意思をアピールするものの、その尖らせた唇を摘ままれて遊ばれる始末である。
「…アルン…君?」
唐突にかけられた声にそちらを見やると、プラチナブロンド色の髪をポニーテールに纏めた細身の少女がそこに立っていた。
渡り廊下の明かり取りから差し込んでくる陽の光が彼女の身に着けているドレスアーマーの白銀の胸当てや腰に差した長剣の装飾に反射して神々しい雰囲気を醸し出している。
一見して『神性』やら『善』のイメージを強烈に感じざるを得ない。
ていうか、眩しい。
「…ルィリエン」
アルンは久々に声をかけられたその少女…現在のサリオン冒険者アカデミー在籍中の生徒で最も優良な彼女の名を呟いた。
ルィリエン=ミン=アレイエル。
騎士として恥ずかしくない振舞を身に着け、戦闘になれば細身でありながら白銀の盾と剣を操りパーティーの最前線に立ち敵の攻撃を一手に引き受ける。そんな彼女についた名誉ある称号は『聖騎士乙女』。
アルンやターシャと旧知の仲ではあるのだが、アレイエル家という王国屈指の騎士の家柄から彼女は常に注目はされていた。
周囲の期待通りの成長を見せる彼女は、座学においては常にトップの成績を見せ、剣聖と呼ばれる人物に一目置かれて弟子入りを果たした後も腕を磨き続け剣技大会ではほぼ負け無し、魔術もアカデミー内の魔術師が唸る程の魔術の取得と制御を見せ付けた。
『二物どころか三物でも飽き足らず、四物も五物も天が与えたような存在』と称えられ、アルンの師匠であるマリアネッドでさえも『世が世なら、ああいう小娘が勇者候補になったのだろうな』と評していた。
貴族の生まれであっても他の生徒とある程度は親しく付き合おうとしているようだが、いつも彼女の周りには友人達…特に実家が貴族や身分の高い家柄に席を置く者達が取り囲んでいるのをアルン達は知っている。痛いほどに。
「…お久しぶり…だね」
華やかな経歴とは裏腹に、彼女の表情は乏しい事で有名だった。
今も見ようによっては冷たいような、もしくは微笑んでいるような、どちらともとれない表情を浮かべてアルンの事を見つめていた。
不意の遭遇で咄嗟に名前が口に出てしまったものの、アルンは気まずそうに一瞬合った目を逸らして後頭部を掻いていた。
ささやかな、だが致命的なトラブルの末にルィリエンとはもはや縁の薄くなってしまっていた。
会話どころか顔を合わせること自体、今はほとんど無い。
「あ、ああ…」
アルンは自分でもどうしたものかと思いつつも小さく嘆息した後、ターシャの唇を摘まんでいた指を離すと彼女の手を引いて渡り廊下の隅に移動して道を空ける。
「アルン…。…っ!」
『ささやかな、だが致命的なトラブル』の件を知るターシャはアルンの行動に気遣わしげな視線を向けた後、ルィリエンを強く睨みつける。
「………」
ルィリエンはターシャが睨みつけていても、どこかぼんやりとした視線のまま無言で移動した二人を交互に見つめていた。
むしろ、ターシャはアルンが道を空けるために彼女と繋いだ手に視線が向いている事に気づいていた。
先述の通り、ルィリエンは表情の変化に乏しい。
だが、ターシャには何故か彼女が苦々しい表情を浮かべていることがわかってしまっていた。
そして、アルンから名前を呼ばれた時にとても嬉しそうな表情を浮かべていたことも。
「退いたんだからさっさと行きなさいよ!」
だからターシャは、よりアルンに密着するようにして、これ見よがしに彼の腕に自分の腕を絡ませる。
胸だって押し付ける。
むにゅんと形が変わるのもお構いなしに。
「…っ」
ルィリエンの表情が苦し気に歪んでいる…やっぱりそれが、ターシャにはわかってしまう。
今朝から起こっているごたごたのストレスの発散とばかりに、ターシャはほの暗い優越感を感じていた。
「ほら、行けよ。コイツがやかましいから。それに、どうせ取り巻き達が待ってんだろ?俺達のせいで遅れたなんて言われたくないから、先に行ってくれ」
一方アルンはそれがわかっているのかいないのか、アルンは目線だけで集会所の方を向け先に進むことを促して…
「頼む」
…小さく、そう呟いた。
「…うん…」
ルィリエンは何か言いかけたようだが、その口をきゅっと紡ぐと早足でその場を歩き去っていった。
ポニーテールの髪が揺れる背中を見送り、彼女のブーツの踵の音が聞こえなくなると、アルンは深いため息をつきながら肩を落とすと渡り廊下の壁に背を預けた。
その横でターシャはアルンに腕を絡ませたまま、思いっきり舌をアッカンベーをしていた。
「ふんっ!何が聖騎士乙女よ!言いにくいのよ!『バ』のあたりが!!」
吐き捨てるように口走るターシャの頭に何も言わずに手を置いて軽く宥め、そしてそのまま優しく撫で続ける。
「いいんだ。ターシャ、いいんだ」
アルンにとってきっとそれは特に意識したわけでもなく幼馴染としての一つのクセだ。
ただ、こうしているときのアルンの表情はいつも悲し気で、ターシャは胸が締め付けられるような思いになる。
「…うんっ」
ターシャにとって頭を撫でられることは嬉しいが、複雑な心境なのであった。
同時に何があってもアルンの側を離れないと今一度固く心に決めたのであった。
それが例え自分を精霊と思い込んでいるお子様相手だろうと、聖騎士乙女相手だろうと、だ。
◇◇◇◇◇
アカデミーの集会所はすり鉢状の造りをしており、生徒達は中央の講師や導師達を見下ろすように周囲に設置された座席に座ることになる。
教師達の位置により近い下層の生徒ほど、能力的に優秀な人物の指定席というのが暗黙の了解だ。
先程渡り廊下でアルン達が出会った聖騎士乙女のルィリエンは最下層の座席…つまりは最前列に彼女のパーティーメンバーと共に座っている。
他種族で構成しているパーティーではあるが、中でも凛としたたたずまいを見せる彼女のプラチナブロンドの髪や全体的に白銀を基調とする装備装飾は遠目に見てもよく目立つ。
教師や導師達に顔を少しでも覚えてもらいたい意識の高い生徒達もこぞって下の方の座席を目指すため、なんというかそこに渦巻く熱気らしきものが漂っているように思える。
以前にマリアネッドが『あいつらほんと暑苦しくて気持悪い』と酷評していたことをアルンは思い出しつつ、最下層とは遠い上層の席を
ターシャと二人並んで陣取った。
それ以前に遅刻して来てしまった以上、下層の方の席に座るのはほぼ不可能なのだが。
「お、丁度始まる所だな。セーフだセーフ」
中央のゲートからあの特徴ある常闇のローブを身に纏ったマリアネッドが現れると、ひょこひょこと小さな体を揺らして歩くと自分の席に腰を下ろした。
自分の師匠ということもあって身近に感じる存在ではある分、他の講師や導師陣と比べて見てもその姿にあまり威厳を感じられないが、実はその中でも高位の立場であることなのはアカデミーへ入学後にアルンが一番驚いた事実であった。
彼女は自分の事をおおっぴらには語らない為、アルンは普段のやり取りからついつい忘れがちになってしまうのだった。
「マリアネッド先生って、ホントはいくつなんだろうね?」
こういう場に来るとターシャはその疑問をいつも口にしていた。
ここから見る姿はどうにもいいとこ育ちの小生意気なご令嬢。口を開けば尊大な口調だ。
まだ幼い時にターシャが同年代の子供だと思って馴れ馴れしく纏わりついて叱られたのは今でも笑い話だ。
「さぁてなぁ。人間と違って魔族だし、あの人」
これまたいつもの適当な答え。
このやり取りに深い意味はないのだから無理もない。
ターシャもそれ以上何も言おうとせず、だが機嫌良さげにアルンの腕に自分の腕を絡ませていた。
ここぞとばかりに腕に押し付けられるたわわな感触に喜ぶべきなのだろうがそれ以上に暑さが勝り、アルンは絡んでくる腕を外すと『暑いぞっ』と猫の様に額を摺り寄せてくるターシャにデコピンをお見舞いするのであった。
なんとなく、朝方のウェローネの体温調整がありがたい事だったのかとボンヤリと思考の片隅に置きながら。
「ひぎゃっ!痛いー!ひどいー!」
(んっ…?)
手をふり解かれたショックと痛みで涙目になるターシャをよそに、視線を感じてそちらを見ると最前列の目立つプラチナブロンドの髪が大きく揺れたように見えた。
あまりにも一瞬の事で確証も何もない。
先程久しぶりに会ったせいだろうと自分の自意識過剰ぶりに肩を竦め、抗議の声をあげているターシャにもう一度デコピンをお見舞いしていると、集会の始まる鐘の音が響いた。
アカデミー長や導師達の挨拶や方針演説、各部の近況の報告会、処罰者の処遇、共通課題の発表などが続き、上層の席に座る者達にとっては退屈な時間が続く。
「くぅ…だめ…だよぅ…そこはまだ…だぁめ…ぐへへ…」
肩に頭を預けて涎を垂らして寝ている残念な幼馴染を横目で見ながら、アルンは再びあの精霊の娘──ウェローネのことを思い出していた。
(旦那様…か…)
あのストレートな好意の数々や、目が合うたびに浮かべる屈託のない満面の笑みを思い出して少しむず痒い気分になって頬を掻いた。
(しかし、何で俺なんだ?)
いくつか思い当たる節があるような気もするが、それがあの精霊の事に関してだったか、そしてそこに至るまでの道程と噛み合っているのか、思い出そうとすればするほどこんがらがってしまうような感覚に陥っていた。
(簡単に思い出せたら何の苦労もないんだが…俺ってこんなに記憶力なかったっけなぁ)
「ひへっ…ふひひひ…やぁん…もぅ…」
横でしまりのない顔でそんな笑い声を上げている幼馴染に更に残念すぎる気持ちになりつつ、思考はまだ続く。
(あの娘は本気で、俺の所に嫁として居着くつもりなんだろうかね?)
居着くだけならまだしも、結婚とか言われても正直困るのがアルンの本音だ。
アルン自身、冒険者としてどうしてもやりたいことがある。
その為にアカデミーへ通い、冒険者としてのいろはを学び、自分の師匠からにも教えを乞うているのだから。
(本気…。やっぱ本気なんだろうなぁ。いやいやそれ以前に、彼女が本当に精霊なのかどうかって話もだよな。流石に自分を精霊と思い込んでいる一般幼女とかレベルが高すぎるわ)
──ワァァァァァァ……!!
集会場内に歓声と拍手が響き、その騒がしさにアルンは思考を一旦中止した。
集会は今月の優秀者の表彰へと進行していたようだ。
どうやらルィリエン達のパーティーが何か成し遂げたらしい。
その内容が熱く語られているようだが、アルンは興味を持つことなくぼんやりと昨日の事を思い出……
「あっ…そっちじゃなくて…こっち…へぁ…ずるる…」
「………。お前は、ほんと…そういうとこだぞ…」
……そうとして、手拭いを取り出すと糸引いて垂れ落ちようとするターシャの涎を拭ってやった。
寝顔は可愛いとは思うが、本当に残念なタイプの幼馴染である。
こうやって人は大事な大事なワンチャンスを失っていくのだろう…。
嘆息交じりに手拭いを裏返してポケットに入れつつ、昨日のウェローネとの出会いの場面、いや、ウェローネからしたら再会の場面なのかもしれないがそれを思い出していた。
──昨日の夕方。
アルンがアカデミーからの帰り道に寄った公園の噴水の淵に幼女が…ウェローネが行儀よく足を揃えて座っていた。
その膝に自身の長い水色の髪を置き、目を閉じて…多分鼻歌でも歌っていたのだろう、リズムよく小刻みに体が左右に揺れている。
夕日に照らされた幼い顔はどこか切なげで、でも、待ち人が現れることを楽しみにしているようでもあった。
一見して買い物に行っている母親を行儀良く待っている幼子と見れば普通だったかもしれない。
だがアルンには彼女が恋人を待ち焦がれる一人の女性に見えていた。
兎に角それだけでも、絵になる。
もし自分に絵の才能があったのならば、このシーンとの出会いは大きな財産になりかねないかもしれない。
そんな事を思わせるには余りある光景だった。
思わず足を止めてしまったアルンはその雰囲気に飲まれかけたが、我に返るとその一角を汚さぬように静かに、そして足早に通り過ぎようとした。
だがその瞬間…アルンの耳には一滴の雫が水面を打つ音が聞こえた気がして、その足が止まってしまった。
その音の存在が気になり周囲を見渡すと…目が合った。
噴水に腰かける幼女と。
彼女はアルンの存在を認めると、そんな趣味がないハズのアルンですらドキリとする笑顔を浮かべたのだ。
最初は何かの間違いかと思った。
人違いなのでは?
自分の後ろに本当の待ち人が現れたのでは?
そう思いアルンはそこを一歩分、隣に退いた。
彼女の視線がその一歩分、隣に動いたアルンを追いかける。
一瞬、どういう事が考えている間にも彼女は座っていた噴水の淵からぴょんと飛び降り…
「やっと会えたっ!旦那様っ!!」
…と、一直線にアルンの胸に飛び込み、強く抱きついてきたのだ。
「おわっ!?」
その勢いある抱き着きに踏ん張りが効かず尻もちをついてしまうアルンだったが、その痛みを感じる前に…
「んんっ!?」
…アルンの首に手を回した彼女に唇を奪われてしまった。
確かに彼女は小さい女の子だった。
だけど何故だか温もりと優しさと懐かしさと同時に安らぎを感じてしまった。
そのまま抱きしめ返して、目を閉じてしまいたかったが…
「ママ!ちゅーしてるよー!」
「しっ!見ちゃいけません!」
「…衛兵さん呼んだ方がいいかしら」
「最近の子はませてるわねぇ…」
(やべぇぇぇぇえええ!!)
…ガッ!とアルンは目を見開くと『自分は水の精霊で、アルンの嫁』だと自己紹介と力説する彼女を小脇に抱え、隠しながら全力で部屋に連れて帰ったのだが。
そして、今朝に至ったのである。
よく今朝までバレなかったなぁと、今にして思う所であった。
思い返してみて、あまりに自分の迂闊な行動に深いため息をついて肩を落とす。
だが、あの時どうすればよかったのだろうか…何度そう思っても、無視してあの場に置いていくという選択肢だけは絶対にありえないという確信があった。
彼女を手放してはならない、突き離してはならないと自分の中の何かがずっと訴えかけてきていた。
(まぁ、あの笑顔は反則だよなぁ…ん?)
不意にまた視線を感じて顔をあげる。
中央の壇上では今後の予定の発表を行っているようだが、その場にはまだあのルィリエンと彼女が所属しているパーティーの一行がいた。
どうやら冒険者ギルドからの使命依頼ということで、このサリオリムの街から北西で大量に発生しているモンスターの討伐と原因究明を任されるらしい。
この場で発表されると言う事はそれなりに重要な依頼なのだろう。
「んー…(朝会ったからって意識しすぎだな…)」
ルィリエンと目が合ったような、そうでもないような…そんな感覚に顎を指で摩りながら軽く肩を竦めた。
「んごふっ!?」
そして肩を竦めたせいでターシャの頭がずり落ちて、アルンの膝の上で間抜けな声をあげた。
「…んぇ?ふぇぇ?」
口元を拭いつつキョロキョロと目だけを動かして、まだ集会中であることに気づくとしゅんとして肩を縮ませるが…
「うへへ…しゃぁーわせぇー…アルンのおひざぁ…」
そこがアルンの膝の上であることに気づいて口元を再度緩ませて頭を擦りつける。
微妙にイラっときたアルンは無言で拳を振り下ろそうとしたが寸での所で思い留まり、膝でターシャの頭を軽く押し上げる。
「…うー…よいしょぉ…」
「ったく、何やってんだお前は」
名残惜しそうにターシャが上体を起こす様子をアルンは腕を組んで呆れた表情で眺めていた。
「だってアルンさー、なんかずーっと考え事してるみたいだったから、喋りかけるのも悪いなーって思ってたら眠くなっちゃって」
「これでも気をつかってたんだよ?」と小さく微笑みながら呟いて、またアルンの頭を肩に乗せる。
後ろかの席から見たら完全にカップルのそれな姿に、一斉にベキリ!と何かへし折る音が聞こえたような気がするがそれは別のお話。
「やっぱり、突然お嫁さんになりにきたあの子の話?」
「ん、まぁな」
「だよねぇ…」
そう短く返答するだけ。
まだ考えがまとまらないのだから仕方がない。
「ねね。一つ提案があるんだけどさ?あたし的にはかーなりベターな提案があるんだけどだ。いやもうベストって言えるぐらいの提案かも!」
彼女が甘えるように身体を擦り寄せてくる…つまり豊満なバストが優しく彼の腕を包んでくれるということだ。
羨ましい。とても、それは、羨ましいことなのだ。
再度ベキリ!!と何かへし折るような音の数が増えて聞こえた気がするのも無理はないが、それも無理からぬことだろう。
「き、聞いてやるから!胸を押し付けるな!」
振りほどこうにも思った以上にがっちり掴んでくるので、集会中だけあって大きく動きは取れない。
ターシャは細身で平均よりも小さい体格ではあるが、筋力は実はそれなりにある。
宿屋の看板娘は非力ではいられないのだ。
「一応聞くけど、どんな方法なんだよ」
ちらちらとこちらに向けられる周囲の視線にうすら寒いものを感じていたが、ここは一つ話しを聞いてみることにした。
むしろ話を聞かないことにはターシャは離れてくれそうになかった。
「ちょぉぉぉぉっと恥ずかしいんだけどさ…」
ちらりと視線を送り、頬を赤らめるターシャに続きを促す。
意を決したように彼女はアルンの耳に唇を寄せた。
「いっそさ、あたしと恋び─」
「却下だ」
その反応は早かった。
ちなみに後ろで聞き耳立てて残りの筆を折る用意をしていた者達は、アルンのその反応に盛大にずっこけた。
小さい声で「いやそこまでフラグ立てておいて!!」「そこでそれはねーよ!」などなど、困惑した呟きが聞こえてくる。
(何してんだコイツら)
そんな背後の席の連中を軽く見やってから、気を取り直して前に向き直る。
隣では再びターシャが唇を尖らせている。
「ひどいなぁ…まだ説明もしてないじゃない。あと、地味にフラレたみたいで嫌なんですけど!」
「しなくても解るっつの。なんだその恥ずかしい発想は」
「だ、だってぇ…あたしだって、そのぉ、なんというかー…」
人差し指同士を絡めながら、所謂『ヲトメなポーズ』で身体を摺り寄せながら隣にいる幼馴染に流し目を送る。
「だめぇ?」
「却下」
脳みそをくすぐり蕩けさせるような甘え声に対しても妥協は一切なかった。
もはや周囲の男勢は血の涙を流しながらどういうことだと困惑し、一部の者は『コイツは女性に興味がない』と判断しアルンから席を離し、更にその中の一部の者は色めきだった。ターシャだけにではなく、アルンにも。
「ううっ…時期的には丁度良いと思ったんだけど!!」
「何をもって『丁度良い』だ」
「じゃあ、なんでその勢いであの子の事を断らないのさ!」
「いや、まぁ、それは…」
頬を膨らませて肩をポカポカと叩こうとするターシャをなだめつつ、アルンはやはりはっきりとした答えを言えずにいた。
(うーん…何で俺は迷っているんだ…?)
そう、確かにそれは言える事だった。
拒否をするならば、とっとと突き放せば良い。
今朝もらった指輪も適当な場所に放り投げてしまえばいいだろう。
マリアネッドに『相談』ではなく『助け』を求めるべきだ。
だが、今の彼はなんだかんだ言い訳をつけてウェローネの存在を拒否することが出来ないでいたのだ。
「もしかして…アルンって、ああいうちっちゃい娘が好きなの!?マリアネッド先生もそうだし!?ていうか、あたしだってちっちゃい部類だと思うんですけど!?ちょっと胸はおっきいけど!こういうの需要があると思うんだけど!!」
「ええい!!…うるさいっ!」
思わず大きな声を出しそうになるのを抑えて、後半は控え目に声を落とす。
「でも、おっぱいちっちゃい方が好きだよね?あの子と先生が大丈夫で、あたしがダメな理由なんてそれしかないんですけどぉ!?」
ぐいっと自分のたわわに実った胸を両腕で持ち上げるように見せつけるターシャ。
後ろの席の男どもも身を乗り出してそれを鑑賞する!
「お前はそういう方面から思考が離れられんのか!あと、さりげなく師匠を混ぜるのもよせ!」
流石に頭を軽く小突く。
それから、斜め後ろからその揺れ動く大山脈を他の誰よりも近くで盗み見ようとした男子生徒の一人にもついでに目潰しておいた。
叫び声をあげなかったのは流石だが、転げまわる姿に周囲から哀愁の視線を向けられる。
それが合図となったわけではないが、集会の終了を告げる鐘の音が響く。
中央の教師、導師達が中央より立ち去るのを見送ってから、生徒達が動き出した。
居眠りから目を覚ますもの、友人と話しながら立ち上がる者、今後の予定を書き出したメモを確認し合う者…集会所は騒然となりつつ、皆が一様に出口を目指して歩いていく。
「………っ?!」
アルンも近くの出口から外に出るために立ち上がった所で…今度は刺す様な、強烈な視線を感じて見回す。
背後にいた連中のそれではない。
もっと強い何かの感情がこもった視線だった。
周囲を探っていると最下層からルィリエンが彼を見上げていた。
今度は間違いなく目が合った。
だが、目が合ったと認識した直後に彼女の姿は、彼女の周囲に集まったパーティーメンバーに隠れてしまった。
それっきりルィリエンは、再度視線が合うことなく出口へと向かってしまったようだ。
(なんだってんだ…今日は…)
だが、既にルィリエンからの視線は途切れているというのに居心地の悪さはなくならない。
苛立たし気に後頭部を掻きつつ、ターシャを連れ立って集会所の出口を抜けて渡り廊下へと出る。
ある程度待ってから出てきたので、渡り廊下もだいぶ人が散っていた。
「もしかして怒ってる?」
「怒ってねーよ」
「何か怖い顔してる」
「そんなにか?」
「…うん」
彼女の表情は明確にその感情を表していた。
よっぽどだったらしい。
気を取り直すかのようにアルンは咳払いを一つすると、「お前の事じゃねーよ」とぽんっと頭に手を載せた。
ターシャは少しだけ安心した表情を見せて、小さく頷く。
それだけで緊張感があった空気が元に戻っていく。
「お前の講義は?」
「レンジャークラスの実技授業だよ」
「大変だな、実技訓練場は遥か彼方だぞ」
「そんなに遠くないよー。でもちょっと走った方がいいかも。よいしょ!」
自分の装備であるクロスボウと荷物を肩に担ぎ直す。
ついでにバストも大きく揺れる。
「それじゃ、また後でね?」
「おう」
軽く手をあげてタッチを交わすと、ターシャは軽やかに走って行ってしまった。
途中、二度、三度と振り返っては手を振ってくるので、アルンもその背中を見送ってから自分の行くべき場所へと歩き出した。
「さーて、俺も行きますか、と」
時間にはまだ多少の余裕があるが、さっきから感じていた視線の事が頭の中に残っていた。
ただでさえ色々と考えることが多いというのに、これ以上変な事に巻き込まれることだけは何としても避けたいアルンなのであった。
2019/6/8 若干修正