4.広場
「お前が探しものをしている間に、こっちであらかたの魔獣は片付けたよ。残りは逃げたから、まあ問題ないだろう。助けた中に動けそうな町人がいくらかいたから、生き残りを探してこの広場へ移動するように声を掛けさせているところだ。燃えたり壊れたりでまともな建物が少ないが、まあ、このあたりが一番被害が少ないからな」
「そうか。ところで双子の姿が見えないが・・・?」
「ああ。この国の軍隊らしいものがこちらに向かっているのを見つけたんで、こっちへ誘導することにしたんだ。ケインとケリーの二人を行かせてる。さっき出て行ったから、この距離なら、多分夕方には連れてこれるだろ」
赤毛のラースさんははわたしの事を抱き上げたまま、青毛のジンさんと話を続けていた。
真面目な話をしている最中にわたしが子供のように抱かれているというのは、・・・・・かなり間抜けた有様だと思う。
二人の話の様子だとどうやらこのあたりは安全なようだし、そろそろ下ろしてくれないだろうか。命の恩人の手を煩わせ続けているのは申し訳ないし、なによりも恥ずかしくて仕方がない。
二人の話が途切れたところを見計らって、わたしはラースさんに話しかけた。
「もう安全そうですし、わたしは本当に大丈夫です。助けてくださってありがとうございました。あの、そろそろ下ろしていただけないでしょうか」
わたしがそう申し出ると、向かいにいるジンさんがぎょっとした顔をした。
・・・・・・・え、わたし、何か変なことを言った?
「・・・・・あの」
ラースさんを見上げると。
ラースさんは、なんというか、・・・・・固まっていた。
さっきの途方にくれた顔。あの顔をして、わたしを見下ろして、固まっていた。
「えええ?・・・・・お嬢ちゃん、ナニ言ってんの?」
ジンさんはわたしとラースさんを何度も見比べて「え?」「どゆこと?」と慌てだした。そしてラースさんの肩を掴んで揺らそうとしたところで、わたしが胸に抱えられているために掴みかかるのを止めてそのままのけ反った。
・・・・・・うん。とりあえず、ものすごく慌てていることは伝わってきた。
「え、・・・・ラース、この娘、お前の番、・・・だよな?」
ジンさんがラースさんに言い募る。
ラースさんはコクリと頷いた。
・・・・・ツガイ? 聞き慣れない響きだ。なんだろう・・・・?
よく分からないが、ピキリと固まったまま、ラースさんはやはりわたしを下ろしてくれない。
もう1時間以上わたしのことを抱いたままだというのに、腕は辛くないのだろうか。
鍛え上げられた体だとは思うのだけれど、そうはいってもそこそこ重さのある娘一人をずっと抱き続けるのが負担でないはずがない。下ろしてくれればいいのに。
どうしようかと思案しながら視線をふと逸らすと、数人が連れ立って広場へ入ってくるのが目に入った。
『生き残りを探してこの広場へ移動するように声を掛けさせている』、そうジンさんは言っていた。この街で命を落とさずに済んだ人たちがやってきたのだろう。
きょろきょろと周りを見渡しながらぼんやりとする。なにか大切なことを忘れているような気がしてならなかった。
「・・・・・名前を教えてくれないか」
硬い声が聞こえた。
視線を彷徨わせていると、もう一度声が降ってきた。
「俺の名はラースと云う。・・・・君は? 君の名前を教えて欲しい」
言われてみれば、わたしは命の恩人に名乗りもしていなかった。なんたる失態。愛想だけは一人前の、食堂の看板娘の名が廃るところだった。
今更ではあるけれど、名前を名乗り改めてお礼を告げようとした、その時だった。
広場の端の辺りから叫びのような大声が聞こえてきた。
『親父!無事だったのか、良かった!・・・お袋は?お袋は一緒じゃないのか!?』『・・・母さんは、母さんが・・・・あああああ!!!! 母さんがぁ!!!』
ラースさんの腕の中から声の方に顔を向けると、男の人が二人、嘆いていた。親子なのだろう。・・・会話の内容から察するに、一家の母はおそらく魔獣に殺されたのだろう。
改めて広場を眺めてみると、圧倒的に男性ばかりで女性の姿は殆ど無かった。・・・子供に至っては皆無といってもいい。
もともと魔獣は肉の柔らかい女性や子供を特に好むと噂には聞いていたが、この広間の惨状を見るに噂は正しかったようだった。
ぼんやりと二人や広場の様子を眺めているうちに、ふと気付いた。
親父さんと女将さんの姿が、無い。
ぞわり、と悪寒が体を駆け巡った。
そんなはずは無い。どこかにいるはずだ。
広場を隅から隅までもう一度眺めるけれど、やはりそれらしい姿は見当たらない。『ひまわり亭』の二人の姿が無い。
ガタガタと体が震えだすのが、自分でも分かった。
「 ? ・・・・大丈夫か、どうした?」
震えるわたしをラースさんが抱きしめてくるけれど、それどころではなかった。
行かなくては。
きっと、二人は『ひまわり亭』に居る。さっき、生き残っている人を探しに人を出していると、ジンさんは言っていた。まだ二人は広場にたどり着いていないだけ。そうに違いない。
いや、ひょっとしたら怪我をして動けないのかもしれない。
魔獣の被害は甚大だ。わたしは幸いにもかすり傷ですんだのだけれど、周りを見れば怪我を負っていない人の方が少ない。親父さんや女将さんも、怪我をして動けずに困っているのかもしれない。
こんな所でのんびりしている場合ではなかった。
二人を迎えに行かないといけない。
今すぐに。
「下ろしてください」
ラースさんの腕を振り払い降りようともがくが、抱きしめられていて動けない。胸に腕を突っ張って離れようとするが、ずり落ちそうになったわたしを彼は慌てたように抱えなおしてしまった。
「危ないよ。いきなりどうしたんだ、落ち着いて」
「下ろしてください。わたし、行かないと」
もういちど厚い胸板に手をついて離れようと暴れるが、びくともしない。
「お願い、離して! わたし、早く迎えに行かないと行けないの!!」
どうしよう。こんな所でのんびりしている場合じゃなかった。
早く二人を探さないと。
失ってしまうその前に。
「お願い、下ろして!!」
どうしても離れてくれない彼に業を煮やしたわたしは、体を捻って落ちるように腕から逃れようとした。焦りバランスを崩しそうなわたしに慌てたラースさんが屈んでわたしの足を地面に下ろしてくれたので、やっと彼から離れることができた。
「助けてくださって本当にありがとうございました。後ほど改めてお礼に伺います。今は急いでいるので、これで失礼します。ごめんなさい」
それだけ告げると、わたしは走り出した。
・・・・いや、走り出そうとした。けれど、できなかった。
ぐいっと腕を引かれて、腰に腕が回る。
「・・・・・え?」
見ると、泣きそうな顔をしてラースさんが私を捕まえていた。その向こうには焦った顔のジンさん。二人とも「どうして」とでも言いたげな目をしていた。
「待って。どこへ行くの? 街にいた魔獣は全て駆逐したはずだが、そうは言ってもここは危ない。俺の傍から離れたら駄目だ」
そう言って腰に回った腕に力が込められた。 腕を引き剥がそうと引っ張るが、びくともしない。・・・こんなことしている場合じゃないのに。早く迎えに行かないと。
「離してください。わたし、行く所があるんです。早く行かないと!」
「だめだよ、危ない。ここから離れたら駄目だ」
「そんなこと言っていられません、怪我しているかもしれない。早く探さなきゃ!」
喚くわたしに構わず、腕は解かれない。
焦りが高まる。
解放してくれないこの人に苛立ちが募っていく。このままでは命の恩人のこの人に対してひどいことを言ってしまいそうだ。お願いだから、わたしが暴言を吐く前に早く解放してほしい。
「・・・・・ひょっとして、家族を探しにいくのかな?」
はっとしたように、ジンさんが言った。
間髪いれずわたしは頷いた。本当の家族ではないけれど、わたしにとっては実の両親よりも慕わしい大切な存在だ。
「そういう事なら仕方が無い。ラース、連れて行ってやれよ」
「・・・・・・そうだな。ここでじっとしていろというのは無理というものだな。どちらへ向かえばいい?」
「・・・え?」
きょとん、とした隙にまたラースさんに抱え上げられてしまった。
・・・・・・え、どうして?
「街は瓦礫だらけで足元も危ういし、まともに道は進めない。・・・それに、君のその有様では碌に走れないだろう。俺が抱えて連れて行く」
ぐ、と自分でも声が詰まったのが分かった。・・・そうなのだ。あの時は必死でそれどころではなかったけれど、魔獣から逃げようと抗ったことで、実はかなり疲れていた。
ここから『ひまわり亭』まで、普通に歩いても2時間は掛かる距離だ。まともな状態ではない街の中、体力が持つかと云われれば、実は怪しい。けれどそんな事は言っていられない。親父さんと女将さんがきっと待っている。何が何でも行かなくては。
「・・・・でも」
「俺は君を一人で行かせる気はない。だから遠慮する必要は無いよ。・・・それで、どっちだ?」
「・・・・・・」
・・・・・・彼の申し出は、すごくありがたかった。だけど・・・・。
焦ってはいるものの、さすがに命の恩人にそんなことをさせていいのかとの気持ちもある。
魔獣を倒しここまでわたしを抱き上げ続けながら連れてきて、しかもまったく疲れた様子もない彼ならば、きっと難なくわたしを『ひまわり亭』まで連れて行ってるだろう。
けれど、先ほど出会ったばかりの、しかも命の恩人に、そこまで甘えるなんて常識外もいいところ。さすがに理性が『そんな失礼なことはダメだよ』と囁いている。
「どうしたんだ? 急いでいるのだろう?」
ラースさんの言葉にはっとした。そうだ、のんびりしている場合じゃない。急がないと。
・・・・・・でも。
「・・・いいんですか?」
自分でも不安そうな声だった。急く心と戸惑いが混ざったような。
けれど彼はあっさりと頷いてくれた。
「大丈夫だ。すぐに俺が連れて行ってやるから安心して任せろ。それで、どちらに向かえば良い?」
にこりと彼が笑う。
わたしの大好きなひまわりのような、鮮やかな笑顔だった。
この殺伐とした街には不釣合いなほどの大輪の笑顔。
綺麗な人だな、と、こんな時にもかかわらず私は思ってしまった。
「どうした?」
問いかけられて私ははっとした。そうだった。見惚れているばあいじゃない。
「港の方へ行きたいんです。この街の南にある港の方面へ・・・」
この北の広場と『ひまわり亭』がある港近くの広場は、ちょうど街の端と端にあたる。まっすぐ街を横切ってもかなりの距離があった。
けれど。
「分かった。しっかりと口を閉じておけ。舌を噛むといけないからな」
「は? 舌、ですか?」
「こら、言ったそばからしゃべるんじゃない。結構揺れるぞ。口を開けるな」
ぶんぶんと首を縦に振った。わかりました、しゃべりません。
「よし、しっかり掴まっていろ。それから、怖かったり目を回しそうになったら、目を閉じて。じゃあ、いくぞ」
そう言ったと同時にラースさんの足が、ぐ、と力を込めたのが分かった。そして。
彼はすざましい速さで、高い建物を飛び越え、走り出した。