第二十三印~深い森のその中で その2(N)
陽が傾く前に中継地点に到着した一行はキャンプの準備を始めた。
中継地点といっても森の中の少しだけ切り開かれた場所に粗末な土壁の小屋が一軒と馬小屋が建っているだけである。
主に利用者はムリエまで向かう商人と護衛達や、冒険者、巡回兵といった所だろうか。
ターシャを先行させて小屋や周囲を調べさせたが、盗賊やモンスターが待ち伏せをしているような事もなかった。
「なんというか、色々話を聞いて多少は気合をいれてきたが張り合いのない話だな」
マリアネッドは馬車から降りるとコキコキと肩を鳴らした後、体を思いっきり伸ばしていた。
「それでも考えを変えてみれば、安全に旅が出来るというのは素晴らしい事ですよ。気を張り続けるのも何かと疲れますし」
手持ちとして必要な物を鞄に詰め込んでいたヘリアラも、その鞄を手に馬車から降り立つと小屋の土壁に手をあてる。
土の精霊との意思疎通は出来るので、簡単な質問を投げかける。
(今現在は小屋の中に誰もいない。最近での利用者は数名、ですか。おそらくはすれ違った見回りの冒険者達と…聖騎士乙女のメンバーは利用していないのでしょうか…)
間もなく返って来た土の精霊達の意思の流れにそう判断して、小屋の入り口をあけて中を覗き込む。
精霊達の返答の通り、何者もいない事を確認すると馬車から持ち出した荷物一式から掃除道具を手にとった。
「予定よりも早い時間に到着できたのは良かったと思います。休む前に小屋のお掃除ができますから」
「ついでに傷んだ部分も修繕しておいてやれ。前に弄ってだいぶ経つだろう?」
「承知いたしました。では終わるまでしばしお待ちを、マリアネッド様」
「うむ。頼んだぞ」
「あっ!ウェローネもお手伝いしますねっ!」
その話を聞いていたウェローネはその小屋を見上げた後、掃除を手伝うべく小屋の中へと入っていった。
外の見た目通り内装も簡素なものであったが、人が住むわけではないのでそれは当たり前かと一人納得する。
ついでにアルンと二人きりで暮らすのであれば、こういう家でも悪くないと妄想しにんまりと笑顔を浮かべる。
その後ろ姿をターシャが何かを感じ取ったように凄い顔で睨みつけているが放っておこう。
間もなく小屋の窓が開き、中からヘリアラとウェローネが楽しげに話しつつ掃除を始める音が聞こえ始めたのであった。
一方アルンはというと、小屋の横に馬車を停めてスレイオルの馬具を外した後、小屋と同じように簡素な作りの馬小屋のチェックを始める。
スレイオルは綺麗好きなので、アルンは軽くでも掃除するつもりでもあった。
勝手にどっかに行くような馬ではないので自由にさせてやると、スレイオルは『散歩してくる』と言わんばかりに尻尾を振りながら近くの小川の方へ向かって行った。
「そういえば、あの馬一匹でよくあの立派な馬車引かせられるよね」
手持ち無沙汰であったターシャはアルンについていき、馬小屋の掃除を手伝い始める。
とは言っても、手近にあった木の枝で目に付いた蜘蛛の巣を散らすだけだが。
「ああ見えてもスレイオルは魔馬種と天馬種の混血だからな。師匠に聞いたことがある」
「はぁ?!」
何ともなしにされた返答に目を見開いて愕然とするターシャ。
「どう見てもそこらの馬とかわらないじゃない!?」
ターシャのリアクションにアルンは肩を竦めて、『んー』と小川で水を飲むスレイオルに目を向ける。
「パっと見はそうかもしれないが、よく見ると鬣とかすごく綺麗だし、他の馬より触り心地がいいぞ」
「それだけじゃ判断つくわけないじゃない!?」
「あと、確実に俺より強いんじゃないかな」
「もっとわからないよ!?」
ターシャもスレイオルに目を向けてまじまじと見てみる。
野生の馬にも見られる堂々とした、逞しさを備えた美しさは確かに兼ね備えているかもしれないが…やっぱりどう見ても普通の馬でしかなかった。
天馬種の血が混じってるという割には、羽が生えているわけではないので余計にそう見える。
「た、確かに普通よりも馬体はいいとは思うけども」
「師匠とも随分長い付き合いのようだし、俺らよりもずっと年上で、俺ら人間よりもずっと長生きするんじゃないか?」
「うーん…もうちょっと見た目の特徴があってもいい気がするんだけどなぁ。ほら、例えば人の姿になったりとかさ」
「そんな話は聞いたことないし、見たことないな。あったらとっくに俺が牝だって事を気づいているはずだろう?まさか馬の股間をまじまじ見る事もなかったしなぁ」
「それもそっか」
「何を騒いでいるかと思えば…。ターシャ、あんまりその話をスレイオルの前で話をするんじゃぁないぞ。アレでいて、結構気にしているようだからな」
魔導書を胸元に抱えたマリアネッドが馬小屋の二人に声をかけてきた。
「マリアネッド先生?その、気にしてるっていうのは?」
マリアネッドより少しだけ背の高いターシャが納得いかない表情そのままに腕を組んで小首を傾げる。
「魔馬にもなれず、天馬にもなれず、そして普通の馬にもなれん。今でこそ落ち着いているが、出会った頃は相当に荒れておったからなぁ」
「荒れてたって…」
ターシャが再びスレイオルに目を向けると、今度は葉を食んでいた。
その姿はどう見ても『普通の馬』だったが、ターシャの頭の片隅で『暴れ馬だー!』とサングラスをかけて町中で暴れるスレイオルの姿がデフォルメで展開されていた。
何故か葉巻も咥えているのはどうでもいい話だ。
「でも俺は師匠が、師匠の知り合いと協力してスレイオルを落ち着かせた話は好きだな」
「あの時はちょっとした捕り物でな。アカデミーの資料に残っているかもしれん」
そのときの事を思い出したのか、マリアネッドは肩を揺らしてククッと小さく笑った。
「小屋の方はついでで補修もさせているから少し時間がかかるかもしれん。君達は薪になる物でも拾ってきてくれないか?」
「あいよ」
「はーい」
二人は短く返事をすると、馬小屋から出ると森へと脚を向けた。
そんな二人をマリアネッドは見送っていると横からヌッとスレイオルが顔を突き出して、そのままマリアネッドの顔に自らの顔を擦り付ける。
「お前はいい子だ。これからも頼むぞ」
スレイオルはこれでいて、耳が良かったのである。
◆◆◆◆◆
雨季にも近い時期で本来ならばもう少し湿度が高そうなものだがそんな様子もなく、森歩きをするには気分が良い気候だ。
こんな時期にも関わらず幸いにも乾いた枝や倒木を見つけ、そこから薪になる物をアルンとターシャの二人は拾い集めていた。
「うーん…特に何か見えるわけじゃないけど、一応、小屋周りに罠とか張っておいたほうがいいのかな」
手甲に仕込んだワイヤーで太い枝の上に登るとしばらく周囲を見渡していたターシャだったが、今度は同じようにワイヤーを使って地面に降りてきた。
見張りのついでに採取していたのか、戻ってきた彼女の腰にぶら下がった膨らんだ袋からは、この樹木から採れる果物が顔を覗かせていた。
「必要なさそうにも思えるけどな。後でヘリアラさんに相談してみようか」
「うん。そうする」
彼女は袋から果物を一つ手にとると、自らの服にそれを擦りつけて拭きあげる。
「はい、あーん」
「おお、キッシャの実か。いい色づきじゃないか」
両手で薪となる物を抱えたアルンは、ターシャから差し出された林檎にも似た形のオレンジ色の果物にしゃくりとかぶりつく。
さわやかな酸味が口の中に広がり、噛めば噛むほど甘さが口の中に広がっていく。
アルンの好きな果物だった。
「んむっ…うん、美味いな」
「あむっ…」
アルンに食べさせたそれをターシャもかぶりつく。
乾きかけていた喉を程よい果汁の水分が潤してくれた。
「俺が実家に居た時さ、妹がそれを採って持ってきてくれたんだよな。俺が外に出歩けないからってお土産でな。それを思い出した」
咀嚼しながらターシャが見上げたアルンの表情は複雑そうな、どちらかといえば困ったような顔をしていた。
「…やっぱり、不安?」
「そりゃあな。何とも思ってないつもりだったんだけどさ、近づいてんだなって思うと何だか落ち着かないっていうかさ」
「大丈夫だよ!」
そんなアルンを元気づけるためにも、笑みを浮かべてターシャはその手を握る。
「大丈夫!もしムリエがダメな時は、あたしがいるよ!サリオリムの街も、もうアルンの故郷みたいなものじゃない!」
「ターシャ…」
明るく振舞う彼女にアルンは素直に心が温かくなる。
思えば父親の知り合いの娘という縁を通して知り合った彼女に、心細くなった時にはいつも助けられていた。
こういう気遣いの出来る彼女は本当に魅力的な少女だとアルンはこっそりと思っていたのであった。
「なんつーか、その、ありがとう」
「へへー!どういたしまして!」
そんな一方でターシャは心の中を覗いてみよう。
(よっしよっし!アルンのポイントアップ間違いなし!幼女になんかに負けてたまるもんか!ただでさえ今日はあんまりアルンとイチャイチャできなかったのに、アイツは馬車でくっついててさ!間接キスぐらいいいじゃない!というか、アルンはそんな間接キスとか気にしてないみたいなのが気に入らないけど!ていうか、照れたアルンの顔めっちゃ可愛いんですけど!?え、なに、このまま戻りたくないんですけど!?)
台無しである。
そういうとこやぞ。
ガサッ…ガサッ…ベキッ!
しかしそんな二人の時間も耳に聞こえた枝葉が揺れて踏み折れる音で終わりを告げる。
「おいおい?何も見えないんじゃなかったっけか?」
音が聞こえた瞬間にアルンは薪を捨てて背中のスタッフを構える。
魔力を流したスタッフが青白い魔力の輝きを纏い、そのままアルンの全身にもそれが広がっていく。
「見えなかったよ!どっちかっていうとアルンの視認範囲じゃないの!」
ターシャも素早くクロスボウの射撃準備を終わらせて音の聞こえた方へ構える。
最悪の場合に備えて離脱用に手甲に仕込まれているワイヤーの準備も怠らない。
「それもそうか。お前がいるから油断してた」
ポジションもアルンが前に出て、ターシャはアルンの後ろへ。
「そういう言い方ってズルい!」
聞くだけでは軽口のようなやり取りをしながらも、臨戦態勢へと移る様は流石に卒業を控えた冒険者アカデミー生徒といった所だろうか。
だが、警戒する二人の予想に反して現れたのは…
「誰か…そこに…」
「ルィリエン!?」
白銀のプレートも損傷し、服も破れ、プラチナブロンドの髪も汚れて乱れた聖騎士乙女の姿であった。
「アルン…君…っ…」
彼女は目に入ったアルンの姿に大きく目を開けると、気の抜けたようにどさりと膝から崩れ落ちて気を失った…。




