第二十九印~ロムレッド家の人々(N)
2019/08/08 やり直し版に差し替えました。
「さぁさぁ!着きましたよ、アルン兄さん!」
そう言ってアルンに寄り添って腕に絡みついていたエリーニャは足取りも軽く離れると、その湖畔に立つ木造の家の前で両手を大きく広げて顔の一部を覆っている包帯の痛々しさも忘れるような満面の笑みを浮かべた。
「あ、ああ…」
アルンのかすかな記憶に残っている、間違うことなきアルンの実家であった。
周辺に変化はあるものの、もうずっと何年も前にマリアネッドに連れられて村を出る時に振り返ったあの家そのままだ。
あの時は暗い気持ちのままこの家に、そしてこの村に背を向けたものだった…が。
(それにしても落ち着かない…)
遠巻きながら村中の男女を問わずに若者たちから、エリーニャに寄り添われる自分に視線を向けられているのを感じていた。
好奇心から来る視線が大体六割、明らかに嫉妬を含んだ暗い視線が四割といった所だろうか。
ただ、寒気を感じるような物は先ほど一瞬以外にはなかったが。
ちなみにマリアネッドとヘリアラ、ルィリエンの三人は当初の予定通りに分校へ向かい、ターシャとウェローネはスレイオルと馬車を預ける為に村に一件だけある宿に向かっている。
後者は珍しいコンビの振り分けのように思えるが、エリーニャがアルンの父と母は今家にいる時間だということで流石のウェローネも親子水入らずの対面を邪魔をしたくないと馬車の方に残ったようだ。
ターシャの監視を兼ねているかもしれないが。
「ふふっ、みんな兄さんに注目してますね!」
「いやー…多分そういう事じゃないと思うんだけど」
再びエリーニャがアルンに腕を絡ませると、あちこちから何かがへし折れたり、壊れたり、破れたりする音が聞こえてきて、アルンも引き攣った笑みを浮かべざるを得ない。
なんかつい最近似たようなことがどっかであった気もした。
「どういう事ですか?」
「あーうん、エリーニャは村で人気者なんだなって」
「もぉ兄さんったら!お世辞を言ってもダメですよ!」
耳をパタパタと動かして、千切れんばかりに勢いよく振りまくるエリーニャの尻尾がバッシバッシとアルンに当たる。
ちょっと痛い。
「あっ、でもー…もし人気者だったとしてですよ?色んな男の子から告白されてるとしたら兄さんはどうします?どう思いますか!?」
「そう言われてもなぁ。俺は…」
一応の兄に何を期待しているのかいまいちピンと来なかったアルンは『どうも思わないよ』と言いかけたが、その前にバタン!と思いきり実家の入り口が蹴り開けられた。
「人ン家の前でウルセーぞ!どこの馬鹿が騒いでやがんだ!」
大きな声をあげながら、ヌッと大柄な全身が茶色の体毛に覆われた狼型の大柄な獣人が姿を現した。
割合が狼が七割、人が三割の服を着た二足歩行の狼という見た目である。
「なんだなんだ?おめーら!俺の家に何か用…ん?」
大声をあげる獣人の男に周囲の集まっていた村人たちが蜘蛛の子の散らすように去ったあと、その視線は目の前にいたアルンとエリーニャへと向けられる。
が、二人の姿を見た獣人の男が何か言う前に頬を膨らませたエリーニャがズンズンと獣人の男の前に進み出てその鼻先に指先を突き付ける。
獣人の男の濡れた鼻先がエリーニャの指に押されてぷにっと歪んだ。
「もう!父さん!入り口は乱暴に開けたらダメっていつも言ってるでしょ!」
「いやすまんすまん、つい…」
「つい、じゃないよまったくもー…」
「…」
口調とは裏腹に上機嫌そうなエリーニャと、娘に強く言われて後頭部をボリボリと掻いて気まずそうに視線を泳がせる獣人の男。
アルンは何度か口を開こうとするも…何も言えなかった。
なんでもよかった。
一言でも挨拶が出れば。
『ただいま』でも『父さん』でも。
でも、それが咄嗟に出なかった。
アルンが躊躇しているうちにエリーニャが自分の隣に戻ってくると、再び彼の腕に自分の腕を絡ませて寄り添ってきた。
「えっ、おま…!?」
その様子に獣人の男は驚愕的に目を見開き、何かを言いかけた顎も地につかんばかりにガクンと開き、更に視線が動いてエリーニャの上機嫌な表情を見た。
隣で口を開こうとしたまま固まったアルンの様子を見てエリーニャは少しだけ顔を曇らせると小さく咳ばらいをして耳元で囁いた。
「ほら、大丈夫ですよ」
当然その囁きも獣人の男に届いており、狼型の獣の耳がピクピクと動いていた。
「あ、ああ…うん…」
その言葉にアルンは我に帰ると、気を取り直すように小さく息を吐いてから頷いた。
「父さん、た…」
「義父さんだぁ?」
牙をむき出しにして不機嫌さを隠さずにアルンを見下ろす獣人の男…カンガ=ロムレッド。
そう、改めて紹介すると我らが主人公アルン=ロムレッドの父親である。
だというのに、明らかに言葉のニュアンスが何か勘違いをしている。
肩にその手を力強くおいて、顔を近づけてくる。
「おい坊主、こいつは一体どういう了見だ?ああ?」
「ちょ、ちょっと父さん!?」
「エリーは黙ってろぃ!」
強引に二人の腕をはがすと、エリーニャを自分の背後に隠すように体を割り込ませて爪を肩に食い込ませてくる。
「いつっ…!」
家族に会いに来ただけのアルンは身体防御の結界を張っているはずもなく、ギリギリと食い込む爪にアルンは眉を顰めた。
「父さん止めて!痛がってる!!」
「おめーみたいな人のツラ見てビビって固まるような坊主が、俺の世界一可愛い娘に手ェ出そうなんざなぁ…考えただけでもぶち殺したくなるんだがぁ?」
圧倒的な威圧感に一度散った村人達も『あ、死んだな』と、絡まれている少年に対して遠くから憐みの視線を向ける。
また一部の村の男達は『ざっまぁぁぁぁ!!』と指をさし大草原を醸し出して笑っていた。
「手を出すって、そんな事するわけ…」
「あんだとぉ!?俺のエリーが可愛くねぇーってのか!ああ!?」
「っ!?」
人の話を聞かない理不尽な拳がドンッ!という重い音がアルンの腹部に打ち込まれ空気を震わせる。
獣人の力は普通の人間に比べてかなり強く、何の準備も無く喰らえばタダじゃすまない。
逃げようのない状態で腹部に拳を鋭く打ち込まれては人間のアルンでは撃沈必至、媒体によっては虹色の何かを地面に巻き散らかして倒れこむ…ハズだった。
「に、兄さん!!」
悲痛なエリーニャの声が周囲に響き、思わず隠れ見ていた村人たちも目を覆い、ボコられることを期待してニヤニヤと笑みを浮かべていた者たちも唖然とした表情を浮かべる中、そこには崩れ落ちることなくそこに立ち続けているアルンの姿があった。
足元をフラつかせることもなく、苦い笑いを浮かべながらしっかりと自分の足で立っている。
「!?おめー…」
「さ、流石に重い一撃だったよ父さん。咄嗟に張った物って言っても、防御結界を八割方割られるし、衝撃を全部逃がしきれなかった…」
「お、おいおい…まさか、防いだのか!?今の!?」
つかんでいた手を放して、驚いた顔のままアルンから離れるカンガ。
殴った自分の手を握ったり開いたりしながら、その手とアルンを見比べる。
うっすらと目を開けたギャラリーも何か異常な事態が起こっていると判断してザワつきはじめた。
だが、話の展開はそこで終わらない。
「…父さん…父さんなんてぇ!!」
カンガが離れたことにより出来た隙間にエリーニャがズサリと体を滑り込ませ…
パァン!!
彼女の拳が空気を弾くような乾いた音を立てて、カンガの顎を綺麗に振りぬいた。
「あがぁぁっ!?」
脳を揺さぶられ白目を剥きつつガクガクと膝を震わせて崩れ落ちるその顔を、今度は脚線美がしっかりと捉える。
残念ながらホットパンツ着用なので、どんなに脚を動かしてもパンチラはない。
太ももは丸出しだが。
だが、問題はそこじゃない。
「大っっっ嫌いっっっっっ!!」
「おごっっっ!?」
湖まで錐揉み回転で吹き飛ばされたカンガは盛大に水しぶきをあげて、親指を立てることなく湖に沈んだのでいったのであった。
『わー!?カンガさぁん?!』『いいのが顎に入った!あれ絶対目ェ回してる!』『引き上げてねぇとヤベェぞ!』とギャラリーが大慌てで湖に駆け寄るのを横に、エリーニャと同じように人間成分八割、狼成分二割のケモミミなスタイルのよい女性がアルン達に近づいてきた。
女性の髪や尻尾は白髪ではあるが老いた様子はなく、エリーニャの隣に並んで立つ姿はまるで姉妹のように見える。
そして、二人並んで立たたれるとたわわに実った大きな四つの果実に迫力に思わず圧倒されてしまうだろう。
「あーあ…本人が一番騒がしくてどうするのかしら、ね?」
「か、母さん!?」
驚くエリーニャをよそに、くすっと小さく小首を傾げて微笑みながら近づいてきた女性をアルンはおぼろげながら覚えている。
セムハニール=ロムレッド。
アルンとエリーニャの母親であり、カンガの妻である白狼型の獣人である。
長身で均整のとれたスタイル良さと胸の大きさも目をひくが、それに加えて自身の親だと言うのに控えめに言っても美人だった。
「おかえりなさい、アルン君。流石男の子、大きくなったね。お母さん、あっさり身長を追い抜かれちゃったわね」
「…母さん。うん。ただいま」
照れくさそうにはにかむ笑顔を浮かべる息子に軽い足取りで近寄ると、セムハニールは左の腕を伸ばして、カンガのせいで乱れたアルンの上着の襟を目を細めて正してあげる。
アルンの愛用しているジャケットを送ってくれたのは他ならぬカンガとセムハニールなのだから、今彼がこれを着て自分の前にいる事が嬉しくてたまらなかった。
「プレゼントした上着、丁度良いサイズになったみたいね」
襟を正した手でそのまま頬を撫でると、アルンが思っていたよりも強い力で抱き寄せられた。
「本当にしっかり大きく逞しくなって…お母さん、嬉しいわ」
「え、えっと…母さん?」
「ふふ…なぁに?」
「いや、その…」
「あら?恥ずかしい?…そうよね、アルン君もお年頃だものね」
「そ、そうじゃなくて、さ」
家族の再会に喜びをためらう必要もないのだが、村を離れて都市部で育ったアルンにはやはり少々照れくさい気持ちでいっぱいだった。
戸惑うアルンの表情にクスクスといたずらっ子のように笑いながら尻尾を振る母親。
その後ろではエリーニャが『母さん、いいなー』と指を咥えていた。
さらに離れた所ではカンガがやっと引き上げられ、腹を押されて口から噴水のように水を噴き出していた。
そっちはどうでもいいだろう。
アルンが意を決して、母親を抱き返そうと腕を背中に回している最中にその違和感に、ふと、気づく。
「…えっ?」
抱き締めるにはバランスが悪く、何かが足りない感覚。
その部分に目線を下して、先ほどから僅かに感じていていた分と合わせてその違和感の正体がわかった。
「ん?どうかしたかしら?お母さんを抱きしめてくれないの?思い切り抱きしめてもいいのよ?」
セムハニールは笑顔を崩さない。
はやくはやくと抱擁の続きを強請るように、白い尻尾を振って甘えるようにアルンにしなだれかかる。
この白狼獣人、重ねて言うがアルンの母親である。
「母さんズルい!もういいでしょぉ!」
後ろで目と耳と尻尾を吊り上げてる茶狼獣人は妹である。
この人達、家族です。
旦那であり父であるカンガの口から川魚が一匹飛び出てきているのを放っているけども家族です。
「いや、あの…」
家族三人がそんな状況ではあるが、当のアルンは真剣な表情で本来あるべき物がなく、力なく垂れているそれを手に取った。
それに気づいたセムハニールは『あっ』と小さく声をあげる。
エリーニャも気まずそうに目をそらす。
「母さん…右腕が…」
困ったような笑顔を浮かべるセムハニールの顔の前に、アルンが手にとって見せたそれは…右の肩部分から力なく垂れさがっている中身のない袖だった…。




