三猿封じ 3
「立石?」
蹲る檜垣と柿原。跪く湯前と違い、立石だけは悠然とポケットに手を突っ込み佇んでいた。
「最初からずっと言ってたじゃないですか。これはオカルトだって」
立石は腹が立つ程爽やかな笑顔を檜垣に向けた。
「だったら何なんだ。オカルトだと分かっていたらどうにか出来たのか?」
「出来た部分もあるかもしれませんね。先輩が文明から逃げなければ」
「何だと?」
「ちゃんとコメントも残してたのにな」
「コメント?」
ちりっと記憶がひりつく。前に似たような事を言われたような気がする。あれは確か、SNS関連がどうとかの話だったか。
ーーSNS……。
何か大事な事を忘れている。記憶を総動員して今まで見てきたものを思い起こす。
何だ。何だ。
記憶、甦り。きっかけ。
>掟を破ったら守り人に目玉とられるよ
ーー……あれ?
一つの記憶の前で足が止まった。
田所の配信で残されていたコメントの一つ。あの時は変なコメントだな程度にしか思わなかったが、今となれば明らかにおかしいコメントだった。守り人の情報はこの時点では表に出ていない。なのに何故こいつはこんなコメントを残せた?
「情報提供者は僕ですよ。彼女の為に必要なのは拡散ですからね」
立石から笑顔は消えていた。
「忘却は消滅。恐れられ、崇められるからこそ守り人としての力は保たれる。彼女の魂は深い憎しみから途絶える事はなかったが、力は限りなく薄らいだ。それでも失われなかったのはこの世への憎悪。産まれてからずっと晒され続けた理不尽な世界。そんな死してなお報われない想いがあったから」
立石の口から語られるのは歴史だけではない。守り人と呼ばれた真美という一人の人間の心そのものだった。今しがた語られた湯前の言葉の受け売りではない。こいつも湯前と同じく全てを知っている一人だ。いや、湯前以上に。
「彼女一人では成就出来ない。だから僕は中継器の役割を担った」
「中継器?」
「無線Wi-Fiってあるでしょ? さすがに先輩でも分かると思いますけど。有線がなくても無線が飛んでいる場所ならネットに接続する事が出来る。でもその範囲は限られている。電波が強くなければ干渉出来る範囲は狭まる。だったら広げてあげればいい。彼女の力と同じです。僕は彼女の干渉範囲を広め、力がより届くようにしたんです。それが拡散です」
こいつのせいだったのだ。ずっと真横で事件を追うフリをしながらその実、高みの見物を決め込んでいたのだ。
「分からん……何もかもが分からん。何故お前がそんな事をする必要がある。 何が目的なんだ?」
「世界から境界を消す為ですよ」
「何?」
「人間がいかにクソで愚かで無価値か、さんざん僕達は見てきたじゃないですか、先輩」
「この世はそんな人間ばかりじゃない」
「でも一生消えない。産まれ続ける。育ち続ける。終わりなんてない。いくら捕まえようが裁こうが、ゴミが消える事はない。人間が生きている限りまた新しいゴミは生まれる。燃やし尽くす事なんて出来ない。うんざりだった。でも真美からアクセスが来た時、変えられると思った。彼女の力なら可能なんだと。だから僕は拡散した。この世の内と外の境界を無くす。外がなければ内も無くなる。つまりは消滅です」
立石は穏やかに笑った。こんな漫画や映画で見てきたありふれた思想のせいで世界が終わるというのか。
「なぜお前なんだ」
「僕が血筋だからですよ」
「血筋?」
「真美の感覚干渉の力は彼女自身の積年の恨みによって失われずに済んだものの、その力は脆弱だった。それでも振り絞った力はようやく届いた。一番想いの強い者へ。両親の血筋へ」
「じゃあ、お前は……」
「母は処刑され、子孫を真美以外に残せていない。でも父は違った。もともと村外にいた人間で別の子孫を残していた。彼の血筋は残っていたんですよ」
「向けられていたのは憎悪だ。それでも応えるのか」
「運命ですよ。僕もこの世に絶望している。この世界を消し去りたいという彼女の意思と合致した。だから僕達は世界を消すことにした」
「俺達は、俺達は偶然なのか?」
「いいえ。先輩達も彼女に選ばれたんです。ただ僕とは少し違う。ある程度の拡散力、行動力を持った人物として利用する為です」
「俺達も選ばれた?」
「真美との意識干渉の中で急に記憶が甦ったのがその証拠です。拡散によって力を増した彼女が起こした意識干渉の一つです」
笠原や湯前もやはり同じか。忘れ去った記憶が同じタイミングで甦っているのはそういう事だったのか。
「ただ先輩達が甦ったと思っている記憶、実際には存在していませんけどね」
「え?」
「笠原さんの妹の記憶、先輩が恐れたトラウマの記憶、これらはあなた達を利用する為のきっかけとして、真美が創った偽の記憶です」
「は?」
横にいる笠原が思わず声を漏らした。
「真美は? 俺の妹は?」
「あなたに妹なんていませんよ」
「そんな……真美、真美は……」
笠原は愕然とし脱力する。檜垣も同じだった。あれだけ恐れた記憶そのものが、そもそも存在していないものだった。
偽りの記憶は全て真美がここに自分達を呼ぶ為に行った感覚干渉だったのだ。オカルトを否定しきれなかったからこそ自分は今ここにいる。笠原は妹に会う為に記憶を信じてここまで来た。湯前は見谷村の記憶だけで十分だろう。知的好奇心をくすぐりさえすれば彼はそれだけで動く。
「湯前さん。あなたは問題ないですね」
「もちろん。最初からそのつもりです」
「お前らは、共犯なのか?」
「違いますよ。でも志は同じです。全てを終わらせるという意味では」
「その通り。素晴らしい死後の世界へと旅立てるのですから」
「そうだった……あんた死にたがりだったな。これで念願の死後の世界が見れるってか」
笠原が忌々しそうに口にした。立石も湯前も全てを受け入れている。この後に待ち受けるであろう現実を分かっている。
俺達はどうなる。何の為に俺達は選ばれた。俺達がここにいる理由は何だ。
「準備はいいですかお二人とも」
「準備だと……?」
「あなた達は真美に選ばれた。真美の復活と世界の消滅の為に」
「何が始まるんだ」
「湯前先生、笠原さん、そして檜垣先輩。三体の人間が必要なんです」
「三体……」
ーーまさか、俺達は。
「今から三猿封じを行います。生配信でね」
立石は肩に下げていた鞄から三脚を取り出し、自身のスマホをセットする。
「彼女の力はまだ目、耳、口、一つずつしか破壊できないほど弱い。だが本来の力はこんなものじゃない。更なる拡散によって知れ渡れば感覚干渉は次元を超える。世界そのものが掟を破った三猿封じの対象になる。その為に皆さんの命を捧げて頂きます」
ーーこんな事の為に、俺達は。
果てしない虚無感。昨日までの現実は遥か遠くに消えた。
この日の為に、無残に殺される為だけに、俺達は今まで必死に生きてきたのか。
「全てを封じ、終わりにしましょう」
スマホがこちらに向けられる。
真美は笑い続けている。
「やっと見た」
目の奥が燃えるように熱くなった。




