第三十二印~親子の愛は水入らず(N)
2019/08/31 やり直し版に差し替えました。
──ズ…ドンッ!!
「ぐっ…!!」
一撃一撃がとても重い。
そのくせとても速い。
身体強化の一つであるアルンの全身を守る防御結界も張り直すが、そのそばから割られ続けていた。
カンガの一撃を止めた時のように一気に結界を割られ切ることはないものの、確実に削られていく事にアルンは冷や汗を流さざるを得ない。
多分これでも手加減をされている。
初手に繰り出してきたラッシュ攻撃を初見でよく凌げたものだと思い返して自分を誉めたくなるし、対応できる技術を磨いてくれたヘリアラに心の中で感謝しきりだった。
「~♪」
対する相手…セムハニールは鼻歌交じりのご機嫌な様子である。
彼女は片腕が失われているというのに、蹴り技を中心とした積極的な体術で攻めてくる。
一息つく間に多種多様な攻撃が繰り出されてくるのでたまったものではない。
アルンが凌げば凌ぐほど彼女の機嫌が目に見えて良くなり、速さや威力が増しているのはきっと気のせいではないのだろう。気のせいだと思いたい。
こんなこと言っては不謹慎だと自分でも思っているが、片腕が失われていることのハンデがこれほどまでにありがたいと思うべきかどうかである。
かといって、それが本当にハンデになっているかどうかも怪しい。
五体満足の人型の相手とは違う動きに翻弄され、事実、防御が間に合わないのに速度の上がるラッシュ攻撃を捌ききれずに被弾回数が徐々に増えてきてしまっている。
その手数でもって押し込まれ、結界の薄い箇所へ振るわれた重い一撃の被弾で動けなくなるほどのダメージを負わないのは、セムハニールの絶妙な力加減によるものだろう。
一方、アルンの棒術による攻撃は回避され続け、有効打の一つも与える所かカウンターを誘発してしまう始末であった。
突けば叩き伏せられ、薙げば弾かれ、スタッフを魔力でコーティングして射程詐欺のような不意打ちをしてもその分だけ余裕で避けられる。
今も腹部への重たい蹴り攻撃を防いだ所で、追撃を恐れて防御を解かずに距離を取る。
アルンが予想をしていたような追撃は来ず、セムハニールはニコニコとした笑顔を崩さずにその場から動かない。
ひらひらと失われた片腕部分の袖が揺れていた。
(アカデミーでも何度か|オオカミ型の獣人≪ウェアウルフ≫とは相手したことあったけど…親だからってやりにくさ以上に、本気で強いっ!)
苦々しく思いながら薄く呼吸を整える。
できれば自己回復の魔法で感じる鈍い痛みを取り除きたい所だが、そんな隙を与えてくれるかどうか。
これまでも一見無防備な姿勢から、とんでもなく鋭い一撃が無拍子に飛んできていたのだ。
脚、拳、牙、その全てに警戒をしなければならないのは精神的にも疲労する。
ヘリアラを相手にしている時と比べてどちらがマシかと、ふと考える。
(精霊や魔法の攻撃がないだけ、えげつなさはないか…)
余裕はないはずなのだが、そんな事を考えてしまった自分に苦笑する。
あくまでもセムハニールは視界内を相手にしていれば良いが、ヘリアラとのアリアリのルールだと視界外から攻めてくるのだ。
「あら、余裕ねー?」
その声は自分のすぐ目の前から聞こえた。
同時にスタッフに魔力を通し、より強い防御結界を施した上で直感頼みで左側頭部に掲げる。
「いっ?!」
「おっ!今のを防ぐなんて、えらいえらい!」
その狙いは正しく、もしくは誘導されたのかブーツのつま先が防御結界に突き刺さる。
だがそれだけできっと終わらない。
全てを視界に写してからでは遅いのだ。
長期戦になればなるほど、後の魔力の揺り戻しがキツくなるのは自分自身がよくわかっている。
ならばここで一撃大きい攻撃をあてて、セムハニールを黙らせるしかない。
「このっ…!」
続く直感に従って、左側頭部に掲げていたスタッフを跳ね上げてセムハニールのバランスを崩し一歩踏み込んで──
───ズンッ!!
「…あぇ?」
鈍い音が頭上から響き、視界に大量の星が舞うと、ぐらりと、世界が、揺れた。
アルンは体全体から力が抜けて膝から崩れ落ちる。
何のことはない。
跳ね上げられた片足をすぐさま振り下ろし、アルンの頭上に踵が落ちたのだった。
セムハニールがバランスを崩したように見えたのは、ただの予備動作だったのだ。
「あのまま踏み込んで、内側から攻撃しようっていう狙いは悪くないのだけれど、ちゃんと相手の状態を確認しないとダメよ?それとも焦っちゃったのカナ?」
いまだ視界が揺れているアルンを片腕で微笑みながら抱き起こす。
「うぅ…いってぇ!」
「よしよし、ごめんね。お母さん、アルン君がこんなに成長しててつい嬉しくなっちゃって!」
「母さん…こんなに強かったんだなぁ…て、近い近い!」
記憶の中にある姿よりもずっと若い雰囲気を持つ母親に柔らかな胸を押し付けられ、顔を真っ赤にしながら突き放そうとするものの、思いのほか強い力で抱きしめられた挙句頬ずりまでされてなすがままである。
アカデミーにいたオオカミ型獣人も感極まるとこういう反応をしてきたので、オオカミ型獣人特有のスキンシップ…と思いたい。
カンガがそれを目を細めて微笑ましそうな視線を向けながら、ティーカップから紅茶を啜っているのできっと間違いないだろう。
というか、二足歩行のオオカミ男がティーカップを片手にしているその姿は我々の目にはユーモラスに映るかもしれないが、この世界では当たり前の光景である。
「あの病弱もやしっ子だったアルンが、よくここまで育ったもんだ…。なぁ先生さん?」
組み立て式のテーブルを挟んで同じように紅茶を口にしていたマリアネッドに向かって、カンガは心底嬉しそうに声をかけた。
「まだまだ詰めの甘さは抜けんがね」
「そうですね。相手の方が攻め手が速く、判断に余裕が持てない状況から直感頼みの動きでしたが、あの捌き方ではカウンターからのカウンターをもらって当然でしょう。これはまた少しアルンさんを鍛え直すしかありませんね。山籠もりを行うのも良いかもしれませんね」
「ひっ!?い、嫌だ!!ヘリアラさんとまた山に籠もるのは…うお!?」
離れたところで声を上げたアルンが再びセムハニールに押し倒されて頬ずり続行されていた。
尻尾をぶんぶんと千切れんばかりに振り回してはいるが、顔を舐め回していないのでかろうじてセーフだ。
いや何がセーフなのかはわからないが。
「何それ面白そう!お母さんも混ぜて混ぜて!!」
「ふむ。その方が有意義な訓練になりそうですね」
にやりとヘリアラが浮かべる笑みは邪悪だった。
「か、勘弁してくれ!」
「えー?いいじゃなぁい?今までずっと離れて暮らしていたんだから。親子の触れ合いって大切でしょう?」
上目遣いに見つめつつ甘えるように全身を擦り付けてくるセムハニール。
胸を押し付けられる事に加えて美人ではあるが自分の母親という事実に、顔を引き攣らせつつその肩を掴んで引き離そうとするアルンに影が覆う。
「さて…次は俺の番だな、我が息子よ」
「と、父さんまで!?ちょっとまだ休憩を…」
そこはかとなく感じるプレッシャーに緊張が走る。
先ほど娘に蹴り飛ばされて水没した人物とはとても同じには見えない。
そっとアルンの上から降り、服の乱れを正すセムハニール。
ヘリアラは動くことなく、マリアネッドは片肘をついて彼らを眺めていた。
もっともマリアネッドは『なんか浮気現場を見つかった間男みたいな構図だな』みたいな感想を抱いていたが。
カンガのその動きは、様々な戦闘スタイルに慣れきったヘリアラの目を持ってしても追いつくことは至難の技であった。
アルンは咄嗟の結界も張ることができず…
「どうだぁ!アルン高いだろぉぉぉ!!」
…肩車をされていた。
「え、お、うおわ!?」
唐突に視点が高くなったことに戸惑いの上、この歳で親に肩車をされるという羞恥がアルンを襲う。
「ちょ、父さん?!流石にこれは恥ずかしい!!」
肩を叩いて催促するも、カンガは上機嫌のまま『はっはっはっはっ!』と笑い続けて肩車を止めようとしない。
それどころかセムハニールも止めようとせず、ニコニコと朗らかな笑みを浮かべている。
だがその笑い声もゆっくりと収まり、表情は見えないが彼の耳がぺたりと伏せた。
「子供の頃のお前はよ、俺が触ると壊れちまうようでなぁ。…俺ぁな、夢だったんだ」
「ゆ、夢?急になんだよ」
「息子をこうやって肩に乗っけて、狭いながらも広い世界ってやつを教えてやりたかったんだがなぁ!」
「…父さん」
「でも不器用な俺には、俺達にはよぉ、お前を拾ってきたものの、体が生まれつき弱かったお前が生きるための最低限の世話しかしてやれなかった。それに…」
撫でつける風にふと顔を上げるとサンジュッカ湖の湖面がキラキラと輝いているのが目に入った。
もし、幼少の頃の自分が普通の子供の様に健康体だったり、彼らとの間に生まれた獣人の子供だったら、もっと早くにこの光景を見られたのだろうか。
そして、元冒険者という父の話を聞いてその冒険に想いを馳せていたのだろうか。
そんな在り得なかった過去に少しだけ胸が締め付けられる気がした。
「それに一番大切な時にアルン君を守り切れない所だった。あの時はマリアネッド先生達のおかげで難を逃れたけれど…アルン君が傷ついていたことも、お母さん達気づいていたの。でも、何て言ったらいいかわからなくて…」
「お前がすすんでこっちに帰って来ようとしなかった事も、先生さんに聞いている。お前を責めるつもりもないし、許してくれとはいえねぇよ」
カンガは身を屈めてアルンを肩から降ろすと、セムハニールともどもアルンの体を強く抱きしめる。
僅かだが覚えているゴワついた父の体毛と、母の柔らかい尻尾の感触にアルンは感じていた。
「だがな、俺達は一度だってお前の事を忘れたことはねぇよ。お前は俺らの息子だってことをなぁ。これだけは信じて欲しいんだぜ」
「信じるも何も…」
抱き返そうとする手は一瞬止まるが、ゆっくりとカンガとセムハニールの二人を強く抱き返した。
二人は一瞬嬉しそうに表情を浮かべて視線を合わせると、互いの体を摺り寄せる。
「俺だって、別に父さんや母さん、エリーの事を赤の他人だなんて思ったことはないよ。ただ…」
「「ただ?」」
「獣人じゃなくて、ただの体の弱かった人間の子供の俺がさ。俺の方こそ、父さんや母さん達を負担になってるんじゃないかって思うとさ…」
アルンの手が僅かに震えている事に気づくと、二人は優しく微笑み、彼の手に自分たちの手をどちらからともなく重ねた。
「そんな事ない。そんな事ないから」
「ああ、そうだともさ。お前はいつでも、この家に帰ってきていいんだからな?」
「父さん、母さん…ありがとう。どんな顔してここに来ればいいのかわからなかった…でも改めて、ただいま…」
「おかえりなさい、アルン君」
「おかえりだ、我が息子よ」
「あー…なんだ、その、いい最終回だった」
マリアネッドはそう言うと机に片肘ついたまま茶を啜りながらそう評した。
「まぁまぁ」とヘリアラは窘めつつ、お代わりを要求されたカップに新しく茶を注ぐ。
「オオカミ型獣人は家族の情が深い事で有名ですからね。何にしろ、マリアネッド様が懸念されていたことの一つが解消されて良かったではないですか」
そう言われて、マリアネッドは「げほんっ」とわざとらしい咳ばらいをして目を背けた。
「べ、別に私は心配なぞしておらんさ」
頬杖をして再びカップに口をつける彼女の表情には小さな笑みを浮かべ、ヘリアラはそれを見て微笑んでいた。
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