キカセル 1
「ほらほら言ったじゃないですか。オカルトですよ完全に」
「黙ってろ。後仏の前できゃっきゃ騒ぐなこの罰当たりが」
「最後まで残る感覚って聴覚って言いますもんね。でも大丈夫ですよ。死んだ上に一番最初に失ったのがその聴覚でしょうから」
上に掛け合ってこいつを飛ばしてもらう事を本気で考えた方がいいかもしれない。いくら有能でもここまで人間性や常識が欠落しているのはさすがに看過出来るものではない。日常的に死に触れる職だからこそ命の尊さを決して忘れてはいけない。なのにこいつときたらそんなものは微塵も持ち合わせていない。
こんなイカレ野郎の事は今はどうでもいい。檜垣は気を取り直して現場を検めた。
「間瀬良和、二十一歳。どこにでもいるようなモブ大学生ですね。自分は人とは違う、アイデンティティを確立したくて仕方がないのに実際は何一つ己を成すものがない未熟な生き物。死んだところで何の影響もないですね」
「お前こいつに何の恨みがあるんだよ。まさかお前が殺したのか?」
「親の金で何一つ学びもせず遊び惚けている学生なんて一人残らず灰になるべきです」
一体どんな人生を歩めばこんなにも捻じれた人間が出来上がるのだろうか。
「鼓膜が爆ぜてジエンドって感じですかね」
「どうだろうな」
間瀬は実家の二階の自室で頭を抱え机に突っ伏した状態で死んでいた。
母親によれば夜中に間瀬の部屋から尋常じゃない叫び声が聞こえ飛び起きた。絶叫はしばらく続きやがてぴたりと治まった。恐る恐る部屋に入ると、既に間瀬は絶命していた。
抑えた両掌から伝って溢れ出た大量の血痕は床にも零れ落ちていた。調べれば外傷らしきものはないが、耳の穴から太く濃い血筋が残っている。
突っ伏した机には田所と同じく電源が点いたままのノートPCが一台。接続されていたであろうヘッドフォンと卓上マイクは乱暴に床に転がっていた。檜垣は表示されている画面をじっと見る。
「これ分かるか?」
「あー配信アプリですね。standFMってやつです。Youtubeみたいな動画配信じゃなくて、完全に音声のみの配信アプリですね。田所程ではないにしてもこのアプリでフォロワー五千人はなかなか頑張ってますね」
さすがに檜垣と違って立石はこの手のものに詳しい。
「しかしまた配信か。今時の若者の楽しみってのはこんなものしかないのか?」
「簡単に誰でも情報を世界に発信できて人気者になれる可能性を秘めたツール。承認欲求に満たされたい若者達にとってはとっておきのツールですよ。檜垣さんだって評価されたら嬉しいでしょ? それと一緒ですよ」
「俺は別にそんなもの気にしていない」
「まあそういう事にしておきましょう」
歳をとるとはこういう事かと身に染みる。若い頃は流行を理解しない親の事を馬鹿にしていたが、気付けば同じ立場になっていた。最近の音楽やらファッションやら、全くついていけないしいこうともしていない。刑事として様々な情報に嗅覚を働かせる必要があるのは分かるがどうにも抵抗感があって自分の中に浸透してこない。
「で、こいつは一体何を配信してたんだ?」
「アーカイブが残るアプリじゃないからどんな話をしていたのかは分からないですけど、SNSを辿れば何かしら情報は出てくるでしょう」
「そのあたりは任せるぞ」
「そうやっていつまでも文明から逃げてたら痛い目見ますよ」
「もう見てるよ」
訳の分からない文化に檜垣の頭は痛くなる一方だった。
*
検死の結果、間瀬の死因はやはり耳に起因していた。鼓膜は破裂し内耳が大きく裂け、裂け目は脳にまで到達していたという。
”まるで耳の奥から頭を無理矢理こじ開けようとしたような傷跡”というのが検視官の言葉だった。どうやったらこんな死に方が出来るか全く検討もつかず、結論としては変死としか言いようがない状態との事だった。。
一体何が起きているのか。田所といい間瀬といい、配信者と呼ばれる人種が立て続けにおかしな死に方をしている。これらが無関係な死か関連した死なのか。いずれにしてもさっぱり分からない。
「厄介な事に巻き込まれたって顔してますね」
さっと立石が缶コーヒーを差し出す。礼も言わずプルタブをこじあけぐびりと喉を鳴らす。いつもなら脳を刺激してくれるはずの喉に流れ込む苦味が今はまるで効果がなかった。
「認めた方が楽かもですよ。全部オカルトだって」
「諦めろっていうのか?」
「呪いによる殺人といったオカルトでの犯行はこの国では取り締まれないですからね」
「お前本気で言ってんのか? 現実じゃない事が起きてるって」
「じゃあ先輩には説明出来ますか? 出来ないでしょ? まあ形はどうあれオカルトは絡んでそうですよ。間瀬の配信情報を辿ったら案の定SNSに色々呟いている奴らがいました。その中には田所とも共通する情報が出ています。”見谷村”です」
「あのダムに沈んだとかいう村か?」
「そうです。間瀬も見谷村について話していたそうです。どうやら田所の配信きっかけで知ったようで、日頃から怪談とかオカルト系の配信をしていた事もあってこの話題に触れていたようです」
「何だってんだよその村が」
「調べた方が良いかもですよ?」
「優先順位は下だ。オカルトに構ってる暇はない」
そう言うとこれ見よがしに立石は肩をすくめた。
オカルトは不可視な存在だが、実際に二人の死人が出ている。確かに奇怪な死をどう受け止め処理するかという現実はあるが、とにかく今起きている事を現実的に解決していくのが自分達の果たすべき役割だ。
ーーとはいえ、軽く見てはおくか。
見谷村。立石の意見を表面では切り捨てておきながら、心の内ではオカルトの可能性を消しきれていない自分に檜垣は心の中で苦笑した。