第十五印~旅の前夜はしっとりと その2(N)
2019/05/21 やり直し版に差し替え
夕食として食卓に並んだ料理はヘリアラが作った物は勿論、アカデミーから来たメイド研修生達が作った物も並び、そこそこ豪華な出来栄えの料理のどれもが満足度の高い物であった。
なお、アカデミーからの顧問(メイド長と呼ばれていたが)の指導もあるがプロのメイドたるヘリアラも加わることにより、キッチンは修羅場の様相を呈していたもよう。
何か手伝えないかとウェローネもキッチンに覗きに行ったが、その様子に大人しく戻ってきたのであった。
食事中にもウェローネとマリアネッドとヘリアラの間でアルンの教育方針について議論を交わして一時は険悪雰囲気になりかけたようだが、デザートとして提供されたフルーツタルトの前にはそんな雰囲気は消し飛んでいた。
物陰で例の研修生メイドがガッツポーズをしていたという噂もあるが、それはどうでもいい。
そして今度は甘い物をめぐる議論が始まり収拾がつかなくなりかけたが、同じ甘い物好きとして何とか話がまとまった様であった。
やはり甘い物は女性陣には大正義なのであろう。
なお、アルンのフルーツタルトは残念なことに彼の口に入ることなかったもよう。
食事と明日の打ち合わせも終わり屋敷を辞すると、エンデバの店に寄ってウェローネの防具一式を受け取った。
おかげで少し遠回りとなってしまったが、飲んだワインの酔い覚ましや腹ごなしには丁度良い距離であった。
寝る時には蒸し暑い時期とは言え、アルコールが入って火照った身体には夜風は心地よい物だ。
何気に昼間の訓練のおかげか疲労もそこそこ溜まっており、このまま部屋に戻ればそのままぐっすりと気持ちよく眠れそうな気分だ。
だがまだそういうわけにも行かなかった。
(タイエグおじさんにも装備の確認してもらわなきゃな…)
そう思いながら歩いていると、グイッと握られた手が引っ張られたような感覚にそちらの方に目を向ける。
「くぁ…」
ウェローネは小さく欠伸をして目を擦ると、アルンの視線に気づくと眠たげな顔のままにっこりと微笑む。
「ごめんなさいっ。はしたない姿を見せてしまいましたっ…」
「いや、こっちこそ気が効かなくてごめんな。朝早くから弁当まで作ってくれたんだもんな」
「旦那様のっ…為ですものっ。それ…ぐらいはぁっ…」
ぐっと握り拳を作って笑顔を見せるものの、どこか頭がこっくりこっくりと舟を漕いでいるようで危なっかしい。
アルンは頬を掻いて、一度荷物を下ろすとウェローネの前に背中を見せて屈んだ。
眠気の漂う頭ではアルンの行動の意図が読めずに小首を傾げるばかりだ。
「あ、あのっ…」
「ほら、転んでも危ないしさ。な?」
「ああっ…旦那様ぁなんてお優しいのでしょうか…はいっ!」
彼の意図に気づいて、躊躇って、それから一呼吸置いて笑顔で頷くと、その背中におぶさった。
「重くないでしょうかっ…?」
「ん?このぐらい平気平気。変な石像とか建築素材に比べたら全然軽いさ」
「そ、それは比較対象としてどうかと思いますがっ…」
背中におぶった状態で更に防具の入ったザックを抱え、傍らに立て掛けていた自分の武器もどうにかして手に取る。
「ほらよっと。これぐらいは出来ないとヘリアラさんに何言われるか」
随分前にヘリアラに連れられて山の中へキャンプという名の猛特訓へ連れて行かれたときは、これよりも重装備を担いで山道を歩き続かされた挙句、拠点作成からその日の食事の用意や水汲みまでさせられた事もいい思い出である。
冒険者としてやっていくには必要な事なので、訓練の姿勢としては正しい。
アカデミーでももっとマイルドではあるが同じようなカリキュラムはあるにはある。
この世界には所謂『アイテムボックス』や『無限に入るアイテム袋』なんて都合の良い魔法度具は簡単には手に入らない…というか、存在するかも怪しい。
今アルンの部屋に置いてあるウェローネのトランクがその辺ちょっと怪しいが何とも言えない。
高位の魔族で『次元倉庫』なる魔法を使える者がいるらしいとマリアネッドに聞いた事はあるが、一般に普及していない時点でそういうのは例外の域だろう。
つまり冒険に出るときは、それ相応の量の荷物を担ぐ必要があるということだ。
「頼もしいですねっ…旦那様っ…」
ウェローネはしがみつきながら、その背中に頬を擦り付ける。
「みんなのおかげだよ。みんなの。病弱だった俺がここまでなれたのは」
軽く笑いながらアルンは帰り道を歩いていく。
「ウェローネもっ…旦那様がこんなに頼もしくっ…逞しくなってくれるなんてっ…思わな…っ…」
背中に揺られている内に段々と口調があやふやになっていき、やがて静かな寝息が聞こえ始めた。
チラリと視線だけ向けて柔らかく微笑むとあまり揺らさないようにゆっくりとした足取りで、『鳥休む力瘤亭』へと足を向けたのであった。
◆◆◆◆◆
「ラブコメの匂いがキツいっ!!」
「うわびっくりした!?急になによ!?」
カタリアーナがしかめっ面で吐いた台詞に対して、面倒なものを見る目でターシャは一歩分離れた。
「こっちの話よ。それよりも…あんたはこのままでいいの?」
夕食のピークも過ぎ、今は食事よりも酒目当ての客が多い時間帯だ。
食事時よりも食堂の騒がしさは増すものの、一心地つける合間はある。
カップに注いだ果実水で喉を潤してから、ターシャはカタリアーナを睨みつける。
「…何がよ」
「またそんなトボけちゃって。アルン君の事だよ」
「し、知らないよ!」
頬を膨らませてそっぽ向くターシャのブロンドのサイドテールが揺れる。
食堂に立ってからというもの、暇さえあればカタリアーナに声をかけられていた。
勿論内容は、アルンとウェローネの件である。
「あのねぇ…他人様が言うこっちゃないんだろうけど、マズイんじゃないの?」
「それは…」
「カタリアーナちゃぁん!こっち、エールを三杯頼まぁ!!」
「はーい!ただいまー!!」
客の呼びかけに笑顔で返事した後、カタリアーナはターシャの腰をポンと叩いてカウンターへ引っ込んでいく。
「…わかってるよ、そんな事」
昨日の朝から彼女の目の前に現れた、あの幼女の存在はターシャの胸の中を大きくかき乱していた。
ターシャは今までアルンと一つ屋根の下の幼馴染という関係に安心しきっていたが、そこに慢心があったとも言えなくもない。
何よりも集会のときに冗談交じりとは言え、それなりに気持ちを込めて言ってみたあの一言をアルンから食い気味で却下されたのが響いていると言ってもいい。
彼が今まで(自分も含めてだが)年頃の周りの女性に対してアプローチもせず、逆に遠ざけている印象を感じていたのはマリアネッドと同じだった。
それがウェローネに対してどうだ?
圧倒的に最初から距離感が近い…近すぎるように思えるのだ。
密かにアルンがエルフのメイドに憧れていたのは気づいていたが、種族の違いもありそれは憧れで終わるだろうとタカをくくっていた。
マリアネッドに対してもも同じようなものだ。
二人とも、魔術と戦闘の師匠だ。
それ以上の関係になるのは、きっと無い(とターシャは思っている)。
そうなると一番近くにいるのは自分と言う事になる。
小さい時に父に連れられて行ったムリエで出会った少年の存在は、ターシャの中でこんなに大きくなっている。
だというのに、その肝心な相手は一向にこちらを振り向いてくれないという。
進展も何もあったもんじゃない。
そこであの幼女である。
彼は断じて幼女を愛でる趣味はない。
間違いではない。
…間違いではないはずだ。
……間違いではないと思いたい。
というか、間違いが起こってたまるか。
(ホントにどうしよう…)
こっそりとため息を吐きつつ眉を落とす。
今のままでは『長い付き合い』というアドバンテージはまったく意味をなさない。
もっと直接的に攻めていかねばならないのだが、流石にそれは心と身体の準備が必要だった。
昨日だったら勢いでなんとかいけたかもしれないが…一度冷静になるとちょっと無理だ。
「ターシャちゃーん!こっちに果実酒とバター多目でじゃが盛り頼むー!ターシャちゃーん?」
「あっ!はーい!」
考えに没頭しかけていた所を客の声で我に返って、笑顔で返事をすると厨房へ注文を通す。
そんな様子を傍から見てカタリアーナは肩を竦めはしたが、ターシャの明日からの予定を聞いているのでそこに期待せざるを得ないのであった。
(ま、頑張んなさいよー…面白いから)
同機は不純ではあるが…所詮恋愛事は他人にとって見世物でしかないのだ。




