第二十六印~深い森のその中で その5(N)
2019/07/19 やり直し版に差し替えました。
後半に多少エグい表現をいれております。
ご注意ください。
翌朝、思いの外熟睡をして気持ちの良い目覚めを迎えたアルンは軽く朝の運動を一通りこなした後、周囲を散策して薪を拾い集めていた。
本当は素振りもしたかったのだが、相変わらず自分の武器が物干し竿代わりにされていたのであきらめる事にした。
散策に出る時に既に朝食の支度を始めていたヘリアラにそれとなく気をつけるように言われたが、その心配も杞憂だったようで相変わらず魔物の気配もなくきわめて平和な朝の森を堪能することができたのであった。
薪になる枯れ枝もそれなりに拾い終わりぼちぼち空腹を感じた所で小屋に戻ると、石積みのかまどの前にヘリアラの他にウェローネが加わっているのが遠めでも見えてきた。
効果が弱まっているのか昨夜見たよりも薄く見えるカーテンのような水壕結界を通り抜ける時には、また爆発しないかと気になったものだがそんな事もなく無事に通り抜けることが出来たので、安堵のため息を漏らす。
「おかえりなさい、アルンさん」
「おはようございますっ!旦那様っ!」
「ただいま、ヘリアラさん。おはよう、ウェローネ」
アルンは二人に返事を返しながら、薪となる枝を下ろす。
元々小屋に備蓄してあった分や昨日拾った分と合わせても、この後にこの中継地点に訪れる者達が決して困ることがない分量だった。
かまどには結局ルィリエンが目を覚まさずに、食べることのなく残った昨日のスープが火にかけられていた。
どうやら水増しして上で味を調えている最中のようだ。
「昨夜はよく眠れたようで、何よりです」
水洗いされた野菜を切り分けてサラダを盛り付けていたヘリアラは微笑みながらアルンへと声をかける。
流石はその身に包んでいるメイド服は伊達ではない。
一言声をかける間にも次々と盛り付けが終わり一人分ずつ、美しく完成されていく。
「おかげ様で。それより昨日は片づけをやってもらってありがとな」
「ふふ。構いませんよ、あの程度」
「あのまま片付けやってたら、洗い物しながら寝てたかもなぁ」
肩を竦めながら苦笑するアルンの横でウェローネが項垂れる。
「ううっ…すみません旦那様っ。故郷に久々に帰るというのに、ウェローネ達が騒がしくしてしまったせいでお疲れだったのではっ?」
その言葉を聞いてアルンはぽんとウェローネの頭に手を置いて優しく撫でてあげた。
「だ、旦那様っ?」
「気を使わせてすまないな。でも、昨日ゆっくり休ませてもらったおかげでだいぶ落ち着いたから大丈夫さ」
「旦那様ぁっ!」」
微笑みながら言われたその一言に、ウェローネは頬を赤らめながらアルンにひっしと抱き着いた。
その様子にヘリアラは優しく微笑みながら、スープを注ぎ分けてトレイに載せていく。
「あ、それ運ぶよ」
「ありがとうございます。それでは、お願いしますね。ウェローネ様も、こちらはもう大丈夫ですので先にテーブルでお待ちください」
「はいっ!」
二人並んで小屋に入ると、まず上座の席で目を閉じてパイプで魔石を燻らせているマリアネッドが目に入った。
そしてその傍らにはテーブルに突っ伏している幼馴染の姿が。
よく聞くと小さな唸り声みたいなものも聞こえなくもない。
彼女の身体のサイズと比較しても大きな胸がテーブルに押し付けられて柔らかく形が変わっているのを見たウェローネが苦虫を潰したような顔で自分の胸を擦っているのだが、アルンはあえて見なかったことにした。
「おはようございます、師匠」
「ん。ゆっくり休めたようだな。顔色が良くてなによりだ」
配膳をしながら挨拶をするアルンに閉じていた片目を開けて挨拶を返した。
「おかげさんで。ところで、アレは何かあったのか?」
「ああ、それはな…」
マリアネッドが言いかけた所で、ターシャがテーブルから顔をあげてその不満そうな表情を露にした。
これはゆっくりできない顔だ。
「ア”ル”ン”ー!」
「な、なんだよ…普通に怖いぞ。どうした?」
「ん”っ”!」
睨みつけるように向けた目線の先には…治療層のある部屋から顔だけ出しているルィリエンの姿であった。
「ル、ルィリエン!目が覚めたのか!…って、何やってるんだよ」
「…これは…その…」
「う”-----!」
「…うう…っ…」
「…なんだか小動物同士の睨み合ってるみたいですねっ」
戸惑った表情で部屋から顔を出しているルィリエンと顔だけ向けて唸り声をあげるターシャを交互に見て、そんな感想を漏らすウェローネ。
「賑やかで結構な事ではないかね。辛気臭いのよりはよっぽどましかもしれんよ?」
マリアネッドはマリアネッドで『くっくっくっ…』と顔に似合わない笑い方をしながら、愉快そうにその光景を眺めている。
「とりあえずやめないか、ターシャ。飯にするからルィリエンも出てきなよ。聞かなきゃならない事もあるしな」
だが、アルンに声をかけられてもルィリエンは戸惑うような表情のまま出てこようとしない。
むしろ感情がほとんど表情に出てこない彼女が、見てわかるほど戸惑っているというのはなかなかない事であった。
「?どうした?腹、減ってないのか?」
「…ち、違う…。空腹は感じている…けども…」
煮え切らないルィリエンの様子にアルンとウェローネは顔を見合わせて首を傾げる。
「あぁー!あざといあざとい!あざとすぎる!あんたそういうキャラじゃないでしょ!!」
がばりと上半身を起こすと椅子の上から飛び降り、ズンズンと大股でルィリエンの背後に回りこむとドンッとその背中を突き押した。
「あぅっ…!?」
怪我のせいか空腹のせいか、どっちのせいかはわからないが踏ん張りが効かずにたたらを踏んでルィリエンの全身が現れる。
「おいターシャ。怪我が治ったばっかの人間になんて…メイド服…?」
アルンがその姿を見て呟いた通りルィリエンはメイド服に着ていたのだが、彼に視線を向けられると顔を赤くして両手で全身を隠すようにして縮こまってしまう。
「…み、見ないで欲しい…ボクのこんな格好…」
「このあざとい反応!アルンの声が外から聞こえて来た途端コレですよ!コぉレ!!」
その様子を嫌悪感も隠そうとせずに吐き捨てながら再び椅子に座ってふんぞり返るターシャに、流石に彼女の事が大嫌いと分かっているアルンも頭をコツンと軽く頭を叩いた。
「やり過ぎだターシャ。大方、サイズの近い服がヘリアラさんのしか無かったんだろ」
昨日彼女と遭遇した時の格好はボロボロで、荷物も着替えもなかった。
今回のアルン達の同行メンバーでルィリエンの長身モデル体型に合う服を持っている者は限られている。
というか、一人しかいない。
ウェローネ、ターシャ、マリアネッドの三人のお子様体型ではルィリエンに合う服がないのである。
「「「……」」」
お願いだからカメラ目線で微妙にアルンに見えないように凄い顔で一斉に睨まないで欲しい。
「コホン!…兎も角、そこまで恥ずかしがることは無いんじゃないのか?ある意味、服を貸してくれているヘリアラさんに失礼だろう」
ターシャが『そうだそうだー!』と囃し立てるのを今度はゴツンと拳骨を落としてから、ルィリエンに手を差し伸べる。
それを涙目で見つめてから、ゆっくりとアルンの手を取ると彼女は立ち上がった。
「…それも…そうだね…。…ボクとした事が…己の見栄で礼を失する所だった…ありがとう、アルン君…」
胸に手を当てスカートの端を摘まんで優雅にも見える礼をしたルィリエンに気にするなと手を振ると、椅子の一つを引いて座るように目で差し示す。
それを見て歯軋りするターシャの頭にポンと手を置いて軽く撫でてから、自分も席についた。
アルンの紳士的な対応を見て『流石旦那様っ!』と胸をときめかせていたウェローネだが、ふと小首を傾げる。
「それにしても何故あのように恥ずかしがったのでしょうかっ?」
「大方、騎士の家の娘としては使用人の格好でアルンの前に出るのは憚られたのだろうよ」
マリアネッドは愉快そうに笑いながらウェローネの疑問に答えると、パイプを咥えなおして手をパンパンと叩いて注目を集める。
「さぁ諸君、色々思う所もあるだろうし話もしなくてはならないが、まずは朝食にしようじゃぁないか。このままじゃここから出発すら出来もしないからな」
各々が返事を返しつつ席に着きヘリアラの手により朝食が並び終わると、あるものは祈りを捧げ、そうでないものは遠慮なく朝食を食べ始めるのであった。
◆◆◆◆◆
この後の予定もあるので味わいながらも早々と朝食を終わらせると、各々が旅支度を整え始める。
そんな中、既にトレードマークの黒いローブを身に纏ったマリアネッドとメイド服姿のルィリエンだけはテーブルで向かい合っていた。
傍らにはヘリアラがマリアネッドの従者として静かに立っている。
ヘリアラが最後に淹れてくれた紅茶がテーブルの上に置かれた杯の中で揺れていた。
「君らのパーティーはムリエを抜けて湖の北側から西の方へ移動する手はずだったな?」
「…うん…導師マリアネッド様…。…街道の方に流れてくる…魔物達の発生源の確認と…その発生源を抑えるのが…ボク達の役目だった…」
たどたどしく聞こえるがこれが普段通りのルィリエンの返事にマリアネッドも頭を大きく縦に頷かせる。
「ああ、エゾット村でお前の師であるアーキッシュの奴も言っておったな。自分よりも優秀なお前達なら何も問題がないと」
「…そんな…」
「事を解決した後での君との遭遇であればこの言葉は褒め言葉になるのだろうが…今の状況では単なる皮肉でしかないな」
マリアネッドは、目線を落として居づらそうに身じろぎするルィリエンにククッと笑ってから紅茶を一口啜り唇を湿らせる。
「…で、何があった?」
だが、杯を置いて再びルィリエンが目を向けられた時、今まで多くの難敵を前にしてきて肝が鍛えられた彼女でも背筋がゾクリとするほどの寒気が走った。
マリアネッドの視線から逃れるように更に目線を落として口をつぐんだまま肩を震わせた。
「…マリアネッド様」
「んぉ、ああ!すまんすまん!ついついすごんでしまったわ」
ヘリアラの呼びかけにマリアネッドは額をペチンと叩いて大きな声を出すと、場に流れていた緊張の空気が霧散する。
「アルンさんなら兎も角、あまり馴染みのない方ですと余計に緊張してしまいますよ。それにこの子は…」
「それもそうだったな。ルィリエン、すまないな」
「い、いいえ…」
自分の名前が聞こえたような気がしたアルンが『呼んだ?』と窓から顔を出すが、なんでもないと手で払う。
折角顔を出したのだからついでにとヘリアラが馬車の準備の作業指示をアルンに出しているのを横目に、マリアネッドはルィリエンに向き直る。
「それで…」
仕切りなおすようなマリアネッドの声に視線を外に…アルンへと向けていたルィリエンも居住まいを正した。
今度はまっすぐにマリアネッドを見ている。
「冒険者ギルドから指名がかかるぐらいの優秀な君たちの事だ」
外からは例によってウェローネとターシャの懲りない二人の言い合いのような声が聞こえていた。
明るい初夏の日差しが降り注ぐ外と違って、小屋の中は薄暗い。
「他のパーティーメンバーの姿もなく、傷だらけの身一つで我々の前に現れたということは何か問題が起きたのだな?」
「…はい」
改めてマリアネッドからの問いに、ルィリエンは頭を縦に振る。
「…ボク達は…ムリエを経由して予定のルートで進んでいたんだ…。…でも一日目のキャンプ時に…」
少し言い淀むルィリエンにマリアネッドは目で続きを促す。
「…黒い風…そう、黒い風がボク達を襲ってきたんだ…」
「黒い風?」
マリアネッドとヘリアラは見合わせて、頭の中でその単語に関連する事象を探し始める。
長い年月を過ごしてきた彼女達にはいくつか似たような事例が思い浮かぶが、この近辺では起こりえない事ばかりで今一つはっきりとしなかった。
「…ボク達のパーティーは六人…内、半分が夜目が効く能力を持ってる…だから…三交代の持ち回りで夜の番をする…。自分とカーティ…魔術師の娘と…最初の番を任されたんだ…」
「夜目が効くのはその魔術師の娘の方かね?」
「…うん…。…そろそろ交代の時間が…近づいてきた時に…」
そこで一度ルィリエンは目を閉じて唇を強く噛み、一呼吸置いてから再び口を開く。
「…本当に一瞬…黒い風が吹き抜けたのが見えた…。…全身に寒気が走るような…そんな風だった…」
マリアネッドは両肘をテーブルの上に置いて、両手を口の前で組むとルィリエンの事をまっすぐに見据える。
「ふむ…それで?」
「…流石にボク達も何の訓練もしていない子供とは違う…。…アカデミーでも期待されているという自負がある…。…寝首をかかれるなんて恥な事が無いよう…自分達なりに今まで上手くやれていた…。…今回も唐突とは言っても…すぐに構えて…カーティと二人で他のメンバーを起こそうとしたのだけれども…」
膝に置いていた両手が白くなるほど強く握り締められていた。
「…カーティの目が…潰されていた…。…普通に話をしていたのに…ほんの一息の間に…悲鳴を上げる事なく…カーティの目が…!」
気丈で強い精神力を持つとされる聖騎士乙女ルィリエンの声に嗚咽が混じり始める。
「…カーティだけじゃない!エルフのジュルテも!シーフのカツンも!夜目が効くメンバー目が全て…!潰されていた!!」
「それは一時的な目潰しの意味で、ですか?」
ヘリアラの質問に、顔を覆って肩を震わせるルィリエンの首は横に振られる。
「物理的な意味で、か」
天井を見上げて嘆息交じりにマリアネッドが呟き、後頭部をガリガリと掻く。
「…ボクの…回復魔法では…治療が不可能だから…テッテに治療を頼んだのだけど…苦悶の表情を浮かべ、ボクに助けを求めるように手を伸ばしたまま…息、絶えて…た…」
ただならぬ雰囲気を感じて窓の外から話を聞いていたアルン達も静かに息を飲んだ。
ターシャですらもいくら彼女の事が嫌いでも茶化す事はできず、何も言わずにアルンに寄り添ったまま彼女は何か思うのでなく自分の手甲を静かに撫でた。
「…目が潰された挙句…舌を引きちぎられていたジュルテは…精霊と対話も出来ず…。そうしている内に…カーティもカツンも…動かなくなって…最後の一人…アグルシはそもそも首が…千切れ…」
誰かが息を飲んだ。
それはアルンの隣にいたウェローネなのかターシャなのか、はたまた自分自身であったのか。
そんな中、マリアネッドが静かに席を立った音が妙に大きく聞こえた。
「…よく、生き残ってくれたな」
彼女が優しくルィリエンの肩を抱きしめると、とうとうルィリエンの瞳から堪えきれなくなった涙が雫となって床に落ちていった。
「ボクは!…ボクは、大層な通り名をもらっておきながら…!皆を見捨てて!!」
「ただ見捨ててきたわけじゃないだろう?じゃなきゃあそこで出会ったとき、あんなにボロボロなワケないじゃないか」
普段あれだけ感情を表さず言葉の少ない彼女と打って変わった今の様子に思わずアルンも小屋の中に入ると、努めて優しく言いながらルィリエンの肩に手をおいた。
ターシャは渋い表情を作っていたが、何も言わずに視線を外に向けている。
「あなたは運良く生き残る事ができ、そして、森の中で起こった事実を私達に伝達することできました。冒険者ギルドの作戦の一つとして動いていた以上、この情報を…悪い情報とはいえ、伝えることができたのはとても大切なことですよ」
ヘリアラも頷くとルィリエンの両手を優しく包んだ。
「うう…ボクは…ボクはぁ…うわああああああああああああ!!」
ついに彼女は人目をはばからず大声を出して泣き始めた。
アルン達はこの旅がただの調査やウェローネの事について調べるだけで終わらない事になりそうだ、お互いに頷きあうのであった。




