婚約者に「その気にさせておいてくれ」と言われて。
「私をその気にさせておいてください」
それが婚約者であるアシネが、僕に言った言葉だった。
アシネとの初対面は婚約成立した日で、それはとても強烈だった。
両家の親が席を外し、あとは2人でという空間になった途端、アシネは何も包むことなく言ったのだ。
「私とあなたは政略結婚です。結婚して跡継ぎを産みお家と領民を守ることが、私たちのやるべきことです」
凛とした声に、疑いもないまっすぐな目が、僕には少し怖かったくらいだ。
「ですので、それ以外はお好きにしていただいて構いません」
「……というと?」
「浮気しようが、愛人を作ろうが、よそで子どもを作ろうが、家と領地と領民にさえ迷惑のかからないことでしたら、何をしていただいて構わないと思っています」
初対面で信用に足る人間だと思われないのは仕方ないとして、これはあんまりにもひどくないかと思ったのだが、付け足された言葉はやはりまっすぐだった。
「その代わり、私をその気にさせておいてくださいませ」
「その気…?」
「どんな私生活を送ろうとも、表では私をあなたのパートナーとして扱ってくださいませ。それでいて、まあ結局は表向きには大切にされているしいいかと、私に思わせてくださると大変助かります」
言っていることはめちゃくちゃだったが、切実な願いにも聞こえた。
僕が紛れもなく彼女に興味を持った瞬間でもあった。
この子のことが、ちゃんと知りたいと思った。
「そして、私もそのように努力いたします」
「僕をその気にさせてくれる、と」
「ええ、政略結婚相手として不足のないよう、精一杯努めさせていただきます」
「わかった、ひとまず君の意見を聞こう」
僕が頷くと、アシネの表情は少しだけ柔らかくなり、ほっとしたように笑っていた。
それが可愛かったのは、本人には言っていない。
それからの僕たちは、婚約期間を婚約者らしく過ごしていたと思う。
僕には他に恋人なんかいなかったし、アシネにも別に他に誰かを想っている様子もなかった。
ただ、『相手をその気にさせておく』を実践するには、多少の努力が必要だった。
僕が彼女をはじめてのデートに誘った場所は、定番のバラ園でなく、薬草園だった。
「てっきり、バラ園に行くのかと思っていました」
「うん、最初はそう思っていたのですが、あなたの侍女に訊いたら『お嬢様はバラに興味がないんです』と言われて…」
「まあ…!」
「どちらかというと、実用的なものが好みだと教えてもらったので、薬草園にしてみたのだが」
自分でチョイスしておいて自信がなかったが、アシネは驚いたように目を丸くしていた。
それから、くすくすと楽しそうに笑った。
「ガレード様、実は私薬草クッキーが好きなのです」
「えっ、あんなに苦いのに?」
「あの苦さが体に良いのですよ、おかげで風邪知らずですわ」
「なるほど…?」
「実物が見られるのは楽しみです、ありがとうございます」
そう言って、初日の時に惹かれた笑みを見せたので、「ああ、こういうことか」とアシネの言った意味が腑に落ちたのだった。
その気にさせてくれと言われなければ、僕は無難にバラ園や観劇などに誘ったのだろう。
それが、友人や親たちから聞く『普通の話』だから。
でも、実際にアシネが喜んでくれたのは、薬草園だった。
帰りにお土産用の薬草瓶を買って、「家の料理長に苦くないクッキーができるか試してもらいます」と大事そうに胸に抱えていた。
その気にさせるには、僕からアシネを知っていく必要があるってことだと学ばされた出来事だった。
次に会った時のアシネは、僕に手袋をプレゼントしてくれた。
「どうして、手袋を?」
「薬草園で少し寒そうにされていたので。お家の方に聞いたら、末端冷え性だと教えてくださったので」
たいして寒くない気温でも指先だけはいつも冷たくて、指を擦り合わせていたのを見られていたらしい。
恥ずかしいなと思いつつ、その気遣いを感じて素直に受け取った。
つけてみると、指先だけ温かくてびっくりした。
「指があったかい…」
「ええ、隣国のものなのですが、指先に特殊な糸を混ぜ込んであって、ほどよく発熱するそうです」
「へえ〜、面白いつくりだね」
「祖母がとても冷え性で、祖父があちこちから取り寄せ試していた中にこの手袋もあったなと思い出して。…使えそうですか?」
「ああ、すごく重宝しそうだ。ありがとう」
僕がそう言うと、やっぱりほっとしたように笑っていた。
ああ、婚約者がこの子でよかったなと、僕がアシネに惹かれるのにさほど時間はかからなかった。
そのうち、「苦くない薬草クッキーができたんですよ!」と嬉しそうに持ってきてくれたアシネに、好きだなあ、と思っていた。
「ようやく結婚式まで、無事に終えましたね」
「そうだね」
僕たちは婚約期間も恙無く過ごして、今日やっと夫婦になれた。
「なんだか、ここまであっという間だった気がします」
「アシネ、僕大事な話があるんだ」
初夜のベッドの上に並んで座って、結婚式の余韻に浸っている中、僕は緊張しながらも伝えると決めていたことを口に出した。
「その気にさせてくれと君が言っていた話なんだけど…」
「ええ、おかげでとてもよくしていただいてます。ありがとうございます、ガレード様」
「そのことなんだけど、僕の、僕側の撤回を求めてもいいだろうか?」
「撤回…、何か不都合があったでしょうか?」
珍しく震えた目を見てしまって、尻込みしそうになった。
だけれど、このままでは嫌だと伝えなければならない。
「僕は、君を、アシネを好きになってしまったから、今日からは君に振り向いてもらえるように努力したいんだ。だから、『その気』のままでいてもらうと困る…んだ」
僕はアシネを好きになってから、困ったことがあった。
僕がいつだってアシネをその気にさせておけたとして、その心まではもらえないかもしれないということだ。
どんなに努力してみても、アシネに「表向きにはいつも大切にしてくれているから、これでいいか」と思われている可能性が高いということで…。
それを取っ払うには、きちんとアシネに伝えて、これから想っていくことの許可が欲しかった。
「これからは、パートナーとして立つためのあれこれじゃなくて、僕が君に好いてほしいがために動いていると、見てもらいたい」
それだけ伝えると、僕はアシネの手を握った。
僕の指先は相変わらず冷たいのに、アシネの手も冷たく感じた。
「アシネ、寒いかい?布団に入ってあったまった方がいいかな」
「あっ、いえ…、これは、緊張していて」
「緊張?」
「初夜、なので…」
あっ、と声が出そうになって、自分の鈍感さに呆れ果てそうだった。
「なのに、ガレード様が私を好きとか言うから…」
「うん」
「私は果報者ですね」
「えっ…」
「これからも、よろしくお願いしますね、ガレード様」
強張りながらも微笑みを見せてくれたアシネを、気づいたらそっと抱き締めていた。
考えるよりも、体が先に動いていた。
「もっと、アシネにその気になってもらうように、頑張るから」
「私も、努力しますね」
そう言って、アシネの腕が僕の背中に回って、愛しさが込み上げてきた。
僕たちは初対面のあの時よりも、互いの心の中が少しわかった状態で、はじめてのキスをしたのだった。
了
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