1.はじまり
なろうの読者さん、はじめまして。お月様でご存知の方、いつもありがとうございます。
書溜めがないのでゆっくり更新になりますが、よろしければお付き合いくださいませ。
黒煙が上がっていた。
先ほどまであちこちで響いていた悲鳴も、今はわずかしか聞こえてこない。
辺り一面が真っ赤に染まり、肉片が転がっていた。
いつもは潮風が通る道は、いま鉄の匂いに満ちていた。
いつも通り朝起きて、いつも通り店へでて、いつも通り働いた。
親父さんと女将さんと一緒に、今日も繁盛したお店を片付けて仕事を終えた。
いつもと変わらない一日だった。
きれいに晴れ渡った青空の昼下がり。
その日、私が住むこの街は、壊滅した。
1. はじまり
今日は、今週の賃金を貰う日だった。
一週間分の給料となけなしの貯金を握り締めて、商店街の奥へと急ぐ。
かねてから頼んでおいたお菓子を買いに行くのだ。
今日は、親父さんと女将さんの結婚記念日だ。
しかも、20周年! 長年連れ添い仲の良い二人にとっても格別の一日。
日の出と共に暖簾をだして、朝早くから港の男衆を相手に飯屋を営み、昼は商店街や土建の男衆で賑わう『ひまわり亭』は、お客さん達の「おめでとう」の掛け声が朝から響いていた。
もちろん『ひまわり亭』の給仕を勤めるわたしも、朝一でお祝いを告げていた。二人は嬉しそうに恥ずかしそうに、「ありがとう」と笑ってくれた。
『ひまわり亭』は午後2時には店を閉める。賄いは朝・昼だけの営業で、夕方まで翌日の仕込みをして一日が終わる。給仕の私は日の出から午後2時までの勤務だ。
だから、いつもならこの頃合は風呂屋へ行ったり部屋でのんびりしたりしている時間でもある。
でも、今日は違う。
2週間前、わたしを雇ってくれている二人の結婚記念日がこの日と知ってから、昼下がりは商店街をうろうろしながら、わたしの乏しい財布で賄えるそれでいて喜んでもらえるお祝いの品はないかと、ずっと考えていた。
そんな時、店に来たお客さんから珍しいお菓子の話を聞いた。
チコレットという、茶色く甘い蕩けるお菓子。とても高級でわたしたち平民の口に入ることはない食べ物。そのお菓子を商店街の奥に店を構えるお菓子屋『獅子の肉球』が仕入れたらしい。
おそるおそる『獅子の肉球』に向かったわたしは、噂のチコレットは確かに仕入れたと聞いた。だが、高い。コップ一杯分のチコレットの値段は、わたしが一生かかっても買えないような驚くほどの高額だった。
落ち込むわたしに、『獅子の肉球』の女将が冷かすようにしてチコレットを求めた理由を聞いてきた。しょんぼりしながら訳を話すと、女将の態度が変わった。そういうことならと、干した果物にチコレットをコーティングしたものを薦めてくれたのだ。
本来、チコレットはそういう売り方はしないらしい。
そもそも今回チコレットを大量に仕入れたのは、さるお貴族様のお宅へお菓子を納品するためだった。だからお菓子を作ればチコレットのカスがでる。その残ったチコレットのカスを溶かして、わたしでも買える値段のお菓子を作ってもいいと『獅子の肉球』の女将は言ってくれた。
だが、それでも高い。チコレットを纏った菓子は二粒で1銀。つまり、わたしの一月分の給金だ。他の人であれば、高いとはいってもそこまで迷う金額ではないかもしれない。 しかしわたしのような貧困に喘いできた人間にとって、そしていまでもどちらかといえば底辺といえる実入りで暮らしている人間にとっては、おいそれと出せる金額ではなかった。
でも二人が喜んでくれる顔が見たい。賄い屋を営むだけあって二人とも食べることが大好きだし、なによりも厳つい顔の親父さんは外見に似合わず甘いものに目がないのだ。どうしても、チコレットをプレゼントしたかった。
幸い、『ひまわり亭』で働くようになってから、貧乏とはいっても毎日僅かだが小銭を貯めることができるようになっていた。いま、手元にはなんと3銀もの蓄えがある。薄給ではあるが家賃がタダのおかげで蓄えられたお金が手元にあるのだ、払えない金額ではなかった。
その場で是非にとお菓子を頼むと、次の日にはお菓子の手付け代、2銅を支払った。『獅子の肉球』の女将は任せておけと胸を叩いてくれた。いい人だった。
そして今日、わたしは頼んでおいたチコレットのお菓子を引き取りに、『獅子の肉球』屋へと向かっている。
親父さんと女将さん、『ひまわり亭』の二人は私の恩人だ。
わたしは今では二人を家族とも親とも思い、慕い尊敬している。
二人は、身寄りもなく仕事も失ない体を売って生きていくしか術がないと追い詰められたわたしを雇ってくれて、店の2階の空き部屋に「狭いけれど良かったら」と言って住まわせてくれた。
たまに『ひまわり亭』へと足を向けるだけの客だったわたしを助けてくれたのだ。
『ひまわり亭』は、この辺りの衆が使う賄い屋の中でも、安い店だ。その『ひまわり亭』にさえ1月に一度行けるかどうかというほど、以前のわたしは生活に困窮していた。
両親はいない。父は幼い頃に気付いたら消えていた。
母も2年前に、消えた。街の宿に所属する売春婦だった母は、多分客の男と懇ろになり出て行ったのだろう。母が消えたことにわたしは一週間気付かなかった。宿の番頭が訪ねてきて、やっと母が居なくなったことを知った。幸い借金はなかったので問題にはならず、話はそれで終わった。
母は身を売って金を稼いでいたが、わたしは港で木屑拾いをして働いていた。娘が家族に身売りを強制される話はよく聞いたが、うちではそれは無かった。母が優しいからではない。女として、若い娘に嫉妬していたからだ。気付いたら、朝早くから賑わう木材港での屑木を片付ける仕事を探してきてわたしに宛がい、自分は女としての仕事をして悦に入っていた。
だが、木屑拾いは女としての身の危険がなく、わたしにはありがたかった。そして屑木拾いの仕事があったので、母が消えても困らなかった。貸家の棚賃と食費でカツカツだったが、なんとか身を持ち崩さずに生きてこれていた。
だが、ある日あっさりとその仕事を失った。
最近は物騒になり木材の流通が悪くなったとかで、港の景気はめっきり落ち込んだ。そして不景気になった港では男衆に、手が空くと木屑の片付けをさせるようになったのだ。今週に入って働いた3日間分の給金を受け取り、わたしはお払い箱になった。
明日からの糧がない。職を失い、わたしは目の前が真っ暗になった。
そして、最後の給金を握り締めて、次の日に『ひまわり亭』に行った。
実は、それまでにもコツコツと小銭を貯めて、月に1回程度、わたしは『ひまわり亭』へと通っていた。 何故そんな贅沢をしていたのかと言えば、理由は単純だ。
ある日たまたま通りがかった『ひまわり亭』で、にこやかに話す女将さんと無愛想ながら若い衆の肩をたたいて励ます親父さんを見た。
眩しかった。
わたしはずっと底辺でドロに塗れたような生活を送ってきた。そんなわたしには、二人が、わたしが焦がれ憧れてやまない優しい家族の象徴のように見えたのだ。虫が焚き火に惹かれるように、わたしは『ひまわり亭』へと通うようになっていた。
職を失ったのは、そんな生活を送るようになって2年ほどたったある日のことだった。
木材港での仕事を失い、明後日の貸家の支払いが出来なくなったわたしは、家を追い出されるかどうかの瀬戸際だった。だが、この街でわたしのような小娘が働く口はない。それこそ、この身を売るしか仕事はないのだ。クズのような母の仕打ちだったが、仕事を宛がってくれていたことは実はわたしにとっては救いだったのだ。だが、その仕事も、もう無い。
日の当たる生活はもう出来ない。
ならば、最後の給金で『ひまわり亭』に行こうとわたしは決めた。店の名前の通りに朗らかなあの店で、堅気の生活の最後を迎えたかった。
午後一番の、とはいっても『ひまわり亭』としては遅めの時間、わたしは客としてテーブルに着いた。
『ひまわり亭』は小さな店だ。15人位が座れる横長のテーブルと、8人程が並べる立食い用のカウンター。だがちょうど客足が引けたところで、客はわたしだけだった。
「いらっしゃい、ひさしぶりだね。今日は臓物煮込みの定食と、魚フライの丼がお勧めだよっ!」
いつも通り元気な女将さんに「じゃあ定食を」と頼む。いつもならここで女将さんと一言二言くらいは話をするが、さすがに今日はそんな気にはなれなかった。最後だからこそ楽しく過ごしたいが、そこまで前向きにはなれなかった。
『ひまわり亭』で定食を平らげたら、母が通っていた売春宿へと向かうつもりだった。体を売るにしても普通だったら宛てはない。だが、幸いと言ってはおかしいが、私は母のおかげで売春宿の番頭や用心棒とも顔見知りだった。下手に一人で体を売るよりも宿に置いて貰ったほうが安全だ。私を売春宿でつかってほしいと、番頭に頼んでみるつもりだった。
だが、売春宿は夕方から明け方が稼ぎ時だ。朝一から昼過ぎが商売のこの店に、わたしが来られることはもうないだろう。
ぼんやりとしていると、わたしの前にゴトリと盆が置かれた。ほかほかと湯気を立てた定食だ。顔を上げると、女将さんがわたしを見ていた。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい。いつもと違って辛気臭いねぇ・・・」
女将さんがどっかりとテーブルの向かいに座った。
「・・・・・・いえ、事情がありまして、仕事が無くなって。・・・もうこの店には来られそうにないんですよ、今日が最後なんです。いつも美味しいご飯をありがとうございました」
誤魔化そうかとも思ったが、口が勝手に仕事を失ったことをしゃべっていた。誰かに同情して欲しかったのかもしれない。人のいい女将さんなら、「それは大変だね」くらいは言ってくれそうだ。
だが、女将さんは変な顔をすると、席を立って調理場の方へ行ってしまった。
自惚れていたのかもしれない、優しい言葉をかけて貰えると。 しかし客ならともかくもう来ない客に愛想よくする必要などは無い。
惨めな気持ちで煮込みをつついていると、ふと影が落ちだ。
「?」
顔を上げると、親父さんだった。
「お前、仕事が無いのか?」
しまった、と思った。仕事が無いなどといえば、食い逃げを疑われても仕方がない。違うというように財布を出して、訴えた。
「大丈夫です、ちゃんとお金は払います」
そういい募るわたしに、親父さんは首を振った。
「そうじゃない、仕事が無いのかと聞いている」
「・・・・はい」
辛かった。口に出すと、明日からの不安が募る。なぜそんなことを聞いてくるのだろう。お金は払うから放っておいてほしい。わたしの中のきれいな『ひまわり亭』の思い出が失われるくらいなら、来るべきではなかったのだ。
だが、親父さんは信じられないことを言った。
「・・・・・仕事が無いなら、うちで働くか?」
「・・・・・・。 は?」
「実は、給仕をしてくれていた隣のばあさんが、田舎に引っ込むことになってな。ちょうど一人雇うかと話していたところなんだ。あんたなら、ずっとうちに通ってくれてるから、勝手が分かってやり易い。たしか港で働いているって言ってたから、朝早いのも平気だろう?」
夢かと思った。こんなうまい話、あるはずがない。
だが夢は覚めず、親父さんはさらに言葉を続けた。
「給料はそんなには出せないが・・・。今、幾ら貰ってる?」
「・・・・週に2銅3錫です」
「だったら大丈夫だな。うちもそれ位で考えていた。朝昼は賄いをつけるから、悪くないと思うが?」
悪くないどころじゃない。
2銅は確かに安い賃金だ。だが、わたしのような身寄りのない女がつける仕事の給料なら、もっと安く叩かれてもおかしくない。なのに賃金が変わらなくてしかも2食タダなら、ありがたいことこの上ない。
直ぐにでも頷きたい。だが、わたしにはもう一つ問題があった。
「・・・・どうした?」
焦るわたしに、親父さんが聞いてくる。
わたしは、貸家の棚賃である2銅の支払いが明日であることや、最後の給金をこの食事で使おうとしていたことを正直に話した。この食事代を最初の給料から差し引いて貰うことができれば。手持ちの最後の給金1銅と、家にある僅かな小銭とあわせて数少ない服を質にいれて金を作れれば、体を売らなくてもなんとか棚賃が払える。そうすれば『ひまわり亭』で働くことができる。わたしは必死だった。
だが、親父さんは神様みたいな人だった。
わたしが思ってもいなかった事を言ったのだ。
「そういうことなら、3畳くらいだが2階に空いている物置がある。そこに住んでもいいぞ、越してくるといい」
しかも部屋代は要らないという。まさに破格の条件だった。
しかし、ただの客のわたしになんでそんなに親切なのか。
普通なら裏があると思うところだが、わたしの知っている『ひまわり亭』はそういう後ろ暗さとは無縁だ。
だが、不思議だった。
親父さんは言った。
「どうせ人を雇うことは決まっていた。だったらしっかりした人間を雇いたい。あんたとは2年ほど、客と賄い屋の関係を続けてきたが、真っ当な人間だと思ってる。そして正直な娘さんだ。それだけだ」
わたしは店先で子供のように号泣した。
親父さんはわたしのことを「真っ当だ」と言ってくれた。
とても嬉しかった。
「そんなに泣くと目が溶けちまうよ、お嬢ちゃん。泣き声よりも、あんたの名前を聞かせておくれよ」
女将さんがわたしの背中を擦りながら、やさしく声をかけてくれた。
「・・・リイナ。 リイナといいます、女将さん」
しゃくりあげながら、わたしは答えた。
そうしてわたしは、この『ひまわり亭』で給仕として働き始めたのだ。