8/16
カノジョの過去
そのとき彼女は、まだ窓口の内側にいなかった。
研修用の書類に目を通しながら、
「想定問答」の欄を淡々とチェックしていた。
感情を挟む余地はない。
そう教えられていた。
ページの途中で、手が止まった。
> お子さんから結ばれた約束、守りましたか?
質問文としては、少し柔らかすぎる。
判断基準が曖昧だ。
研修には向かない——そう思った。
けれど、なぜか次の行へ進めなかった。
守りましたか。
守れましたか、ではない。
彼女の頭に浮かんだのは、
自分が子どものころ、
「大丈夫だから」と言われたまま、
何も変わらなかった夜だった。
約束だとは、思っていなかった。
そう思うことで、長くやり過ごしてきた。
——思い出したかどうか、でいい。
後に、誰かがそう言った言葉を、
彼女はそのとき、まだ知らない。
ただ、研修資料の余白に、
小さく線を引いた。
この問いは、
読む人を選ぶ。
そう感じたのが、
彼女が初めて、窓口の内側に立つことを
選んだ理由だった。




