三猿の掟 1
「電脳怪聞の笠原です」
「湯前道冴です。わざわざこんな所までお疲れ様です」
「いえ、こちらこそお忙しいところお時間いただきましてありがとうございます」
「忙しくなんてないですよ。働いてるのか遊んでるのかよく分からないような生き方ですから」
笠原はS大学の一室を訪れていた。本当なら美玖も同席させたかったが予定が合わなかったので一人での訪問となった。
”あの人はちょっとヤバイから、おすすめできないんだけどね”
今回の件を調べるにあたって最適な人物がいないか伝手を当たった所、複数の人間が湯前の名前を口にした。だが皆総じて湯前を評する言葉を濁した。民俗学者との経験、知識は間違いない。ただ彼の人間的な部分については揃って否定的なものが多かった。
実際会ってみると湯前の印象は一見悪くはなかった。細身に白髪の佇まい、湛えた微笑みは穏やかで口調も柔らかい。何ら問題ない。むしろ好印象なはずなのだが、前評判の理由にすぐ納得した。
目が全く笑っていない。目元は柔らかく本来なら柔和な印象を与えるはずなのに、空虚な視線は異様だった。この男はどうも何かを致命的に拗らせてる。それが何かは分からないが、関わりたくないと思うには十分な空気を纏わせた男ではあった。
しかしそんな事は気にしていられない。笠原にとっては見谷村の情報が得られればそれで良かった。
「お話を聞いて早速確認させてもらいました。結論として、概ね見谷村に関する情報は正しいです」
「それはつまり、ダムで沈んだことや三猿の掟についても、という事ですか」
「その通りです」
湯前はクリップに挟まれた書類の束を笠原に渡してきた。
「村について纏めた資料です。そちらを読んでもらえればある程度あなたが満足する内容にはなっているかと思います」
そう言って湯前は自分のPCの前に座り、カタカタとキーボードを打ち始めた。何か次の資料や説明が始まるのかと思って様子を窺っていたが、しばらく待っても全く期待した動きはなかった。
「……あの」
「何ですか?」
「それで、他には? 何か、その……」
「はい?」
湯前は何を言われているのかさっぱりと言った様子だった。
「え……あの、事件についてはどう思いますか?」
「どう、とは?」
「いや……奇怪な状況で人が亡くなっています。このあたりは民俗学的な観点から何か意見はあるでしょうか?」
想定していなかった状況に焦り、間を埋める為だけに自分でも意味の分からない質問をしていた。
「いいんじゃないですか」
「え?」
「死ねたんでしょう? 素晴らしいじゃないですか」
この男は急に何を言い出すのだ。笠原が唖然としている事も気にせず湯前は言葉を続けた。
「死は素晴らしいですよ。一度死に損ねた事があってね。その時に少しだけ向こうの世界を見ました。あんなに素晴らしい世界は見たことがない。早く私も行きたいですよ。死んだ彼らが羨ましいです」
「あんた、何言ってーー」
「冗談ですよ。半分は」
ーーこの男、本当にヤバイな。
「資料、ありがたく拝見させていただきます。ではーー」
「読んだらまた連絡下さい」
「はい?」
湯前の視線はPCから笠原に向けられていた。
「現地にまた行かれる時があるでしょう。その時は私もぜひ一緒に行かせていただきたいと思ってますので」
満足そうに笑いながらそれだけ言うと、また湯前はPCに向き直った。
それなりに興味は持っているという事なのか。それが仕事上のものなのか個人的なものかは全く推し量れない。
連絡すべきかどうか。それはこの資料を読んでから考えればいい事だ。笠原はさっさと湯前の部屋を後にした。