第二十八印~再会の第一村人(N)
2019/07/26 やり直し版に差し替えました。
「んー…んんー…はぁ…」
アルンの表情は村に近づくにつれ、ますます硬くなってきた。
今にも眉が太くなり、後ろに立つと殺されそうな劇画タッチな勢いがある。
村に目を向けたまま口を真一文字に結び、時折唸りつつ、溜息を吐く…そのサイクルが確実に増えていた。
「旦那様っ…」
膝の上に陣取って降りようとしないウェローネの甲斐甲斐しいウェローネの世話も続いているが、やはりアルンの表情はどこか浮かないままだ。
これでもターシャが村の様子を報告してくれた事でいくらかは気が楽になってはいるのである。
それが逆に良かったんだか、悪かったんだか、これがよくわからない。
そんな二人を見ていたルィリエンは、相変わらず二人の関係性がよくわからないままだった。
やっぱり気になるので誰かに聞こうとするのだが、自分の事が嫌いと公言しているターシャはアルンとウェローネにちょっかいをかけつつも決して自分と目を合わせようとはしないし、マリアネッドは先ほどの灰色の魔石を片手にブツブツと独り言を繰り返している。
片隅で切れてしまったリュートの弦を張りなおしているヘリアラも集中しているようなので、やはり声はかけづらい。
しかし、アカデミーでは優秀な生徒の一人として常に誰かから気を使われていた自分が、まったく特別視されていないこの状況に何故か胸が嬉しく感じていた。
彼女の名誉の為に言っておくが、我々の世界のRPGでいう盾職であっても、彼女は別にドMとかそういうわけではない。ないのだ。
とはいえ、あんな凄惨な事があったばかりだというのにそんなノリで良いのかと思う諸兄姉もいると思うが、彼女自身も決して忘れているわけではなくそれ以上に思う所や感情があるのだろう。
そう思ってあげて欲しい。
「…あれ…?」
アルン達の背中を見ていたルィリエンだが、ふとしたタイミングで視線を村の入り口に向けると小さく動く人影が見えた。
「…手を振っていますねっ」
ルィリエンの声に気づいたウェローネも村の入り口に目を向けた。
目視で発見し、遠眼鏡で確認を終わっていたターシャはそれに気づいた二人を驚きを含んだ表情で見やる。
「へぇ…あんた達もよく見えたわね」
「こう見えてもウェローネは目が良いんですっ!」
「…ボクも…」
ローブに隠れていようがいまいが残念ながら平らな胸を張る幼女と、自分の存在も含まれた言い方に嬉しそうな表情を浮かべるメイドの恰好をした女騎士。
ターシャは自分が嫌いな相手にも賞賛の言葉が思わず漏れてしまった事に嫌そうな顔をして舌打しながら、再度遠眼鏡で村の方面を見る。
「そういう事なら、こっちに気づいてるあちらさんも相当目が良いって事かね。やっぱ森育ちだからか?緑は目に良いって言うし」
「…う、ううん…ボクは…別に森育ちではないけど…」
冗談交じりに言うアルンに対して、律儀にルィリエンは口を挟む。
彼女は真面目な性格なので仕方がない。
そんな様子にアルンは苦笑交じりに『冗談だよ』肩を竦めた。
「おいターシャ、そいつはもしかして獣人じゃないかね?」
灰色の魔石の鑑定にある程度の見切りをつけたマリアネッドがアルンに後ろから覆いかぶさるように抱きついて彼の頭に顎を置いて顔を出す。
「んー?そうだね、耳は犬系で、ふっさり型の長尻尾振ってるし。狼型の獣人かしら」
それを聞いて彼女は『ふむ』と前髪を弄る。
「ならば…いや、ここは黙っておくか」
「ああー。確かにそれでしたら、そうですね」
「なんだよ。知り合いか?」
そんなマリアネッドの意図に気づいたヘリアラはクスッと小さく耳を小さく跳ね上げながら微笑み、マリアネッドとヘリアラの反応に何か思い当たる節があるのか『ああ、そっか』と一人でターシャは納得顔を浮かべた。
「ターシャまで…いっひゃいひゃんひゃんはよ」
理由が分からず片眉をあげて怪訝な表情を浮かべるアルンの頬をマリアネッドがむにむに引っ張るおかげで、途中から何を言ってるのかさっぱりであった。
「いいから早く行くぞ。まだ日は高いが今日は村で一晩過ごして、明日からは馬車を置いて森に入る予定だからな。各自準備は怠るな」
「ふぁいひょ」
「はいっ!」
「はーい」
「承知しました」
「村に到着した後はヘリアラとルィリエンは私に着いてこい。ルィリエンには分校でアーキッシュと連絡を取ってもらう。それに村周辺の魔物に関して話を聞いて来なくてはな。それから…」
引っ張っていたアルンの頬から指を離すと、両の肩に手を置いて耳元に唇を寄せる。
とはいえ、マリアネッドの見た目が見た目なので別に色っぽさの欠片もなかった所が悲しいかな。
「お前のやる事は、わかっているな?こっちに余計な気を回さなくてもいいのだ。素直に会って来い、喧嘩別れをしたわけじゃあるまいし」
「…ああ」
アルンは渋い表情を浮かべるが師匠に言われた手前、鼻の頭を掻きつつこくりと小さく頷かざるを得なかった。
そんなアルンの手綱を握る手に小さく柔らかい少しひんやりした手が当てられると、彼は自分の膝に座っているウェローネに目を向ける。
余計なことを言わず彼女の柔らかな微笑みを向けて、少しだけアルンは自分の気持ちが落ち着くのを感じていた。
「ちょ、ちょっと何いい感じになってんのよ!?マリアネッド先生!あたしは!?あたしはどうしたらいいの!?てかアルンの義父と義母にご挨拶行きたいんだけど!!」
「な、なんか変なニュアンス混じってないか?」
「変なって何よ!大事な事なのに!」
残念ながら幼馴染の方はウェローネとは真逆にいつも通りの騒がしさというか、かなりの必死さを見せる姿にアルンは苦笑を浮かべつつも、自身の中にあった緊張が解れるのを感じて心の中でそっと感謝した。
そんな感じで村での段取りが決まる頃に一行は村の入り口に到着したのであったが、そこにはターシャ達が目にしていた狼型の獣人の少女が満面の笑みを浮かべて出迎えたのであった…。
◇◇◇◇◇
ムリエの村…名前のない大森林(『大森林』というのがもはや通称ではある)の中にある大きな湖『サンジュッカ湖』とカム山に挟まれた開拓村だった。
だったと言うのは、年月が過ぎもはや開拓村とは言えない規模と安定感を手に入れたからである。
かつてはカム山に眠る鉱石を求める炭鉱夫達の拠点にする為ともいわれていたが、サリオリム側からは良質の鉱石類が取れずに断念したという経緯もあったりする。
ならばせめてカム山に挑む冒険者達の足掛かりにもなればと言う話もあったのだが、ほぼ切り立った崖のような斜面が広がり、ようやく進める道を見つけても大した魔物もいない狩る獲物も見当たらない、貴重な薬草が生えているわけでもない、とないない尽くしで『それだったら大森林でいいよね?こんな所までくる必要ないし』という結論になり、冒険者ギルドの支店も置かれず辺鄙な片田舎という枠で収まってしまったのだった。
苦し紛れというなかれ、良く言えば…良く言えば…風光明媚とでも、言えばいいのだろうか…。
何もないがそこにある。
都市部の生活に疲れた人間がそれを求めて、別荘地のような感覚で訪れる事もある程度だ。
そんなアルンの故郷であるムリエの村の入り口で対面した狼型の獣人の少女は木の実や薬草でも採取してきたのかそれらを満載にした籠を片手に持っていた。
少女は空いた手と尻尾をぶんぶんと元気よく振っていたが、その顔には片目を覆うように包帯が巻かれている事に一行は気づいて驚きと困惑の表情を浮かべた。
「馬車に見覚えがあると思ったんです!やっぱりマリアネッド様でしたか!」
「うむ。元気そうだなエリーニャ…と言いたい所だが、その顔は一体どうした?」
必要な手荷物をヘリアラに任せて先に馬車から飛び降りたマリアネッドは、少女をエリーニャと呼び、彼女に近づくと顔を覗き込む。
「あ、あはは…昨日ちょっとドジっちゃって、怪我をしてしまいまして。大した怪我じゃないんですけども父がもう大騒ぎで!」
我々の世界の若い世代(主に中学生の間)で一時的に流行するような例の病を彷彿とさせるが、そうではなかったようだ。
鼻の頭を掻きつつ苦笑するエリーニャは怪我のインパクトの割には口調も元気そのもののようで、むしろその仕草はアルン以外に見覚えのある誰かを彷彿とさせた。
ちなみにエリーニャの獣人割合度は人間8獣2といわゆる、オオカミ耳、オオカミ尻尾の生えた人間という見た目と思っていただきたい。
そして元になる獣人にもよる所が大きいが狼型の獣人は何せスタイルが良い事に定評がある。
ちなみに複乳ではない。繰り返す、複乳ではない。
そして複乳ではない分大きい。
エリーニャはタンクトップの上からレザー製のジャケットに胸当て、脚周りを生かす為かショートパンツに黒いオーバーニーソックスに編み上げブーツという出で立ちだ。
護身用なのか採取用なのか腰には厚手のナイフを差しており武装というには頼りなさげに見えるが、いざとなれば獣人としての身体能力を生かして切り抜けるのだろう。
少し日に焼けた肌の少女から健康的な色気と口を開いたときにチラリと小さく見える八重歯ではなく牙でありそこに活発さを感じるだけに、やはり彼女の片目に巻かれた包帯は異様に感じたアルンであった。
「父親にとって娘は大事な宝そのものだからな。大したことが無いなら良いのだが嫁入り前の大事な年頃の体なのだから、しっかり治療しておくようにな。治療といえば丁度…」
「お気遣い、ありがとうございますマリアネッド様。それで、あの…」
アルンが少女に向けられた視線に気づいて御者台の上から軽く会釈をすると、彼女は満面の笑みを浮かべて会釈を返してくれた。
そんなエリーニャの姿を眺めて、思い出せそうで思い出せない魚の小骨が刺さったような気持ちの悪いかすかな既視感に後頭部をガリガリ掻いた。
「やっぱりそうだったんだ!」
隣に座っていたターシャが両手をポンと叩いて、アルンの隣から飛び降りると獣人の少女を力強く抱きしめた。
…ターシャの方が圧倒的に背が低いので、エリーニャの豊満な胸に顔をうずめる形になってはいたが。
というか胸と胸が重なりあってそれはなかなか見ごたえのあるの光景だったのだが…。
「旦那様っ!」
「いでぇっ!?」
むくれたウェローネに腕を抓られて悲鳴をあげるアルンの後ろで、ルィリエンが自分の胸部分をペタペタと触って盛大にため息を吐いていた。
必要な手荷物を持って馬車から降りようとするヘリアラも心なしか表情が硬い。
持つ者と持たざる者の隔たりがそこにはあった。
「エリーちゃんだ!アルンの妹のエリーニャちゃん!」
「あ、そ、そうですけど。あなたは?」
「パパが…えーっと、タイエグってわかる?カンガおじさんの友達なんだけどさ、その娘のターシャだよ。昔一緒に遊んだんだけどね!」
「え、えっと、ごめんなさい。ちょっと思い出せないです…」
「そ、そうだよねぇ!もうだいぶ昔の話だし覚えてなくても仕方ないよね!」
申し訳なさそうに耳と尻尾を垂れさせる様子にターシャは安心させるようにウインクして笑って見せる。
自分だって思い出すのに少し時間がかかったのだからしょうがないという気持ちがあった。
「本当にごめんなさい。でも、兄の事を知っているんですね」
「知ってるも何も、ほら、アルンはそこにいるしさ!」
その一言にエリーニャの耳と尻尾はピンと立ち、迷うことなく御者台にいるアルンの方へ目が向けられる。
「お…?」
機嫌を損ねて頬を膨らませていたウェローネの頬をつついて遊んでいたアルンは、唐突に名前を呼ばれた気がして若干間抜けな声をあげた。
その目がエリーニャの片目と合…
…ゾクッ
「ッ!?」
その冷たい氷を背中に放り込まれたような感覚はアルンは数日ぶりに忘れていた寒気を思い出させるのに十分だった。
反射的に背後を振り向くも…
「…な…なぁに…?」
目が合ったのは唐突な振り向きに驚いた表情を見せるルィリエンだった。
そこにはアルンの感じた寒気のようなものはどこにもない。
その場にいる全員が不思議そうな表情を浮かべて自分を見ていることに気づいて、アルンは『なんでもない』と慌てて両手を振った。
本人はできるだけ笑顔を取り繕ったつもりだが、顔が引きつりどこかしら怯えが見えた。
「…た、多分、緊張してるだけだと思う」
そう言い繕うアルンの態度に先程までの様子を知っている面々は、優しく励ます様な笑みを浮かべる。
一方、それを知らないエリーニャは心配そうに御者台のアルンを見上げる。
気を利かせてか、ウェローネは何も言わずにアルンの膝の上から離れて馬車の荷台に移った。
「アルン兄さん、何も緊張しなくていいんですよ?だってここは、アルン兄さんの生まれ故郷なんだから!」
片目を隠すように巻かれた包帯から痛々しさを感じるも、同時に両手を胸の前で祈るように組んで懸命に微笑む様子に健気さをアルンは感じざるを得ない。
「あ、ありがとう。その…」
アルンは照れくさそうに鼻の頭を掻きつつ、もう一度ゆっくりとエリーニャの姿を見てアルンはできるだけゆっくりと息を吐いた。
一拍の深呼吸の後…再度口を開く。
「…ただいま」
「はい、おかえりなさい。アルン兄さん」
エリーニャのその一言に、ようやっとアルンは安堵の笑顔を見せたのであった。
そんな兄妹の微笑ましい再会を『彼女』は見ていた。
…しっかりと。




