少女時代
私は家族に愛されていませんでしたね。
ごめんなさい、私今認知症らしいから何回も同じ話をしてしまうんです。
でも聞いて欲しい。私は家族に愛されていませんでした。
父も母もそこそこ良い人でした。
かなりの上流家庭に生まれたというのは後に友人に指摘され初めて気づいたほどに普通の家でした。
…2人の姉は確実に親に愛されていたと思います。
私は愛されていませんでした。
1番上の姉のキヌ子は成績が良くて周りから愛されていました。非の打ち所が全くないのです。当時の女なんて高校を卒業したらすぐさま結婚すればそれで良かったのに、キヌ子は九州大学にトップの成績で入学してしまいました。
九大に入学した時点で凄いのに留学先で出会ったハンサムなフランス人の男とデキて即結婚しちゃっちゃとフランスに移住したのです。
家族は皆キヌ子が大好きでした。勉強も出来て明るいキヌ子は河本家のトレードマークのような存在でした。九大に入学した時は皆でお祝いしました。外人を急に連れて来てもキヌ子は…“信用”と言いますか、どんな男を連れて来てもキヌ子なら大丈夫だろうという不思議な安心感がありました。
キヌ子は「アンタもさっさと結婚なさい」と言い残して音信不通になりました。当時は国際電話がどうとかの時代でしたので電話番号も住所も知らなかった河本家はどんどん疎遠になりました。
もう今は生きてるかどうかすら分かりません。齢80を過ぎてるのでポックリ逝ってるかもしれません。
キヌ子は河本家で良かったとよく言っていたので、河本家には良い思い出しかないでしょうね。羨ましい限りです。私は家族に愛されませんでしたから。
2番目の姉の多恵は歯科衛生士になりました。九州歯科大学を出て近所の歯科病院に勤めました。
息子の歯をよく磨いて貰ったのを覚えています。仲が良かったかと聞かれれば、まだ良い方だったかもしれません。音信不通のキヌ子と違ってまだ連絡を取っていましたし住んでいるマンションも知っていましたから。
しかし多恵は10年以上前に他界しました。
…その時私が唯一多恵に勝てたと思いました。多恵には河本家以外に身内がいないのです。結婚をしようとしても中々出来ず、子供を生まずに生涯を閉じました。
私はその時既に息子も娘も成人していてなんなら孫もいたので身内が1人死のうと平気でした。
既に他界していた両親とフランスに移住して行方が分からないキヌ子を除けば私しか身内がいない(親戚は皆北海道に住んでいました)多恵の孤独っぷりは泣けますよ。孤独死でなく病死だったのはまだ不幸中の幸いでしたね。まだ近くにナースさんがいる中で亡くなりましたから。
父と母は私の事を嫌っていたと思います。
どんなに習い事をさせても全く結果は出ませんでしたし学問も中の下でしたから。
日本舞踊くらいですね、習い事の中で割と好きだったのは。それくらい何も楽しくなかったです。
「アンタはさっさと結婚した方が良いよ」と誰もが言いました。
「家庭に入らないと生きていけないわよ」
万年独身の多恵に言われた時は流石に腹が立ちましたが、それはそうとしか思えませんでした。
男探しは何年も続いていきました
私は普通の女でした。今も昔もです。
何のステエタスもない。良い大学も良い企業にも入れませんでしたので結婚していい男をとっ捕まえるしか無かったのです。
私はとにかく学歴の良い男を探しました。お見合いを何度も繰り返して、理想の学歴を持つ優秀な男と結婚しようと企みました。外見や中身はどうでも良かったです。学歴さえあれば。
外人のよく分からない男と結婚したキヌ子、ずっと独身を貫いた多恵の妹だからこそちゃんとした男を捕まえたかったんです。