壁の影のように~桜~
「桜の木の下には死体が埋められているんだって。だから、あんなに綺麗に咲くらしいの」
あたしはコロコロと笑いながら、話し掛けた。
「よく聞くけど、出所はどこなんだ?」
「あたしも知らないよ。どこだろうね?」
そして、彼ならば溜め息混じりに頭を掻くだろう。
「知らないって無責任な」
「だって、知らないんだから、しょうがないでしょ」
梅雨の明けた初夏。それも夏休み前の試験期間を抜けた終業式、さらにそれさえも終わった午後。
屋上に立ち、あたしは給水塔に言葉を掛けていた。
黙したまま決して語ろうとしない給水塔に、あたしは待ち人の容姿を重ねて、さらには彼の言葉をあたしが代弁までして、会話を成立させていた。
そんなことをしなければいけないのは、あたしが彼を屋上に呼んだから。
又聞きして知った彼は、何度も告白される程の容姿も性格でもなさそうに見えたけど、あれで何か秘密があるのかもしれない。何せ彼を呼び出しているあたしも、彼に告白するのだから。
下駄箱に忍ばせた便箋に気が付くには、もう少し時間が必要かもしれないけど、便箋を読んでくれれば、彼はきっと来る。
携帯電話が普及する現代において、古風にも便箋を出したのは、雰囲気が出るからだ。字には書き手の性格が顕れるとも聞く。
だけど、それはもっともらしく理由を付け加えただけ。送り主を明確にしなくても届けられる伝達ツールとして、今回は便箋にしたのだ。
差出人不明の呼び出しは、差出人の存在が気になるものだから、きっと足を運んでくれる。文面も、時間と場所指定のみというシンプルなものにしてみた。
そんなことを暑さでぼぉっとする頭の中で明かしていると、ようやく校内に続く重い扉がギャギャギャと音を発てた。
慌てずに、有るべき姿勢をとる。
後は練習したようになるから、彼の立ち位置を見計らえばいい。どうして? 彼に特別な感情を抱いていないから。でも、告白をするのだ。ホント何してんだろう。
胸に手を当てて、過呼吸気味に待つあたしは今時芝居でやっと聞くような常套句を口にする。
「す、好きです。付き合ってください」
相手は一筋縄にはいかない御仁。リードを奪われないように、ちら見以外では顔を見ないように一気呵成に告白した。
そんな幸せ者の彼はと言えば。一拍置いて、返事をしてきた。つまらない、分かっていた言葉。だけど、引き下がる訳にはいかなかった。
あたしは足元の影に視線を落として、太ももを伝い垂れる汗を拭いたい気持ちを我慢して、動かない。
どうでもいいことだけど、ここでピカドンがあたしを襲ったら、その想像を絶する圧倒的な閃光が一瞬のうちにタイルに影を写し込んで、持ち主の判らない影の標本が出来上がるのだろう。そこには人がいたことしか認められない。本当に無惨だ。
それはさておき。
あたしはぼろぼろと涙を零しながら、棒読みで壊れたレコードのように同じフレーズを繰り返し呟く。
「振られちゃいました」「振られちゃいました」「振られちゃいました」「振られちゃいました」「振られちゃいました」……
女の子に非道い返事をする彼に、それを止める言葉は告げられない。
「振られちゃいました、ね」
まだ涙は頬を転がっている。だけど、あたしはフレーズを変えた。
あたしは、ここの生徒として、目の前の男子生徒以外の学校関係者に見られる訳にはいかないのだ。
いかに白いブラウスに、襟の赤いリボン。チェックのスカートは膝小僧を覗かせるくらい。ターメリック色のブレザーはスカートの下地と同じ色をした指定の制服を指定通りに着こなしているとはいえ、逆に目立つ格好になっているあたしは売れない役者っぽさがにじみ出ている。
だから『悲しそうな面持ちで謝り、有らん限りの勇気をもってぶつけられた告白を否定した』彼を騙し続ける気概も出てこようというものだが。許すまじ。
繰り返すけど、あたしは彼に一片の恋情も持ち合わせていない。
だけど、こんなにも『薄化粧で可愛く仕上げた』あたしの、その告白に泥を塗った男は命綱の用意されていないバンジーでもすればいい。
あたしは俯いている彼に向かって歩き、目の前に立つ。
上履きに書いた逆さの名前が目に飛び込むように。
彼はこれまでに二度ほど同じ場面を経験したとか。振った後も執拗に粘られた一度目に、振った直後に友人らしい女子が殴りつけてきた二度目。三度目が待つ展開を彼は想像できるだろうか。同じ展開はこちらから願い下げ。
と、ようやく彼は気が付いてくれたようだ。
少し見入っていたところに、あたしは恥ずかしそうに言った。
「名案だと思ったんですけど、間抜けですよね」
告白した女の名前を覚えないという相手の屑主義に辟易しながら、ならば『意地でも名前を』という熱がここまで突き動かした。
上履きにあるあたしの名字から逃れるように背を伸ばす彼に、
「先輩」
上目で、
「あたしも知ってました、先輩には好きな子がいるってこと。だけど、」
あたしは一つだけお願いをした。
「あたしの名前を呼んで欲しかったんです。屋上を離れたら忘れちゃってかまいません。あたしは一年二組の――」
往生際悪く、耳を塞ぐ彼。目も勢いで瞑っている。ならば、あたしは名乗らない。代わりに進む。
少し錆び付いた金網にスカートを引っ掛けないように気を付けて、髪をふわりと揺らす。
「――ッ」
声にならない悲鳴が聞こえた。ようやく彼は目を開けてくれたらしい。耳も大丈夫かな。ここまではあたしの書いた台本通り。何回もいろんな名字を名乗ったよね。でも名前は変えなかったんだ。
今頃、あたしの本当の名前を知りたがっている頃かな。
「先輩。あたし、桜綾女って言います。でも、忘れちゃってかまいませんよ」
でも、これも本当じゃないのは分かるかな。
「むしろ忘れてください。だって、思いが通じなかった時の、防護ネットにしたくないって先輩の考え方に共感できるんです」
でも、あたしはあなたとは違う。
「この、女殺し」
あたしは、そこが高校の屋上、それも転落防止の柵を越えた先にいることを彼に考えさせない軽やかな動きで、笑った。
これはあたしの自殺。でも、彼による殺人にしたいとも思った。思うだけ、だけど。
「先輩。先輩はあたしを殺しませんよ。あたしが証明して上げます。遺書にも先輩の名前はありませんから」
でも、状況がそれを許さないかな。屋上には、あたしとあたしを煙たがる彼。彼は視覚、聴覚を塞いで、あたしが屋上のへりに移動するのを止めようとしていないのだから。
「あたし、不安定なんですよね。時おり、解放されたくなるんです。もちろん、この身体からですよ。でも、いつもは名前を呼んでくれる人がいるんです。それで安定するんです」
あなたは覚えてくれますか。幾度と同じ名前を口にしたから、忘れないでいてくれますか。
「先輩。たとえ話ですけど。もしかしたら、あたしは先輩の思い人と同姓同名かもしれませんよ。先輩は名前を呼んでくれますか?」
自分でも自覚がある、この不安定さ。口より出て来る話題はぽんぽん変わっていってしまう。でも、名前だけは変えない。
「呼んでくれますか、名前?」
「呼ぶよ、呼ぶ。だから、名前を――」
「ちゃんと呼んでください。そして、忘れちゃってくださいね」
何の心配もいらない。風に攫われる訳でも、バランスを崩した訳でもない。ただ、相手の言葉に満足を覚えて、台本通りに後ろに倒れ込んでいるのだ。
「あ――」
ずっと柵を介して話していたあたしと先輩。つまり、あたしの背中には支えがなくて。時間も止めるはずはなく。
「あやめです! さようなら、先輩」
「綾女! コレ、本当に上演しないのか?」
幕の裏。
あたしはマットから身を起こして、答える。
「こんなの上演したら、真似するバカが絶対いますよ? そしたら、劇団の評判はがた落ちでしょ」
そんなことも分からないかと、汗を拭いながら言う。
「そいつは真性のバカだな。幾ら想いが通じないからと言って、相手にトラウマとして存在を植え付けるのは――」
「でも、必ずいますよ。こんな話を思い付いたあたしを筆頭に」
あたしは先輩の手を借りて立ち上がった。
「だが、表現の幅を広げられたとも思うから、無駄とは言わない。でもなあ」
先輩は未だに未練がましい。
というのも、幕を挟んだ向こう側に座る他の団員の存在だろう。日を追う毎に、手を止める団員が増え、途中からは音楽を付ける輩や終わりと共に幕を下ろす輩が出てきたのだ。
先輩を巻き込んで練習を始めた時は誰もが無視していたというのに。
タダで迫真の演技を間近で見られるとあって、現金な役者連中。トラウマはいつだってプライスレスなのに。
それから、三日が経過した。あたしは台本通りに学生になりすまし、便箋を下駄箱に入れた。二年三組であると明かし、偽名を名乗った。
屋上のへりに立ち、あたしは防護ネットもマットもない一階に、まさに転落しようとしていた。
「あやめです! さようなら、先輩」
結局、あたしは不安定だったのだ。
あたしは先輩の特別になれるだろうか。名乗った名字は全て偽名、名前だけは使い回し。それはあたしが先輩をどうとも思っていなかったことの証明であり、先輩に「あやめ」という名前に対して忌避させる様に仕向けたのである。
その効果の程は、劇団の先輩の様子から明らかだ。
そして、残る演技は後ろに倒れ込むのみ。何も心配に思うことはないのだ。だって、後ろにはマットが――




