第二十四印~深い森のその中で その3(N)
2019/7/3 やり直し版に差し替えました。
「ヘリアラ様ヘリアラ様っ!お願いがあるのですがっ…」
「はい、なんでしょうかウェローネ様?」
掃除が終わり掃除道具を片付けている最中に呼び止められたヘリアラが振り向くと、ウェローネが小さな両手の拳をぎゅっと握りつつ彼女を見上げていた。
「旦那様の…ひいては皆さまの為に結界を張りましょうっ!」
「結界、ですか?」
「はいっ!土の精霊を扱えるヘリアラ様のご協力があればっ小屋と馬小屋を囲う程度の広さの結界は簡単にできちゃいますっ!」
彼女は近くに流れる小川を指差した後、こちらの小屋に向かって引き寄せるような仕草を見せた。
ヘリアラはそれを見てエルフ耳を一度ピクンと跳ねさせた後、『ああっ』と両手をポンと合わせる。
「水壕結界ですね。確かにそれなら私達が張った物であれば十分に効果が期待できるかもしれませんね」
「はいっ!昨夜の旦那様は私達と違って馬車の方で見張りを兼ねてお休みになられましたしっ。少しでもゆっくり休める場所を作るのも妻であるウェローネの役目だと思うのですっ!」
ぺったんこの胸を張って『妻』という単語を主張するウェローネに苦笑いしつつ、ヘリアラもその提案には頷いて了承の意を示す。
いかに余計な事を主張されようとも、彼にはゆっくり休んでもらいたい気持ちは確かにある。
「ウェローネ様の言い分も一理ありますね。冒険中に少しでも休める空間を作れるのであれば、そうするべきです。喜んで協力致しましょう」
二人は揃って屋外へと出ると、すぐに小川の方へを足を運び始める。
ウェローネは『しばしお待ちをっ』とだけ言うと、ブーツとオーバーニーソックスを脱いで素足になるとローブの裾を捲りあげると小川へと足を浸けた。
そうすると両手を広げ、目を閉じて人の耳には不可解な言葉を口から発し始める。
「────。────」
精霊を『最も敬愛すべき隣人』としているエルフ族のヘリアラには、それが自身も精霊に呼びかける時に使う精霊語であることは理解できた。
だが、それは純粋な精霊語であった為、ヘリアラですら聞き取ることが出来ても理解のできない部分が存在していた。
そして最初の詠唱…いや、『語りかけ』と言ったほうが良いかもしれない…が終わると同時にウェローネの足元に小さな渦が発生し、そこから生まれた水泡が彼女の小さな身体に纏わりつくように舞い始めたのだ。
「────」
その小さな水泡の一つ一つが自身の形を保つ事すら難しい下級精霊なのがヘリアラにははっきりと分かった。
彼女のこの神秘的にも映る一連の行動は精霊と共に生きる者としては大変興味深い物だ。
そして、そんな二人の様子を見ていたマリアネッドとスレイオルが一緒に歩み寄ってくる。
「何か面白いことをしているようだな。物凄く濃厚なマナを感じるぞ」
「マリアネッド様。ウェローネ様から水壕結界を張ろうと提案がありまして、その準備です」
「ほう…」
その言葉にウェローネは大きく頷くと、マリアネッドは小屋のあたりにチラリと目をやる。
目測で張られる結界の大きさ、自分であればどの程度の魔力を費やすのかなどの計算を頭の中でやってみるが、それは決して少ない消費量とは言えるものではない。
この幼女が張り巡らすには絶対的に魔力量が足りないはずである。
だが彼女が幼女なのは見た目だけなのだ。
そう、見た目だけ。
しかし彼女は『精霊』だ。
「規模的にはそう大きな物ではないが…どれ、お手並み拝見だな」
マリアネッドがニヤリと不敵な笑みを浮かべて手近な切り株に腰を下ろして胡座をかいた所で、ウェローネは目を開けるとヘリアラの方へと振り向いた。
「ではヘリアラ様っ。お願いしますっ!」
ウェローネのまるで清流のように美しく、そして淡く輝く青い髪にヘリアラは思わず息を呑んでしまったが、彼女の言葉に我に返ってすぐに瞳を閉じて両手を大地へと当てる。
「参ります。───!」
属性が違うとはいえ間近に精霊がいるからか、それともウェローネが介入しているのか、ヘリアラはいつも以上に土の精霊達の集まりに手ごたえを感じていた。
(これなら…!)
しかも、ヘリアラの制御を素直に受け入れてくれている感触があった。
集まってきた土の精霊達に魔力と同時に小屋の周りに溝を作るイメージを受け渡すと、すぐさまに精霊達が動き出す。
通常であれば精霊達に魔力を受け渡す時点で、まず多少のズレを感じるのだがそんな様子も全くない。
ボコリ!という膝丈ぐらいの穴が開いたかと思うと、まるでドミノ倒しのように小気味良い音を立てて小屋の周りに大人が一歩跨いで通る程度の幅を持ち、膝丈ぐらいの深さの溝が出来ていく。
それもヘリアラが思い浮かべたイメージ通りの仕事だ。
「なるほどな…高位の精霊の存在があると、周辺の違う属性の下位精霊にも影響を及ぼすといったところか」
マリアネッドも胡座をかいたまま顎に指を当てて、ヘリアラが感じた同様の感想をこぼす。
規模の大きさがあるとは言えムリエの村を救う際の精霊の制御には難儀した記憶があるが、これほどまでにスムーズに作業を行えるのならば今後はウェローネと行動を共にするのは十分にアリな選択であるように思えた。
(そうすればついでにアルンさんも一緒に…。いえ、逆に私がついていくというのも良いかもしれませんね。そうですね、旅始めはまだ慣れが必要ですし、少しぐらいはお姉ちゃんとして…)
「お、おい、大丈夫かヘリアラ。少し形が歪になっているぞ?」
「はっ?!」
どうやら雑念も伝わってしまうらしい。
頭を振って緩みかけていた気を取り直し、溝を作る作業を続け…大きく小屋と馬小屋を囲うように溝が完成する。
「なにやら変な気を感じましたが、今度はウェローネの出番ですねっ!」
その場で大きく両手を広げながらくるりと足先で回ると、彼女の身体に纏わりつくように舞っていた複数の泡が勢いよくヘリアラの作った溝に殺到しはじめた。
泡は清い水の流れとなり、あっという間に溝を満たす。
「───!!」
その様子を確認して満足気に頷いてとポン!と小さな両の手を合わせ後、短い精霊語を発すると青白く強い光が清流に沿って展開され、うっすらと淡いベールのような光が水の流れに沿って漂い始めた
勿論、ヘリアラの雑念が入って歪な形になった場所にも清流は流れ込み、光が展開されたのはご愛嬌である。
精霊達は自分の仕事をしただけなのだ。
「ほほう…。これは見事なモノじゃぁないか」
マリアネッドは結界が張られたと思われる場所に手の平を当てると、その場所を中心に水の波紋のようにゆらゆらと魔力の波が揺らめいていった。
溝に沿ってカーテンのように張り巡らされている結界はなんとも涼やかだ。
スレイオルも気になるのか、何度も鼻先を押し付けて確認している。
「うむ、これなら何も問題はなさそうだな。どの程度持つ?」
「小川に繋げて循環させているわけではないので、明日の朝まで十分に効力を発揮すると思いますっ!」
「ふむ、使い捨てか。いや十分だがな」
脱いだ履物を両手に持ってウェローネは小川から戻ってきながら自慢気にそう言うと、そのまま結界のカーテンを通り抜けた。
「ウェローネ様にもお言葉をいただきましたが水はその場に留まると淀んでしまいますし、出発時に溝を埋めてしまえば良いかと思います」
ヘリアラも一仕事終えた事に安堵の表情を浮かべ、精霊という存在そのものに改めて敬意を払う気分でいた。
同じように結界を通り抜けると、ウェローネの前に膝をつき頭を下げる。
こうでもしないとエルフとして高揚する気分が落ち着かなかったのだ。
「ウェローネ様。マリアネッド=イーリス様に仕えている身ではありますが、貴女様に一人の精霊の友でありたいと願うエルフの者として敬服いたしました。少しでも貴女が上位の精霊である事に疑いを向けていたことをお許しください」
「許すも何もウェローネは怒ってもいませんよっ!顔をあげてくださいっ!」
唐突に膝をついて畏まるヘリアラの様子にウェローネは慌ててヘリアラの肩に手を置いた。
顔をあげたヘリアラに対して彼女は微笑んで手を取る。
「ありがとうございます。ウェローネ様。今後とも良き友で居たいと願います」
「ウェローネは旦那様と仲良くするのが一番なのですが、旦那様の周囲の方たちとも仲良くしていきたいと思っていますっ。まだまだ人間の生活では至らない点が多いと思いますが、仲良くしましょうねっ」
そんな二人の様子を腕を組んだまま、マリアネッドは面白い物を見るように前髪を弄りつつ『ふぅん』と見守っていた。
「んんっ!?何コレ!?」
聞き覚えのある素っ頓狂な声が耳に届きそちらに目を向けると、ターシャがウェローネの張ったカーテンのような結界に目を丸くしていた。
触れると水面のように波紋が広がる様子に何が面白いのか、手の平で何度もバシバシ叩いている。
「結界だな?師匠がこんな結界を使っているところは見たことないけども…確か水壕結界だっけ」
隣に立っているアルンも訝しげな表情で何度も指先で結界をつついている。
「お帰りなさいませっ、旦那さ…まっ!?」
聞こえた声に嬉しそうにアルン達へ駆け寄ろうとするウェローネだが、彼に背負われている人影を見て思わず固まった。
プラチナブロンドの髪をした女である。人間の。
思わず『余計なフラグを拾ってきたのではっ!?』と警戒色を露にするが、そこは自称『嫁』としての気持ちを前面に押し出す形で己の自信を保つこと出来た。
「あ、あのっ、旦那様っ?そちらの方はっ?」
精一杯の笑顔を浮かべて、アルンに背負われている人物について尋ねてみる。
「昔からの知り合いというか何というか。詳しい話は後でするよ。それより、これはそのまま通っても大丈夫なのか?」
『昔からの知り合い』という単語に隣にいたターシャは片眉を撥ね上げ、その様子にウェローネは不審めいた表情を浮かべるものの、気を取り直してアルンに対して頭を大きく縦に振って招き入れるように大きく手を出しだした。
「勿論ですっ!ウェローネとヘリアラ様の二人で作った結界は旦那様をお護りする為に張ったモノですからっ!あ、隣の人は通らなくて結構ですっ」
『さっき言ってた事はどうした』とマリアネッドはツッコミたかったがややこしくなりそうなので、苦く笑うだけに留めておいた。
「あ、あんたねぇ!!」
「お前ら懲りないなぁ…よしっ」
アルンは今も目の前でゆらゆらと揺れているカーテンのような結界に触れていたが、ウェローネとターシャのやり取りが始まる前に結界に向けて一歩を踏み出した。
柔らかなカーテンに包まれて、それを抜ける感覚が全身を覆い…
ドパアアアアアアアアアアン!!…バシャァァァ…
…結界が盛大な破裂音を立てて爆発した。
しかも水の結界だった為、あたり一面を大雨のようにその名残が降り注いだのであった…。




