プレイバック
ペン先を紙から離したまま、私は視線を落とした。
白い余白が、妙にまぶしい。
——今度、迎えに行くから。
その言葉が、唐突に浮かんだ。
音ではなく、口の形だけが先に出てくる。
少し急いでいて、時計を気にしながら、玄関先で言った。
雨だった。
確か、小雨で、傘を差すほどでもなくて、
子どもは長靴を履いていた。
「ほんと?」
そう聞かれて、私は一度だけ頷いた。
念を押されるのが面倒で、
大丈夫、という意味を込めた、軽い動きだった。
迎えに行く距離でもなかった。
歩けば十分。
だから、約束だと思っていなかった。
その日は結局、仕事が長引いた。
一本、電話を入れようとして、
やめた。
大したことじゃない、と思ったからだ。
門の前に、子どもはいなかった。
帰っているはずだと、疑わなかった。
家に着くと、玄関に靴が揃っていて、
濡れた長靴だけが、少し離れて置かれていた。
「もう帰ってたの?」
そう言った私を、子どもは見なかった。
テレビの音が、必要以上に大きかった。
迎えに行くと言ったことを、
私は、その夜は思い出さなかった。
次の日も、
その次の日も。
思い出したのは、ずっと後だ。
迎えに行く、という言葉が、
約束だったかもしれない、と
誰にも言われずに、気づいたとき。
——お子さんから結ばれた約束。
問いが、現在に戻ってくる。
私は、膝の上の用紙を見る。
「はい」と「いいえ」の四角は、
あの雨の日よりも、少しだけ近くにある。




