第二十一印~エゾットの村にて その3(N)
結局一行が夕食にありつけたのは、当初の予定よりもかなり遅くなってしまっていた。
最終的にはマリアネッド派もヘリアラ派も関係なく宴は続き、事情を知らない人間も、他の村民も集まり巻き込んでどんちゃん騒ぎになったのである。
一度宴として始まってしまえば後は各人が勝手に盛り上がってくれるもので、皆が提供してくれた食材もどんどん消費されていった。
元々有志が勝手に持ち込んできたものなので、こっそり持って帰ったり自分の物にした所で誰も文句は言わなかった。
しかしそんな宴会も、流石に勝手に主役にされていたマリアネッドとヘリアラが解散を宣言すれば、徐々に騒ぎは落ち着き、今もぼちぼちと自分の寝床に帰る者達がマリアネッド達に挨拶に来る程度になっていた。
「もぐもぐもぐ…んくっ。一言ぐらい、あたしに声かけてくれたって良かったじゃないのさー!あむっ!」
ターシャは確保されていたバーベキューを両手で持って食べながら,
アルンに対して不満を口にしていた。
彼女は宴の最中、誰にも呼ばれること無く馬車でスレイオルと(なんか盛りあがってるなー…)と留守番をしていたのであった。
「悪かったって。でもそれに関しては、お前がいてくれて本当に良かったよ。何せ離れる暇がなかったからなぁ」
笑いながら肩をすくめ、アルンも串焼きにかぶりつく。
肉を提供してくれた屋台が、是非とも使ってくれと譲ってくれたタレがスパイシーで実に美味い。
「えへへー!そう言ってくれるんならお留守番していたかいがあったってものよ。ってことで、それちょーだい!」
片手の指先についた肉汁を舐め取りながら、物欲しそうな顔をしながらアルンの皿に乗っている串焼きにもう片方の手を伸ばす。
と、その顔に焼いたキノコが連なっている串が押し付けられる。
「あづぅいっ!?ちょっとチビっこ!何するのー!?」
「チビっこじゃありませんウェローネですっ!人の物に手を出そうなんて、まったくもって図々しい人ですねっ!」
「違いますー!対価を要求してるだけですよーだ!あむっ!」
押し付けられた焼きキノコ串をひったくるようにして掴むと、それも遠慮なく口にし始める。
その豪勢な食べっぷりを見て、ウェローネはターシャの事を半目で眺め…正しくはその視線がツツツと下がりターシャの揺れる胸元をじっと見つめる。
「やはりそれだけ食べるから栄養がいくのですかっ…!」
憎憎しげに吐き捨てながら、自分の胸を悲しくさする。
その視線と行動に気づいたターシャは見せ付けるようにその大きな胸を支えるように腕を組んで持ち上げて見せ付ける。
「ふふーん!言っておくけどね、アルンの視線だって感じちゃうんだよねぇ」
「お前なんて事言うんだよ!べ、別に見てねーし!」
「んふふ…アルンだったら良いんだよ?」
その勝ち誇った様子でアルンにすり寄るターシャと慌てるアルンの様子に、ウェローネは既に食べ終わって何も刺さっていない自分の串を指で摘み、ターシャの胸と串の先端を半目のまま見比べ。
「これを刺したら破裂したりしませんかねっ?」
「ちょっと!?物騒な事言い始めたよこの子ー!?」
慌てて自分の胸を隠すように縮こまり、そそくさとアルンの背後へと隠れる。
「アルンー!やっぱこの子怖いよ!ほら、怖い!怖いから安全なあたしとどこか遠くへ旅に行こうよ!二人っきりで!!きゃおっ!?」
アルンに額を小突かれて、ターシャは小さく悲鳴をあげた。
「どさくさに紛れて何を言っているんだ、お前は」
「旦那様の串焼きだけに飽き足らずウェローネの旦那様自身にまで手を出そうとしておいて、やっぱり図々しいではないですかっ!」
「いやいやいや、それも違うからな?」
どこか勝ち誇った顔で言い放ったウェローネにも釘を刺したものの、当の本人はそれを気にした風でもなくアルンに遠慮なく抱きついてきた。
それを見たターシャはアルンをウェローネから離そうとサイドテールを逆立てながら逆サイドに引っ張りこもうとする。
「うー!違うもん!図々しいのはそっちだもん!」
「図々しくはありませんっ!ウェローネは旦那様と約束がありますからっ!」
アルンを挟んで睨み会う二人の様子をマリアネッドは呆れた表情で眺めつつ、食後の一服とばかりに脚を組んで彫り物がされた木製のパイプたばこを咥えてその煙を燻らせて楽しんでいた。
ちなみに形状はキセル型ではなく、いわゆるイギリスの某有名探偵紳士が持っていたあれに近い。
『飯食ってる側で煙を吹かしてんじゃねぇ!!』という嫌煙家の諸君も安心して欲しい。
今マリアネッドが吹かしているパイプは言わずもがな魔法道具の類なのだ。
通常の煙草と違い火を使っているわけではないので嫌いな人は眉を顰めるような特有の焦げ臭さもないし、咳き込むような煙たさもそこにはない。
副流煙?そんな物は心配ご無用!
魔石を砕いてボウルに入れ、そこに自身の魔力を通すことにより、純粋な魔力の『味』を楽しめることができるのである。
以前にマリアネッドから吸わせてもらったことのあるアルンではあるが、その魔力の『味』というものについては今一つわからなかった。
何でもフレーバーもあるらしく、最近では魔力に『味付け』されるような商品も出回っており魔族女性には好評らしい。
ついでに、魔力を糧にしている魔族や一部の人間の好事家に楽しまれているわけだが、パイプ自体にも職人達の手が入っている事もありコレクターの間でも密かに集められているようだ。
ちなみにマリアネッドの持っているパイプもコレクターの間では値がつけられないほどのアンティークとしての価値を持つ物だそうだ。
以前、旅についていった時に居合わせたコレクターが涙を流して拝んでいたのをアルンは覚えていた。
「ったく、私の馬鹿弟子は何時の間にこんなに女を誑かす様な奴になってしまったんだ。嘆かわしい」
やれやれと肩を竦めてゆっくりと紫煙を吐き出すと、もう片方の手に持っていた村人から提供されたグラスに入った蒸留酒を傾ける。
「これから会うであろうお前の両親に対して何と説明すればよいのやら」
唇をグラスから離してふはっと酒精のこもった息を吐くと、普段は白い頬を少し赤く上気させつつジロリとアルンを睨み付けた。
「お、俺は別に何もしてないんだって!」
「いっそ手を出されてた方が話は早かったかもしれませんね」
その言葉にアルンとマリアネッドはぎょっとして向き会うと、ニコニコ笑顔を浮かべながら上品に焼き野菜を食べるエルフのメイドの方へと顔を揃って向ける。
「もしかして、ヘリアラさん怒っ…」
「いいえ?怒っていませんよ?」
いつか見たことのある張り付いたような笑みを浮かべて手だけは黙々と焼き野菜を口に運んでいく姿はちょっとした狂気さえもを感じた。
そして表情に隠された感情を表すように、エルフ族の特徴であるその長い耳がピンと反り返らんばかりに立っていたのであった。
「え、ええっとだな。俺は一応、治療の一環も含めて先生の弟子入りしてるわけだ。アカデミーを卒業したら自分の体質を治す方法を探すために旅に出るつもりなんだから、誰かと付き合うとかそういうのは考えてないんだって」
「そ、そうだな!アルンはよくやっていると思うぞ!そういう心構えでいてくれるのは、師匠としても立つ瀬があるというものだ。それに何より、お前自身の為だものな!」
お互いにうんうんと頷きながらチラリとヘリアラを横目で見ると、先程と表情は変わらなかったものの、耳はへたりといつもの角度に戻っていた。
(耳、戻ってるよな?)
(ああ、間違いない。戻ってるな)
戦闘面での活躍もさることながら、メイドとしての雑用も引き受けているだけに、彼女を怒らせたままではロクな事にならないのは明らかだ。
そこまでエグい事はしないと信じているが、機嫌が悪いときは確実に毎食のおかずが一品減ってしまうのでやはりそれは避ける事態なのは間違いはない。
旅のテンションに関わってくる。
「お前達もいい加減にしてくれたら助かるんだがなぁ」
左右で相変わらずにらみ合っている幼馴染と自称嫁候補を引き離して立ち上がる。
「あうっ」
「あっ…。旦那様っ、何処へっ?」
「アーキッシュ先生の好意とは言え、いつまでも馬車の見張りをやらせるわけにもいかないよ。さっさと片付けて戻らないとな」
「あ、そういえばそうだったね…ちょっと行くの怖いんだけど」
マリアネッドに心酔しているだけあって彼女の頼み一つで犬の如く馬車の方へアーキッシュがすっ飛んできた時は、思わずターシャはクロスボウの引き金に指をかけてしまう所だったのだ。
「そう言うなよ。こうやって飯を一緒に食べられたんだがら、そこはお礼を言っておいたほうが良いと思うぞ」
「それはそうなんだけどさ…」
「では、ウェローネも片付けのお手伝いしますねっ!」
後片付けを始めると、ウェローネも立ち上がって何やかんやと手伝い始める。
周囲の目から隠れながらではあるがやはり水を自由に生み出せるというのは便利なもので、調理の時と同じで水を汲みに行くことを気にしないだけでも洗い物が実に捗った。
何名かの精霊に関する知識のある者で…特にエルフやハーフエルフ達はウェローネがただの幼女ではないことに気づいていたようだが、彼女の近くにいるエルフのヘリアラのおかげでその存在を納得されていたのであった。
「馬車の見張りは俺とターシャの二人で交代でやるから、ウェローネは師匠とヘリアラさんと一緒に村長の家で休んでくれ」
「えっ、マジで!?」
「えっ、嫌ですっ!?」
ターシャとウェローネの反応は同時かつ早かった。
その反応も相反する物で、かたや浮かれっぷりを隠そうとせずに洗った皿を曲芸のように指先で回して水を切り、かたやアルンへすがり付いて捨てられた子犬のような瞳を向ける。
そしてそれを見るマリアネッドはつまらなそうに口から紫煙を吐き出し、ヘリアラは何も言わず笑顔で串の束をへし折る。
アルンは盛大に折れる串の音を聞きながら、ウェローネを引き剥がした。
「選ばれたのはターシャちゃんでした!」
ドヤッ!と漫画であればきっと濃い集中線を描かれていたであろう表情をウェローネに向けて勝ち誇るターシャを、それこそ呪い殺さんばかりの視線を向けてから再びアルンへと向き直る。
瞳いっぱいに涙を浮かべて見つめられると、さしものアルンも言葉に詰まってしまう。
「どうしてですか…ウェローネはっ…旦那様にふさわしくないと…いうことですかっ…」
顔を赤くして必死に涙を流すまいと耐える姿に、別に悪い事をするわけでもないし、する気もないのに極度の罪悪感が襲ってくる。
「へいへーい!そんな事じゃアルンに『重い女』って思われるだけだよー!」
完全に調子に乗っているターシャはウェローネの肩に手を置いて、その顔を覗き込む。
「まっ!アルンの事はあたしに任せてよ。くににかえるんだな。きみにもかぞくがいるだろう?」
こんな馬鹿あげテンションのターシャはアルンも見たこと無かったが、流石にこれは調子に乗りすぎだと遠慮なく無言で脳天を小突く。
「あがっ!?い、いたい!?痛いよ!?」
「当たり前だ、馬鹿。そこまで煽ることでもないだろうが」
転げまわるターシャに履き捨てるようにそう言うと、膝を折ってウェローネの目線にあわせるとその頭を撫でてあげる。
「師匠とヘリアラさんはこの村にとっては特別な人達なんだよ。そういう人達だから村長の家に泊まってもらった方がいいんだ」
「だっ、だったらウェローネは旦那様と一緒に居て良いのではっ?」
「いやまぁ、それはそうなんだけど…」
「それなら尚の事っ…」
「君は何故そこで押し切られてそうになってしまうのだ。童貞め」
今度はずいっと顔を二人の間に突き出したマリアネッドがアルンを睨みつける。
「どどどどど童貞関係ないだろ!?」
その反応に周囲三名ほど安堵の溜息をつく様子が見られるが、それは置いておこう。
「ムリエまでの道で少なくとも一日は野宿に近い形になる。ムリエ以降は野宿をせねばならん時が来るだろう。それならば、ベッドでゆっくり眠れるタイミングがある内は君に休んでもらった方がいいというアルンの気遣いがわからんのか」
マリアネッドの言葉にアルンは苦笑しながら頬を掻いていた。
多少は酔っているとは言え、多くの言葉のやり取りがなくても意思を汲み上げてくれるマリアネッドのこういう所は素直に尊敬できた。
「街にいる時も夜はかなり眠そうだったしな。だから、まぁ、その、そういうわけだよ」
「旦那様っ!そんな風に私の事を気遣っていただけるなっ…んぇっ!?」
マリアネッドの言葉に感極まったように瞳を潤ませて両手を広げて抱きつこうとするウェローネの前に大きな二つの柔らかな塊が遮った。
その結果、大人しい幼女にあるまじき声があがったのは言うまでもない。
「ふがっ!?いっ、一体何ですかっ!?」
その豊満な谷間から顔を引き剥がすと、頭上にあった憎きその顔の口元が楽しげに歪んでいた。
「さぁさぁお子様はとっととお風呂にでも入っておねむするといいよ!これからは大人の時間なんだからね!」
バチコーンとアルンに向かってウインクするターシャであったが、目線を反らされて空振りに終わる。
それにもめげずにアルンに腕を絡めようと手を伸ばすが、バチンとその手を伸びてきた小さな手が弾く。
「何が大人の時間ですか!胸にただただ大きいマシュマロをくっつけてるだけのくせにっ!」
「大人の階段上る権利もないお子様に何を言われても何ともないですよーだ!」
「あらっ。そもそも貴女の方こそ頭の中身はその階段を上る権利が無いんじゃないですかっ?」
「な、なにをぅ!?」
顔を真っ赤にして睨み合い、火花を散らす二人の頭の上にそれぞれ手ごろなサイズの石が落ちてくる。
二人ともお互いに集中しているせいで落下してくるそれに気づかず、当然ものの見事にその頭の上に直撃した。
「ぎゃっ!?」
「んひゃっ!?」
まったくの予想外のその攻撃に二人は頭を抱えてのた打ち回り、涙目で周囲を見渡すが…。
「一体何で…ヒッ!?」
「い、いたいじゃ…あうぁ…」
二人とも同じ方向を向いた瞬間に小さく悲鳴をあげて、その姿が固まった。
鬼がそこにおった。
「お二人とも。アルンさんが困っている様子がわかりませんか?」
エルフの耳は感情を表してくれるとは言うが、怒るとあんなに逆立つものなのだと彼女達は初めて知った。
その冷たい声に逃れるように、ギギギギ…と古びた屋敷の扉の錆びた鉄の蝶番のような音が聞こえてくるようにゆっくりとアルンの方へ真っ青な顔を向けるが…。
「師匠、明日からしばらくは晴れが続くらしいぜ。さっきモヒカン野郎が言ってた。アイツ、意外な特技持ってたんだよ」
「おおっ、そうか。それならば予定通りにムリエに到着できそうだな」
「いやー、里帰りは緊張するナー」
「大丈夫だ。私がついているからナー」
いつの間にか師弟コンビは二人から離れて頑なに目を向けようとはしなかった。
何故か弟子の膝の上でその小さな師匠がくつろいでいるという仲睦まじい様子に非難の声をあげたかったが、頭の骨が軋むような音を聞いて出てくる声が悲鳴に変わった。
「いだいですっ!ギブアップですっ!!」
「いだだだだだ!!離してぇぇぇ!」
「お二人が聞き分けなく喧嘩をするのであれば仕方がありません。馬車の見張りは私とアルンさんでやります。村長さんの家にはターシャさんが泊まってください。私から村長さんへはお願いしますので」
「えっ!?いやだー!折角アルンと二人きりの…」
「良 い で す ね ?」
尚も自分の欲望に正直なターシャの眼前にヘリアラの顔が迫った。
その表情は笑顔だ。
『笑顔とは、本来攻撃的なものである』と、ある講義で教えられた言葉がターシャの頭の中に過ぎり、一瞬にして頭の中が真っ白になってカクンと首を縦に振ることしか出来なくなっていた。
誤解の無いように言っておくと、ヘリアラは魔眼なんて持っていないのであしからず。
「…ハイ」
「まったく…二人とも公衆の面前で品のない口喧嘩をして。少々『お話』をしなければなりませんね。マリアネッド様とアルンさんはそのままくつろいでいてくださいね。お休みいただいても結構ですので」
「うわぁっ!!旦那様ぁっ…」
「アルンー!!だずげでぇ”ぇ”ぇ”!!」
引き摺られる様に連れて行かれるウェローネとターシャは助けを求めるようにアルンに視線を向けられるが、当のアルンは小さく首を横に振るだけだ。
「「そんなあぁぁぁ…」」
そんなアルンの胸を背もたれにしつつ憮然とパイプを咥えていたマリアネッドだが、アルンの視線に気づき目が合うと二人揃って肩を竦めて苦笑したのであった。




