第十八印~エゾットの村へ その2(N)
2019/06/14 やり直し版に差し替え
エゾットの村にはアルンも何度か立ち寄った事がある。
サリオリムの街と比べれば本当に静かで、特に目立った物や事件は何も無いというのが印象だった。
『決してひなびているわけではないが、用事が無ければほぼ通り過ぎる』
それがアルンの中にあるエゾットの村であったのだが──。
「さぁさぁ!武器や防具の修理や打ち直しはウチに任せろぃ!!」
「ポーション入荷したよ!さぁ並んだ並んだ!!」
それが今や村の中は装備を固めた冒険者達が大量に闊歩し、それを当て込んだ商人達が陽が傾く時間だというのに声を張り上げていた。
「おっちゃん!冒険の話してよ!」
「お!いいぞ!そうだなぁ、俺が西の方に行ったときの事なんだが…」
食事を出す屋台も村の一角に軒を連ね、酒と食事に大いに賑わっているようでもある。
冒険者同士で肩を並べてジョッキを掲げる者達が居れば、村の子供にせがませれて自分の武勇伝を陽気に語りだす者も居る。
今までそんな光景をアルンはこのエゾットの村では見たことがなかった。
「おいおい、何かすごい事になってるな」
村に入るころには繋いでいた手を離してはいたが、隣に並ぶマリアネッドもアルンのその言葉を聞いて目深に被ったローブの下から周囲を見渡した。
「ふむ。戦線はそこまで不利ではないと見えるな。そうでなければここまで馬鹿騒ぎもできまいて」
「戦線?」
「はぁ…。君も彼女の事を大して責められんな」
あからさまに落胆の様子を見せる溜息を吐きながら肩を竦める様子に、流石のアルンも眉を寄せる。
「な、なんだよ?!彼女って、ターシャの事か?」
「そうだ。君も肝心な話を聞き逃しているではないか」
「肝心な話…?」
マリアネッドの指摘に『はて?』と首を傾げて、思い返す。
果たしてここに来るまでにこの地域に関することで話があったであろうか、と。
だが、思い当たる話はなかったような気がする。
馬車の中ではマリアネッドはターシャとウェローネを何とかしろ睨みつけるか魔導書に目を落としているか寝ているかであったし、何より自分が御者台に座ってからは周囲を幼女と幼馴染がずっと占拠していたのである。
話しかけられた覚えがない。
「暗がりに乗じて集会中に乳繰り合っているから話を聞き逃すんだ!」
「なっ?!別に乳繰り合ってねーよ?!」
「私に見えていないと思っているのか!暗い所でも十分に君の顔を見ることもできるんだぞ!」
「どんだけ俺の事を見てるんだよ?!」
「っ!?」
その一言で、不意にマリアネッドの足がぴたりと止まり、フードの下から見上げるように睨みつける。
「な、なんだよっ!?」
「知らん!この馬鹿弟子が!!」
「いづっ?!」
怒鳴りつつ踵でアルンの足を思い切り踏みつけると、ローブを翻して大股で先にある建物へと向かっていく。
そこは村の中にあるどの民家よりも一回り大きい、村長の家であった。
マリアネッドに連れられて何度か立ち寄った覚えもあるし、受注した任務の報告にも訪れた事がある。
「だから一体何なんだよ…」
わけもわからず怒鳴られ、足を踏まれたアルンは肩を竦めて後ろを追いかけるしかなかった。
村長の家の周りであるが、こちらは他の場所に張られている天幕よりも上等な物が数多く見受けられた。
アカデミーの校章がついている物がある所を見ると、そちらの関係者もいるようだ。
(そういえば、さっきの馬留め場でもアカデミーの腕章つけてるヤツがいたっけか)
天幕を眺めながらそんな事を思っていたが、ドンドンドン!とマリアネッドらしい強めのノックの音に向き直る。
「マリアネッド=イーリスだ!村長、いるか?」
呼びかけからややあって、バタバタと慌しい足音が聞こえたかと思うと木造の扉が勢いよく開き、中から二人にとって見慣れた顔の温和な男性の老人が姿を現した。
「マリアネッド様!ようこそおいでくださいました!」
「うむ。近くに寄ったから挨拶をしにきた。息災のようで何よりだ」
「ええ!ええ!おかげ様でございます!ささ、お入りください。今日はお弟子さんともご一緒なのですな」
「お久しぶりです、村長さん。以前のクエストではお世話になりました」
「いやいや!マリアネッド様の大恩に比べたら、些細なものですじゃ。さ、どうぞどうぞ」
マリアネッドの弟子として彼女の顔に泥を塗るわけにもいかない。
ヘリアラにもそう言われて礼儀もしっかりと仕込まれていたので、村長からの好感度は高いものであった。
二人は家に招かれてその敷居を跨ぐ。
「邪魔をする。また夫婦揃った顔を見ることができて嬉しいぞ」
「マリアネッド様!あぁ!今日はなんと言う素敵な日なのでしょ!」
奥から出てきた村長の妻は目を輝かせてマリアネッドに近寄ると、その恰幅のよい全身でマリアネッドを抱きしめる。
続いて、アルンも抱きしめた。
「アルンちゃんも相変わらずな色男ねぇ。また背が伸びたかしら?」
「そうですね。以前来た時に着ていたジャケット以外の服はもうサイズが合わなくなりましたよ。奥方様も変わらずにお綺麗ですね」
「あらやだ、こんなおばあちゃんを褒めても何もでないわよ?」
「本当の事ですよ。自分も将来、妻を迎えるときは奥方様みたいなずっと綺麗な方が良いですね」
「もうっ!ほんと、お上手ねぇ」
「うちの教育係の腕が良いからな」
マリアネッドがフードを取りながら振り向くとにやりと笑って言った。
「お前さんや、何か食べる物の用意を」
「待っていてくださいねぇ、今スープを温めなおして参りますので、是非食べていってくださいな」
「折角の申し出だが、ヘリアラが夕飯を作っているからな。あまり長居するつもりでもないし、そこまではしなくていいぞ」
「なんと、ヘリアラ様もいらっしゃっているのですな。では、代わりに何か飲み物をご用意致しましょう」
村長と妻は目を細めて頷きあうと、妻は台所へと引っ込んでいき、村長は村での話し合いなどにも使われる広間に二人を招いた。
広間へ行く通路にはこの村の歴代の村長やその家族の肖像画が飾られているのだが、その何枚かにアルンのよく知っている人物が一緒に描かれている物もあった。
そう、マリアネッドとヘリアラの二人だ。
(確か、師匠達ってこの村に色々関わってたんだっけ…)
魔族とエルフという長寿種族だけあって、描かれている姿は今と変わらない。
ただ、かなり昔に描かれたのであろう物にはヘリアラの姿がなかったり、ヘリアラがメイド服ではなく冒険者の装いをしている物もあった。
何かと感慨深いものである。
(美化されてるよなぁ…これとか、これとかも)
どう見てもヘリアラの胸が大きく描かれているし、マリアネッドの身長も少し高い物があるように思えた。
(いやいや、きっと描いた人間の願望が入ってんだろ)
一人、そう頷く。
なお、その肖像画を描いた歴代の画家達がこのマリアネッドとヘリアラの我が儘に大いに頭を抱えた事は、弟子である彼には知る所ではない話だ。
描いた本人も既に天寿を全うしている。
「人手の問題でアカデミーへ子供達を送れない時は、逆にこちらにいらして下さったマリアネッド様に魔術や学問の基礎を教わり、ヘリアラ様に剣や作法を教わっていたものです」
その声に振り向くと、陶杯をトレイに載せた村長の妻が微笑をたたえていた。
気遣って『持ちますよ』とトレイを手に取るのは簡単ではあるが、相手のもてなしの気持ちを大事にするためにも、あえてそこで手伝おうとはしない。
客として訪れた以上、相手が望まぬ限り手を出さない事もまた礼儀の一つである…ヘリアラからそう教わった事もある。
「そしてある程度成長した村の男の子達は師匠派かヘリアラさん派に分かれる…でしたっけ?」
「あら、女の子達もそうですよ。賢く聡明な魔族のマリアネッド様、優雅な強さを持つエルフ族のヘリアラ様。いくら沢山の冒険者達が訪れても、このお二方だけはずっと特別な存在ですね」
「あはは。弟子としても誇らしい限りです」
実はここまでの話を聞いたのは初めてではない。
だが、二人の師匠の村からの印象を何度聞いても、その弟子である自分も少しだけ誇らしげな気持ちになる事ができた。
話を聞く度、そんな二人に泥をかけることのないようにアルンは弟子としてもしっかりやっていこうと気持ちを引き締めるのだ。
「…ちなみに、奥方様は?」
ふと、疑問に思ったことを口にする。
この質問は何度も訪れているが初めてだった。
「比べようもない話ですよ」
どちらとは言わずに微笑む村長の妻に、『なるほど』とアルンは笑い返すのであった。
「マリアネッド様、本日の宿はどうなされるおつもりで?」
「ああ、混み合っているようだし馬車で構わんよ。こうなることは分かっておったからな」
広間では先に席についていたマリアネッドと村長が話を進めていた。
結局この村で何故こんなに冒険者がいるのかわからないままだったが、ひとまずアルンはマリアネッドの後ろに立っておく。
「どうぞ、マリアネッド様、アルンちゃん」
「ありがとう、いただくぞ」
「ご馳走になります」
トレイから陶杯を手に取ると、マリアネッドが口にした後にアルンが口にする。
冷えた井戸水で割ってある柑橘系の果実酒で、実にさわやかな喉越しだ。
初めて会うような相手の場合は弟子や従者であるアルンやヘリアラの方から毒見として飲み物や食べ物を口にするのだが、友好的な関係の相手の場合は先にマリアネッドが口にする。
こういう細かい作法もヘリアラからしっかり教え込まれているわけだが、一見すると非常に面倒にも思える。
だがその面倒な事を『分かっている人』に対してはとても有効であり、直接関わることがなくても目をかけてもらえる場合もあるし、マリアネッドやヘリアラの評判に繋がることがあるのだ。
村長も飲み物を口に含み、唇を湿らせて再び口を開く。
「それなら当家にお泊まりいただければ。むしろ泊まっていただかねば、歴代の村長達に顔向けできませんぞ」
「他の者達も宿泊場所に難儀しているだろう?他に大事な客が来たときの為に部屋を開けておくといい」
「この村においては、マリアネッド様とヘリアラ様以上の大事な客人なぞ他におりますまい」
「気持ちはとてもありがたい。しかし、本当にそのようなつもりで挨拶をしにきたわけではないのだが…」
腕を組み頬を掻く仕草を見せるマリアネッド。
それを見たアルンは…。
「師匠、よろしいでしょうか?」
軽く手を挙げて、意見を具申する。
「ん?どうした、アルン」
部屋にいる三人の目線がアルンに集まる。
「折角の村長さんの申し出もありますし、ここは師匠とヘリアラさん…あと、ウェローネはこちらのお世話になってはいかがでしょうか?」
『おお…』と小さく村長夫妻が嬉しそうな声をあげたのが聞こえる。
「馬車に関しては今回はあの場所以外に停めることは難しいでしょう。村長の家の周りもアカデミー関係者の天幕が張られていますしね。自分とターシャの方で交代で馬車やあの周辺の見張りをやります」
事前に打ち合わせをしていたわけではないが、なんとなくそうなるであろう事は想像に難くなかったので発言はスラスラと出てきた。
「アカデミーの方に応援を頼んでいるようですが、人手は必要だと思います。自分のモノは自分で護れというのはヘリアラさんから教えてもらった冒険者としての心得でもありますし」
「ふむ…」
憮然とした表情で腕を組み、クセである前髪弄りを無意識に行うマリアネッド。
一呼吸してから彼女は頷いた。
「あいわかった。弟子であるお前が言うならそちらは任せるとしよう」
その言葉に老いた村長夫妻は顔を合わせて笑顔を浮かべる。
「急な話だとは思うが、お前達の厚意に甘えさせてもらうとしよう」
「ありがとうございます!お夕飯はヘリアラ様が作っていらっしゃるのですよね?お戻りになられるまでには寝所の用意は済ませておきますじゃ」
「ええと…先ほどのお話から三人分でよろしいのです?」
「はい、師匠とヘリアラさん、あと、師匠よりも小さな女の子の一人分ですが、厚かましいお願いとは思いますがよろしいでしょうか?」
「あら、小さな女の子、ですか?承知しました」
ニコニコと本当に嬉しそうな笑みを浮かべて夫婦が頷きあい、妻の方が寝所の準備に取り掛かる為に広間を出ようとすると──。
ドンドンドンドン!!
けたたましく村長の家の扉が叩かれた。
あまりにも尋常でない様子に一同は顔を見合わせた後、村長が応対へと向かう。
「どちら様ですかな?」
声色に緊張は隠せない。
万が一、村に危機が迫っていると考えたらそれも無理からぬ話ではあるが。
「サリオン冒険者アカデミーから派遣された、騎士アーキッシュ=オイゲルだ。こちらに導師マリアネッド=イーリスにお見えになられていると聞いた。取次ぎを願いたい」
(アーキッシュ=オイゲル…誰だっけか?)
その勇ましく野太い声にアルンはマリアネッドへと目を向けるが、彼女は露骨に顔を顰めるのであった…。
◆◆◆◆◆
一方その頃───。
臨時で作られたキャンプ広場の調理スペースは沢山の人が溢れ返り、様々な料理の匂いが漂っていた。
キャンプという調理方法、食材が限られた条件の中でどのパーティーも料理担当がその腕を振るっている。
人種、地方によってまさに料理は星の数である。
中には隣同士で料理を持ち合い、それを肴にパーティー同士の交流が行われているようだ。
有事ではない時だからこその、盛り上がりを見せていた。
そんな中を一人のメイド服に身を包んだ女性のエルフと、それを手伝っている幼女の姿があった。
やはりその風貌と組み合わせが特異なせいか、多くの冒険者達から目を向けられていた。
井戸が遠く水汲みをし難いという事で他のパーティーが敬遠している場所にあえて陣取っていたせいもある。
彼女達は実に手際よく二人で動いていた。
「さて、ここで焦がさないように火加減と火の距離に注意して、しばし煮込めば完成ですね」
「はいっ!お疲れ様ですっ!」
ちなみに献立は香草包みの肉団子のシチューに、白パン。それに林檎が一人につき一個つく予定だ。
初日の今日は屋敷で既に下ごしらえしていた物があるのでシチューという多少凝った食事ながらも、簡単に調理をすることが出来た。
「ウェローネ様もありがとうございます。おかげで水を運ぶ手間が随分と省けました。きっと美味しい料理に仕上がることでしょう」
「お役に立てて何よりですっ!ヘリアラ様の手際も見事なものですし、旦那様の為にお料理を教わりたいですっ」
「ふふ…そうですね。私でよければ是非に」
二人で仲良く微笑み合う姿は実に画になるもので、実際それを見かけたあるパーティーの絵心ある者は熱心に二人をキャンパスに黒炭を滑らせていた。
後にその絵がとんでもない価格で取引されるようになるのだが、それはまた別のお話。
「よォ!エルフのネーちゃんとお嬢ちゃん」
そんな仲良し姉妹のような二人の下に現れる黒い影が一つ…いや、もっと沢山の影が取り囲むように現れる。
どいつもこいつも棘のついた肩パットを装着し、得物も斧やハンマーというパワー系、頭もモヒカンやスキンヘッドという世紀末臭を漂わせた筋肉質の男達だ。
『へっへっへっ…』と下品な笑みを浮かべる者、中には舌なめずりをしている者もいる。
「…何か御用でしょうか?」
ヘリアラはさりげなくウェローネを自分の後ろに隠しながら、毅然とした表情で突然現れた男達のリーダー格の男に向かい合う。
すぐそばに立てかけているバスタードソードにはまだ手を伸ばさない。
「なァ…料理は終わったんだろォ?ちィっとばっかり、俺達の頼みを聞いちゃくれねェかい?」
「頼み?私達には、あなた方の頼みを聞く義理は持ち合わせておりませんが」
油断無く状況を観察し、最悪多少暴れても他のパーティーには迷惑のかからない位置であることを確認する。
ついでに、どうにか料理を無駄にせずに済む方法も考える。
だがどうにも状況はよくない。
料理はほぼ切り捨てる形になるだろう。
ウェローネを先に護らなければならないからだ。
(他のパーティーや衛士の救助は…アテにしてはいけませんね。叫べば加勢はしてくれるでしょうが)
「まァ、そう言うなって!おい!野郎ども!!」
リーダー格の男が叫ぶと、周囲の男達が一斉に動き始めた…。
◆◆◆◆◆
更にその頃──。
「うー…お腹空いた。お腹空いたよー…アルンとお話したいよー…ん?お水が欲しいの?」
ターシャはスレイオルに良いようにコキ使われて、少しだけ仲が良くなっていた…ような気がした。




