プロローグ
こんなに緊張するものだとは思わなかった。
好きな女の子が目の前で僕を見つめている。鏡の前であんなに練習したのに、たった二文字の言葉が喉から出てこない。上手くいってもいかなくても世界が変わってしまう。それ程この言葉に破壊力があるという事に今更気付いてしまった。逃げ出したい。今すぐ過去の自分に忠告しに行きたい。
何これ想像と全然違う! 詐欺だよ畜生!!
「話って……、何かな……?」
小さな声で彼女が尋ねてきた。やばい、ずっと黙り込んでいたのか? それとも怖い顔をしていたんじゃないだろうか? 駄目だ、心臓が五月蝿いせいで全然分からない! 昨日あれだけ練習したのに何1つ思い出せない!!
ああもう余計な事は考えるな!
伝えたい二文字の言葉だけは忘れてないんだ!!
「伝えたい……、聞いて欲しい事があります……」
緊張で水分が蒸発しきった喉から声を絞り出したけど、何故か敬語で喋ってしまったせいで怪訝そうな表情を返されてしまった。畜生っ、全然上手く出来ない! だけど今更止まれない!! とにかく口を開いて言葉を吐き出さないと!!
「最近、勉強とか……、一緒に話したりが増えて……、その時間が嬉しくて……」
今度は文法がおかしい。そもそも僕の声は届いているのか? 彼女の顔を見ているのに、今どんな表情をしているのかが全く分からない。五感がどんどん奪われていくような気分だ。
「一緒にいると……、楽しくて……、嬉しくてさ……」
声が裏返りそうだ。喋るのってこんなに難しかったっけ? しかも同じことばっかり言ってないか?
「……………………………………………」
黙っちゃ駄目だ! 前置きだって十分長くなっているはずなのに、何で上手く出来ないんだよ!! 心臓が五月蝿い! 顔が熱い!
逃げ出したい!逃げ出したい!逃げ出したい!
今の自分が情けなくて悔しくて自己嫌悪に陥っていると、声が聞こえてきた。
「白石君」
自分の名前が聞こえて緊張が和らぐのと同時に、彼女の表情が見える様になってきた。
困った顔をしていた。
目が少し泳いでいた。
顔が赤かった。
僕の顔を見てくれていた。
待ってくれていた。
そんな彼女が見えた瞬間、自分の中にあった何かが溶けだし、そこからは濁流に押し出される様に伝えたい言葉が溢れ出てしまった。
「黒川奈子さん、好きです。僕の全てをかけて貴女を幸せにします。付き合って下さい」
言えた。
生まれて初めて告白をしてしまった。
気持ちが伝えられた自分自身に感動した。
ドラマや漫画では頻繁に行われている事だけど、自分には現実味のない行為だった。想像したり彼女がいる奴から話を聞いても、それを自分がやるイメージが全く想像できなくて、それでも『黒川さんともっと一緒にいたい』という思いだけで告白をしてしまったのだ。
高校2年の新学期に席が隣になった時から毎日おはようの挨拶をして、7月の期末前に図書室で勉強していたら勉強中の黒川さんを見つけて、次の日に初めて雑談をして、お互いが視界に入る場所で勉強をする様になり、気付いたら勉強の質問をする様になり、試験結果が出た時にお互いの顔を見て良い結果だった事が分かって、それまでの時間がとても楽しかった事に気付いて、夏休み開始まで残り一週間を切ったこの日の放課後に黒川さんを人気のない校舎裏に呼び出して今に至っている。
そんな事を思い返してから彼女を見ると、俯いているから表情が分からなかったけど、耳が赤かった。
今すぐにでも返事が聞きたいけど、焦っちゃ駄目だ。黒川さんは僕を待っていてくれたから、僕も我慢しなければならない。そんな僅かな静寂の後、黒川さんが顔を上げてきた。顔が真っ赤で、しかも体が小刻みに震え出して、目がすっごい泳ぎまくっている。
やばっ、何とかしてあげたいけどどうすればいいんだ?
考えても答えが出なかったので、笑ってみた。もしかしたら緊張でずっと怖い顔をしていたのかもしれない。そうしたら黒川さんが口を開いて
「あっ…、えっと、その……ちょっと…………ごめんなさい!」
そう言った後、黒川さんが逃げてしまった。
あれ? ゴメンナサイ?
その言葉がどういう意味なのかは知ってるけど、理解できない。だけど黒川さんの背中がどんどん小さくなっていき、反射的に足が動いてしまい、その気配に気付いた黒川さんが、
「来ないでーーーーーーーーーー!!!」
この叫びが聞こえた瞬間、急に足が止まってしまい受け身も取れずにぶっ倒れてしまった。左腕の肘と手の平が痛いけど全部どうでもいい。頭の中が真っ白だ。 だけど時間が経つにつれて思考がゆっくりと巡っていく。
「フラれた…」
小さく呟いた後に実感が沸き出てくる。酷い告白だった。グダグダな会話から始まってムードも作れず突然の告白、しかもフラれた後に未練タラタラを追いかけようとしたら拒絶される有様だ。初恋は上手くいかないとは聞いていたけど、それ以前の問題だった。
深い溜め息が止まらない。黒川さんとの関係が変わってしまった。もう今まで通りに挨拶すら出来なくなる現実を認める事が出来ない。事前にこうなってしまう未来があるって覚悟していたのに、受け止められない自分自身にもがっかりだ。そもそも何故追いかけてしまったのだろう。フラれた時は潔く諦めると決めていたのになぁ……
気分が落ち着いてきたし帰宅しよう。ここに居続けていても仕方がない。涙目だったので水場まで移動してから顔を洗い、ついでに左腕の傷も水で綺麗に洗い流す。鏡で顔を確認してみたけど、人に見られても大丈夫な位には回復していた。それからは寄り道せずに自宅に駆け込み、母親にただいまを一方的に告げて部屋に入り、制服を脱ぎ捨ててベッドに倒れ込んだ。
忘れられない一日になってしまった。
いや、忘れる事が出来ない一日になった言う方が正しい。
思い返しては自己嫌悪のループを繰り返し続けて、脳がどんどん重くなっていくのに止められず、気付いたら深い眠りについていた。この一言をつぶやいた後に。
「明日からどうしよう」
一生懸命書いたので、この物語に付き合っていただければ幸いです。
因みにタイトルの情感とは『物事に接したときに心にわき起こる感情』という意味です