第二十七印~故郷へと至る道(N)
2019/07/24 やり直し版に差し替えました。
それに伴いサブタイトルも変更。
初夏の森の中に伸びる道を一台の馬車が進んで行く。
邪魔するものは何もなく、スレイオルの蹄の音も軽快に実に気持ちの良い速度なのだが…その幌のついた荷台の中は、お世辞にも外の空気のように明るいとはとても言い難いものであった。
そんな空気を紛らわせるためか、ヘリアラがリュートで明るい曲をチョイスして奏でているもののそれでも雰囲気は若干暗い。
ルィリエンにより語られた、彼女の所属していたパーティーの顛末。
周辺には異常もなく、むしろ気持ちよさすら感じているというのに、彼女の語った正体不明の『黒い風』が彼女を追ってすぐそばにいるのではないか、唐突に遭遇するのではないか、そう思うと緊張してしまうものだ。
ついでと言えば、この道の先にはアルンの故郷であるムリエの村がある。
もし到着した所で『黒い風』により村が全滅しているかもしれないと考えると、御者台に座り手綱を握るアルンの手にも自然と力が入ってしまうのも無理はなかった。
「どうぞ、旦那様っ」
「ん?ああ、ありがとう」
そんなアルンの様子を気遣ってか、彼の隣に座っていたウェローネは果物を食べさせたり、水を差し出したり、額に浮かんだ汗を拭いてあげたりと甲斐甲斐しくもアルンの世話を焼いているのであった。
(…旦那様?…あんなに小さい子が…?…奴隷…?…だとしたら、導師マリアネッドの?でも、彼の事を…)
今朝から同行に加わったその人物…ルィリエンはそんな二人の様子が気になっていた。
乗り込んでいた当初は所在なさげに視線を彷徨わせたり、重く落ち込んだ表情を見せたりしていたが、気持ちに余裕ができ始めると時折御者台から聞こえてくる『旦那様』という単語が気になってくる。
更にそんな様子を横目で見つつニヤニヤとしているのがマリアネッドではあるが、ツッコミなど無粋な真似はしなかった。
ルィリエンもムリエの村まで連れて行くと最終的に決めたのはマリアネッドだった。
決して面白い事になりそうだと思ったからではない。
ルィリエン達のパーティーが全滅して作戦が失敗したという旨をエゾットにいるアーキッシュに伝えなければならないが、中継地点からは一日程度歩く事になる。
いくら道中に魔物や盗賊が出てくる頻度が少なくなっているとは言え、決して襲撃が無いとも言い切れない。
流石にロクな装備を持たせずに出発させるのは、彼女のアカデミーにおける優秀な成績を知っていたとしてもマリアネッドには出来なかった。
それに例の『黒い風』がルィリエンを追ってきていないとも限らない為、尚の事一人で行動させるわけにはいかないだろう。
そしてマリアネッド達一行も目的に関しての期間が限られている為、エゾットに引き返して送り届けるというのも少し難しい話であった。。
そこで思いついたのが、どんなに小さな町や村にも冒険者ギルドが設置した通信用の魔導具の存在だ。
各町や村の冒険者ギルド、もしくは代表者の家には近場の魔導具同士で通信が出来るのである。
ムリエに冒険者ギルドはないが、その代わりアカデミーに委託されて個人塾のような物ではあるが分校を開いて子供たちに勉学を教えている人物がいるので、そこからエゾットへ通信を飛ばしてアカデミーから派遣されている騎士アーキッシュに取り次いでもらおうという判断だ。
万が一、アーキッシュがエゾットから離れていたとしても村長宅よりアカデミーの方へ連絡がいけばそれはそれで問題はない。
そういう事情も踏まえてルィリエンを同行させることにしたのである。
それに彼女は責任感の強い娘だ。
パーティーメンバー達の生死の最終的な確認と埋葬、彼らの形見をアカデミーに届ける必要があるだろう。
本来これは身内の元に届けるのだが、まだアカデミー所属の生徒の間は直接的なトラブルを避けるために間にアカデミーが入ることになっている。
そして、生きる屍と化していた場合の処理。
それらは全て生き残った者の責務とも言える。
最後に、彼女が腰に差している白銀のロングソードと対となる白銀の大盾の回収も行う必要があるだろう。
アルンの記憶では代々彼女の家に伝わる家宝のような物だと覚えている。
この広い森の中で落とした盾が見つかるのかどうかは難しい話かもしれないが、逃走を決めた時にキャンプに放棄してきたとの事だった。
ならば魔物の数が極端に減少している現在では、その場所に行けば持ち去られていない確率が非常に高い。
余談ではあるが、家宝のように大事な物といえどそれを放棄して逃走に徹した事をヘリアラは高く評価していた。
「…-い…!」
僅かに聞こえた声に遠くを見れば小さな影が手を振っているのが見えた。
「思ったより早かったじゃない!」
森の中を先行して様子を見てきたターシャだ。
「昨日と同じ、何もなけりゃあな」
馬車が停まるとアルンの手を借りて、身軽に荷台に乗り込んでくる。
アルンに程近い適当な場所に腰を下ろすと、その顔に水が注がれた木の杯が突き出された。
いつもであればその辺りはヘリアラの役目なのだろうが、彼女はにこりと笑顔を向けただけで何も言わずに演奏を続けている。
「お疲れでしょうっ?どうぞっ」
「あら、気が効くじゃないのさ…ぷはぁ」
ターシャは外套についているフードを脱ぐと、その杯を受け取って一気に呷った。
冷たい水が喉を潤し、清涼感が身体を駆け巡る。
「もう一杯いりますかっ?」
「うー…欲しいけど、一杯で我慢しておこ。トイレが近くなっても困るし。ありがとね。…にしても、やけに親切じゃない」
「しっかりとお役目を果たされている以上ウェローネも最低限はお手伝いをしたり、労ったりしますよっ」
(…ん…?)
そんな二人のやり取りを横目でルィリエンは見ていたが、一つの疑問が頭に過ぎる。
ウェローネが逆さに伏せられた杯を手に取る所までは見ていたが、いつ水を杯に注いだのか見ることが出来なかった。
「それにしても、やっぱこの時期はこの格好で飛び回るのは暑いんだよねぇ」
再び走り出した馬車の荷台の中で外套を脱いで、装着していた小型のクロスボウとワイヤーが仕込まれた手甲を外すと手拭いで額や首周りに浮かんだ汗を手拭いで拭き始める。
「でもそのワイヤーで飛び回るのってちょっと気持良さそうだよな」
レンジャーやシーフクラスは基礎の中に組み込まれているが、他のクラスに所属していても斥候の能力に優れている一部の者は『ワイヤーガントレット』を支給される。
ワイヤーに魔力を流して投擲することによって、目標に絡みついたり、先端が硬質化して突き刺ささったりと、それを繰り返すことによって自在に森の中や洞窟、街の中を跳び回るのだ。
「風を切って移動するのは確かに気持ちはいいよ。神経使うけどねー」
鬱陶しそうに向けられるウェローネの視線を受けつつ、アルンの隣に腰を下ろす。
「だろうなぁ。物が物だけに事故を起こしたら怪我どころじゃなくて、あんなの即死だろう」
「そうならないようにシゴかれるんだけどね。事故も起こした事ないわけじゃないし」
何かを思い出したかのようにゲンナリした表情で肩を落とすターシャに、アルンは苦笑しながら肩を叩いて慰める。
「おかげで助かってるよ」
「ほんと?」
アルンの言葉に何かを期待するように表情を明るくして見上げるターシャ。
対して黙っているウェローネは頬を膨らませたまま、アルンの顔を見上げている。
二人の美少女の視線を受けながらもアルンはスレイオルの手綱を握ったまま笑っていた。
「何せ見知った顔なおかげで何の気もつかわなくていいからな」
「んぁー!あたしが欲しい言葉はそう言うのじゃないー!」
両手で頭を抱えて足をバタつかせるターシャにウェローネは殊更面倒くさそうな視線を向けていたが、そんなターシャの後ろにこれまた小さな影が寄って来る。
「ワイヤーに魔力を通して移動を繰り返しながら、全身保護の為にも魔力を使う。広い視野を持たなければならないが、魔力を付与するという観点においてはなかなかアルンにも適しているのかもしれないな。だが…」
「みぎゃっ!?」
無慈悲にも魔導書の背表紙がターシャの脳天に振り下ろされた。
この魔導書、実にサイズも大きく分厚く重い。
どのぐらい分厚いというと、我々の世界で言う所の夏と冬の祭典のカタログか、はたまた全盛期の『午後』の名の付く漫画雑誌か、それともありとあらゆる家庭用ゲーム機の裏技が掲載されていた辞典もかくやという分厚さである。
別に読んでも目が離せなくなって死ぬということもないし、人知の及ばないモノを喚び出したりしないし、ましてやナニカの皮で装丁されていることもないから安心だ。
ただ、殴られると死ぬ程痛いこの本がこの一冊で名の有る大きな街で屋敷が数件建つ価値があるとだけ表記しておく。
それはともかく、悶絶して倒れるターシャをマリアネッドは見下ろす。
「まずは周辺の状況を報告するのが先だろうよ?君は私にレンジャークラスの担当に残念な報告をそんなにさせたいのかね」
魔導書を抱きかかえて嘆息しながら、やれやれと肩をすくめて頭を振ってみせる。
その言葉を聴いてターシャはがばりと上半身を起こすと、素早く綺麗な姿勢で土下座を決める。
日本とは次元が違うこの異世界でもDOGEZAは最大の謝罪手段だったようだ。
それなりに長い期間アルンはターシャと過ごして入るが、ここまで動く彼女は初めて見た気がする。
悶絶して倒れた状態からこの姿勢に至るまでのこの動きは、まるで人間の稼動領域の限界を見たような気分だった。
「そ、それだけは勘弁してください!お願いします!!」
「あれ?お前ってそんなに単位ヤバかったのか?」
「違うの!そんなんじゃないの!!あのオカ…」
「ごほん!!」
「ヒッ!?」
(オカ…?)
ターシャの言いかけた言葉に首を捻るアルンを他所にマリアネッドの咳払いに再び荷台の床に頭を擦りつける。
マリアネッドはアルンに『ちょっと今は黙っておれ』と頭を軽く小突き、アルンは『へーい』と軽い返事でウェローネの頭の上に顎を乗せて前に向き直り手綱を握りなおす。
「先刻のルィリエン達を襲った『黒い風』の件も大事だが、ウェローネの話では弱った魔物が数体ばかり川を渡っていたという話だったではないか。それはどうなった?」
朝の出発前の段階でウェローネは小川で他の水の精霊達より周辺の状況を聞きだしていた。
それによると、魔物の数体の個体の発見あったものの、大群は小川から大元の湖までの間には発見はされていないようであった。
大群ではなくても、数体でもいるのであれば警戒をするに越したことはないのだ。
「えっと…川沿いに蟻型の魔物が二体、道沿いに獣型の魔物が一体かな。確かに弱ってたみたいだし、トドメはキッチリさしてきたよ。ただ…」
「ただ?」
小首を傾げるマリアネッドに腰に下げていた皮袋から何かを取り出して見せた。
「それがね、魔石だと思うんだけど…」
魔物を絶命すると魔石に変化する。
マリアネッドが砕いてパイプで吸っている魔石とはまた別の種類にはなるが、カテゴリー的には同じ魔石となっている。
然るべき所に持っていけばサイズや純度に応じた値段で買い取りも行ってくれるのである。
「どうした?魔物を倒したのなら、落としたそれは魔石だろうに」
「うむ。別に小遣いの足しにしても構わんぞ」
ターシャがはっきりと魔石と断言しないのを訝しげにアルンは問いかけ、マリアネッドも小首をかしげる。
「それは、そうなんだけどさ…ちょっとね」
通常の魔石は、(サイズは魔物の等級によって違うものの)基本的にはクリスタルの結晶のように透明な塊で、込められている魔力の量によって濃度の違う虹色の輝きを帯びている。
だが、彼女の手の平に乗っていたのは三つの透明がかった灰色の小石のような物だった。
それが魔物が落とした魔石だとしたら明らかに通常の魔石とは違う。
「…ふむ。これは…」
「…ですね」
それを見たマリアネッドは自らの手に取り目を細めて透かして見たりとひとしきり観察した後、ヘリアラに顔を向ける。
リュートの演奏をやめてヘリアラもターシャの手の中の物を覗き込むと、その長い耳を大きく跳ねさせた。
マリアネッドと二人で頷き合う。
「え、何なに?あたし、凄い物でも拾っちゃったの?それとも、実は凄い魔物を美味しくいただいちゃった感じ?」
やや興奮気味のターシャを手の平で制すると、その魔石のような物をヘリアラが用意した別の皮袋の中に放り込む。
「そうではない。だが今回、私が受けた調査以来に関係することではある。すまないがターシャ、この魔石は私が責任を持って預からせてもらうぞ。これに見合った買取報酬はまた別に出す。それで勘弁して欲しい」
「単純に珍しい魔石ってわけじゃないんだ。そう言うことなら、仕方ないかな」
「…あの…導師マリアネッド…いい?」
後ろで静かに成り行きを見守っていたルィリエンがおずおずと手を挙げる。
「なんだね?」
「…ボク達のパーティーも…ムリエから移動中に…通常の魔石とは違うなとは思いつつ…拾っていたけれど…これは一体…?」
ルィリエンの質問にマリアネッドは大きく頷く。
「うむ。君達がその際に戦った魔物は妙に弱く感じなかったか?」
「…うん…導師の言う通り…。…見た目は無傷なんだけど…どこか弱弱しくて…みんな…拍子抜けしてた事を覚えてる…」
「だろうな」
ルィリエンの言葉にシートに腰を下ろすと胡座を組んで嘆息交じりに瞑目すると、前髪を弄り始める。
マリアネッドが思案に暮れる時のクセだ。
西側の木々の隙間から時折伸びてくる湖から反射された陽の光に目を細めつつ、アルンは思い出すかのよう口を開き始めた。
「確か灰色の魔石ってのは、魔力を失った状態の魔石のことだよな。師匠の授業で魔石を使った時に、一度俺が間違って魔石から魔力を吸収しちまった時にそんな状態になった気がする」
「ええっ!?それって大丈夫だったのですかっ!?」
アルンの身体の症状を知るウェローネは驚いたように顔を上げたが、ポンポンと頭を軽く撫でつつアルンは笑ってみせる。
「その時はすぐに師匠が魔力を吸い出してくれたから、後遺症的な物は特になかったよ。ただ数日は魔力の吸収しすぎの影響で身体がダルかったけどさ」
それを聞いて安堵の溜息をついてウェローネはアルンに身体を擦りつけた。
ターシャは思わず舌打ちして睨み付けそうになるが自制心で抑えた。だが正直羨ましかった。
ルィリエンはますますもってアルンとウェローネの関係がわからなくなった。だが正直何かモヤモヤとした。
ヘリアラは思う所はあったが一息飲み込んで冷静を装ったが、手に持っていたリュートの弦が一本切れた。
マリアネッドはそんなメンバーの様子を閉じていた片目を開けて見まわして嘆息した。だが内心楽しくてしかたなかった。
「魔力がすっからかんの魔石ってのは残念だが、魔物自体は弱ってるなら油断しなけりゃいいだけだよな」
場車内の乙女達のやきもきする気持ちをよそに、のんきに笑いながら言うアルンにマリアネッドは肩を竦めた。
「それだけならよいのだがな。ほんの数匹であれば、たまたまそういう個体がいた、魔物たちの縄張り争いで敗走したと言う事で片付けることもできるだろう」
ムリエの村の入り口が遠くに見え始め、西側の視界が広がって湖がはっきりと見えるようになった。
竜が住むというカム山から吹き下ろす冷たい風がザアァァァ…と木々を揺らし、湖を波立たせている。
特に汗のひいたばかりのターシャは身体を少し震わせ、脱いだ外套を手繰り寄せて肩から羽織った。
「だが、遭遇する魔物が減ってきたといっても塵も積もればなんとやらというやつだ。あまりにも不自然だという事でムリエに縁のある私とヘリアラに調査依頼がきたというわけだよ。それと…」
微妙な緊張感に包まれつつある中、マリアネッドはアルンの頭を軽く小突く。
「あたっ!?」
「不肖の馬鹿弟子の里帰りのきっかけ作りだ」
不敵に笑って発したその一言に空気は少しだけ緩くなった。
幸いにも遠くに見えるムリエの民家の煙突からは緩やかに煙が出ており、ターシャの持っている遠眼鏡を通して見ると人の営みが行われているのは明らかだった。
『黒い風』による影響がないと安心することは出来たが…。
(故郷、か…)
あまりいい思い出がないとは言え、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。
そんなアルンの様子を見て、ウェローネはさりげなく自分の小さな手をアルンに重ねるのであった。




