美(うつくし)
高校2年になっても剛はススキの河原に行き、小さな泉の横に寝転がって丸い額縁の空を眺めた。小さく切り取られた空は一層青さを増して輝いていた。
青い海のような空の下で、河原の遊歩道で出会う美を思った。
この頃は行進をぶちかましていない美の姿を多く見かける。だが剛の頭の中には今も美が行進しながらやって来るのだ。
「あはははは」・・・・・剛は突然やって来る美の姿に笑い出し、目的地に着く前に電車を降りたこともあった。
「ユウちゃんの姉ちゃんて、笑えるな」
「笑えるだろ_」
最近剛はよく岡本家を訪ねて来る。勇敢にとっても、剛にとっても、初めて心から打ち解け合った友達であり、また勇敢の母親が剛のファンだという。
夕食を一緒にすることも度々あった。食卓では剛と美が向き合って座る形になるだが二人はそっぽを向き合って顔を合わせない。この日も剛は夕食の後、勇敢の部屋に戻った途端深いため息をついた。
「やっぱり剛ちゃんは、姉ちゃんが苦手なんだな」勇敢はそう思っていた。
「俺、ほんとダメだ。勇敢の姉ちゃん」
「そうかあ」
「笑ったら、止まらなくなるもの」
「笑う?」
「ユウちゃんの姉ちゃんが、これやってたのを見た時さあ、可笑しくってたまらなかったんだ」
「行進のことか。姉ちゃんは中学2年の時、学校が教える健康法だって言ってさ、始めたんだよ」
「健康法・・・」
「中学卒業するまでやってたもんなあ」
勇敢の部屋から笑い声がきこ える。
「ユウちゃんてば、剛くんが来ると楽しそうね。そうだウッちゃん、アイスクリームをユウちゃんたちに持って行ってくれる?」
「あ?あ、私お風呂行かなくちゃ」
「え?お風呂?さっき入ってたじゃない。ちょっと、ウッちゃん」
美が廊下へと飛び出したところに、帰ろうと玄関に向かっていた剛が来て鉢合わせ、美が剛に飛び込み、思わず剛がそれを支える形になった。
二人はしばらく呆然とお互いの顔を見詰めていたが、同時に我に返った二人は弾かれたように後ろに跳んだ。そして美も剛も、二人とも壁にぶち当たりながら一人は玄関を転がり出て行き一人は自分の部屋に転がり込んだ。
それを見ていた勇敢が大笑いをしていたが、突然真顔になると「へええー」と少し驚いたような声を上げながら自分の部屋に入っていった。
「お父さん・・・勇敢て、少し変じゃないですか?」
「なんだ、急に。変とはどういうことだ?」
「私の気のせいかもしれませんけど・・・」
母親の佐恵子は勇敢が生まれた時内心小躍りをした。
なんて可愛らしい子。私たちにこんな可愛い子が授かるなんて。
勇敢を一眼見たいと産婦人科の一室は連日人で溢れたものだ。
だが、勇敢には奇妙なところがあると母親は思っていた。
それは、勇敢が二歳くらいの時食事を与えているときのこと、最初の一口を食べて勇敢に二口目を持って行くと、決まって自分の右横を指差すのだ。それを無視してスプーンを持って行くと、嫌々をして絶対に口を開かない。困った母親が勇敢が指差すあたりにスプーンを持って行き、あーんとかパクパクとか言って食べさせる真似をすると、ちゃんと食べるのだ。ただし母親は勇敢にご飯を食べさせるには、空中にも食べさせることを続けなければならなかった。小学校に上がってからも、勇敢といると、他にも誰かがいるのではないかと思わせることを言ったりする。母親は幽霊の存在など信じてはいなかったので、勇敢に脳の病があったらどうしようと、密かに怯えてきた。
成長と共にその頻度は落ちてきてはいるが、それでも今日のようなことが起こると、やっぱり怖い。勇敢は今日、誰かの耳打ちを聞いていた。母親にはそう見えた。
「まさか!あの二人、好きなの?」勇敢は声に出して聞いてみた。だがそれに答えてくれる人はやって来なかった。 寅吉じいちゃんはいつもいてくれたのに、この頃は姿を見せない日が多い。というよりも、勇敢はおじいさんのことを忘れていることが多くなった自分に気づいていた。