第三十三印~親子の愛に水入らず(N)
2019/09/04 やり直し版に差し替えました。
差し替えはここまでとなり、次から完全新規となります。
「美しい人間の親子愛ですねっ。早くウェローネもあの輪に混ざりたいものですっ!」
マリアネッドがカップを傾けながらその声に横目を向けると青色の髪が見えた。
「来たのか」
「ええ、そろそろ再会の触れ合いも落ち着いた頃かと思いましてっ。…あ、ありがとうございますヘリアラ様っ」
微笑みながらウェローネは、先程までカンガが座っていた椅子に腰を据える。
何も言わずともヘリアラが飲み物を淹れたカップを差し出し、ウェローネにそれを笑顔で受け取った。
忘れがちだが、やはりウェローネが精霊ということで敬意を払っているのだろう。
「落ち着いたといえば落ち着いたのだろうが…」
そう言って肩を竦めた後、カップを簡易テーブルの上に置くと、懐からパイプを取り出して口に咥えた。
すぐに魔石から魔力の煙を燻らせて、いまだ賑やかに団子になっている親子三人を見て苦笑を浮かべる。
しかし、ウェローネはそれをしばらく笑顔のまま眺めてゆっくりと茶を啜っていたが、やがて考え込むように眉を顰める。
「お口に合いませんでしたか?」
ヘリアラの問いにウェローネは首を左右に振って、笑顔を向けた。
「いいえ、お茶はとても美味しいですっ!」
「恐れ入ります。それでは、何故そのようなお顔を?」
マリアネッドもそのやり取りを横目で見つつ、耳を傾けている。
「先程別口で確認はしたのですが…マリアネッド様達なら確実にご存じでしょうし…」
その発言にマリアネッドは訝し気に眉を顰めるが、『うんっ』と下顎に指を添えたまま小さく頷いてからウェローネは続ける。
「お義父様とお義母様はやはり生来の獣人らしく、魔力がほぼないというのは間違いないのですよねっ?」
「んん?」
形を変えた質問ではあるが、他の場所でも聞いた質問を投げかけてみる。
マリアネッドは視線をヘリアラに向けるが彼女もその質問の意図をわかりかねるのか左右に首を振るだけだった。
「まぁ、はっきりと感じる程の魔力を持ってる獣人なんざなかなか見かけることはないな。それこそ長く生きてるが両の手でも余る程度にしか出会えておらん」
「ええ。それにこの辺りには今の世代の方達の中で魔力持ちの獣人は居なかったと記憶しております。よほど厳重に隠しているか唐突に目覚めなければ、ですが」
「と、いうことだ」
ヘリアラの言葉でもってウェローネの質問の答えを返したマリアネッド。
「ありがとうございますっ。では、ウェローネの違和感は間違いではないのでしょうっ」
「違和感?この村の獣人とは長くやりとりしているがなぁ。いや…」
しばし前髪を弄って思案の後、今のやり取りからふとした事を思いついて前髪を弄っていた手を止める。
その視線は戯れている親子に再び目を向いていた。
「…エリーニャか?」
呟くように問いかけられる名前にウェローネは黙って頷く。
「おいおい、それこそまさかというやつだろう。最低でも年一回は私とヘリアラの二人はこの村で直接様子を見ているわけだが、そんな素振りも魔力の感知にもひっかかっちゃぁいない」
上位種の魔族の魔力感知能力は大変優れていることはこの世界ではよく知られていることだが、更に魔力に関してはより死活問題に直結するマナヴァンパイアたるマリアネッドの魔力感知能力は群を抜いている言ってもよい。
彼女自身、それに関しては絶対の自信があったのも確かである。
にもかかわらず、それをすり抜けて自分の魔力感知能力に引っ掛からなかったと言われるのはマリアネッドにとってプライドにも関わる問題であった。
「本日お会いした時も特になにも感じることはありませんでしたが…」
それはヘリアラにとっても同じだ。
この村に訪れる時はマリアネッドと共にあることが多く、エルフとて魔族程ではないが魔力の感知能力にはそれなりに覚えがある。
そんな彼女もまたエリーニャからは何も感じとることはできなかったのだ。
「急に発現したとしても、だ。それを隠せるほどのスキルが短期間で身につくとも思えんしなぁ」
「ですが、ウェローネ様は精霊でありますし、感じたものを無碍に否定するわけにも」
「ふむ…。では一つ聞くが、エリーニャが魔力が発現するとまずい事でもあるのかね?」
顎をさすりつつ椅子の上で胡坐を組みなおし、その視線を鋭くしながらパイプをウェローネの方に向ける。
ヘリアラも表情こそ変わらないが、じっとウェローネの方を見つめていた。
「これが普通のお話であるなら問題はないとウェローネは思いますっ。それこそマリアネッド様やヘリアラ様のような有能な魔力の使い手の下で育成することもできるでしょうっ。ですがっ…えーっとっ…」
そこで一度言葉を選ぶように視線を宙にさまよわせ、ようやっとその言葉が見つかったのか一人でこくりと頷いてから再び言葉を紡ぐ。
「なんと言いますか、彼女が身に着けている魔力は『歪』なのですっ」
「『歪』とな…」
魔力を『歪』とする表現に、訝し気に片方の眉を上げるマリアネッド。
ヘリアラの方に視線を向けるが、彼女も困惑した表情で首を左右に振るだけだった。
「魔力ではない精霊の力のような物にも思えますが、そうすると私が感じ取れないのも余計におかしな話ですね」
それでもウェローネの言葉から『何か』を導きだすべく、呟いて思考するヘリアラにウェローネは小さく頷く。
「本質は精霊の力だとは思うのですが、こう、色々とそこら中から色々な物をくっつけて、そのせいで隠れてしまってるといますかっ。うまく表現でき…わぁっ!?」
目を閉じて目の前にある空間を捏ねるような仕草を見せていたウェローネが目を開けたその眼前に、ピコピコとオオカミ型の獣耳が揺れていた。
思わずひっくり帰りそうになった背中をそっとさりげなく支えるヘリアラの優しさたるや。
セムハニールはすんすんと鼻を鳴らした。
「ねぇ、アルン君…」
声をかけつつセムハニールは振り返らなかったが、その猛烈なプレッシャーにアルンとカンガはその震え声に寒気を感じてお互いに視線を向けあった。
ただただ、嫌な予感だけはするがなるべく平静を装ってみせる。
「な、なんだい母さん?」
横からその表情が見えていたマリアネッドとヘリアラは彼女から目を逸らし、さり気無くテーブルごと十歩分程離れていた。
ひっくり返りそうになったウェローネは落ち着きを取り戻し、にこやかな表情を浮かべたまま椅子かぴょんと飛び降りると、自分の身なりを整えている。
「この子から、なんで、アルン君の、匂いが、するの、かしら?ねぇ?」
腕のない右袖を揺らしつつ、光の灯っていない眼でぐるりとセムハニールは振り返る。
「「ひっ!?」」
思わず悲鳴を上げて抱き合うアルンとカンガの二人の方へ、セムハニールが一歩踏み出すと『ずむっ!』と土の地面が深く沈み込むのが見えた。
「ア、ア、アルン!一体なんだ、どういうことだぁ!?」
どこぞの世紀末覇者の長兄のようなオーラを纏いながら迫ってくる己の妻に、すっかりと股の下に尻尾を挟み込んでしまったカンガは素早くアルンの背に回り込んで差し出すようにその背を押した。
「いや、ちょ、背中を!?背中を押すなよ!?」
「バカ野郎!ほれ、なんだぁ、獅子は己の子を谷へ突き落すと言うじゃぁないか!」
「あんた獅子じゃないだろオオカミだろ!?さっきのかっこいい事言ってた父さんはどこ行ったよ!?」
「アルン君…ねぇ?」
「をごっ!?」
醜い争いを続けるアルンの肩にバンッ!と背中越しに置かれた手はずっしりとした重みがあり、思わず片方の膝ががくりと地に付き、それを押し返すことができなかった。
単純な力負けで、である。
「あわ、あわわわわ…」
「振”り”返”り”た”く”な”い”ん”た”け”と”ぉ”!?」
セムハニールの様子がもろに目に入ってしまったカンガはガクガクとその顎を震わせ、それを見たアルンは頑なに絶対にセムハニールの方を向くまいと心に決めて叫ぶ。
「こっちを向きなさいアルン君…お母さんに隠し事はいけないわ…」
だがそんな叫びもむなしく側頭部をがっしりとつかまれ、骨が軋む様な音を立てるのもお構いなしに無理やり振り向かせようと徐々に籠める力が増していく。
「お待ちください、お義母様!」
そんな殺伐とした空気の中にかわいらしい声が!
忘れがちだが、我らがヒロインのウェローネであった。
「あ”あ”?」
荒んだ表情でその声の主を見下ろすセムハニール。
「今なんつったぁ?お義母様ぁ?」
セムハニールは、このアルンの香りがする少女の言葉の意味を正しく理解して聞き返していた。
「はい、セムハニール様はウェローネの旦那様のお母様ですので、お義母様ですっ!初めましてっ!」
アルンの頭から手を放しその病んだ気をウェローネの方に向けるが、それを向けられた彼女はどこ吹く風とローブの端を摘まんで礼儀正しく優雅に挨拶をして見せた。
セムハニールの圧力から解放された男勢はそのままがくりと膝をついて震えて抱き合い、命があることを喜びあう。
だが、アルンはすぐに目の前で起こるであろう惨状を気にして青ざめた顔を引き攣らせたままだったが。
「誰が?」
「ウェローネがですっ!」
「誰の?」
「旦…アルン様のですっ!!」
「あんだって?」
「お嫁さんですっ!」
「コロスッッッッ!!」
「「「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」
一瞬にして膨れ上がった殺気と共に襲い掛かろうとするセムハニールをアルン、カンガ、ヘリアラの三人がかりで引き止める。
そんなずるずると三人を引き摺る姿を見ても怯むことのないウェローネもなかなかの胆力の持ち主である。
「さっきの父さんと同じような反応してるし!!」
「え、俺ぁこんなんだったかぁ!?」
「そうだよ!だからエリーニャに蹴飛ばされたんだろ!?」
夫婦そろっての天丼であった。
ちなみにマリアネッドはこの状況を楽しそうに眺めながらパイプを燻らせていたが、いざとなれば捕縛の魔法でセムハニールを止めるつもりで魔力を練っていた。
その後すぐに、興奮したセムハニールを落ち着かせるために憐れな生贄が差し出されたのは言うまでもなかった…。
その生贄の名前は当然の事ながら『アルン』であった。




